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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

一周年シリーズ、「吟遊詩人は我が本意に非ず」前編。

2006年03月30日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

李白だったでしょうか、以前、詩人が詩を詠んで放浪して廻っていたとき、経済的困窮し、その日の事欠きながら、危ういところで詩人仲間庇護されたという話を聞いたことがあります。
その仲間は詩人でありながら、代官か何かの官職を持っていた為、詩作活動をやりながら、同時に経済的にも恵まれていたとか・・・。

当時の芸術家は著作権というものがないわけですから、貴族などのパトロンタニマチ、あるいは、スポンサーと言い換えてもいいのでしょうか・・・。)というものを持たない限り、基本的に収入とは無縁だったのでしょうが、それでも、子供の頃、この話を聞いたときに、「放浪し飢えながらも、詩作に興じる吟遊詩人は、我が本意に非ず。私としては、武将として有能でありながらも、詩をそらんじ、文を巧みにする曹操やカエサルのようにありたい。」と強く思いました。
もっとも、今日、詩人として、その名を残しているのは、官職を持ちながら詩を巧みにしていたこの人物ではなく、飢えながらも一芸に身を投じた李白の方なのでしょうが・・・。

で、またもや、昨日の続きです。
一年前、このブログを書き始める前頃、不惑と言いながら、私には惑いがありました。
即ち、物書きとして生きていくべきか、実業人として生きていくべきか・・・というものでした。
この辺のことについては、以前、平太郎独白録 「我が心の師、大橋武夫氏の叱咤に想う秋霜烈日的ブログのヨロク!」の中でも、少し触れましたが、当時、笑われるかもしれませんが、初めての著書を出版したことで、私の気持ち的には、「字を書いて飯が食えるなら、少しくらいひもじい想いをしても、これこそが私にとっての天職だろう。」という感を強くしておりました。
しかし、現実には、糊口をしのぐという程度にさえ、ほど遠く・・・。
私も若くて、独身であったなら、李白のように孤高の中に身を投じたかもしれません。
が、残念ながら、それほど自由が利く身の上でもありませんでした。

以下は、当時、知己に当てて送った私のメールです。
日付は2005年3月7日となっております。
オオサンショウウオ・・・じゃなかったご参照下さい(笑)。
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本業の方も、決して、いいとは言えない状況の中、最近、考えれば考えるほど、改めて、やはり自分には物書きしかないのではないか?と思い始めたのです。
先般も申し上げたとおり、理論実践というのは車の両輪だと思っておりますが、それを併せ持った信長のような人物はともかく、なかなか、この二つを併せ持つというのは至難のようで、特に私は理論だけの人間のようで、その事を最近、強く痛感しております。
とは言っても、すでに、「自信作」で箸にも棒にも引っかからなかったわけですから、到底、お笑い草でしょうが・・・。

で、今の自分としては、
「煩わしい人間関係とはおさらばしたい!」という作家徹底内面掘り下げ→隠遁方向へ走ろうとする自分と、
「新しい人脈を開拓し、もっと、視野を拡げなくては!」という実業人情報開拓→積極外交方向という本来の自分に立ち返らなければという二人の自分が葛藤を繰り返しており、それがここ数ヶ月の悩みの元凶でした。
つまり、内向きになろうとする自分と、現実に目を向けようとする自分葛根湯・・・じゃなかった葛藤しておりました次第です。

今日、私は仕事をさぼってある映画を見に行ってきました。
「アレキサンダー」という映画です。
(この辺のことは、平太郎独白録 「アレキサンダー大王の強さの秘密、『時間差攻撃!』」及び、平太郎独白録 「『もったいない』は、現代日本に於いては罪悪である!」をご参照下さい。)
それを見ているうちに、おぼろげな像がはっきりと形を結びました。
即ち、それが「吟遊詩人ハ我ガ本意ニ非ズ」です。
私は、少年の頃から、衣食足りずしての芸術活動は私の理想とするところではない!とはっきりと思っていたはずではなかったか・・・。
「そうだ、俺にとっては、経済的な自立無くして芸術を追究するのは、我が本意ではなかったはずだ!」と・・・。
そう思い出しました・・・。
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続きは、明日のココロだ~ということで、ひとつ、よろしく、御同輩。

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マルクスにおける話は又いつか♪にみる赤穂浪士の死生観。

2006年03月02日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

表記の文句は昔、舘ひろしのヒット曲「泣かないで」の一節です。
ちなみに、この後は、「静まり返ったこの部屋に二人ィ、ンー、リラックスベイビー♪、泣かないで~」と続きます。
・・・・失礼しました。
はい、ご賢察の通り、今日も二日酔いです・・・。

さて、私は、「世の中に、私以上に臆病者はいない。」と言ったという、北条氏康(の言と、何かの書で見たのですが・・・。)の言葉が、そして、その言葉をふまえた上で、その後の彼の武将としての生き方が非常に好きです。

ただ、以前、テレビで、現代人に対し、「赤穂浪士は有罪?無罪?」と、もうひとつ、「自分だったら参加出来たか?」という質問をしていた視聴者参加型番組を見たことがあります。
そのとき、中学生くらいの子だったでしょうか、その子が、明晰に、「無罪。自分だったらできなかった。」を主張したのが印象に残りました。
彼の論旨は、もう、よく覚えておりませんが、私はそれを聞いて、そのあまりの明快さに対し、つい反論の虫が騒ぎました(笑)。
(もちろん、私がテレビの中にいたわけではありませんよ。)

「そうかー?俺だったら、『有罪。自分だったらできた』だ。」と(笑)。
有罪の理由は、赤穂浪士全員が切腹と決まったとき、誰一人、「話が違う!」などということを口にしていないことを考えれば、何より、彼ら自身に、有罪に値する行為をしているということの自覚があったということであり、当時の法規との客観的な立証性は置くとして、少なくとも、これほど犯意明確なケースであれば、有罪としてもいいのではないか・・・と。
一方、「自分だったらできた」ということの根拠は、当時と今とでは、「死」と言うものへの遠近が違う!ということでした。
即ち、衛生、病気、医療などを考えるまでも無く、ちょっと、天候が不順になれば餓死者が出ていた時代ですよ。
それに、普通に、腰にヒトキリ包丁をさして歩いていると言う(それを使う使わないということではなしに)、今のアメリカ以上の、凶器社会だったわけですから、死とは、人間にとって非常に身近なものだったと言えるのではないでしょうか?
(でもこれって、江戸時代の話では無く、ある意味、戦前までは、そうだったのでは・・・。軍人さんって、軍刀腰に差してたんですよね・・・。)

ついでに言うなら、人が死ねる為には、何かつっかえ棒のようなものが、必要なのだと思います。
「武士の子が」とか、「帝国軍人として!」とか言う・・・。
現代社会はそれがない。
それゆえに、大多数の人が死ねないのだと思います。
和田アキコさんが言ってましたけど、「死のうと思って、高いところに登ったけど、怖くて死ねなかった。沖 雅也のやつは、よくあんな高いところから飛び降りたよね。」と。
でも、これって、単純な話で、人は現世での苦しみが一定限度を超え、死の恐怖を上回っていないと死ねないということで、その意味では、和田アキコさんは、まだ、本人が思うほど苦しみが上回っていなかったんでしょうね。

水木しげる翁が言ってましたが、「戦場では生に対する執着が少ない奴から先に死んで行った・・・。」と。
確かに、戦場では、ムチャクチャ勇者か、とてつもない臆病者ほど、生き残るという言葉を聞いたことがあります。
結局、私のような、お調子者の中途半端が死んでいくんですね・・・。

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歌の文句に想いを馳せれる♪ その2 植木等 「スーダラ伝説」

