秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

(その11 永観堂 )コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2021年01月19日 22時47分52秒 | 旅行
 永観堂は真如堂から徒歩で20分ほどのところにあります。前回の真如堂のところで、「京都のお寺の『もみじ』は、私には寺々で色や紅葉・黄葉振りが微妙に異なるように見えます」と書きました。永観堂と真如堂のもみじの写真を比べて観ると、その感を一層深くします。
 また、梅雨の時期に永観堂を訪れた時にこんな句を作りました。
    千年の古刹若葉や紅を秘め
 
 
 
 
 
 お寺の若葉を観ながら、あと数か月後に訪れるもみじの景を想いました。目には見えませんが若葉の中の「時の流れ」、「ものが時々刻々と変わっていること」に、不思議さともののあわれを感じました。
 さて、永観堂(えいかんどう)という名は禅林寺の通称で、創建は今から千年以上前の853年。この通称は、窮乏の人々を救うための社会事業を施すなどの高僧であった永観律師(ようかんりっし1033~1111年)に由来するとのことです。
 
   塀漆喰もみじ千年共に映え
 
 永観堂は美しい白漆喰の瓦塀で囲まれています。若葉青葉の時も「もみじ」の時も、この漆喰の白と葉の色とが調和のとれた美しさを醸し出しています。
 
   窓の切り口もみじ迫りくる
 
 同じ景を撮っても、切り口次第で写真の印象が大きく変わってきますが、ここの窓の枠組みを通しただけで、他の場所から見る景の印象と大きく異なることに気付きました。
 
   木造りの古刹に映ゆるもみじかな
 
   千年の雅心や京もみじ
 
   人の手の入りて千年京もみじ
 
 
   枝ぶりの雅高きへ京もみじ
 
 もみじの違いと言えば、私は東京生まれの東京育ち、大学は仙台でどちらかというと東の生活風土の方が感覚的には合うのですが、京都のお寺のもみじは他のところよりも繊細で雅な感じがします。もみじを慈しみ育んでこられた京都の人々の千年の歴史があるからかな、と勝手に解釈しています。
 
   今もなほ放生の池紅葉はゆ
 
 永観堂にも放生池(ほうじょうち)があります。捕らえた魚類などを放してやる(=放生の)ために設けた池とのことです。永観堂境内にある永観堂幼稚園のホームページには次のようなことが書かれています。
「永観堂幼稚園は命を大切にする教育をしています。私たちは日頃から生きていくために、動物や植物の命をいただいて生活をしています。毎年、{金成注:放生会(ほうじょうえ)で}鯉を放流し、命の尊さ・大切さを考え、生かされていることに感謝をしています。」
 人間も食物連鎖の中でしか生きられないというのは否定しようのない事実であり、人間を含む全ての命を大切なものと捉えるこの仏教の教えは心に沁みます。
 日本では『日本書紀』に、676年(天武天皇5年)諸国に放生を行わせたと記されているのが歴史上の初見とのことです。この放生会が今日でも日本の寺々で行われ、その心が今に伝えられていることは素晴らしいことと思います。

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