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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

世の中すべてバラ色的副作用との兼ね合い。

2007年01月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

最近、「この通りにすれば、すべてバラ色・・・」みたいに言ってると思う短絡的な人が多いのに、少々、困惑している。
何の問題でもそうなんだろうが、副作用がない薬というのはないわけで、要は、風邪を治すが良いか副作用を我慢するがいいか、すべてはその時点での体調との兼ね合い次第であると思う。
にも関わらず、何か違った切り口から見たようなことを言うと、「ふざけている!」というお叱りを頂戴することが少なくないし、そこまでは言わないまでも、「それをやったら、すべてがバラ色になるとでも言うのか!」というご意見を戴く。
だが、誰も、この通りにすれば、「世の中、すべてバラ色で、すべてが解決される・・・」などとは言ってはいないのである。
当然、既得権益層など不利益を蒙る人たちなどに、何らかの副作用が出ることは考えられることであり、要は、それでも、「変えた方が害が少ない」という兼ね合いの問題だと言いたいのだ。

また、私は、それが当を得ているかどうかは別にして、物事を様々な違った角度から見てみると言うこと、それ自体も大事なことでは無かろうかと思っている。

昔、ソ連(現ロシア)がアフガニスタン軍事侵攻したことがあった。
当然、これに対し、世界中から、轟々たる非難の声が起こり、モスクワオリンピックボイコットにも繋がったわけだが、同時に、誰もが、このときのソ連の真意、この戦争の行方、金相場などの経済の動きなどを注視しいてた。
そんな中、ある地元紙に以下のような評論が載っていたことを覚えている。
「ソ連と言う国は、帝政ロシア以来、不凍港を持ちたいというのが国を挙げての悲願であり、その為、クリミア半島に出ようとして英仏に叩かれ、極東に出ようとして日本に阻まれた。今回、ソ連は、アフガニスタンに侵攻したわけだが、ソ連としては、アフガニスタンを併合し、次はパキスタンイランを手に入れれば、念願の南に日当たりの良い通路が開けるのである。これが、ソ連の目的である」と。

この意見自体は、ソ連のアフガン侵攻が失敗に終わり、さらに、ソ連自体が崩壊し、様々な内部資料が明らかになった今日の視点から見れば、そこに書かれていたことが必ずしも、当を得ていたかどうかは疑問である。
しかし、それをして、「何の参考にも成らない」とすることは、少し違うのでは無かろうか。
私が注目したのは、ソ連にそれが出来るかどうかということではなく、つまり、それが必ずしも当を得たことなのかどうかではなく、ソ連のアフガン侵攻をクリミア戦争から日露戦争を経て続く、一本の線に繋げて見るという見方は、(少なくとも、当時、こういう物の見方をした記事は他には無かったこともあり、)それなりに、斬新な意見だった・・・ということである。

こういう、他とは違った見方をしたことを、すぐに、「ふざけた見方をしている!」と否定するのは簡単である。
だが、一つの事象がそこにあるとき、その見方が当を得ているかどうかは別にして、違う角度から見てみようとする姿勢は必要なのではないだろうか。

私も以前、友人に忘年会のお知らせで送ったメールの末尾に、「今年は、ゴルフでもやりますか?」と書いたところ、皆から、「ゴルフなら行かない」、「ゴルフなら私は欠席だ」、「ゴルフなんて!」と過剰とも思えるような反応が来たことがある。
本題のついでに出ただけの話だったのだが、そこに「ゴルフ」という三文字があっただけで、本題を吹っ飛ばしてしまい、随分と私がゴルフに執着しているかのような話になってしまったのである。
こうなれば、後の収拾が大変で、「いや、そんなことはない」、「でも、おまえが」、「いや、それは」と散々、説得する羽目になってしまった。
ちなみに、そもそも、私はゴルフなどは、1年に一度行くか行かないかの世界で、それも、あくまで、友人同士の場合だけであり、少なくとも、別にゴルフが好きで好きでたまらない・・・ということは無いのだが・・・。

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戦争を知っている世代の反戦論 後編

2007年01月09日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日から、どなた様も事実上仕事初めかと存じます。
私も今から、挨拶回りに出なければなりませんので、少々、焦って書いております。
イマイチ、論旨がまとまっておりません。
あしからず・・・。