2006年02月08日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

私は、戦後、一大ブームを巻き起こしたコメディアン3人を挙げよと言われれば、迷うことなく、「植木等、加藤茶、明石家さんま」の三人を挙げますね。
むろん、他にも人気があったコメディアンの方はたくさん、いらっしゃったわけですが、人気が単なる人気に留まらず、一つの時代を象徴するような「ブーム」にまで成ったとなると、この3名の方は、他の追随を許さなかったような気がします。
(すみません。エノケンさんなどはリアルタイムでは知りませんので・・・。)
まあ、色々と異論もお有りだと思いますが、先日、テレビで、植木 等氏の特集番組をやってました。
その中で、氏が自分でも言っておられましたが、田舎の寺の息子に生まれて、東京に修行に出てきて、進駐軍相手のステージに、とにかく人が足りないものだから、引っ張り出されて、やってたら、レコードを出せ、映画に出ろという話になったと。
「人の人生ってわからんもんだねー。」って。

植木氏と言えば、昭和39年の大ヒット曲、「スーダラ節」で有名ですが、あれって、実に歌詞がいいですよね。
前都知事が書いたんだそうですが、絶品だと思います。
「ちょいと一杯のつもりで飲んで♪ いつの間にやらハシゴ酒♪ (中略) これで体に良いわきゃないよ♪ わかっちゃいるけどやめられない♪」なんて、この歌聞いていると、昭和30年代平成の御代も、日本人のやってることは「同じだねー」って、思わず、我が身に置き換えて苦笑してしまいます。

でも、植木さん自身は、大変、まじめな方だそうで、この歌が出る前は、非常に悩まれたとか。
住職であった御父君に相談したところ、「歌ってみろ。」と言われ、最後に、「わかちゃいるけどやめられない♪」と歌ったときに、聞いていた御父君が、「素晴らしい・・・。これは大ヒットするぞ!親鸞聖人生き様に通じるものがある。」と言われたとか。
それで歌うのを決めたと言う話は聞いていたのですが、今回、改めて、詳細に語っておられましたが、「お父さん、いくら何でも、親鸞聖人は言い過ぎでしょう。」という植木氏に対し、御父君は「いや、親鸞聖人は90歳まで生きられて、亡くなるときに、この90年を俯瞰したときに、こういうことをやっちゃいかんと思いながらも、やっちゃいけないことばかりやってしまって死んでいった。」と言われたとか。
結果、それで歌うことになって、歌ったら、御父君の言われたとおり大ヒットして、それで、東宝に呼ばれて、「無責任男シリーズ」を撮ることになったとか。
でも、本人は、「脳天気無責任な男」というイメージが定着することに、寺の息子としては、忸怩たる思いがあったようですね。

10年ほど前でしょうか。
私は、ある、地場工務店の社長さんから、「君は若いな!」と言われたことがあります。
「そうですか?」と言うと、「私に君の若さが有れば、鹿島建設くらいにはしてみせる。」と言われました。
思わず、「鹿島ですか!」と言うと、「できるさ!どこで、どう失敗してきたか、どこをどう行けばいいのか、すべてわかってるんだから、できるに決まっている!」と・・・。
内心、呆れながらも、「おっさん、アホか!」と(笑)。
それがわかっているなら、人間、誰も苦労しないし、それ以前に、あの親鸞聖人でさえも、わかっているけれども・・・、わかっちゃいたんだけど、同じ失敗をしてしまったと嘆いて死んでいったというくらいなのに・・・。
それに、「ここで、この火の海に飛び込まねばならない!」ってわかってはいても、実際に飛び込めるかどうかは、また、別の問題ですからねぇ・・・。

で、こんなのありましたよ。
  ↓
日本一の無責任男★植木等度チェック

ちなみに私は、 「一見あなたは責任感が強そうですが、実際はそうでもありません。 これまでに他人に責任を押し付けたり、踏み台にしたこともあるでしょう。 でも、それを第三者に気づかせないのが、あなたのうまいところです。 植木等というよりキャイーンの天野タイプです。」だそうです。

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寒空に想いを馳せる柳生一族の陰謀・・・じゃなかった家訓!

2006年02月04日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日は、博多も寒かったですよ。

写真は、所用で出かけた帰途、ふと思って、橋の上から、中洲の上にかかる寒空を撮ってみました。
風が強かったので、携帯で撮れるかなと思いもしたのですが、何とか、撮れてましたね。
冬晴れの中の寒さがうまく表現出来ているでしょうか・・・(笑)。
でも、よく考えたら、私、このとき、ちゃんとしたデジカメ持ってたんですけどね・・・。

で、これが、昼の中洲です。
中洲になっているのがおわかりいただけるでしょうか。
そう、中洲だから中洲です。
ちなみに、いわゆる中洲は、見えている橋のもう一つ向こうの橋から向こうです。
手前は聞かないでください(笑)。

ところで、この風景見てて、思い出したことがあるのですが、柳生 博という俳優さんをご存じでしょうか?
実は、この方、一昨年だったか、「日本野鳥の会」会長に就任されたとか・・・。
そうです、私は、寒空と言われて、日本野鳥の会を連想してしまったわけです。
少し、発想が安直にすぎますでしょうか・・・(笑)。

ところで、この方は、「柳生」という名字ですが、本当に、あの柳生十兵衛柳生但馬守柳生石舟斎らで有名な、柳生一族(こういうと、また、「柳生一族の陰謀」を思い出してしまう私は、本当にどうしようもなく安直な人間のようです・・・(笑)。)の方だそうですね。

その柳生さんが、以前、テレビで言っておられたのですが、柳生家家訓の中に、「絶対に『おまえはいいよな。』と言うな!」というのがあるそうです。
柳生さんは、それを座右の銘にしていると言っておられました。
これって、なかなか、わかっちゃいるけど・・・ってやつですよね。

金を持っている人間金に弱く地位の高い人間地位に弱い。」とは、故大橋武夫氏の言葉です。
(あいにく、私の周りにはいませんので実感としてはわかりませんが、人間の「欲」とは、そんなものなのかもしれません。)
これを、私的に言わせて頂くなら、「小金持ちは中金持ちを嫉妬し、中金持ちは大金持ちを嫉妬する。しかし、自分たちが嫉妬される側であることには触れようとはしない。」ものだと思います。
私の卑近な例で言えば、「あいつはいいよな!」って言ってる友人も、立派に「持ち家」に住んでましたし、別の資産家の友人は、取引先の名門老舗企業社長さんから「おまえはいいよな。」って言われたそうです(笑)。
おもわず、「どっちがやねん!」と突っ込みたくなったと言ってましたが、そういう人は、自分が嫉妬される側だという自覚がないみたいですね。
「俺は庶民だ!」と言っても、おそらく、庶民の側で、仲間に入れてくれないと思いますが・・・(笑)。

ま、これが日本人の古き良き時代の中流意識だとも言えるのでしょうけどね・・・。

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極道和尚「今 東光」にみる宗教人としての答案。

2006年02月02日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

で、昨日の続きです。
(↑画像も昨日の続きです。私はなぜか、こういう新しい「今どき」の中に埋没している「昔」を見ると、思わず、「おお、そこにおったんか・・・。元気やったか・・・。」って感じがします。これが、私流のノスタルジーなんでしょうか・・・。)

で、「今東光」という人物を覚えていらっしゃいますでしょうか?
以前、当ブログでも、何度か紹介したことのある人物ですが、極道和尚と呼ばれた昭和の怪僧です。

参考:
平太郎独白録 「昭和の怪僧、今東光にみるアメリカとの関わり方心得。」
平太郎独白録 「今 東光に校長が与えた言葉、「絶望することなかれ」。」
平太郎独白録 「異端児・今東光に見る、優等生・川端康成という男」 

