舞い散る花びらに...心は五月(さつき)
南三陸 入谷たら葉沢
新たな花に想いよ寄せて、
いつも気分は.....花舞台(笑)
「入谷童子下 やぎ牧場」
私が住んでる、童子下1期仮設の入り口...大和さんちのヤギ牧場です、筋向いはべゴ牧場。
震災後、仕事を再開した約1年間 仕事場としてたべゴ(牛)小屋の隣です。
「ホルスタインヤギと普通のヤギ」と楽しく暮らす仕草が.......しあわせ気分。
とにかく入谷童子下の住民になって5年になります、地域に支えられ、自然の温もりに 心躍らせ、
”すごく前向き....” ↓(白い大きな建物は入谷小学校、自宅の仮設前からの撮影)
<おまけ>
「ホルスタイン やぎ」......記念写真
今日は風模様も少しは穏やか気味なので、気分よくお店の脇の急な坂道をトコトコ歩いた昼下がりでした。
Dear... PENTAX K-5Ⅱs MACRO(TAmRON 90㎜1:2-8)
私の散歩路の里山です、マクロレンズは被写体を大きく写せるので普段眺める花より、より花の中に入り込んだ気分になります。
雄蕊と雌蕊の甘いささやきに溶けて行く自分が怖くて、2枚目と3枚目の撮影は...花弁の手前で抑えました(笑)
”春たけなわのランラン”、思う存分 自然織りなす 春色が楽しめる季節になりました。
南三陸 入谷鏡石
熊本地震で被災されたすべての皆様にお見舞い申し上げます。
私自身からは上手くは言い表すことができませんが、日本中のみんなが、支援・応援。ガンバレって!
声かけ合っています。
「日本国の底力」は世界で一番だと私は自負します、慌てず、焦らず、落ち着いて行動して下さい。
きょう15日は、戸倉小学校と志津川中学校の自転車点検の日でした。と同時に小学校は交通安全教室、
中学校は交通指導講話の時間でもありました。
自転車点検は、戸倉小学校の台数は2台、志津川中学校は4台です、復興・復旧の最中です、
道路事情と学校まで運ぶ手立てが...まだまだなようです。
2枚目の写真は昨年10月に高台に新校舎が完成した戸倉小学校です。
東日本大震災で校舎が全壊し震災後1年ほど登米市旧善王寺小学校校舎を借り受け
南三陸から隣町までスクールバスで通いました、24年4月に志津川小学校に併設され(間借り)
戸倉地区からスクールバスで通学することになりました。
今は、新校舎の下で....地域の皆さんは”気持ち一心”です。
2008年...8年前の4月15日、志津川中学校の自転車点検の日でした、終わった後、学校の周辺を写真に収め
ブログに投稿したのが
...... 「学んで 厭わず」
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宮城県南三陸・志津川高校の登校坂です。
くやしいながら自分の母校ではないのですが、我が町の誇れる高校です。
一番は...新入生が入学する時期に咲き誇る”サクラ坂”です、
....義務の学びからの開放と脱却そして自由への憧れ!
”退くつな授業がオレたちの全てだというのならば、なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な...”
「尾崎豊」が叫んでた時代もありました、
今年の夏の参院選から「18歳選挙権」が適用です。「尾崎」の時代の欲求と追求が”サクラ咲いたのです”
頑張った先に.....嬉しさを掴むものです、そのためには日常の行ない(イイ空気を吸う...深呼吸)...持続。
”がんばりゃ” 志高生には負けないゾ.....と私の前を通り過ぎて行きました。
南三陸志津川 志津川高校登校坂
南三陸入谷に暮らす自分としては、ここのところ 私の視野に飛び込んでくる色は黄色、次にミドリ色、つづいて赤いいろと、四月初旬は色とりどりの...”春らんらん” なのです、
春4月 心ウキウキ 新年度、何かと忙しくなるものです、
新学期に新入生と.... 新社会人となると”人生の扉” 「希望と憧れと夢を掴む」旅立のスタートなのです。
そして ”人生の生きざまを後世に伝える役目の方々”は、栄転左遷配置転換と目まぐるしい社会事情の変化に果敢に挑戦の...新(あらた)なのです。
4月は、新年度のスタートです。黄色、緑、赤、色の ”三原色” 「家内安全、商売繁盛、交通安全」、
とにかく安全協会.南三陸志津川支部長の自分としては、志津川の街並みが復旧再生されることを望みながらの活動です。
町が再生真直になるほど...何かと近づきがたい局面なのです。
とにかく状態に携わる方々の必至さには ただただ感謝するばかりです、
傍観をするのみの自分ですが、地域に”お役に立てる”手立ては...自転車とバイクを通して”みんな元気になること”
手すりにもたれつつのうららかさに、春の日の花と.....約束、
南三陸 志津川中学校 南側登校階段から 3枚目(2007/4月撮影)
10年前、志津川町がとなり町、歌津と合併し「南三陸町」が誕生した初めての....春でした。
上の山公園から撮りました。海沿いに建つ ホテル観洋はこの町を象徴する約千人ほで収容できる
総合リゾートの温泉宿です。
サクラの花の下に広がる街並みは...十日町から南町そして旧漁港へと続き、その間は”おさかな通り”の
名称で町の賑わいの中心でもありました。ですから私の晩酌の友は、この界隈のお魚屋さんでした。
下の写真は震災後7ヵ月の頃の様子です、撮影の立ち位置は1枚目の写真とほぼ同じです。
バスが往来してる道路は国道45号線です。この頃は地盤沈下は1㍍もあり、海の満潮時は勿論
ちょっとした雨降りの時も至るところで冠水し凄く不安を感じた頃でもありました。
南三陸 志津川