妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

妻には胃瘻造設は必要だと決断しました

2013-08-14 12:32:10 | ついに胃瘻の段階に入った

昨日の夕食介助

PM6:00に妻のグループの食堂に入りました

7人の入居者さん 皆 孤立して車椅子でテーブルを囲んでいた…入居者さん同士のコミュニケーションはない。
人間は言葉がつかえないと共同生活が出来ないのだと分かった。

4年前 グループホームから老健に移転する前 数か月間 上体が車椅子に座った状態で常に左に傾いていたのです。
老健移転からアリセプトの服用を止めたのです。

それ以来 体幹傾斜は一度も起きなかった・・・が、10日(土)の面会時は左に傾いていたのです。

このことが気にかかっていたが、昨日の面会では真っ直ぐに首も垂れずに元気そうに見えた。

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最近 てんかん発作が起き 食欲も一気に落ちて胃瘻造設を決定しました。

この日の状態を見ると食欲も取り戻したし 表情も無表情という程でもないので 胃瘻は少し見合わせようかと思ったが このまま改善することはないと 今までの経過は繰り返し確実に悪化していきます。

食欲は てんかん発作以前に戻ったし 私を少しは認識できたように見えた。しかしいつも好・不調の繰り返しです。

変更せずに胃瘻は実行します。

私なりに胃瘻について調べて妻には有効だし必要だと結論を出したのです。

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8月12日(月)寝転んでテレビを見ていました・・・

テレビタックルです

以前 全国的に話題になった きんさん ぎんさんのぎんさんの娘さん4人出ていました。

皆さん90歳代で健康で頭はしっかりしています。

このうちの1人の娘さん長寿の質問だったかと思うが(私は良く聞いてなかったのです)

自分でごはんが食べられなくなったら栄養失調になって死ぬ・・・と笑顔で答えていたのでこの画面にくぎ付けになった。

私は妻の胃瘻の件と重なっていたので改めて考えさせられた。

強烈なインパクトです…頭の中でなく胸の中にクリップされてます。

 


私自身記憶力が極端に衰えたのが分かった

2013-08-11 13:00:26 | 日記

<今朝の我が家のラズベリー>

8月7日 妻の胃瘻造設の説明を訊きに嘱託医の医院に施設の職員と行って来ました。

昨日は 施設に夕食介助に行ってきた。

 

施設に向かっている運転中 ふと7日の日は医院で何を聴いたのかと思い浮かんできた。

しばらく何も思い出せなかったのです。

 

ようやく 人によっては胃瘻造設が出来ないこともあるので病院で事前の検査をする・・・という事までは思い出した。

しかし その先が全然思い出せないのです~。

施設に到着して早速この件を話すと 盆があけてから病院とスケジュールをたててから私に連絡するという事だった。

こう言われても私は全然記憶にないのです??

 

最近 妻の病状が変動が多いので私の頭の整理が追い付かないのか?

これ以上の情報は入りきらないのか?


ここで思い付いたのです!

たまっている古い情報を忘れることを思いついたのです。

妻が認知症を発症してからの記録は ブログで残っているので頭の中に残すことはないと思えば良いのだと思う。


これからは予定や約束事は必ずメモをとることにします・・・!!

夕食介助

妻と対面して 少し間をおいて私を認識出来たような微笑を見せた。
(携帯で2枚撮りました)

暫く振りに体調が良いようだ。

これでは胃瘻造設はまだ早いと思うが医師の説明は造設は今が良いことに十分納得しているので予定通りにすすめます。

体調に好不調の波はありますが確実に重く進んでいくのが分かります。

とくに水分は トロミをつけないと飲み込めなくなった・・・。

アルツハイマー病と診断されて10年になりました。

要介護度5で全介助 声は発しません 意思の疎通ははかれません。

今すぐにでも胃瘻が必要になるのは間違いないと覚悟は出来てます

 

 

 

 


一日も早く胃瘻造設をお願いすることにした

2013-08-08 01:26:47 | ついに胃瘻の段階に入った

<名前は分かりません 花だと思ったが葉でした真っ白で目立ちます>


妻のアルツハイマー病 診断からちょうど10年になった!

いずれ胃ろう造設になると覚悟はしていたが 胃ろうとはどういうものか医学的のことは殆んど知らなかったし その時が来たら調べればと思っていた。

7月になってから 食は細くなり 水分も口に入れてもうまく飲み込めなくなった・・・
啜ることが出来ません。

いよいよ胃瘻をつける段階になった・・・早速 胃瘻に関する解説書を読んでみると胃瘻はいかにも簡単で短時間で造れるように解説してあった。

ところが現場の方の言うには・・・

胃瘻は誰にでも適応するものではなく造れない場合がある・・・
造れても 数日入院して経過を診なければならない。

胃瘻だけでなく 鼻からチューブを通すとか 食道に 首の付け根からチューブを通す栄養補給の方法があることも初めて知ったのです。

私は胃瘻の現場は見ていません

妻は意思の疎通ははかれません。

私を認識出来ません。

約4年前から食事は自力で食べられません。

手を使わないのです。(使えるのにです)

全てスプーンで口に運んでいます。

今日(7日)の夕食介助は 8分目位食べたが近い内に全く食べられなくなる日が来ると思う。

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今のうちに胃瘻を造設しなければと知ったのです!!