その今和尚が、住職時代、一人で飯を食っているところに、死相を浮かべた男が突然、入ってきて、「元請けにだまされて、破産した。死のうと思っている。」と言ったといいます。

今和尚が、これに、どう対応し、その男が、どうなったか・・・。
今和尚の回答が100点満点だとすれば、私には50点答案が書けます。
その上で、既存宗教の方々は何点の答案をお書きになられるのでしょうか?
10点の答案も書けないような気がするのですが・・・。

「おいおい、そんなのに来られても困るよ。」、「誰か、警察呼んで追い返せ。」・・・などと言われるのが関の山ではないかと思います。
「そんなことはない。」と言い切れる既存の宗教人の方が、果たして、いらっしゃるでしょうか?
でも、そんなことだから、「坊主丸儲け」などと言われるんです。
(実際に、「今回の法事は他所でやらせてくれ。」と言ったところ、和尚が突然、激怒して、ギャーギャー言い始めたので、「お布施はちゃんと払いますから・・・。」と言ったら、途端に、機嫌が良くなったなどという話も聞いたことがあります。)

ていうか、そんなことをしたら、名答を出せない以前に、恨まれて、寺院や社殿にを付けられたり、下手すれば逆上して道連れにさえされかねない可能性もあるわけです。
この辺りは、昨日も述べましたとおりなのですが、日本の宗教界は、権威の上にあぐらをかいてしまい、宗教の持つ、本来の役割というものを忘れてしまっているように思えます。

で、冒頭の今和尚の場合ですが、その前に、私だったらはどうしたか?と言えば、まず、を食わせます。
人間、とかく、空きっ腹だと、良からぬ事を考えがちです。
「食いたくない。」と言っても、「俺の飯が食えなきゃ話はしない。」とでも言って、とにかく、食わせます。
そうでなければ、我が身危険だからです。
腹が太れば、とりあえず、一安心でしょう。
で、おもむろに、突き放します。
「おまえに、落ち度は無かったのか・・・。」と。
でも、これは、とりあえず処理したと言うだけに過ぎず、「人を活かした!」ということにはなりません。
宗教人としては、胸を張れる答案ではないでしょう。
(まあ、私は別に宗教人ではないからいいんですけどね(笑)。)

では、今和尚はどうしたか?
おっと、ここで、「ちょうど時間となりました~♪」です。
120点の答案を期待しやすぜ、御同輩。

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チンピラの因縁の付け方に学ぶ宗教人の怠慢と飯やの慢心。

2006年02月01日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

↑この向こうがいわゆる、***街、その向こうが、私の憩いと安らぎの町、中洲です(笑)。
ほろ酔い加減で、キャナルシティからそちらを眺めていたら、何故かこの夜景にノスタルジーを感じ・・・。
おっと、一人で浸っている場合ではありませんね・・・、失礼!

で、本題です。
かつて、作家で元ヤクザ安部譲二氏は、チンピラ時代、親分が、当時、発売されたばかりのテレビを買ってきて、「番組なんか見る必要はない。宣伝(CM)を見て、因縁の付け方練習しろ。」と言ったといいます。
「わ・わ・わ~、輪が三つ♪」というCMが流れると、「輪が三つぅ?何を勝手に決めつけとんじゃい!」という具合に・・・(笑)。

で、昨年の5月に、平太郎独白録 「意識朦朧 魑魅魍魎 宗教界の怠慢にみる新興宗教の台頭」の中で、「現代の宗教人の怠慢がいかがわしい新興宗教の台頭を許している」ということについて申し上げましたが、もし、宗教という物の本来目的心の救済というものにあるとするならば、少なくとも、宗教人と名の付く人たちは、安部譲二氏のチンピラ時代と同様に、テレビやラジオなどの「人生相談」を見たり聴いたりして、「自分ならどう答える・・・。」というロールプレイをやるべきでしょう。
できれば、その上で、同僚部下と、それがいない場合には業界団体などで、レポートを持ち寄って、それぞれに、ディスカッションさせるべきだろうと思います。
それをやらないで、ただ、呪文(?)を唱えるだけで、お布施をもらうことばかり考えているから、顧客を新興宗教にさらわれれる事になるのだと思います。

これを端的に表すものがあります。
私の地元、博多駅前オフィス街ですから、一時期は、昼飯難民が出るほど、昼時は飯やは大繁盛でした。
中には、よせばいいのに、東京悪癖を真似て、わざと行列を作らせるような風潮さえ出始めた時期がありましたが、ところが、その飯やの慢心隙間を埋めるように進出してきたのが弁当屋コンビニでした・・・。
で、今や昼飯時は、弁当屋の車が群れを成し、コンビニは大混雑・・・ということになってしまいました。
飯やの慢心が新たな強敵を誘い入れてしまったわけですね。
つまり、飯やの敵は、飯やだけではなかったということで、宗教界の敵は既存の宗教だけとは限らないということでしょうか・・・。

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CM契約にみる毀誉褒貶、その1 大横綱大鵬。

2006年01月25日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

で、昨、一昨日よりの続きです。
どうにか、昭和20年の暮れくらいまで精神状態は立ち直ってきましたが、今度は風邪をひいてしまいました・・・(笑)。

当分は、堀江社長逮捕のニュースで持ちきりでしょうね。
この後、ホリエモンがどうなるのかはわかりませんが、これまでも申し上げてきましたように、私は決して、彼のことを評価していたわけではありません。
内情は知りませんでしたが、おそらく、遅かれ早かれ、いずれ、行き詰まる・・・と思ってました。
その理由としては、平太郎独白録 「ライブドア堀江社長に想うマキャベリと『好漢惜しむらくは兵法を識らず』」や、平太郎独白録 「理論と実践は車の両輪!」などに書いたとおりなのですが、むしろ、改めて、目につくのが、この問題を、すっかり、ワイドショー扱いにしてしまったマスコミ態度です。
あれだけ、「堀江社長!」ともてはやしておきながら・・・・。
(思えば、ダイエーの故中内功氏などにも、同じようなことがあったような・・・。いいときは、「最後のカリスマ」なんて言って、散々、持ち上げておきながら・・・。)
こういうマスコミの態度と、その尻馬に乗る軽薄な国民性には、嘆かわしいばかりです。
現に、今まで、あれだけ大騒ぎした耐震偽造問題など、もう、どこ吹く風・・・。
まるで、阪神大震災を散々報じておきながら、飽きたかな・・・って頃に、オウム真理教に司直の手が伸びると、一転して、一斉に、そちらに行っちゃったときのデジャブを見るような気がします。

で、昨日は、ホリエモンに対して、CM契約継続しようとする動きがあるということについて述べさせて頂きましたが、まあ、逮捕と言うことになれば、話はまた、違うのかもしれませんが、この点で、今日と明日は、昨日までの三国志から離れ、CM契約というものに見る毀誉褒貶と、こういう世間というものの呆れるくらいの変わり身の早さについて、触れてみたいと思います。

まず、角界で、北ノ湖千代の富士二代目貴乃花も・・・未だ、誰も破れなかった、幕内優勝32回という最高記録を持つ、大横綱大鵬幸喜 氏とCMとの関わりについてです。
彼は現役時代、決して、CMに出ない人として有名だったそうですね。