で、年末からの続きです。
木下恵介、湯川秀樹、後藤田正晴・・・。
うちの祖母ではないですが、実際に、先の大戦を経験した人たちは、中曽根康弘元総理以外、多かれ少なかれ、反戦というものに貫かれているように思えます。
(私としては、中曽根さんが言っていることの方にも理があるように思えるのですが。)
黒澤 明の映画も然り。
根本には反戦があると・・・。
しかし、ただ反戦を唱えていればいいのか・・・と言われれば、私などは、少し、考えてしまうのです。
こちらに、仕掛ける気がないからといって、向こうにも無いとは限らないからです。
非武装中立などというのは、到底、正気の沙汰とは思えない考え方です。
(実際、東西冷戦時、あるイスラエル人は、「我が国で、非武装中立などと言うことを唱える人が居たら、その人は精神鑑定を受ける必要がある」と言ったという話もあります。)

この辺のことを、これ以上、掘り下げて述べると、また、右からも左からも、面倒くさいことになりそうですので、これ以上は触れませんが、以前、平太郎独白録 「平和憲法の維持はタダではない!」の中で、陸軍の鬼才、石原莞爾が、晩年、インタビューに答え、意外にも、「日本は一旦、平和憲法というものを選択したのだから、たとえ蹂躙されようとも、これを堅持しなければならない。」ということを述べていたことについて触れたことがあります。
この点で、亡き後藤田正晴氏が、意外(?)なまでに、徹底して反戦派だったことを思い出しました。
後藤田さんは、周知の通り、抜群の政治感覚を持った人であり、また、実際に戦争体験がある人でもあります。
その人が、敢えて、「反戦」を口にされるということは、他の人の観念論とは違い、やはり、耳を傾けざるを得ないのではないかと思っています。
ただ、今までは反戦で良かったとしても、この先も、未来永劫、ずっと、それでいいのかというと、やはり、少し疑問に感じてしまいますが・・・。

これまでも、日本アメリカ判断ミス(その場凌ぎ?)で押しつけられた平和憲法というものを、逆に盾にとることができたわけですよね。
ベトナム戦争韓国派兵せざるを得なかったけど、日本は派兵しなくて済んだというのはその最たるものではなかったでしょうか。
ただ、現段階では、まだ、何だかんだ言っても、アメリカに守ってもらっていた方が安くつくとは思いますし、であれば逆に、アメリカ様の言うことには、少々、理不尽でも従わざるを得ないのでは・・・と。
ただ、今の日本は(日本に限らず?)、とかく、右も左も極端な感情論ばかりになっているような観があり、反戦を貫くなら貫くで、石原完爾の言うように、「泥をすすることになっても・・・・」という現実的な覚悟がないのが問題のように思えます。

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カムイの五ツに常識の陥穽といじめ問題の原点を見る・前編

2006年12月26日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

以前、私の友人に、鹿児島の有名な温泉どころ、指宿からきていた人物がいたのですが、彼が、福岡に来て、2つ驚いたことがあったと言ってました。
ひとつは、居酒屋に入って、「お酒下さい」と言ったら、日本酒が出てきたこと。
(鹿児島では、酒と言ったら、普通に焼酎が出てくるんだそうです。)
二つめは、アパートに入って、風呂に入ろうと思い、蛇口をひねったら、いつまで経っても、お湯が出ない・・・。
家主に言いに行ったら、「ガスつけましたか?」と言われ、「ガス?」と言ったとか・・・。
(指宿は温泉どころだから、普通に蛇口をひねれば、お湯がでるのだそうです。)
嘘のような本当の話ですが、まったく、人間の常識とはおそろしいものですね。

で、この「常識」という点で、少し、思うことがあります。
昭和44年(1969年)、私が小学校二年の頃、テレビで、巨匠、白土三平作 カムイ外伝というアニメが放送されていました。
が、アニメとは言え、当時の世相を反映してか、かなり、大人向けの劇画調の物で、子供としては、あまり、面白い物ではありませんでした。
ところが、その当時というのは、昭和43年「ウルトラセブン」が終わってから、昭和46年「宇宙猿人ゴリ」が始まるまで、どういうわけか、子供向けのテレビ番組の不毛時代でして、従って、見る物がないから仕方なしに見ていた次第でした。

で、そのカムイ外伝ですが、この中で、私には忘れられない一話があります。
それが、第五話 「五ツ」です。
(Wikipediaで調べたら、案の定、タブー扱いされているようですね。)

