響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

楽器の二刀流のススメ

2008-02-24 | おんがく
久々のバカ親父である。
響はほぼ同時期にバイオリンとドラムをやっているので、音楽的には生まれついてのバイリンガルと言っていいだろう。
これは、偶然でもある、がかなり意図的でもある。というのも俺が楽器二刀流でそのメリットが計り知れないほど大きいと思っているからだ。

僕はトランペットとギターの楽器二刀流である。これは吹奏楽部でラッパを吹きつつバンドでギターを弾いていてどっちも止めなかったからだ。正確にはトランペットには20年のブランクがあったが、気持ち的には離れていたつもりはないので、ずっと二刀流のつもりだった。



音楽には二つレイヤーがあって、これを意識し理解することが非常に重要だと思っている。それは楽器固有の奏法上の技術レベルと、音楽本来の表現のレベルだ。
これは実に混同しやすい。

例を挙げよう。俺はトランペットにはずっと劣等感を抱いていた。というのもとてつもなく上手な先輩がいたからで、いまでのこの人は日本の音楽界のトップに行けた人だと思っている。(なぜか諸事情でそうならなかったようだが)。
俺のラッパの劣等感は「高音が出ない」「音が悪い」だった。現役高校ブラス時代にはかなり悩んだ。ティーンらしく悩み抜いていたと言っていいだろう。が、エレキを弾いていて気がついたのは、「高音はギターやピアノでは簡単に出るし、出ても偉くない」ということだった。なら音楽の本質的には高音で吹くことはたいした価値はないはずだ、と気づいたのだ。

逆に音質の問題は、非常に重要である、ということもそこから類推できる。
ギターもトランペットも美しいいい音質には、聞き手に非常に魅力的だし、とても価値があるはずだ。
そこから、練習の比重は変わってくるし、どんな音質のラッパにしたいのか、という本質的な問題にはやく気づくことができる。今思えば、音質への追求は音楽家のライフタイムテーマなのだ。

こういう気づきは重要で、ギターにおいても同じくたくさんあった。これは早くに「楽器オタク」から脱却させてくれる機会を作ってくれた。特にギターはテクニック至上主義に陥りがちなワナがたくさんあって、プロでも底に陥ったままではないかと思える人がたくさん拝察される。上手ければいいのなら、サンタナはグラミー賞を取れるはずはない。

音楽家は、楽器の修練を生涯続けながら、同時に楽器を超えてトランスペアレントに音楽へと立ち向かって行かなくてはならない。この一見矛盾したように見える(実は本質的な)テーマにはやく気づくには二つの楽器によって楽器の問題を相対化するのは非常に有効なのだよ。

もちろんデメリットはある。それは器用貧乏、と言われること。そしてどっちの楽器も練習するとなると、1つの楽器に割ける物理的な時間が減ってしまう点だ。器用貧乏と言われることは甘受すればいい。器用なのだからな。貧乏でなければいいのよ。そして時間の問題は、他にも無駄にしている時間は幾らでもあるので、合理化すればいいし、自分の好きな方の楽器をメイン楽器にして、サブの楽器の時間を抑えればいい。サブ楽器は、人前で演奏しなくたっていいのだ。


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