実力はもとより、父親をウクライナ人にもつハーフでもあることから、その日本人離れした顔立ちと相まって、当時、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたほどに人気があった横綱ですから、当然、色々なところが、それぞれのなルートで、様々にCM出演の話を持ちかけてきたそうですが、大横綱大鵬はガンとしてCMには出なかったそうです。
ところが、その大横綱が、一度だけ、CMに出たことがあると言います。
それは、大鵬が大一番に負けて、大けがをし、肉体的にも精神的にも、「もはや、再起不能か!」とまで言われたときのこと。
それまでの依頼が嘘のように、パッタリと、どこからもCM依頼が来なくなったそうですが、その中で一社だけが変わらずにCM出演を依頼してきたそうです。
「同情ですか?」という大鵬に対し、この会社は、「いや、うちの商品のイメージに欲しいのはアナタの圧倒的な強さではなく、その安定的な強さと不断の努力を惜しまぬ姿勢だ。」と言ったっとか・・・。

まさしく、「世界チャンピオンになると、急に親戚が増えるが、防衛戦で敗れると、途端に誰もいなくなる。」と言いますが、先日の平太郎独白録 「敬愛する二人の明治の『武夫』と、エディ・タウンゼント的あり方。」でも申し上げました、ボクシングの伝説的な名トレーナー、エディ・タウンゼント氏の言葉、「世界チャンピオンになった人の控え室には、僕が居なくても、たくさん、人が来てくれる。でも、負けた方の控え室には誰も来ない。だから、僕は負けた方の控え室に行くんだ。行って励ましてあげるんだ。」 ではないですが、ホリエモンにしても、中内功氏にしても、何と、世の中には、「勝者の控え室」にばかり足を運ぶ人間が多いことかと、うんざりしたのでは・・・。

それを思えば、ホリエモンがこうなったことは、もとより私には、想定内のことでありましたから、特に驚きはありませんが、今の報道を見るにつけ、日本人の軽薄な国民性に何とも、やりきれない想いになります。

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「1+1」が「2」にならない現実。

2006年01月18日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

唐突ですが、お尋ねがあります。
1+1は幾つでしょう?
そう問いかければ、普通、「2」と答えられますよね・・・。
ところが、世の中には「2」にならない現実があります。
「そんなバカな!」と言われるかもしれませんが、哀しいかな、世の中には、こういう「現実」があるのです。
ところが、「1+1=2」にならないということを経験したことがない人にとっては、これが、理解出来ないんです。
「1+1が2になる・・・。当たり前じゃないか!」と答える・・・。
「そうならない現実があるんだ。」と言っても、「何で?1+1=2でしょ?どうしてならないの?あんた、おかしいよ。」と・・・。
私も幾度となく、こういう経験があります。

以前、仕事上のことで、あるコンサル関係の友人にアドバイスをもらっていたところ、誰が考えても、至極当然の「1+1=2」的案であったにも関わらず、いざ、それを実行しようとすると、既得権益を持つ人たちの壁は厚く、最終決定権者に理解は無く・・・で、わけのわからない方法を採ったが為に、結果的には大問題になったことがありました。
(往々にして、会議とは、「何を言ったか?」ではなく、「誰が言ったか?」が問題になると言いますよね。このときも、まさしく、これでした。泣きたくなるくらい、くだらない現実でした・・・。)
で、そのことをその友人に報告したところ、「俺があれだけ言っただろうが。なぜ、やらないんだ。」と。
「だ~か~ら~、俺もそう言ったんだけど、通らないんだ。」
「何で???俺がこうしなきゃいけないって言ったじゃないか。」
「いや、だ~か~ら~、俺もそう言ったって・・・。」
「だったら何故やらないんだ。」
「いや、だ~か~ら~・・・。」
で、堂々巡り。
どうしても、理解できないんですね。

以前、元横綱 若乃花こと、花田勝氏が言ってましたが、実父の経営する相撲部屋に入るときに、「『明るい支度部屋、優しい兄弟子』をイメージして入ったら、まるで違った。ドロドロしていた。」と。
また、「普通の人だったら、気が狂っていただろう。」とも言っておられました。
それ聞いて、私も、「あー!まったく一緒だ!」と思いましたよ。
私も、家業に入る前までは、「口は悪いけど、気はいい職人さん!」イメージしてましたから・・・(笑)。
私が普通以上に強い人間だ・・・などということは毛頭無いんですが(むしろ、弱い方でしょうね。)、でも、花田勝氏の「普通の人だったら・・・」発言は、もの凄く、皮膚感覚で共感出来ました。
(そのくせ、妙なもので、うちなどは、言ってみれば、マニュファクチュアの世界ですから、今にして思えば、私も、入社してないまでも、うちにいる職人たちがそんな人たちだ・・・ってことくらい知ってたんですけどね・・・。おそらく、花田兄弟も兄弟子たちがそういう人間だ・・・って知ってたと思いますよ。どこかで、妙な期待をしてしまったんでしょうか・・・。 )

花田氏も、そのときは、それ以上、具体的なことはあまり、言っておられませんでしたが、ひとつだけ、「親方(故二子山親方)が兄弟子たちの不始末を怒鳴りつけると、『おまえが親方に言いつけたんだろうが!』と嫌がらせを受けた・・・。」という話をされてました。
これって、妙なもので、親子だからか、まるで、言いつけたとしか思えないような、息があったタイミングのときがあるんですよね(笑)。
私も、あまりのタイミングの良さに、「まあ、俺でも、俺を疑うよな・・・。」と思ったことが度々、ありましたよ。

話が少し、道にそれましたが、「1+1=2」になる・・・と言われますが、それって、本当に間違いのないものなのですか?
「間違いない!」と言える根拠って何ですか?
そうなるところを見たんですか?
先生から、そう教えられただけなのではないですか???
ひょっとして、「思いこみ」に過ぎないのかもしれませんよ・・・。
ほーら、段々、怪しくなってきたでしょ、御同輩・・・(笑)。

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我が心の師、大橋武夫氏の叱咤に想う秋霜烈日的ブログのヨロク!

2006年01月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

思えば、昨年の3月末、秋田の友人より、「京都にて催される或る会に出席しないか?」という誘いを受けたことで、例によって、軽いノリでOKしたものの、でも、そういう晴れがましいところに俺のような小者が出ていいものか・・・と思ったことで、とりあえず、何とか固塗するべく、せめて取り急ぎ、ブログなるものくらい作っておこう・・・と思ったのが、私がブログを始めたきっかけでした。
(そのときの詳細はこちら→平太郎独白録 「月はおぼろに東山♪秋田人と見る等伯の渾身の筆!」
で、始めた当時のことは、まあ、一周年記念号にでも譲るとして(笑)、実は、私には、このブログを書き始めての、思わぬ余慶がありました。
それは、資料として、度々、昔の愛読書引っ張り出す機会に恵まれたことです。

なかなか、今はまだ、新しい知識を求める過程にある・・・と言うと聞こえは良いのですが、実際は、読む時間がないのに、これでもかと新たに本を買ってくるもので、積ん読状態が著しく・・・。
ということで、昔読んだ本を改めて読み返してみたい・・・とは思っても、なかなか、そういう機会はありませんでした。
それが、ブログを始めたことで、昨日も述べました、学生時代愛読しました大橋武夫氏の著書などを引っ張り出して来ることに繋がったわけです。
おまけに、目的の部分を探すのに斜め読みしたりしますから、それなりに量を読んでしまうことになったりして、秋霜烈日、ハッとしたりすることや、当時の自分の書き込みに思わず、苦笑することも有り、時には、昔の恩師から、「おまえは、こんなはずではなかったのではないか?」と叱られているような気になって、気が付いたら、思わず、背筋が伸びていたりすることも・・・(笑)。

で、以下参考までに、その我が師(?)、大橋武夫氏の著書の中で、思わず、私が刮目してしまった部分です。
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*人間の生き甲斐は立身出世を目指して努力することにある

 掲げるべき目的とは何か?それは立身出世である。
 人として生まれたからには、人間としての最高の地位を求めて精進すべきであろう。
 実力がないというがそのあきらめはまだ早い。
 私が売れる本を書けるようになったのは、七十歳をすぎてからである。
 
