への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

長久手の戦いの地を巡検しました

2023年12月27日 | 散策

この日、歴史好きの孫を連れて、長久手の戦いの地を巡検しました。

 

信長の死後、秀吉が徐々に権勢を強めていきます。これに対し、信長の次男・織田信雄(のぶかつ)と家康が組んで戦いが勃発。これが天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いです。

 

信雄支配下の犬山城が秀吉側に落ちると、家康は小牧山に兵を集め、秀吉軍と対峙。小牧山付近で両軍が衝突したあと膠着状態に。その後、秀吉軍は池田恒興(つねおき)の提案で、家康の本拠地岡崎を急襲します。

 

そのルート上にあったのが、家康陣営の岩崎城。やって来た秀吉軍と岩崎城側との間で交戦があり、岩崎側は全滅。これを岩崎城の戦いといいます。

 

 

岩崎城

まずやって来たのは、愛知県日進市にある岩崎城跡です。

駐車場に車を止めて、道なりに歩いていくと、

 

城の概要を書いた看板がありました。これを読んで、

前方の土橋を左に渡ると、

 

立派なお城!

でもこれ、当時のものでも、当時のものを再建したものでもありません。

 

無料の館内に入ると、手作りの鎧兜の展示。

展示会場に小窓があって、開けてみると、

 

岡崎の方向が見えました。

 

お城から石垣の下におりて、見上げると、

お城が小高い山にあったのがよく分かりました。

 

駐車場に戻る途中、岩崎城歴史記念館で御城印を購入。

    「また一枚、増えた

への次郎 「じゃ、次は長久手古戦場に行ってみようか

 

 

長久手古戦場

秀吉軍が岡崎に向けて移動を始めると家康、すぐに秀吉軍を追撃。長久手付近で激戦となり、池田恒興はここで戦死。その後、両軍にらみ合い、やがて和睦となります。

 

日進市のお隣・長久手市にやって来ました。

 

奥さん  「ここだよ!

への次郎 「おっと、見過ごすところだった

 

ここが長久手古戦場資料館です。

左にちらっとイオン。背後の高架はリニモ。右後ろは、リニモの長久手古戦場駅です。

 

無料の館内には、火縄銃・鎧兜などの展示がありました。

館内を一通り見たあと、

 

建物の外に出ると、目の前の丘に、

長久手古戦場の碑。上って行って周囲を見回していたら、

 

次々と人が森の中に入って行きます。

後をついて行くと、

 

こんなものが。

池田恒興はここで落命したとのこと。この一帯がまさに、長久手の戦いの激戦地でした。

 

3人で合掌したあと、周囲をぐるっと見回しました。

今では完全に住宅地になっていて、古戦場を思わせるものは見当たりませんでした。でも、四百数十年前に、確かにここで3000人以上が命を落としています。

帰りの車に乗る際、もう一度、手を合わせました。