死を恐れる人間は、勿論談すに足らないけれども、死を急ぐ人も、また決して誉められないヨ。日本人は、一体に神経過敏だから、必ず死を急ぐか、または、死を恐れるものばかりだ。こんな人間は、共に天下の大事を語るに足らない。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2018年1月20日 - 23:00
「レッセフェールとは、魂のない機械力の作用に委ねよ、という意味ではない。それは、社会的分業の中で、各人の好みの協業方法を各人に選択させよという事を意味する。計画とは、政府のみに選択させ、強圧と強制という方法によってその方法を強行させよ、という意味である。」(ミーゼス)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2018年1月21日 - 02:15
戦争哲学の中に博愛主義を持ち込もうとなどとするのは、まったく馬鹿げたことである。(クラウセヴィッツ『戦争論』)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2018年1月21日 - 08:07
「自説に固執し熱中することは、暗愚のもっとも確かな証拠である。」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2018年1月21日 - 12:14
「君は、パスカルの説く至福を信じないのかい?」「至福は漠然としている方が望ましいの。取引きしているなんて疑われないですみますもの。神さまを熱愛する魂が、美徳の中に深くはまり込んでゆくのは、生まれながらの高貴な精神によるもので、決して報酬を期待してのことじゃありませんわ」『狭き門』
— ジッドbot (@Gide_bot) 2018年1月21日 - 17:16
まちがった謙遜は、人が自分のことを、個人としての自分を、無であると思いこませるにいたる。真の謙遜は、自分が人間として、さらに広くいえば被造物として、無であることを知ることである。知性がそこでは、大きい役割を果たす。普遍的なものを頭においておく必要がある。
— Simone Weil (@simoneweil_bot) 2018年1月21日 - 03:03
584 泣き悲しんでは心の安らぎは得られない。ただ彼にはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年1月21日 - 08:01
数学者は対象を研究しない、研究するのは対象間の関係である。だからその関係が変わらない限り、これらの対象を別の対象で置き換えることには無頓着である。数学者は質料には無関心であり、ただ形相だけが関心を引く。-ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月21日 - 23:25
要するに理知は象徴を創造する能力を有している。・・・理知の活動の範囲は、あらゆる矛盾を避けることが必要だというだけで、他には少しも制限を受けない。しかし理知は経験が動機を与えるのでなければその能力を用いない。-ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年1月21日 - 23:25
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