あらすじを簡単に述べてみますと、組織を抜けたことでかつての仲間より命を狙われる身となった忍者、カムイの前に不思議な術を使う忍者が現れます。
彼の名は、「名張りの五ツ」
銃を構えた相手から「両手を挙げろ!」と言われ、そのまま、両手を挙げると、不思議なことに銃を構えたはずの相手が倒れている・・・と。
ラストの方で、その「五ツ」は、極めて、抽象的な表現ではあったものの種を明かすわけですが、それこそが、彼には、生まれながらに手がもう一本あった・・・というものでした。
つまり、「奇形」だったということです。
人間というものは、無意識に、「人は、手は二つ、足も二つ」という常識に縛られて居るもののようで、このとき、リアルタイムで見た時点では、私には、何が何だかさっぱりわかりませんでした。
最近になって、ようやく、そのとき、何が起きていたかを、いや、何が表現されていたかを理解した次第でした。

最後に、その名張の五ツは、こう呟きます。
「俺は、こいつのおかげでこの世界で生きなくてはならなくなり、こいつのおかげで、今日まで、この世界で生きて来ることが出来た。」

何とも、考えさせられる一言です。

で、この名張の五ツの呟きに現代のいじめ問題の本質が垣間見えたような気がしたという私見は明日のココロだ~。

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預言者は己が里にて喜ばれず・・・、言い得て妙の年末。

2006年12月18日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

一昨年の終わりだったか、友人に誘われ、「モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画を見に行ったのですが、この映画は、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの若き日を描いたモノでした。
(そのときのことは、こちらをご参照下さい→平太郎独白録 「夜のアマゾン河を泳いで渡る!」
で、その折、その映画館で、「CHE チェ・ゲバラ 情熱の人生」というゲバラの写真集を購入したのですが、先日、ようやく、それを読み終わりました。
写真集を「読み終わる」というのも、おかしな話ですが、これは写真集と言うよりも、写真がふんだんに使ってある伝記本と言った方が相応しい物で、おまけに、かなり、直訳気味でわかりにくいところがあり・・・というものでした。

この写真集のことは、稿を後に譲るとして、この中に、「預言者は己が里にて喜ばれず」という一節が出てきました。
確かに、預言者(神)聖人・偉人というものは、妙に、素顔を知られすぎているところでは伝説になりにくいでしょうね。
よく、地元の人に聞くと、「なーんが、あいつは、元々、こうじゃった」などというような声を耳にします。
野口英世博士なんかは、その代表例でしょうか。
本人も勝手に聖人君子にしてほしくはなかったでしょうが・・・。
その意味では、世界の盗塁王、福本 豊氏は、国民栄誉賞授与を打診されたとき、「そんなんもろうたら、立ち小便もでけんようになるわ」と言って断ったと言います。
なるほど、確かに、何となく、わかるような気がしますね(笑)。

先日、別ブログでのある記事で、フィールド上の些事争論さんより、TBを頂戴しました。
曰く、「別府市が現在建設している市民球場の名称に、この地の出身である元西鉄の大投手、稲尾和久さんの名前をつけるという計画がある」、
豊田泰光さんが、とにかく日本のプロ野球界は先輩に対する敬意に欠けているという話を盛んにされていた」、
文化というものを語るのであれば、まず歴史伝統尊重するところから始めるべき」というものであり、さらに、
「欧州のサッカースタジアムには、個人名がついたものがたくさんあります。」というものでした。
対して、日本で人名が付いた球場となると、「旭川スタルヒン球場」、「川上哲治記念球場」、それから、「カーター記念球場」(元アメリカ大統領ジミー・カーター氏が訪れたという理由だけだとか。)の三つしかないそうです。

確かに、欧米では球場に限らず、施設や設備などに人の名前を付けると言うことは、よくあることですよね。
シャルル・ド・ゴール空港、首都ワシントン、戦艦ビスマルクなどの他、果てはカトリーナの被害が記憶に新しいように台風にまで人の名前を付けます。
が、日本では、天災はモトより、球場に限らず、あまり、人の名前は付けませんよね。
確かに、先輩に対する敬意という点もながら、やはり、後々、その人物が問題を起こしたり、死後も評価が一変するというようなことがあった場合、特に、責任追及されることを考慮して・・・ということなのかも知れません。