*まず、旗を掲げよ

 旗に書いていれば、どんなことでも成就するというような甘い世の中ではないが、私自身、旗に書いて宣言しない物は殆ど実現していない。
 まず当面の目標をきめ、これを内外に宣言すべきである。
 いくら心で思っていても、外に現さねば人にはわからない。
 わからないことには協力のしようがないのである。

 また自分の考えを外に現すことで、逆に自分の考えがまとまり、決意が固まるものである。
 大見得を切って実現できなかったら、恥しいと尻込みする人もいるが、それによって自他ともになんの実害を受けるものではなく、かりに少々あっても、それによる利益を思えば何でもない。
 
*目標はまず食うことである

 目的が決まったら、当面目標を決めるべきである。
 人間の基本的欲望は「生きたい、食べたい、恋愛したい」であるが、そのうちで先ず目標とすべきものは十分に食うことである。
 食うことは重大であり、決して軽蔑すべきことではない。
 毛沢東が中国全土の統一という大事をなしとげたのは、その思想工作よりも、ともかく大衆の腹を満たしたためである。

 さて、食を得ることは大切であるが、それだけを目指していては動物と変りないものになる。
 人間が人間として生きるためには、その後の目的が必要であり、金儲けを目的にして作られた国宝はない。 
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不惑などと言いながら、実は、この数年、私は絶えず、惑いの中にいました。
しかし、その答えの一旦は、実は、20年前に自分が通ってきた足跡の中にあったとは、何とも間抜けな話です。
「きれい事ばかり言っているのではないか?!」、
「情けないことばかり言う前に、お前は旗を掲げているのか?!」、
「まずは、『食うことが大事』というお前の考えは間違っておらん。しかし、目的はもっと大事ではないのか?!」・・・。
おまけに、「私が売れる本を書けるようになったのは、七十歳をすぎてからである。」なんて・・・、シャレになりませんよ(笑)。
何だか、本当に、昔の恩師に一発、ガツンとやられたような気分です。

気が付けば、青雲の志、今何処。
我が身の堕落、嘆息尽きず、尽きず尽きず酌めども尽きず・・・。
とりあえず、今宵あたり、御一献、如何ですか・・・、御同輩・・・。

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敬愛する二人の明治の『武夫』とエディ・タウンゼント的あり方。

2006年01月16日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

先日、私が企業人として敬愛してやまぬ人物として、元本田技研工業副社長藤沢武夫氏について述べましたが、もう一人、私が敬愛してやまぬ人物として、こちらも度々、名前が出てきていると思いますが、元帝国陸軍参謀にして、兵法研究家大橋武夫という人物がいます。
私にとっては、主に学生時代に、この方の著作に触れたことで、もちろん、お会いしたことは有りませんが、何だか、勝手に、昔の恩師のような気がしております。
藤沢武夫、大橋武夫両氏ともに、奇しくも名前が一緒であるばかりか、共に明治生まれ同世代同士なのですが、(大橋武夫という名前には、確か、同姓同名の吉田内閣の国務大臣などもおられましたので、武夫という名前は、当時は、まあ、割とよくあった名前だったのかもしれません。)まずは、大橋武夫氏の略歴を列挙致しますと、
「大橋武夫 1906年愛知県蒲郡市出身陸軍幼年学校から旧帝国陸軍参謀・陸軍中佐。戦後は、激しい労働争議倒産した東洋精密工業の立て直しに手腕発揮し、その過程で軍人時代に学んだ「兵法」経営にも効果的であることに気付き、昭和37年「兵法で経営する」を出版。その年のベストセラーになる。 定年退職後、兵法評論家として活躍。1987年没。」というところですが、これとは別に、氏が、自らの人生を回想した言葉として、印象に残っているものがあります。
「人の人生とはわからないものだ。私は陸軍幼年学校に入った段階で、そのまま、軍人として一生を終えるものだと思って疑わなかった。それが、敗戦により一転して経営者となり、定年後作家になって講演などをして余生を送るようになるなどとは夢にも思わなかった。本当に人の人生とはわからないものである・・・。」

私がこの人物の名前を知ったのは、高校時代
昭和53年54年
海水浴の帰りに、ある友人の家に遊びに行って、たまたま、傍らにあったその家の親父さんの本棚で、図解兵法という本を見つけたときでした。
一読して、面白そうだと思った私は、「それは、親父のだから・・・。」と渋る友人を拝み倒して、半ば、奪い取るようにして持ってきました。
「返す」とは言いましたが、「いつ、返す」とは言ってませんから、未だに持ったままになってます(笑)。ていうか、そいつとも、もう、四半世紀会ってません。どこでどうしているものやら・・・。)
この本は、大まかに「戦法編」、「策略編」の二つに分けられていたのですが、最初、私は枕元に置いて読んでいたのですが、「戦法編」はなかなか、読み進まず、要した時間(・・・というよりも、歳月)は、2~3年くらい(笑)かかったのですが、それが、そこを読み終えて、「策略編」に移った瞬間、自分でものめり込むのがよくわかるくらいに読み進み、何と、2~3日で読み終えてしまいました。
私にとっては、自分自身本質を鼻先に突きつけられたような一事でしたが、以来、この方の著書は、手当たり次第に買い漁り、今でも、氏の大半の著作は所蔵しております。

これ以上は、長くなりそうですので、その氏の著作の中から、ご紹介させて頂きますと、かつて、第二次大戦中日中戦争最前線では、見張りに立った兵士がたびたび、失踪すると言ったことがあったそうで、そんなとき、部隊の中に、不思議な人気を持っていた古参兵がいたそうで、彼は、どういうルートを持っているか、はたまた、中国側の兵士たちにも人気があったのか、中国軍の中に入っていって、その兵士を見つけてくるのだそうですが、大抵、見つかったときは殺されていることが多く、中には、埋められていたのを掘り返したようなボロボロに腐った遺体もあったとか。
ところが、驚くべきは、その古参兵は、その腐って、異臭を放つ遺体を車の助手席に載せ、まるで、愛おしいモノを抱きかかえるようにして帰ってくるそうです。
兵士たちは、誰も、その腐乱した遺体に、進んで触れようとする者はいなかったそうですが、同時に、誰もが、その光景を見て、「あ、俺も死んだら、この人にだけは、こんな風にしてもらえるんだな。」と思ったと言います。

少し違いますが、かつて、エディ・タウンゼントというボクシング名トレーナーがいましたが、この人の言葉で、忘れられないものがあります。
世界チャンピオンになった人の控え室には、僕が居なくても、たくさん、人が来てくれる。でも、負けた方の控え室には誰も来ない。だから、僕は負けた方の控え室に行くんだ。」

よく、「友達が出来ない・・・」と嘆く、人生相談などを耳にしますが、そんな方は、もしや、勝った側の控え室にばかりに足をお運びになっておられる・・・と言うことはないでしょうか?
負けた選手が、チャンピオンになることはない・・・という決まりはないんですけどね・・・。

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「季布の一諾」第一弾、大久保利通・田中角栄に見る権威の淵源。

2006年01月13日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

以前、ある会の申込書というか履歴書というか、そういう物を書いたことがあるのですが、その中に、どういうわけか、「信条」などという項目がありました。
事務局の方に、「信条なんか書くんですか?こんなの書かなくていいでしょう?」と尋ねると、「いえ、それが大事なんですよ。」との答え・・・。

