庭物語

庭に咲くハーブや草花の様子を綴ります。
管理者はミントです。

花巻めぐり (四)

2006年12月01日 | お出かけ
賢治さんが20本のバラを贈った佐藤先生と言うのは花巻で開業するとき賢治さんのお父さんに大変お世話になったそうでそれ以来親しい付き合いをしていたらしいです。賢治さんとも自然と親しくなったようです。病院の花壇については「どちらから言い出したのか昔のことなので忘れてしまった。」と今から26年位前に当時のことを聞かれたときに話していたそうです。
大正13年頃にこの病院に賢治さんはいくつかの花壇を設計し、造園したみたいです。このときの様子が「病院花壇」や「花壇工作」などの作品に出てきます。
賢治さんが現場で構想を練っているところに院長先生が現れて、おまけに患者さんや職員が回りや上からじっと見ていたりする。とうとう院長が降りてきてお抱えの車夫(当時院長先生は人力車で通勤していたらしい)などに言いつけて賢治さんの思いとかけ離れた図形を勝手に描かせてしまう。賢治さんはこんなありふれた形では音楽を表現できないと怒っています。賢治さんは改めて設計図を書いてきたそうで、ノートにもその花壇の設計と思われる図面が残されています。賢治さんの思い通りの花壇にはならなかったようですが26年前には当時のレンガや賢治さんが植えたドイツトウヒが残っていたそうです。その後病院の施設の増改築などがあったりして花壇跡は消滅し、木は切られたみたいです。
最近その院長先生の息子さんが書いた本を読みました。その方が現在の院長先生のようで昭和3年生まれで賢治さんが亡くなったときは5歳だったのですね。
その方が平成2年に病院の花壇を再現されたと知りました。患者さんやお見舞いに来た人、地域の人に賢治さんの花壇を見てもらいたいということらしいです。バラ園の園長さんにお聞きしたら「誰でも見られるようですよ。15分位ですから是非どうぞ。」とのことだったので行ってみました。夫に診察でもお見舞いでもないのに病院に行くと笑われましたがおそるおそる中に入ってみました。場所はすぐわかりました。外来棟と入院病棟の間の中庭にその花壇はありました。やはりビオラやパンジーに植え替えられていました。廊下に説明書きがあって当時の花で手に入らなかったり、連作障害が出ないように植える種類を変えているものもあるとのことでした。「ファンタジー花壇」と賢治さんの弟さんによって命名されていました。
コメント
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