あの日から10年目を向かえようとするこの頃、あれこれ思いを募らせる日が多くなるような気がして...あの時の修羅場が甦ります、
でも一般的には時が経つにつれて記憶から薄れていくのが実際なのかな、自分は被災体験をしているから、ふと振り向くと...いつも2011/3.11が現実なんです。
とにかく風化しないように写真や映像で伝え続けることですね。日本の周辺は地震の多発地帯、いつ災害が起きるか分かりません そのためにも、
良く知り、良く学び、その心構えの対策は大切ですよね。
上の写真は2014/06.02撮影、八幡川左岸 震災2年経過した頃の写真で五日町の川沿です。
現在は10数m嵩上げした場所に「南三陸さんさん商店街」が飲食店やお土産屋約30店舗が軒を連ねています。
南三陸町 八幡川左岸2010・12/23撮影、この写真(2枚目)はもしかすると友達から提供された写真かも、自分としては2010年頃の写真データは全て流失しています。
川の向う側が貴重な映り込み写真です。正面の壁面が白い建物は「中国料理・常盤」そして向かって右2件目の白くて四角く読めないけど「HONDA」赤文字看板が我が家。
その隣が南三陸町役場でベージュ色の三角屋根が細長く見えます、そしてその屋根の後ろのほうにかすかにアンテナが見えますその場所が...震災後に有名になった防災庁舎です。
また正面の中橋(なかばし)はここからだとよく分かりませんが基本的には木造の橋です、現在4期目の佐藤仁町長も毎朝この橋を歩いて登庁されていたことを思いだします。
そして私のお店の前でよく朝の挨拶を交わしたものでした今となれば清々しい光景だと思っています。
八幡川 2021/01.24撮影 (3,5,6枚目)
未曾有の津波で町が消滅してこの町がどんなことになるのかと当時を思い出します。
3,4,5,6,の4枚の写真は震災10年目の現在の写真です。
2018/06・17撮影
新しい町ができて安堵しています。
八幡川も安全安心な川と生まれ変わりました。上の写真右手は全国に知れ渡った「南三陸さんさん商店街」です。
そして下の写真は震災で有名になった「防災庁舎」現在は震災遺構として慰霊の場として保存されています。