国道311号線斎場御獄入り口を過ぎさらに安座間方向に進むと、国道の左側に「ウローカー」の看板が見えてきます。
ウローカーとは斎場御獄を訪れる人々が身を清めたという湧き水(カー)です。ここから御嶽の御門口(ウジョーグチ)に道がつながっていますので、本来ここが御嶽への参道だったのでしょう。
今では水もほとんど湧いていません。水場の遺構のみ残っています。
ウローカーから左手に御嶽に続く道があります。
山道は右手に登る階段と左に行く道とに分かれます。右手の階段は現在閉鎖されていますが、登ると斎場御獄の正門である御門口(ウジョーグチ)に出ます。
左の道は岩を切り通して作られており、良く見るとコンクリートで舗装されています。
この道は戦時中日本軍が構築した連絡通路です。
県史によると知念村には重砲兵第七連隊の中隊が配備され、加式十二糎速射加農砲二門を装備していました。
連絡通路に残る鉄筋コンクリートの門柱。おそらく強固な扉があったのでしょう。
コンクリートが流された跡です。砲台の基礎かもしれません。この陣地は米軍の艦砲射撃により破壊されました。
周囲の林の中には日本軍の遺構らしきものが確認できます。ただし相当な藪の中なので、ハブには十分注意が必要です。
ひろしまに原爆投下された後、一人の女性が道を歩き(お名前を忘れてしまいました)歩いた道に水が湧き出て、人々の乾いた喉を潤した…という話がありますね。女性と水は切っても切れない縁。女性が女性らしさを失った時、水に苦労する、と教えられました。…ということは? 写真を見ながら、このようなことを考えてしまった私です。
久高島のイザイホーも女性のみで執り行われます。
昔から女性と信仰は深い関係にあったのですね。
メールありがとうございました。
仲村さんが中学って何年前・・・?
そんなに古い写真ではありません。
斎場御獄が入場料を取り始めたころの画像です。
ただきっと、ここら辺、あまり変わっていないのですね。
今は通りぬけできなくなっていたような…
こんどいってみます。