響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

2009クラシックバレエ・レッスン始まる。

2009-01-18 | コレクション


12月の上旬に2008年のレッスンが終わり、ついこの間、とうとう今年のクラシックバレエ・レッスンが再開された。

言うまでもないことだが、「ブランクがだめなんですよ」と先生が懸念した通りである。「太った」「何もやらなかった!」とみんな口々にしながら、開脚の前屈をしながらあと3分といった開始時間を待つ。

それでも先生は「いままでやってたみなさん」と、数名の新しい受講者を厳格に「区別」するので、ごく若干「古い人」であるクラシックイタチ(私です)にゃ、居心地悪いったらありゃしない。実はもう始まって5分も経たないうちに、もうろうとしてくるしまつ。

でもって思ったのですがね、みなさん、そうは言ってもさすがだなと。クラシックバレエというのは身体性との戦いなわけですよ(!)。自分には出来ない形、曲がらない角度、体のあるパーツが別のパーツをリフトする、そういうことを出来るようにするわけですね。もちろん誰一人として、ぜんぜん出来ないのだが、そういう正しく客観的な意味での到達度というのは度外視して考えると、それぞれが自分の潜在的な能力を引きだして、眠っていたリソースを解放する道を探って、というふうに練習しているんです。今回継続した方というのは、みんなそういう心構えでやっているように思いました。

ところが私は、最もからだがやわらかいと言われる赤ちゃん時代を含めて、そのような「潜在能力」そのものを欠いちゃってる。進化論的にまずいのではないかというくらいの欠落を抱えているわけです(消される運命の突然変異!?)。だからそういう制限を破るということによってしか、可能性が拓かれないわけですよ。

ひどい言い訳にきこえるとは思いますがね。

さあ、そこでさっそく教訓であり、問題解決です。

「夢は叶う」「やればできる」の奥義です。

つまりね、「夢は敵う」おう! みたいにして闘ってもなかなか練習というのはキビシイ。音楽なんかは特にそう。自分の中にあろうがなかろうが、「あることにする」。そのリソースを使ってできるほうへ進む。実際にリソースがなければ、0から作るわけだから時間はかかりますがね。それでも「あることにする」気持ちの問題は大きいです。それに、そうしないと(違う土俵に立ってしまうから、結果的に、自ら)仲間に入れてもらえないですし。

反面教師の必要性、なんてことが言われますが。

こういうふうに1つの教室があったら、下から2、3番というような人のメンタリティの持ち方についても、広く対策が普及するといいですよね。クラシックイタチ、こうみえて逆境に強いのであります(!)。


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