南風原は日本軍の南部撤退に伴って、激戦地になった場所です。
沖縄自動車道南風原南インターの近くに山川の集落があります。ここは古くからの住宅地で、起伏のある細い路地が多く、家々が建ち並んでいます。
家屋の間に畑も残っています。その集落の中程、南風原町山川18番地付近の幅員3m位の生活道路沿いに、貯水槽の壁が残っています。
かつての貯水タンクの残骸です。
住民の若者が集まっていたところ、戦闘機によるロケット弾の直撃を受け、2名が即死したということです。
右下の土台部分にも被弾した痕が残ります。
壁は厚さ15cm位のコンクリート製ですが、弾が貫通しています。直径10cm位の穴です。
しかしながら、この弾痕の残る壁は現在ここにはありません。
南風原町により撤去され、現在は南風原文化センターの展示品として屋内に保存されています。戦争遺跡を保存するという意味ではやむを得ない措置なのでしょうが、やはり本来の場所で保存する事に意味があるのではないでしょうか。
南風原町文化センター。南風原の歴史や風俗、戦争関係の資料が展示されています。小さいながらも、その内容は非常に濃く、大きな博物館に負けない位の展示があります。
陸軍病院壕の見学の受付も、こちらで行っています。
本土では、ほとんどこのような痕跡はみられなくなりましたが、、、
ただでさえ、こうした物言わぬ証人達は、跡形もなく消えていっています。
まずは保存し、どう後世に伝えるか、工夫しなければなりません。
臨場感があるのでしょうが、
それではこういう印そのものが失われてしまうので、
難しいところですね。
やはり哀しいですね。突然に命を奪われてしまう、心の準備が出来ていない時に。そういう人の思いを受け止めて、日本全体の人々が考えていく事が、望ましいと思っています。この後永遠に平和が続く為には大切なことだと思います。