存在は証明できなければ存在するとは言えない。神の存在証明は存在しないが、神の存在を信じている人々は存在する。ある人は神は存在すると言い、ある人は神は死んだと言う。又、ある人は人間が神を作ったのだと言う。どの立場を取っても世の中は成り立つが、存在の立証責任は存在を主張する者にある。
マルクスの教えは「下部構造の上に上部構造が聳え立っている」だったと思うが、その下部構造に資本主義市場経済を導入すれば、自ら依拠する教えによって上部構造が揺らぐのは論理的必然ではないだろうか?自ら崩壊の種を蒔いたのではないだろうか? pic.twitter.com/rZo7LYEJ4C
「火星の有人探査」日本も参加へ なぜ人類は赤い惑星を目指すのか? huff.to/1mGYz2U @HuffPostJapanさんから「人類が全てアメリカ人と同じレベルの生活をすれば、地球だけでは足りないらしいから、火星は早晩人類にとって死命を制する惑星になる!?」
日本人は「小異を捨てて大同に就く」のが苦手であり、小異に拘って完成度の高い複雑な製品を作るのが得意に見える。二大政党制はアングロサクソンによく適合する制度ではないか?抑々小選挙区制は日本の風土に適してないのではないか? pic.twitter.com/Z7bS693RDD
労働生産性よりも労働力の枯渇防止・維持培養に必要な費用の方が大きい場合は、労働者人口は減少するだろう。日本の人口(1億2千万)がドイツ(8千万)、イギリス・フランス・イタリア(各6千万)程度まで減少する事は特に不思議な事ではない様に思える。