秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

近所に蝋梅が(コロナ禍でのプラス思考)

2021年01月31日 00時50分18秒 | 日記

 1月27日に紅梅が咲き始めたのに気が付きましたので、それ以降、その隣にある白梅は何時お花を付けるか、楽しみになりました。今日、30日はまだ咲いていません・・・

 コロナ禍や蝋梅近所に在るを知り

 ところで、これまで蝋梅を観に埼玉県の宝登山(ほどさん)に行ったり、鎌倉、小石川植物園に行ったりしていましたが、コロナ散策コースの小名木川散策路で蝋梅に出逢いました。灯台下暗しで、こんな近くにあるとは思いもよりませんでした。これもコロナ禍で始めました健康維持散策のお蔭です。マンションが視界に入る町中で蝋梅の香りを味わえるとはちと乙な感じがします。

  玉はじけ出づるマユミや玉手箱      玉:ぎょく

 同じ小名木川散策路で、赤い玉手箱から深紅の宝石が飛び出してくる花のようなものに出逢いました。後で調べたら「マユミ」の実とのこと。花は小さく色は緑がかった白色で、この実からは想像できません。開花時期は5,6月で、来年が楽しみです。マユミ(真弓・檀)の花言葉は、「あなたの魅力を心に刻む」・真心・艶めき。そういえば、「真弓」さんという名の方もおられますが、その由来はこの木の名前なのでしょうか???

   鴨の思ひ 推して目を追ふ飽きもせず

   静から動 鴨半身の潜水漁

 小名木川にはいろいろな模様の衣装を着た鴨さん達がたくさん集まってきます。黙々とそれぞれ自由に行動していますが、瞳をじっと見ていると、何かを考えながら動いているように思え始めます。何かは当然分かりませんが、不思議と見てる自分の心がゆるんで(?)いることに、時折、そんな気がします。この鴨さんは「尾長鴨」のようです。

  何処でも可愛ゆチェリーセージかな      何処:いづこ

 散策の途中で時折買い物もするのですが、小名木川からお店に行く途中の片側一車線の道路脇にチェリーセージがありました。大好きな花の一つで、これまで公園やお花好きの方の家のお庭で見ていましたが、無味乾燥な車道の脇のチェリーセージは一段とかわゆく、潤いを与えてくれています。ハーブの一種で、花言葉は「燃ゆる思い」、「尊重」、「知恵」。私は「可憐」を加えたい、かわゆいお子たち(動物も、鳥さんも)から微笑みかけられているような気がしますので・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ禍は去らず二度目の梅の花

2021年01月28日 01時12分17秒 | 日記

コロナ禍は去らず二度目の梅の花

 巣籠生活も早1年。巣籠による体力劣化防止のため、ほぼ毎日、仙台堀川公園と小名木川を散策しています。今日、紅梅の木がいくつか花を付けているのに気が付きました。今年の花はいつもより器量よしかなと思いつつ写真を撮りました。その近くに水仙の花も咲いていました。白梅の木は花をまだ付けていませんが、どんな器量の花を見せてくれるか楽しみです。

 ところで、世界でコロナ感染者1例目(中国武漢市)が報告されたのが一昨年(2019年)12月初旬。日本では去年( 2020年)の1月15日に最初の感染者が確認されました。船内感染者の出たクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に入港したのが2月3日。光陰矢のごとし、わずか1年ですが、いろいろなことが思い起こされます・・・

 人間界のウィルウスへの対応が今だ混迷を極める中、人間以外の自然は、なにものかによって定められた仕事を黙々とこなし、厳しい寒さの中でも美しい花を咲かせます。

 自然は怖くもありますが、逞しく、美しく、優しくもあるのかな、と思います。今日、梅の花に癒され、水仙に励まされました。

 寒中に紅梅の花さきそめり

 寒中に凛と水仙しづやかに


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(その12&終 二条城 )コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2021年01月26日 16時08分53秒 | 旅行

(二条城 京都に在りて江戸のまま・・・)

 コロナ禍での巣籠を活かし、過去の写真と俳句の整理をしようと始めましたヴァーチャル京都もみじ狩も、最終回となりました。初日に正定院、鞍馬寺、二日目に霜ふる大原散策、寂光院、三千院、来迎院、天龍寺、二尊院、清水寺、三日目は嵐山、真如堂、永観堂と回り、今回紹介する二条城で終わりとなります。二日目は朝早くから宵もみじ迄、よう動き回ったものと我ながら感心します。

 二条城には、中学校か高校の時の修学旅行で行ったきりで、その時の記憶はほとんどありません。その後、京都には何回か訪れ、お寺、神社、離宮、御所などを観てきました。今回、二条城の境内を散策しながら、そこの風情がこれまで訪れた上記の場所のものとは異なるように感じました。建物や庭などの外形は京風(公家風)ですが、その空間に京都の他所で感じられる「京都らしさ」が私には感じられないような気がしたのです。違和感のようでもありました。このような受け止め方は私だけかもしれません。今、改めてその歴史を振り返えりますと、さもありなん、かな(^_-)?とも思えます。

 二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。(以上、二条城ホームページより)

 一方、平清盛は太政大臣、豊臣秀吉は関白という朝廷での最高官職を求めて就きましたが、徳川家康は武家の棟梁であることを重視して征夷大将軍に就き、朝廷の権力を骨抜きにする政治制度(禁中並公家諸法度)を確立しました。