以前、平太郎独白録 「恐怖!ネタ帳が消える!灯油の臭いの下で想う我が子の名。」で、「田中さんという人が、自分の子供に、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの自民党幹事長であった田中角栄氏にあやかり、角栄と名付けたところ、その子が小学校に入った辺りで、ロッキード事件が起こり、一転して、いじめの対象になったということで、改名裁判所に申し立てて認められた・・・というニュースを耳にした事が」あるということについて述べたと思うのですが、とかく、「人の評価は棺を覆って初めて定まる」・・・と言いますが、棺を覆うどころか、死後も人の評価というものは、時代によってによって、様々に代わるものですから、その意味では、なかなか、公共の物には人の名前は付けにくいですよね。
まさに、「預言者は己が里にて喜ばれず」です。

ちなみに、福岡市東区東公園というところには、福岡県議会棟、福岡県庁、福岡県警と三つの施設が並んで建っていますが、これは屋根の形が、それぞれ、甲形、形、そして、吸収型ソーラーシステムになっています。
何故そうなっているかというと・・・、当時の知事の名前が「亀井 光」だったからです(笑)。
(つまり、「亀」型、「井」型、「光」型・・・、続けて、亀井 光だと。)
嘘のような本当の話です。
もっとも、行政側は否定してたみたいですが。
でも、出来すぎてるでしょう(笑)。
たまたま、偶然、こんなのができたなんて・・・。



↑少しわかりにくいのですが、左に亀型、中央に井形、一番右がソーラーシステム(中央は吹き抜けになってますが、そこではなく、一段下がったところとの間が斜面になっており、そこに張り付いている物)です。

もっとも、この知事、この他にも、豪勢すぎる県知事公舎を造ったりしたことから、当時、批判の的になり、直後に選挙落ちましたけどね(笑)。

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市村 清のそのチャイムを鳴らせ!ツキは姿勢にあり。

2006年12月07日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

今日の博多は雨・・・。
昨日は、割と天気が良く、日中、日向だと、コートがいらないくらいだったんですけどね。
こうやって、一雨ごとに寒くなっていくんでしょうねぇ・・・。
まあ、年末ですから。
で、本日は年末に相応しい(?)お題をひとつ・・・。

市村 清という人物をご存じでしょうか?
コピー機で有名なリコー三愛グループ創設者で、その強烈な個性と不屈の闘志でもって、一代にして、大を為した人物ですが、特筆すべきは、阪急小林一三翁と双璧を為すほどの大変なアイデアマン社長であったことでしょう。
一例を挙げるならば、今の結婚式の主流である神前結婚式のシステムを作ったのもこの人だそうですね。
戦後の混乱期、財政難で苦しんでいた神社から相談を持ちかけられた市村翁が考えたのが、「神前結婚式」だったとか。
確かに、言われてみれば、戦前までは、神社で神主の前で結婚を誓うなどというのは、あまり、映画などでも見かけた記憶はないですよね。

私がこの名前を初めて知ったのは、あの田中角栄元首相の評伝を読んでいるときでした。
その中にあった、角栄青年が理化学研究所(通称、理研)を率いた大河内正敏博士の知遇を得て、理研に出入りをし始めた頃、同時期に、同じく、理研に出入りしていた中に、「あのリコー三愛グループの創設者、市村清もいた」という一文が目にとまった次第でした。
で、その後、実弟の筆になる「起業の神様―市村清の実像」という本を読んだのですが、市村翁は、明治33年(1900年)、佐賀県三養基郡北茂安村(現佐賀県みやき市・・・だと思います。わかりやすく言うと、吉野ヶ里遺跡の近く、佐賀市久留米市の中間付近。)に生まれ、苦学して、銀行に職を得たもののえん罪から投獄され、昭和2年(1927年)、27歳の時失意のうちに帰郷。
で、当時、すでに妻帯していたこともあり、家族を養う為、高い歩合給がとれる保険会社に新たな職を求めたそうです。
ただ、保険と言っても、何せ昭和初期のことです。
当然、保険自体を知らない人たちの方が多いわけで、中でも、熊本はその保守的な県民性から、不毛地帯と言われ、誰もが尻込みする地域だったと言います。
その熊本が任地と決まった翁は焦点を敢えて、難攻不落といわれた知識層に絞ったそうで、それは、難攻不落ではあるが、誰か一人と契約を結べば、逆に、口コミで次から次へと広がる・・・とのヨミだったようですが、それだけに悪戦苦闘を強いられることになります。