胃瘻がつけられなければ栄養不足分は点滴に頼ることになり衰弱が早まると思う。

胃瘻が本人に適したならば 今のままで本人は何の不安も感じない余生を送ることが出来ます。


覚悟していた胃瘻の段階に入った

2013-08-05 12:32:01 | ついに胃瘻の段階に入った

  <超満水の原の池 この付近釣台を出せない>

昨日の特養での妻の夕食介助

施設に入って直ぐに看護師さんに呼ばられた・・・
胃瘻の件だった。

7月20日に てんかん発作が起きてから 薬のせいもあり食欲が一気に衰えた・・・
前回も話し合って このままでは胃瘻を造ることを考えるという話になった。

私は 胃瘻という言葉は良くメディアで取り上げられて賛成 反対と解説してますが直面するまで考えないことにしていた!?

しかし 現実に ご飯茶碗半分もないおかゆごはん スプーンで口に運んでやってもその半分しか食べないのです~~!

口を開けないのです。40分以上かかってます。

覚悟はしていたが いざとなると胃瘻の知識が何もないことに不安が襲ってきてこの際 信頼できる専門職の方に頼ることにしました。

この日 初めて知ったのは体調その他を考慮して前もって造成するようになっているという事だった。

ということで 明後日 7日(水)嘱託医の説明を訊くことになった。

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一晩考えて決心しました!!

施設の看護師さんと嘱託医の説明を聴いてから方針に全面的にお願いすることに決めました!!

今 妻が出来る事は スプーンで口に入れてもらったものを噛んで飲み込むことだけです。
声は出ないし、意思の疎通ははかれません。

私の出来る事は食べ物をスプーンで口に運ぶだけしか出来ません。

唯一の妻とのコミュニケーションです

これからも夕食介助は出来る筈だと思う…スプーンでも食べられると思う。

アルツハイマー病の必ずたどる道なのだと理解するしかないことなのか?

 


諦めていた笑顔四か月ぶりに意外な形で見られた

2013-08-02 12:07:46 | 日記

<我が家の裏山 山百合の群生 ワラビも出ています>

昨日の妻の夕食介助

てんかん発作から13日目

17:50に食堂に着くと 妻は車椅子で目を瞑ったままだった・・・この日は入所者さんは5人だった

声をかけても 手を触っても何も反応がない・・・?
職員さんが耳元で「旦那さんが来ましたよっ!!」と声をかけても全く反応がない

てんかん治療薬は服用は止めていると言われました。 
私も1回だけの発作で服用を続けるのは疑問に思ってました。

このまま再発しないかもしれないです。
再度起きてからでいいと思う。

夕食が着ました

ごく柔らかいごはん スプーンで口に運ぶと 今までより小さく口を開けるが口に入ります。

この食べる動作

まず口を開ける・・・ご飯を口に取り込む…噛む…飲み込む

この連続動作1つでも支障が起きると食べられない

今までに口を開けないことは何度かあった

口に取り込めないことも何度かあった…スプーンでみそ汁を啜れなくて飲ませられないこともあった

噛むことが出来ないこと・・・食べたくなくて噛まない状態があった

飲み込むことが出来ないので口に入れたままだったこともあった

試みとして職員さんがおかずのミキサー食を出してくださった・・・

目は瞑ったままなので私は このミキサー食を「はいアイスクリーム!!」と言ってスプーンで口に運ぶと 分かったかのように大きめに口を開けて取り込んで飲み込んだ!!

次また同じように呑み込んだ・・・ほんとうにアイスクリームと思い込んでいるようだった

いつも 言葉をかけても無反応なのがアイスクリームという言葉に反応したのは確かで

このミキサー食 暫く試していただくことにしました!

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目を閉じたままの状態…もしかしてと思って左目を私が開いてみた・・・すると なんと

大きく真ん丸に開いて私を見つめたのです。右目は瞑ったままだったので異様に見えたので思わず私と見ていた職員さんと声を出して笑ってしまった・・・

すると 妻もつられて笑顔をつくったのです…何か月かぶりです!!

まだまだ笑顔は失ってないのを確認した

また 二度と見せないかもしれない笑顔 介護にも喜びがあると思い知りました。

瞼が開かない原因分かりました

目やにが強力だったのです…自力で開く力がなかったのです!!

まだまだ介護の希望持ち続けられるようだ