52年前の春遅すぎたころ、
その日も底冷えのする三陸沿岸の特有の”ヤマセが町中をはびこる重い冷湿な北東風に...
自宅二階で寝ていた自分も”ザワザワ”..聞きなれない異常な物音に....家族が気が付かないはずはない、
目の前の八幡川から濁流となって押し寄せた波は、とどのつまり津波なのでした。
八幡川沿いの我が家は1階の天井すれすれまで浸水しました。
.小6だった頃の自分でしたが、”自然の驚異に驚きと共に愕然とした思いは以後 ”ずーっと心に残ってしまいました。
当時は情報技術もまだまだで、まさか地球の裏側の南米チリの地震津波が私たちの南三陸まで押し寄せてくるとは....
昭和35年5月24日の早朝、私の町に津波が来襲したのでした。
「チリ地震・津波」 地震もなく突如襲ってきた津波には41名の犠牲者を出しました。
その後南三陸志津川と南米チリ国と地震・津波被害の縁で友好国となり、
私たちの町はチリ国の代表する”モアイ像”を観光のシンボルとし”あの忌まわしい津波を忘れないように築いてきました”
私の大好きな松原公園には”モアイ像とコンドル”がチリ地震津波災害30周年を記念して、
被災地同士であるチリとの友好の意味と被災の歴史を忘れないという意味で設置されました。
しかし無残にも悲劇と言うか.....思い果て無く震災による津波で破壊されてしまいました。
1枚目と2枚目の写真はほぼ同じところから撮影です。
一枚目は先日3月5日に撮りました、二枚目は2011/11月(1年4か月前)。
今現在の松原公園のガレキは....綺麗に処理されています。
モアイ像...チリ国の政府の協力により、
日本からおよそ1万3000キロメートル離れた南米・チリのイースター島から、
東日本大震災で被災した私たちの町南三陸町に 世界遺産の島のシンボル、モアイ像の複製が贈られるそうです
私としては深い内容は分かりませんが、5月頃南三陸に安置とのことです。
自宅から300㍍ほどの身近な公園でした、
夕方カメラ片手に散策、人影が見えなくなった頃を見計らい被写体を.^^.....あの頃が思い出します。
震災からもう2年を向えます。
まだまだ復興という感じがしません、内面的には進んでる事と思いますが
災害復興住宅は入谷地区でようやく始まりましたが市街地の高台移転は...まだまだ先のことのように感じます。
”心空回りして・気持ち切なくて....”
南三陸 松原公園