でも、突然、信条なんて言われても・・・。
当時、ニューヨークメッツに居た「新庄」と書こうかと思いましたが、また、「不真面目だ!」などと怒られてもかなわないし・・・と思って、しばらく考えた挙げ句に出たのが、昔見た、エリザベス・テーラーモンゴメリー・クリフトの映画、「陽のあたる場所」の中のセリフ、「率直さは美徳である。」でした。
以来、この言葉は私の様々な信条欄に載るようになりましたが(笑)、もう一つ、私には、「座右の銘」的な意味合いで使っている言葉があります。
それが、「季布ノ一諾ニシカズ」です。

季布という人物に対しては、まあ、晩年は生身の人間らしいエピソードもあるようですが、ともあれ、「季布ノ一諾ニシカズ」とは、「彼が一旦、『諾!』と言ったことは、どんな物よりも価値がある!」と言われた・・・ということであり、言うならば、「約束を守りましょう・・・。」的な意味なのですが、こう言うと、若い人には煙たがられそうですが、そういう説教的な意味ではなく、私には、具体的な例として思い浮かぶことがあります。

明治以降の日本の権力者で、とかくの批判はありながらも、知恵者・くせ者・切れ者・・・といった多くの政敵が、それぞれに、様々な手段で挑みながらも、誰も、どうにも倒せなかった不倒翁とでも言うべき人物が2人います。
私には、この二人の強さと言うものは、「実力」・・・というものを通り越して、もはや、ある種、運命的ですらあったようにさえ思えます。
それほどまでに、誰も排除することが出来なかった2人の人物、それが、大久保利通田中角栄です。

大久保には、江藤新平、西郷盛らが、田中には福田赳夫、三木武夫ら、様々な個性が様々な手段で挑みましたが、結果的に誰も彼らを追い落とすことができませんでした。
大隈重信、中曽根康弘という人たちは、独特の臭覚で彼らに挑む不利を感じ取ったと言えるでしょうか・・・。)
で、しばらく経ってから、ふと、この二人に共通点があることに気づきました。
この二人の強さの秘密・・・、それこそが、「一諾を守る」ということだったように思います。
大久保は、OKの時は、「それは、御裁可になるでしょう。」という言い方をし、田中は、一言、「わかった。」と言ったといいます。
そして、二人が一旦、OKと言ったモノは、絶対に、実現したそうです。
それこそが、単なる権力者とは違う、この二人の、運命的にまで強い権威というものの淵源となっていたように思えます。

田中は、選挙になると、各地の首長のところへ直接、電話をかけ、「以前、陳情があったあれだが、やることに決めた。」とだけ言った・・・というのは有名な話ですよね。
「代わりに誰々を応援しろ。」などとは言わない。
ただ、「やる」
それだけで、事足りる・・・。
田中が「やる」と言うのは、絶対に「実行される」ということでもあり、空手形に終わる可能性がないという点で、他の権力者の「やる」とは、重みがまるで違ったわけで、これが、闇将軍と言われながらも、田中が求心力を持ち得た大きな要素だったと思います。

一方、大久保は、目を開けていたら、誰も、まともに顔を見ることが出来なかったと言われるほどに威厳があり、このことは、明治初期、維新の元勲の一人、木戸孝允が、自らが主催する会議で、いくら「静粛に!」と言っても、幾多の戦いをくぐり抜けてきた豪傑たちは、一向に静かにしようとはしなかったところ、遅れてきた大久保が着座すると、一瞬にして、水を打ったように座が静かになったとか・・・。
これなども、権威というものの本質を、よく物語ってくれているように思えます。

権威というものは、権力を持てば自動的に付いてくるものではない・・・。
「今宵!」と言ったら今宵ですぜ、御同輩・・・。

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矢沢永吉に想う昭和時代の顔と小説は名水で論文は工業用水。

2006年01月05日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日は、秋田の方は大雪みたいですね。
朝、出がけにちらっとテレビを見たら、そう言ってました。
まあ、あちらは、我々と違い、雪には慣れておられるでしょうが、この冬は色々と雪絡みの不幸な事件が続きましたからね・・・。
何事もないのを祈念してやみません。

さておき、年末に、矢沢永吉のライブをテレビでやってましたよね。
このことは、以前、平太郎独白録 若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。の中でも触れましたが、昭和53年のヒット曲「時間よ止まれ」を、当時、二十代後半の矢沢が歌ってる姿を見て、思わず、そのギラついた若さに涙が出そうになりました。
で、ふと、見ていて、気づいたのですが、確かに昔はああういう顔の兄ちゃんが居ましたよね!
で、ふと、気が付いてみれば、今は、あんな顔の兄ちゃん、またーく、見ませんよね。
あれが、昭和時代の顔だったんだ・・・と、思わず・・・。

さておき、その最後の方のインタビューで、矢沢さんが「今は曲の編集はコンピューターでいくらでも直せちゃうから良くないんだよ。キリがないんだ。」とコメントしておられました。
これって、まさしく、その通りで、私自身も、小説の原稿なども、昔だったら原稿用紙万年筆だったでしょうから、一度か二度、訂正すればよかったものが、今はワープロソフトなどで、簡単校正できるから、もう、きりがないんですよ。
特に、前回の小説の時など、初めてと言うことで、できるだけ完璧を試みたこともあり、もう、最後は堂々巡り迷路にはまりこんでましたね。
だから、今でも、私は、このブログを書くときは、ネタを書き留めるくらいまではワープロソフトなどを使ってますが、最終的な投稿はブログの投稿ページに直接書き込んでいます。
(となれば当然、書き上げたところで消えちゃうということも時々・・・。)

で、年末にも申し上げましたとおり、恥ずかしながら、私は、今回、また、性懲りもなく歴史小説を出版した訳なのですが、小説を書き始めた当初・・・、はたと当惑したことがあります。
それは、内容その物以前に、読み物とは、表現の的確さ、多様さを優先させるべきか、それとも、幅広く色々な人に受け容れられやすいように平易な文体を心がけるべきか・・・ということでした。
(つまり、「授業をクラスの一番出来る子に合わせると出来ない子が付いてこれないし、出来ない子に合わせると出来る子は退屈する。かといって、中間に合わせると、出来る子も出来ない子も両方不満を持つ。」という教育者のジレンマと同質のものかと・・・。)

で、思わず私は、では、大作家と呼ばれる人たちはどうしているのだろう?と想い、改めて、16歳、(高校一年)の頃に愛読した業界(?)のバイブル、「司馬遼」小説を引っ張り出して、ページを開いてみたのですが、驚いたことに、あの頃はハマって読んだのに、今見たら、ムチャクチャ難しいんですよね!
こんな単語初めて聞いた!みたないのもあるし・・・。
あの頃、よく読めてたよな・・・と、我ながら、妙に感心したりして(笑)。
そこで初めて、司馬さんが「気にすることはない。思い切ってやりたいようにやりなさい!」と、背中を叩いてくれているように感じ、以来、敢えて読み手のことを考えず、自分の好きな表現で書くようになりました。

ところが、前作を読んだ友人から、「おまえのは、文体に独特の言い回しがあり、それが気になる。」と言われたことがあります。
その彼の友人に、業界紙に論文などを掲載している人がいるらしく、そちらは、出版社の方から、徹底して、そういった言い回しなどを矯正されたということだったそうです。
「それに比べて、おまえのは・・・。」ということだったのでしょうが、そう言われて、私も少し考えてみました。
で、私の考えた結論としては、元来、論文小説というものは、まるで違う要素の媒体なのだから、それを同一視してしまうこと自体に無理がある・・・のではないだろうか・・・というものでした。

ワタクシ的に言わせて頂くなら、小説とは「名水」であり、論文とは「工業用水」だと・・・。
ご承知の通り、自然界を流れる水の中には、ミネラルなどの不純物がたくさん混じっており、それらは、時にはにもなるが旨みにもなるわけで、一方、それら不純物を機械的に一切取り除いた水が工業用水などで使われる水であり、これを口に含むと、本当に、毒にもならないが、無味無臭、旨くもまずくもない、純粋に「水の味」だけしかしないそうです。
思えば、池波正太郎さんなども、独特の文体があり、私は、それが鼻につき、あまり、好きではありませんでしたし、「神様」司馬遼太さんの独特の言い回しで、ワープロを変換すると、画面に注意メッセージさえ出ます(笑)。
(この辺は、ホールインワンというのは、機械では打てない・・・というのに、共通するような気もしますが、如何でしょうか?)

ということで、このブログも、敢えて、読み手のことを考えず、自分勝手な独りよがりの文章になっていることとは思いますが、何卒、これに懲りず、今後ともご贔屓のほど、宜しくお願います。

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ナセルの素性と藤堂高虎の遺訓に思いを馳せる年末の現代人。

2005年12月26日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今週より、いよいよ、年末も最終楽章に突入ですね。
(例年、年末はバタバタして、気が付いたら、正月がもうそこまで来てた・・・ってのが多いんですが、今年は寒いからでしょうか、ここ数年では、本当に年末らしい年末のような気がします。)
今年は、貴方様に取りまして、どのような年でしたでしょうか?
やるべき事をやり、為すべき事を為せた年でしたでしょうか?
以前、ある畏友に、「為せば成る ナセルはアラブの大統領」昭和30年代のギャグを言ったところ、「ナセルはアラブの大統領ではなく、エジプト・アラブ共和国大統領であり、アラブ連合アラブ社会主義連合盟主です。」と言われました。
私もサダトの前のエジプト大統領ということは知っていたのですが、何か違うような・・・。
まあ、この畏友の博覧強記ナセル技でしょう・・・(笑)。

さておき、以前、平太郎独白録 藤堂高虎に見る「一芸」か「オールラウンドプレーヤー」かのハムレット的考察・前編並びに平太郎独白録 藤堂高虎に見る「一芸」か「オールラウンドプレーヤー」かのハムレット的考察・後編でも紹介致しました、藤堂高虎という人物の言葉として、「朝、布団から出るときは、今日、死ぬものと心得よ。」というものがあります。
まあ、戦国武将と、我々、平和ニッポンに生きる現代人とを同じように論じるのも無理があるでしょうが、思えば、人の命そのものには、今も昔もあるはずはなく、黒澤明の名作、「生きる」ではないですが、もし、「今日、死ぬとわかってたら、やっておけばよかった・・・。」ということがお有りになるのではないですか?
実は、拙著前作を出版しようと思ったときに、色々ありまして、この博覧強記の畏友に相談したことがあります。
すると、彼から、「先般、私のよく知っている取引先の社長が、乗っていたセスナ墜落して亡くなった。それ以来、私も、できること、やりたいことは、先延ばししないで、今のうちにやっておこうと思うようになった。君もまた然りだよ。」と言われたことがあります。
そう言えば、阪神大震災を経験した義兄は、以来、いたずらに貯金などに執着するよりも、今出来る家族とのイベントを優先するようになったとも聞きました。
確か、楽天三木谷氏もそうですよね。
楽天を立ち上げるきっかけになったのは、あのときの、故郷の被災した姿だったとか。

ところが、その一方で、以前、私は、ある保険の打ち合わせをしているときに、「私が死んだら、家族が困らないように。」と言ったところ、アドバイザーから「アナタァ?はあ?貴方はまだ、心配いらないですよ。」と思いっきり、失笑されたことがあります。
でも、この「まだ」って、何か根拠があってのことでしょうか?

ただ、このアドバイザー氏が現代日本では、それほど、特異な人ではないように私には思えます。
同様に、現代日本人の多くは、「明朝、目が覚めても、これまでと変わらない日常が続いている。」と思いこんでいるように思えるのです。
で、その根拠は何なのでしょうか?
昨日まで、ピンピンしていた人が突然、亡くなるなんて話、別に無い訳じゃないですよね。
私も、昨日まで普通にしていた人が、翌朝、脳梗塞だったかで目の前で倒れられたのを見たことがあります。
その方は、そのまま、救急車で運ばれましたが、一週間ほどして、亡くなりましたよ。

また、百歩譲って、仮に病気でなかったとしても、事故という可能性もあるわけでしょう?
これだけ、車が走っているんです。
自分が気をつけていても、交通事故に巻き込まれるってこともありますよね?
私自身、検査手術で日帰り入院したところ、初歩的な医療ミスであと少しで死ぬところだったという経験がありますよ。
(妙なもので、このとき、病院に行く前に、ちらっと一瞬、「人間って、案外、こんな何でもないことで死んだりしてね・・・。」って頭をよぎりましたよ。でも、すぐに、「いくら何でも、検査手術なんだから、そんなことあるはずがないよな。」と思い直し、そのまま、病院に向かいましたが、そのとき、心底にあったものは、間違いなく「まさか、俺が・・・。」という根拠のない思いこみでした。)

さらに言えば、地震もまた然り。
今年は、私自身も地震を体験した年でもありましたが、(私に限らず、福岡人は、多かれ少なかれ、日本が沈没することはあっても福岡が地震に見舞われることは無いと思ってました。)阪神大震災で亡くなった5000人以上の方は、誰もが翌朝も、翌々朝も、目覚めると同じ日常が続いていると、信じて疑われなかったのではないでしょうか?
そう考えれば、戦国武者で無くとも、今日、布団に入るときに明日も同じ生活が続いていると考えることは、単なる思いこみに過ぎないのではと思えて成りません。
・・・何だか、保険の勧誘みたいになってきましたね・・・(笑)。

もっとも、そう、イチイチ気にしていたのでは、到底、生きていけないのも、また、現代社会の動かし難い現実です。
私が言いたいのは、別に保険の心配をしろということではなく、「事」先送りしてませんか?ということです。
先送りとは、明日も、明後日も、いつもと変わらない日常が続いていることが前提なのですから・・・。

「この世に生を受けたるは事を成すが為にあり」と言います。
その意味で、藤堂高虎のこの言葉は、平和社会に生きる現代人に、「刹那刹那を疎かにすることなく生きる」ことの意義を問いかけているように思えて成りません。
ということで、一献、誘うなら今ですよ、御同輩・・・。

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越路吹雪とモハメド・アリの同種性に見るガラス玉的「晴耕雨読」。

2005年12月24日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日も寒いですね。
20年ぶり寒い冬だそうです。
でも、私が子供の頃は、12月でも立派に寒かったように記憶しておりますから、まあ、ここ数年が暖かかっただけで、これが本来の姿と言えばそうなんでしょうが、ただ、この寒さの中で、新潟停電とか。
私も新潟に友人がいるので気にはしているのですが、停電しているのであれば、電話もメールも使えないんですよね・・・。
まあ、新潟でありながら、大雪の中を平気でノーマルタイヤで走るようなやつでしたから、意外に逞しく生きているような気がします。

で、新潟の雪繋がり・・・というわけではないのですが、先日、天海祐希主演「越路吹雪の一生」というドラマがあってましたね。
(越路吹雪という芸名は、彼女の宝塚時代、新潟に出張していたお父さんが、新潟からの帰途、雪を見て思いついたとか。つまり、越後路に吹雪く雪・・・って意味ですね。)
それを見ていて思ったことがあります。
プロ野球で、長年、捕手として活躍し、来年、東北楽天ゴールデンイーグルスで史上最年長監督をされる、野村克也氏の言葉ですが、曰く、「長年、捕手として、投手という人種を多く見てきたが、投手というのは、皆、多かれ少なかれ、ガラス玉だ。一流になればなるほど、ガラス玉であり、扱いにも苦慮する。金田(正一)江夏(豊)などは、とびきり一級品のガラス玉だった。」と。
越路吹雪という人も、そうだったみたいですね。