 二条城はいわば、江戸幕府が朝廷と西日本を支配・監視するための象徴的拠点でした。

 二条城の時空間は、徳川幕府の「意志」により、幕府創建から大政奉還までの約260年、歴史に学び、「公家化せず」を教訓に、京都の中で最後まで「江戸」で在り続けたのかもしれません。そして、その名残が二条城の中の風情に今もなお紛れているのかもしれません・・・

 京に江戸まま二条城十二月

 公家化せぬまま二条城十二月

 数百年京になじまぬ番所かな

 影うすき二条の城の京もみじ

 京に江戸まま二条城京もみじ

 江戸幕府の始終偲ばる二条城

 

 もみじ狩おへ夕焼けへ飛び立ちぬ

 伊丹空港を飛び立ったのは午後五時半でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(その11 永観堂 )コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2021年01月19日 22時47分52秒 | 旅行
 永観堂は真如堂から徒歩で20分ほどのところにあります。前回の真如堂のところで、「京都のお寺の『もみじ』は、私には寺々で色や紅葉・黄葉振りが微妙に異なるように見えます」と書きました。永観堂と真如堂のもみじの写真を比べて観ると、その感を一層深くします。
 また、梅雨の時期に永観堂を訪れた時にこんな句を作りました。
    千年の古刹若葉や紅を秘め
 
 
 
 
 
 お寺の若葉を観ながら、あと数か月後に訪れるもみじの景を想いました。目には見えませんが若葉の中の「時の流れ」、「ものが時々刻々と変わっていること」に、不思議さともののあわれを感じました。
 さて、永観堂(えいかんどう)という名は禅林寺の通称で、創建は今から千年以上前の853年。この通称は、窮乏の人々を救うための社会事業を施すなどの高僧であった永観律師(ようかんりっし1033~1111年)に由来するとのことです。
 
   塀漆喰もみじ千年共に映え
 
 永観堂は美しい白漆喰の瓦塀で囲まれています。若葉青葉の時も「もみじ」の時も、この漆喰の白と葉の色とが調和のとれた美しさを醸し出しています。
 
   窓の切り口もみじ迫りくる
 
 同じ景を撮っても、切り口次第で写真の印象が大きく変わってきますが、ここの窓の枠組みを通しただけで、他の場所から見る景の印象と大きく異なることに気付きました。
 
   木造りの古刹に映ゆるもみじかな
 
   千年の雅心や京もみじ
 
   人の手の入りて千年京もみじ
 
 
   枝ぶりの雅高きへ京もみじ
 
 もみじの違いと言えば、私は東京生まれの東京育ち、大学は仙台でどちらかというと東の生活風土の方が感覚的には合うのですが、京都のお寺のもみじは他のところよりも繊細で雅な感じがします。もみじを慈しみ育んでこられた京都の人々の千年の歴史があるからかな、と勝手に解釈しています。
 
   今もなほ放生の池紅葉はゆ
 
 永観堂にも放生池(ほうじょうち)があります。捕らえた魚類などを放してやる(=放生の)ために設けた池とのことです。永観堂境内にある永観堂幼稚園のホームページには次のようなことが書かれています。
「永観堂幼稚園は命を大切にする教育をしています。私たちは日頃から生きていくために、動物や植物の命をいただいて生活をしています。毎年、{金成注:放生会(ほうじょうえ)で}鯉を放流し、命の尊さ・大切さを考え、生かされていることに感謝をしています。」
 人間も食物連鎖の中でしか生きられないというのは否定しようのない事実であり、人間を含む全ての命を大切なものと捉えるこの仏教の教えは心に沁みます。
 日本では『日本書紀』に、676年(天武天皇5年)諸国に放生を行わせたと記されているのが歴史上の初見とのことです。この放生会が今日でも日本の寺々で行われ、その心が今に伝えられていることは素晴らしいことと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(その10 真如堂)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2021年01月17日 16時17分04秒 | 旅行
 京民家豪勢紅葉のはみいづる
 
 
 
 真如堂近くの民家のらしき煉瓦造りの高い塀から紅葉(こうよう)見事なもみじが道に食み出ていました。渡月橋のところの民家の紅葉も見事でしたが、他所ではなかなか見られない京都ならでの光景かなと思いました。
 真如堂は永観2年(984年)に建立され、正式名称は鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)。「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味を込めて名づけられたとのことですが、この開祖・戒算上人はかなりの自信家だったのかもしれません。その本堂を表す「真如堂」が通称として定着したとのことです。
 真如堂は2回目で、いずれもバス停から東参道経由で本堂に行きました。これは裏道かも知れませんが、そのせいか、真如堂が塀で囲まれているという感じはありません。ある意味、開けっ広げなお寺さんのように思います。
 京都のお寺の「もみじ」は、私には寺々で色や紅葉・黄葉振りが微妙に異なるように見えます。真如堂の「もみじ」は、一本一本の木が大きくたくさんの葉を付け、それが見事に色づいています。楓の大木の深紅は強烈です。他のお寺の「もみじ」よりも重量感があるというか、野性的というか、たくさんのもみじが低く垂れこめ、山の中で雲に出会い包まれるように感じます。
 
 お日様ともみじ織りなす炎かな
 
 天空にもみじ鮮やかグラデーション
 
 流れゆく雲のごときのもみじかな
 
 天空のもみじ降りくる雲のごと
 
 境内の小径に紅葉暖簾かな
 
 径おほふ朝日に映ゆるもみじかな
 
 一本のもみじ視界一面に
 
 真如堂 色澄みきりし紅葉かな

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする