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への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

人間国宝の遺作を鑑賞しました

2024年04月07日 | 鑑賞

ネットニュースを検索していたら、陶芸展の記事がありました。

 

への次郎 「加藤土師萌(はじめ)さんの遺作展をやっているって

奥さん  「加藤さんって、人間国宝でしょ。じゃ、行かなきゃ

 

ということで、岐阜県多治見市にある現代陶芸美術館にやって来ました。

前を行く女性の後をついて進むと、

 

美術館につながる屋根付きアーチ橋がありました。

 

アーチ橋から下をのぞくと、谷に沿って、

白い花のシデコブシミツバツヅジが咲いていました。

 

橋を渡ってさらに進むと、美術館の入口があり、

入って地階に下りると、

 

焼き物販売コーナーがありました。手前が作家物で、

奥には、各窯元の製品が置かれていました。一通り見て、奥に向かうと、

 

ありました。作品展の入口です。

一人430円を支払って入ると、中には(作品は撮影禁止)、

 

美濃陶芸界の若手実力者、重鎮、六人の人間国宝の盃、抹茶茶碗、大皿・花瓶など九十数点が展示されていました。

 

作品群の最後に展示されていたのが、ネットニュースで紹介された加藤さんのこの作品。

                (「朝日新聞デジタルニュース」より)

黄地金襴手菊文蓋付大飾壺(おうじきんらんできくもんふたつきおおかざりつぼ)」。 高さ1.5メートル、胴径73.5センチ、重さは約120キロの大物です。

 

じつはこの作品、皇居に上納されたもえぎ色の「緑地金襴手飾壺(りょくじきんらんでかざりつぼ)」と色違いの姉妹品でした。

 

加藤さんは宮内庁から作陶の依頼を受けた際、大壺を50個作り、できがよい3個に緑地の色をつけた。さらに最上の1個を加藤さんの没後、家族が仕上げて皇居に上納。残り2つは、京都国立近代美術館などに収蔵されたそうです。

 

この時、家族が一つ、色違いの姉妹品を作っていたんですね。それが、この作品。

               (「朝日新聞デジタルニュース」より)

ガラスケースに収められることもなく、むき出しに展示されていました。大壺の回りを二人で、何度も回り鑑賞しました。

 

への次郎 「迫力あるね、この作品

奥さん  「美術作品でこの大きさ。あまり見ないね。来てよかったわ

 

 

美術館を出て、屋根付きアーチ橋まで戻ってきました。谷の反対側をのぞくと一面に、

への次郎 「ミツバツツジ、すごい数!

奥さん  「今年も、花の季節が始まったね

                                        


荒川豊蔵資料館に行きました

2023年12月20日 | 鑑賞

先週から、障子を貼り替えたり、正月飾りを作ったり、正月を迎える準備を始めました。

 

天気の悪いこの日、その準備を一休み、岐阜県可児市荒川豊蔵資料館にやって来ました。

12月23日まで、ここで美濃桃山陶の歴史展が開催されているんですね。

 

ここを左に入っていくようです。

細い道をどんどん歩いていくと、

 

前方に建物が見えてきました。これは作業場(陶房)。

建物の前に石段。このジグザグの長い石段を上って行くと、

 

途中、木の切り株の上に、こんなものが。

この声援に励まされ、

 

やっと着きました荒川豊蔵資料館(館内撮影不可)。

入館料一人210円を払って入ると、

 

館内には、桃山時代から江戸時代にかけて、東美濃で焼かれた陶器と出土した陶片、それに人間国宝・荒川豊蔵の作品が展示されていました。

 

豊蔵の作品で感銘を受けたのは、これ。志野茶碗 銘耶登能烏梅

上品な色合いと佇まいですよね。すばらしい!

 

それに、豊蔵がこの地で発見した志野筍絵陶片

この発見により、志野の発祥地は瀬戸ではなく、美濃であると再定義されたそうです。

 

 

資料館から出てきました。下に見えるのは、

作業場(陶房)です。

 

下りて行って、中に入ると、

実際に豊蔵が回した轆轤(ろくろ)や、いろんな道具が展示されていました。

 

陶房から出てきて、奥に進むと、

 

小川の左手に、大きな石碑

豊蔵が「志野筍絵陶片」を発見したのは、ここだったそうです。

 

石碑の裏に回ってみると、山の斜面に、

散乱した陶片。

実はここ、桃山時代の窯場跡(遺跡)。そこに豊蔵は居を移し、陶房を構えたんですね。

 

右手を見ると、

斜面の上に建物。これが豊蔵の居宅です。石段を上がって行って、玄関に入り、

 

土間から左側をのぞくと、

手前は囲炉裏の間。奥の座敷にある机、高松宮来訪の際にあつらえたものだそうですよ。

 

土間の右側には、手前に豊蔵が日常を過ごした掘りゴタツの間

奥の座敷は寝室。襖を見て! 下張りの古文書がむき出しにされていました。豊蔵の趣味?

 

土間を抜けて、勝手口から裏に出ると、

パッと眺望が開けました。

左端に陶房、荒川豊蔵資料館は右の山の上にチラッと見えました。

 

への次郎 「人間国宝の作品は、ひと目見て違いが分かるね

奥さん  「ほんと。年の瀬に、いいものを鑑賞できたわ

 

この日の気温は4度。豊蔵も見ていた山間の風景、しばらく眺めていました。

                                         


広重 木曽海道六拾九次之内

2023年09月24日 | 鑑賞

奧さん  「今年もやってたんだ

への次郎 「101日までだよ。急がなきゃ

 

ということで、やって来ました岐阜県恵那市中山道広重美術館

 

今回は、「木曽海道六拾九次之内」を揃いで鑑賞できる、年に一度の大展覧会です。

 

しかもこの日はフリーフライデー。地元企業の協力によって、無料で名作を鑑賞できます。

 

ここから入って行って、

 

受付で、フリーフライデー券をもらって進むと、

奧さん  「広重神社だって

への次郎 「へぇ~、こんなのつくったんだ

 

神社に手を合わせ、

 

その先の入口に行くと、

への次郎 「おじさん探しクイズだって

奧さん  「絵を鑑賞しながら、このおじさんたちを探すんだね

 

バインダーに用紙を挟み、鉛筆を持って展示会場に入って行きました。

( この先は撮影できませんでした )

 

 

このおじさん"6人衆"、なかなかの曲者でした。

すんなりとは見つからなくて。展示会場1階と2階を行ったり戻ったり。

 

やっとすべて発見、会場から出てきました。

 

受付に提出したら、

名刺サイズの別のおじさんをもらえました。

 

 

おじさんたちを探していて気づいたんですが、江戸時代の町人のおじさん、着物の裾を腰までまくってますよね。

でも、尻がもろに真後ろから描かれているのって、ないだろうなぁと思っていたら、ありましたよ、1枚。

 

それがこれ、「板橋之驛」です。ほら、右端のおじさん。

リアルというか、自然な描写というか…。

 

この「木曽海道六拾九次之内」、ここ数年、毎年見に来ていますが、何度来ても見ごたえがあります。それに何といってもいいのは、鼻先まで近づいて名作を鑑賞できる点ですね。

 

フリーフライデー、ありがとうございました。

 

                                      


恵那の田んぼアートに行きました

2023年08月26日 | 鑑賞

先月見舞ったの叔母が亡くなり、葬儀に行っていました。

 

呉から帰ってきて日常を取り戻したこの日、地元テレビ局でやっていた田んぼアートを見に行きました。やって来たのは岐阜県恵那市山岡です。

 

田んぼアート  

山岡に到着し、明知鉄道山岡駅近くの踏切を渡ると、

案内の看板が見えてきました。右折して少し行くと駐車場があって、そこにin。

 

車から出ると、目の前に展望台の入口がありました。

 

さかんに鳴くヒグラシの声を聞きながら、山道をのぼって行くと、

 

頂上に、こんな看板が!

奥さん  「ほら、あそこ! マムシだって!!

への次郎 「注意しないと、今年、広島の親戚の人がかまれたからね

 

マムシに注意しながら、展望台までやって来ました。

立派な展望台をのぼってみると眼下に、

 

テレビで観たのと同じ光景が広がっていました。

奥さん  「この絵、何を描いてるんだろう

への次郎 「何だろうね

 

展望台に来ていた人達と雑談を交わし、情報を収集していたら、

ラッピング列車が走ってきて、パチリ。

 

展望台に来ていた人達の話によると、この絵は爪切地蔵(つめきりじぞう)と花火だそうです。この近くに爪切地蔵があって、毎年8月に奉納花火大会が行われるそうで、それを描いたものです。

 

 

爪切地蔵  

田んぼアートを鑑賞したあと、車で10分程度走って、爪切地蔵にやって来ました。

 

表に回ってみると、社が二つ。

左が爪切地蔵でした。

 

中を覗き込むと、

左に傾いた大きな石がありました。

への次郎 「石の表面に地蔵さんが刻まれているそうだよ

奥さん  「下半身は見えるけど、お顔がよくわからないわ

 

説明書きによると、描かれているのは地蔵菩薩像だそうです。伝承によると、鎌倉時代ここに草庵があって、あるとき一人の老僧(地元では弘法大師と考えられた)が訪れ、一夜の宿を借りた。翌朝、この老僧の姿はなく、一枚岩の地蔵菩薩像が傾いたまま立っていた。おそらく一夜のうちに爪で像は刻まれたのだろうと考え、爪切地蔵と名付けたと。

 

奥さん  「奉納花火大会は毎年、8月16日だって

への次郎 「300年以上の歴史があるんだって、花火大会

 

読み終えたあと地蔵さんに手を合わせ、周りを見たら、田んぼの稲が少し黄金色になっていました。稲穂には、飛び交う無数のトンボ

 

季節はに変りつつりました。

                                     


加藤孝造さん追悼展に行きました

2023年05月28日 | 鑑賞

先月のことです。 NHK地元局のニュース番組をつけていたら、

奥さん  孝造さん、亡くなったって。 ほら、人間国宝の」 

への次郎 「えっ!!…

 

現代美濃陶芸界の重鎮でした。 80歳を超えても作陶に向かう姿が時々、報じられていましたが…。

 

への次郎が加藤さんの作品を初めて見たのは、ずいぶん前のこと。 どこかの陶芸展だったと思います。 作家たちの作品を次々と見ていて、思わず立ち止まり、しばらく見入っていた作品がありました。加藤さん作品です。豪快なド迫力の志野茶わん、すさまじい存在感を放っていて、素人目にもわかる違いでした。

 

帰って調べたら、加藤さんは当時、岐阜県無形文化財保持者。 「長生きをされたら、もしかしたら…」と思ったのを記憶しています。 それからしばらく経った2010年、重要無形文化財保持者人間国宝)に認定されました。

 

亡くなってひと月、加藤さんの追悼展が始まったので行って来ました。

 

やって来たのは、岐阜県多治見市とうしん美濃陶芸美術館

ここは、年金生活者にやさしいからなぁ

 

入口はここ。チケット販売所はありません、無料ですから。

 

久しぶりの2回目。展示会場を探し、

ここから入って、右回りに進むと、

 

奥さん  「仙太郎窯の作品だよ??

への次郎 「じゃ、向こうの方かな

入口近くには、多治見の代表的な窯元の作品や、企業の商品が展示されていました。

 

円形回廊式の展示会場を進んで行くと、ありました。

ここからが、加藤さんの作品でした。

 

奥さん  「いきなり、瀬戸黒だよ

への次郎 「これだね、人間国宝になったのは

瀬戸黒は、火が燃え盛る窯の中で、釉薬が溶け出した瞬間を見極め、一気に引き出して水に浸け急冷することで、漆黒と独特の艶を出すそうです。ただタイミングが難しいようです。

上から下から、左から右から、丹念に鑑賞しました。

 

つぎにあったのは、志野茶わんです。

初めて見た、ごつごつとした志野ではなく、上品な志野でした。

 

こんなのもありましたよ。

唐津茶わんです。他に黄瀬戸茶わんもありました。茶わんの他には、

 

志野水指や、

灰釉花入志野花入などもありました。

 

今回は、美術館所蔵の作品の中から、15点が紹介されていました。最後の方に来ると、

 

奥さん  「いいものがあるよ

への次郎 「こんなの使って、呑みたいねぇ

 

一番最後は、志野湯呑でした。

奥さん  「ほら、見て! 去年の作品だよ

への次郎 「文字もしっかりしてるね

 

 

この日、来ていたのは我々のみ。たっぷり時間をかけ、加藤さんの15作品を鑑賞しました。

出口(入口)に来ると、

 

奥さん  「えっ! この陶壁、加藤さん作だって

への次郎 「ほんとだ。入るときは、気づかなかったなぁ

右半分が織部、左半分が黄瀬戸。黄瀬戸は、下半分は艶があって、上半分は艶消しになっていました。題は「」、2015年の作。

 

二人でしばらく鑑賞したあと、陶壁に手を合わせ、ここを後にしました。

謹んでお悔やみ申し上げます。