昨日は地震と津波の騒動で気持ちが揺らぎ、
今日なんかは真冬に逆戻りの寒ム~い一日でした。
でもそれ以上に悲しい事がありました。
私の友人のデザート・ムーンさんの愛犬”ボニーちゃん”のお別れの日でした。
ここ数ヵ月は病魔との闘い、ガンバって頑張り抜いた”ボニーちゃん”
”なきがら”を見送る気持ちは人間と変わりはありません。
火葬する炉へと、静寂の中で進む思いは涙へと.....”ボニーちゃんさようなら”
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hiderinn撮影
デザート・ムーンさんの愛犬は”ラン、アリス、ボニー”の3ワンコちゃんで、
彼の自転車にいつもチョコンと乗っていて南三陸の人気者でした。
飼い主と一緒でおとなしく、素直で頭の良い子達でした。
でも、万物は永遠ではないのです。
下の写真は在りし日の、
左から、
ランちゃん : ’10年5月 18歳で永眠。
中央
アリスちゃん: '09年 8月 15歳で永眠。
右がわ
ボニーちゃん..3月8日に亡くなりました。
12歳と9カ月です人間で年齢だと70才相当だそうです。
南三陸のシンボル:モアイ像の前での記念撮影でしです
3ワンコちゃんの写真を見るにつけ、
デザート・ムーンさんの心情を察すると心痛みます。
デザート・ムーンさん撮影
モアイ像とは、
南三陸(志津川)は51年前に起きたチリ地震津波で大きな津波災害がありました、
その後チリ国と安全安心の旗の下に友好を誓いました。
あの忌まわしく悲しい事は絶対になくするように、その思いを後世に伝えるためにも、
チリ国の遺産....世界の遺産”モアイ”を南三陸町のシンボルとしました。
3ワンコちゃんはこの世から旅立ちましたが、南三陸の町の人たちを和ませた事実は永遠だと思っています。
そして3ワンコちゃんをしっかりと育て教育したデザート・ムーンさんに敬意を表します。
午前11時45分頃、マグニチュード 7.3の大きな地震がありました。
震源地は三陸沖、震源地はまさしく私たちが住んでる南三陸の東方の海で起きたのです。
三陸沿岸地域は地震の活発な地域の一つです。
先日のニュージーランド・クライストチャーチの地震よる悲劇も起きたので...一瞬ドギマギしました。
そのこと同じように、私たちは地震が起きる際はいつも津波の不安に駆られます。
南三陸志津川 旧漁港
たまたま地震の時間帯は、....目の前の八幡川は干潮の時でした、もうひとつホットしたのは河口の水門の閉鎖です。
今ではコンピューターによる遠隔装置で的確に操作されるので気持ちの中で安堵しています。
しかし1メートル前後の津波が押し寄せて来ました。
八幡川河口、防汐水門
南三陸町 志津川小学校の裏山(通称:三番仏)から撮影
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この3月で30年間活動してきた交通指導員を卒業します。
年齢的にはまだまだだと思いますが....^^
交通指導員の役割は毎月1日、5・15・25の日の街頭指導、
春と秋の交通安全週間時は街頭指導はもちろんのこと、
町内の保育所を始め各小中学校・高校と交通安全の実技指導を行います。
時には有事の際...交通事故、火災等の交通整理にも出動し安全安心に配慮します。
自分としては春秋、保育所と小学校の交通安全教室での実技指導には特に力を入れて指導しました。
マイク持つ手に力を込めて(^^)、
と言うわけで...思いと、話題は尽きることはありません。
”ひたすらひとつのことに心を集中できた自分は”....「一意専心」
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今では貴重な存在の木造校舎の校庭で地域が一つに盛り上がる景色は実に感動的です。
前の走者を抜き去りゴール前の赤いユニホーム姿の彼は私の友人です。
地域あげての秋の運動会には、最終種目の年代別リレーではいつもアンカー、
ここ数年は彼の独壇場でフィナーレを彩るのです。
走る喜びをキチンと自分のモノに創り上げた彼でした。
しかし昨年、
運動会を目の前にし急逝したことは、
驚きと、悔しさと、虚しさ......、
もう7ヵ月経ちますがいまでも私の胸の奥底で駆けめぐります。
写真は1年半前(21年秋)の撮影です。
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貴重な木造校舎、3年前までは入谷中学校として存在していました。
時の流れなのか、学校は統合しこの建物は廃校になりました。
そして、
今年取り壊されることになりました、コダマ(木霊)するあの歓声はもう戻って来ることはありません。
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木造校舎の前、校庭に横一列に並べた通学自転車、
じてんしゃ屋の私としては春四月は自転車点検で大忙し^^....桜の花びらがちらほら散りかける頃でした。
一枚目の写真、二枚目の写真、三枚目の写真それぞれの年月は違いますが丁寧に撮った思いが蘇ります、
”旧入谷中学校”取り壊しとともに私の心から.......「卒業」です。