糸満ロータリーから山側を見上げると、小高い丘の上に青い展望台が見えます。
この丘は三巓毛(サンティンモウ)とよばれ、現在は公園として整備されています。
サンティンモウとは、昔糸満の海人が海上から自分の位置を知るための目標にしたため「目標を当てる」という意味の「サンアティン」がの語源で、それに広場を意味する毛がつき三巓毛になりました。(万座毛の毛と一緒ですね)
展望台に登ると糸満の市街地が一望できます。
展望台の下の広場にコンクリート製の国旗掲揚台がありますが、砲弾が貫通した穴が開いています。「皇太子殿下御誕生記念」の文字が読み取れます。また裏側には「昭和9年建立」と書かれています。
掲揚台と並んで「御大典記念 三巓毛改修記念碑」の石碑があります。台から取り外され、横に寝かされていますが、これは弁軍の艦砲射撃の目標になることを恐れ、日本軍が倒したものです。この裏には昭和7年の文字が確認できます。
石碑の台座部分には弾痕が確認できます。
石碑のある広場の海側に8角形にコンクリートを流した跡があります。これは防空監視硝の土台跡です。防空監視硝とは、いち早く敵の飛来機を発見し、軍に伝えました。左側の四角い箱は後から作られた御拝所です。
建屋まで残っているものは本部に現存し、以前ご紹介しました。→本部の防空監視硝
三巓毛の地下には陣地壕が構築されていたということですが、現在塞がれています。またこれらの戦争遺物に関しても、何の説明書きもありません。公園内という戦跡を管理保存できる場所にあるのですから、きちんとした案内板を設置し、後世に伝えたいものです。
だいぶ違うのにと思います。
沢山の人々が訪れるわけですから、どういういわれの物なのか、説明があった方がいいと思います。
こうした弾丸の傷跡や壕を見せて頂く度に無言ではなく、泣き声が聞こえるような気がします。哀しい鳴き声が。
ちゃんと保存して頂きたいと願わずにはいられません。
石碑は倒して固定してあります。
そのままで保存するのが望ましいですね。
稗島さん、
ここは公園ですから保存はされるとは思います。
後世に残したいですね。