ちょうど今頃の季節、初冬の寒い中、早朝から夜半まで自転車を踏み、特に、雨風の日は、むしろ勇んで勧誘に走り、「悪天候もいとわず、やって来る外交員」という印象を与えることを狙い、また、同じ人物を間をおいて何度も訪ね、さらに、夜は訪問した人にお礼の手紙を書き、幾度も推敲を重ねたとも言います。
ところが、11月が過ぎ、12月も半ばを過ぎても、一本の契約すら取れない・・・。
これには、さすがの翁も「もう、だめだ」と弱音を吐き、ある晩、妻に「東京へ逃げよう」と呟いたそうです。
このとき、妻が、「いつでも夜逃げはできます。もう少し、せめて、暮れまで頑張りましょうよ」と言ったことで、やむなく、翁は気を取り直して、翌日、これが最後だ・・・として、それまでで一番、望みが持てそうな、ある校長先生の家を訪ねたとか。

ところが、その家の前まで行った翁は、呼び鈴を押すのを躊躇します。
怖かったと・・・。
しばらく、門の前を行ったり来たりした後、遂に意を決して、呼び鈴を押したところ、中からその家の主人の声で、「開いてますからどうぞ」と・・・。
実は、この日、この家の主人は、翁のこれまでの熱意に打たれ、契約をしようと思い、印鑑を持って、翁が来るのを待っていたのだそうです。
さらに、その人物は、自身が契約したばかりか、知人すべてに紹介状を書いてくれたそうで、さすがに、当時の校長先生の信用はやはり、相当な物で、あれほど、獲れなかった契約が嘘のように、燎原の火の如く、次から次へと獲れたとか・・・。

私も、昔は飛び込みの営業などもやったことがありますので、翁のこのときの気持ちは痛いほどよくわかります。
チャイムを押すのを躊躇してしまうんですよね。
露骨に「また来たのかよ!」みたいな顔されると思うと・・・。
まあ、ある程度は、慣れますけど・・・。
でも、やっぱり、人は、いつも、「このチャイムの向こうには、相手が印鑑を持って待っててくれるかも知れない・・・」と思うべきなのでしょう。
少なくとも、もし、このとき、翁が呼び鈴を押すのをやめ、そのまま、その場を去っていたら・・・、前夜、妻と共に東京に夜逃げしていたら・・・、あるいは、後の大経営者市村 清はなかったのかもしれません。

売れない時代の武田鉄矢さんも、同じようなことを言っておられましたね。
どん底の一年が終わろうとしていた年末に、奥さんから、「そんなに悪いことばかり続かないでしょう。気分を切り替えて来年は頑張ろうよ」と言われ、そしたら、年明け直後に、映画出演の話が舞い込み、その後、トントン拍子に今日に至ったのだとか。
矢沢永吉さんも、また、然り。
奥さんから励まされて、意を決して開けてみたドアは、曰く、「天国へのパスポートだった」と・・・。
ある意味、これもら「ツキ」と呼んで良いのかももしれませんね。
「ツキ」を呼び込めるかどうかは内助の功も含めた、自分自身の姿勢にあるのかもしれません。
少なくとも、そのチャイムを鳴らすのを放棄する人に「ツキ」が来ることはないでしょう・・・。

そんなこんなの年末です。
とりあえず、チャイムを押してみましょうや、御同輩。
ひょっとすると、ドアの向こうではお茶を入れて待っててくれているのかもしれませんぜ・・・。

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講演前夜にみるツキというものとの付き合い方 おまけ後編

2006年12月06日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

またまた、昨日からの続きですが、長くなってしまったこのシリーズも、ようやく、今日で完了です。
お疲れ様でした(笑)。

で、本題です。
そのお叱りのコメントを頂いた方からは、同時に、「ツキだけで決まるんなら、これほど楽な話はない」とも言われましたが、これも、「人間なんて、運なんだから・・・」と言って何の対策も立てないというのは、少し違うのではないかということを言いたいわけですね。