私の記憶にある越路吹雪という人は、歌う為に生まれてきたような人でしたが、その実は、極度のあがり症で、舞台に出るまでは、舞台のソデで、カーテン摑んで、ガタガタ震えていたと言います。
そのくせ、一歩、舞台に足を踏み出すと、堂々たるステージで、聴衆を魅了する・・・。
(ミュージカルの女王、木の実ナナさんにも、そういうところがあると聞いたことがあります。)
さらには、たばこが手放せないし、ステージが近づくと不眠症がひどくなり、友人を集めて、夜中まで麻雀しないと眠れない。

また、あの、ボクシング、ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリもそうだったようですね。
ビッグマウス(大口野郎)と言われるほどに好戦的挑発的な姿勢からは考えられないほど、実際の彼はガラス玉だったようです。
以前、ALI(アリ)という映画を見ましたが、伝説とさえもなっている、「キンシャサの奇跡」で知られる、ザイール(現コンゴ)のキンシャサで、気鋭のチャンピオン、ジョージ・フォアマンを破ったときも、実際の彼は、すでに全盛期を過ぎており、当時、殺人的なパンチ力を誇っていたフォアマンとの試合では、「アリは殺されるんじゃないか?」という声もあったとか。
そんなわけですから、試合前の計量のときも、少なからず、不安だったようですが、それが、一旦、計量会場に入るや、いつもの強気のビッグマウスぶりで、「チャンプは俺だ!」などと叫んで、そこら辺にある楽器などを叩いて、まだ、会場から出て行ってないフォアマンに罵声の限りを浴びせかけ・・・。

この辺は、私には何となくわかります。
別に一級品でないというだけで、私自身、ガラス玉的な要素を色濃く持ってるからです。
でも、ガラス玉というのは、それだけ、光り輝くモノでもあるでしょうが、同時に・・・。
結構、自分でも自分を持てあまし気味のところがありますよ・・・。
しょっちゅう、絶縁しますしね(笑)。
老後は、人里離れたところに庵を結び、晴耕雨読でいきたいと思っております。
あ、電気は通ってないとだめね、PCできないから・・・。ヾ(ーー )ォィ
ついでに、ネオンも欲しい・・・かな・・・。(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ

ちなみに、昔、ある「ヒューザーの小島社長」もどきの社長さんから言われた言葉です。
「蛍光灯がチカチカとしているのが、気にならないようなやつは社長にはなれない。」と。
あまり、好きな人物ではありませんでしたが、まあ、タイプとしては有りかな・・・とも思います。
ちなみに、うちの家内は、絶対に社長にはなれないでしょう・・・(笑)。

あ、ガラス玉ってのは、神経質!っていうのとは、少し、違いますよ。
「気になる」ということと「気が付く」ってことの違いでしょうか・・・。
あるいは、能動態受動態的な違いもあるような・・・。
要は、まあ、感性の問題なんですよね・・・。

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寒波襲来に見る日本人は湿度の民!

2005年12月13日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日は寒いですね。
先ほど、阿蘇地方の友人のブログ、大雪。。。を、秋田の友人にメールしたら、「秋田より凄い!」と絶句してました。
今日は、平地も寒いですけどね(笑)。

随分昔に聞いた話なのですが、日本人の母親アメリカ人の母親とが、戦時下赤ん坊を抱いて、戦闘機から逃げようとする場合、もうダメだ!となったときには、日本人の母親は地面に突っ伏して、我が子をかばい、撃たれて死ぬ。と。
これに対し、アメリカ人の母親は、もうダメだ!となったときには、我が子をあらぬ方向放り投げ、自分がとなって撃たれて死ぬ。と。
子供をかばって地面に伏したとしても、人間の体で機銃掃射阻止できるわけでもないし、逆に放り投げた我が子が運良く、いい人に見つけてもらえる可能性があるとは限らず、野犬喰い殺されるか、奴隷に売られるかもしれないわけで、どちらが正しい選択だとは言えないものでしょうが、まさしく、平和ニッポンにとっては、思考の端に乗せることすらも考えられない究極の選択でしょう。

もとより、どこまで本当の話かもわかりませんし、第一、アメリカ人の母親は敵機に追われた経験などないはずで、あるいはヨーロッパ人の話かとも思います。
が、アメリカ人の女性に「生涯で一番メモリアルな出来事は何ですか?」と聞いたら「結婚」というのに対し、日本人の女性は「出産」と答えるという話も聞いたことがあります。
(その割には、アメリカは離婚率が高いし、日本は出生率が低下する一方ですが・・・(笑)。最近は変わってきたのでしょうか?)
また、入浴中を人に見られた場合、日本人の女性は体を隠すのに対し、アメリカ人の女性は顔を隠すともいいます。
体を隠したところで、隠しきれるモノでもないでしょうし、顔を隠せば誰だかわからないからいいというのも、そういう問題ではないような・・・(笑)。
ついでにいうと、今更言うことではないでしょうが、赤ちゃんを寝せるときは日本は仰向けで、アメリカはうつ伏せとか。
そう言われてみれば、国民性というか、考え方の違いというか、まあ、そういうのはありかな・・・と、そう思えるような話です。
ただ、日本人の母親が子供をかばい共に撃たれる・・・という点は、日本人の国民性という点で、何となく、わかるような気がします。

先日、いつものように床屋で漫画を読んでいたら、その中に、梅雨の場面でしたが、「日本では、何故、携帯電話がこんなにも普及したか、わかるかい?」と言うせりふがありました。
梅雨の場面でしたので、私には何となくピンと来たのですが、答えはやはり、「湿度のせいさ。」と言うものでした。
日本人はウェットな民族なんですね。
(日本人と湿度・・・、湿度と言うよりもウェットと言った方がよりぴったりくるように思えます。)

日本人はなぜ、ウェットになるか?
それは、多湿の気候がそうするのだと、その漫画には書いてありました。
理屈は忘れましたが、まあ、何となく、サウナなどに入ったときを思い出せば、わかるような気がします。
日本のようにジメジメした気候だと、人々はどこかで触れあっていないと落ち着かないのかもしれません。
これが、外国のようなカラッと乾燥した気候だと、人との付き合いも、「やあ!」「そうかい。」「じゃあ!」で済むような、ドライな関係になりがちのように思えますが、日本ではそうはならない・・・。
「おい、誘えよー。」、「君、ちょっと、今夜あたり、一杯どうかね。」、「今、ヒマ?」・・・etc。
ドライなお国柄の人に言うと、「WHY!」なんて、返ってきそうですね(笑)。

何年か前の3月頃だったか、ある卒業が決まった大学生にこの話をしたら、「私も昨日、行かなくてもいいんですけど、大学に行ったら、級友が、たくさん、研究室に来てました。もう、皆、卒業が決まっているんだから、別に来なくてもいいんですけどね・・・。」と言ってました。
この辺が、ウェットな民族なんでしょうね(笑)。

そう言えば、以前、スペインから帰国したときの、ある友人の第一声が、「日本にいるときは、このジメジメが嫌だと思っていたけど、しばらく、カラッとしたところにいたら、やっぱ、このジメジメが恋しい。」でした・・・。
砂漠の民は砂漠に帰る・・・と言います。
良くも悪くも、日本人は湿度の民族なんでしょうか・・・。
ついでに言えば、バングラデシュに赴任している親戚(向こうでは、メイド・運転手付きだそうです。)が言ってました。
「メイドもいらなきゃ、運転手もいらない。わたしゃ、とにかく、四季が欲しい。」と。
四季より、メイドですかな・・・、御同輩!

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