一例を挙げれば、アメリカ軍最精鋭部隊として知られる海兵隊には、「戦場で血を流したくない者は汗を流せ!」という言葉があるそうです。
弾が当たるかどうかは、はっきり言って、「ツキ」「確率」の問題だと思いますが、しかし、現実問題として、素早く動く物より、のろのろ動いている物の方が狙撃しやすいわけで、さらに、素早く動ければ、遮蔽物の陰に隠れることも可能になるわけで、それだけ、生き残れる可能性高くなる。
となれば、より、弾が当たらないようにする為には、「ツキ任せ」ではなく、少しでも生き残れる確率が高くなるように、素早く動けるように訓練しておかねばならず、その為には、もっとも、危険な任務につく者ほど猛訓練に励んでおかねばならない・・・ということですが、しかし、「猛訓練をしたからと言って、弾が当たらないとは限らない」ことも、また、厳然たる事実です。
では、「どうせ、弾が当たるかどうかは運なんだから、何かしたところで一緒さ!」・・・で何もしなくていいいのか・・・ということですね。
もっと卑近な例で言うならば、「交通事故に遭うのはだから、シートベルトなんかしなくてもいい」というのと同じではないでしょうか。
現実に、シートベルトをしていれば、助かる確率が大幅に上がるわけですから。

次に、それでも、「やはり、私の場合は本当にツキがないようだ・・・」と言われる場合、まず、ツキというのは、一人の人が生まれながらに有るとか無いとか言うものではなく、多くの場合、有ったり無かったり、来たり来なかったりするものだと思います。
つまり、福岡ソフトバンクホークス的場選手サッカー日本代表川口選手に限らず、ちょっとしたことで、ツキというのは変わります。
従って、「ツキは今、こっちに来ている」とか、「ここを凌げば、ツキはこっちに来る」とか、そういう流れも出てくるわけですね。
「ピンチの後にはチャンス有り」というのも、それだと思います。
そのチャンスを物に出来なければ、再び、ツキは向こうに行きます。
投手戦というのは、言い換えれば、相手のツキの凌ぎあいとも言えるでしょう。
どちらが先に「流れ」に負けるかだと思います。

で、どうすれば、ツキを変えられるかという点ですが、それは、各人各様であり、私にもわかりません。
ただ、参考までに申し上げるなら、ナポレオン戦争当時のプロシアの軍人、クラウゼウィッツと言う人の言葉に、「勝利の女神は女神だから、大人の熟練された愛より、若者の乱暴な愛の方に惹かれる」というものがあります。
戦場では、「無謀」にも見えるような大胆な行動が、ツキを呼び寄せることがあるようですね。
どうにも、自分にはツキがない・・・と思ったら、勝利の女神を張り倒すくらいのことをやる必要があるのかもしれません。

で、最後に、「それでも、今、どう考えても、自分にはツキがないようだ」というときはどうするか?
そういうときは、「ダメージを最低限に抑える」ことを心がけるべきでしょう。
平たく言えば、「動かないこと」ですね。
そして、再び、自分にツキが来るのを待つ・・・と。

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講演前夜にみるツキというものとの付き合い方 おまけ前編

2006年12月05日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

で、先週からの続きです。

「どうせ、俺はツキがない!」・・・と口にされる方がいらっしゃいますが、まず第一に、「それは本当にツキなのか?」ということを指摘したいと思います。
つまり、それは、「偶然」ではなく、「必然」なのではないかということです。
端的に言うならば、イチロー意図的ポテンヒットを打つことが出来るそうですね。
相手投手は、「俺は打ち取ったのに運が悪い」と思っているかも知れませんが、実際には、別にも何でもなく、実力なんですね。
それに気づいてないだけなんです。

ちなみに、「ツキ」という点では、プロは、一般の人とは分けて考えなければならないと思います。
なぜなら、プロは、多かれ少なかれ、何らかの専門の分析機関を持っているからです。
一般の人は、「たまたま、ディフェンダーに当たってゴールになってしまった」と思っていても、「相手は意図的にディフェンダーに当ててコースを変えた」ということも考えられるわけで、(実際に、素人のレベルでそこまで出来る人が居るのかどうかは置くとして、)「専門の分析機関」があれば、それが意図的かどうか断定できないまでも、そういう傾向がある・・・ということには気づきますよね。
一人で、自分から見える範囲内しか見ていなければ気づかない・・・。
果たして、本当に、「たまたま運が悪かった」だけなのでしょうか・・・。



また、「ツキがない」と言われる方は、自分でツキがない方へ、無い方へと押しやっているような観があるように思います。
暗くなる・・・というのもそれでしょう。
ついでに言うと、実は、このシリーズは、書き始めたとき、まだ、自分の中で完全にまとまっていたわけではなかったのですが、初回で数行触れただけで、早速、「ツキさえあればいいのか!」というお叱りを頂戴したことから、やむなく、続けて書いてしまった次第でした。
従って、イマイチ、自分でも言いたいことがよくまとまってない状態だったのですが、それはさておき、大変、失礼ながら、この方も、自身、「ゴール前で急にボールが来たなんてツキのないフォワードでした。」と言っておられましたが、少し、結論を急ぎすぎているのではないでしょうか?
まだ、文末に、「続く」と書いてあるわけですから、この先、話がどうなるかわからないわけですよね。
あるいは、クイズの早押しのときのように、全然、違う答えになるかもしれないわけです。
平たく言えば、全体を見ていないのではないですか・・・ということです。

上述したように、その場面だけを見ていれば、「突然、ボールが出てきて、ついてない」と見えるかも知れませんが、相手は、意図的に対応出来ないようなボールを出すように、し向けたとは考えられませんか?
もちろん、私はその試合を見たわけではありませんから、状況一切は知るよしもありません。
でも、全体を把握し、データを分析し、突き詰めれば、「原因」とまでは言わないまでも、そうなった「遠因」のようなことも、一切、無かった言い切れるのでしょうか?

ちなみに、「ツキで選ぶならくじ引きなんていいかも・・・。」とも言われましたが、ここでひとつ言っておきたいのは、「ツキだけで選ぶ」ということではありません。
「ツキも大事な要素のひとつ」ということです。
そもそも、ツキばかりが強調されてしまって、実力はなくてもツキだけがあればいい・・・ような誤解を与えている嫌いも見受けられるようですが、ツキというのは、もちろん、実力云々が備わった後の話です。
つまり、実力もないのに、ツキだけで送り出され、それで勝利を期待するのは、まったく無責任な話でしょう。
やるだけのことはやり、備えるべき物は備える・・・、そして、その上で「ツキ」という、プラスαのものが生まれてくる・・・ということですね。

ということで、まだ終わりません(笑)。
明日に続きます。

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講演前夜にみるツキというものとの付き合い方 後編

2006年12月01日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

で、続です。
私は、子供の頃から、そういう「感じ」がありました。
直感、第六感、ヤマカンなどと言う物とは少し違うんですよ。
具体的には、平太郎独白録 「ワールドカップ日本代表にみる勝負事にツキはツキモノ!」の中では、「日本とオーストラリアとの勝った方が上へ上がる」と言ったのも、平太郎独白録 「うーん・・・。斎藤中四日・・・。うーん・・・。」の中で、ソフトバンクのプレーオフ敗退を予感したのも、これでした。
予言ではなく、あくまで予感ですね。
ここ、大事なところです(笑)。
なぜなら、流れというのは、途中で変わることがあるからです。
つまり、くれぐれも誤解の無いように申し上げておきますと、私は「絶対に明日の試合はどちらが勝つかわかる!」と言っているのではないということですね。
それがわかれば、私は大金持ちになってますよ(笑)。
まあ、つまり、その程度のものだということです。
ということで、そう、肩を怒らせないでください(笑)。

で、その上で、講演前夜からの、私の、まるで、運に見放されたかのような「ツキの無さ」でしたが、それでも、私は、不思議と、「今日の講演も不評に終わるんじゃないだろうか」という想いは、一切、ありませんでした。
私の「感じ」は、「よし、これで、ツキの無さは出尽くした!」と言ってたからです。
で、二度あったら、「ますます、ツキが大きくなった」と。
三度あったら、「ここまで、ツキの無さが重なったなら、これはもう、上々吉だ!」と。
四度あったら、「ここまでくれば、講演の前までに徹底して悪いツキが出尽くす」ということだと。
・・・「そう、ご先祖様が言ってる」と(笑)。
お目出度い奴だとお笑い下さい。

でも、このお目出度さが大事なんですよ。
で、このお目出度さを信じるには、信じる為の「物」が必要なんだろうと思います。
宗教というのは、本来、その為の一助だと思います。
私自身は、無神論者ですから、家の仏壇も拝みませんし、線香の一本も手向けることはありませんが、違う意味で、日々、ご先祖様は敬っております。
「線香なんぞ、もらって、うれしいのか?うれしいという根拠を見せろ」と(笑)。
「それよりも、俺ほどに、あんたたちのことを敬っている者はいないだろう」と。
「俺を不幸にしたら、あんたたち、バチが当たるよ」と(笑)。
ちなみに、私は、神や仏は信じないくせに、神社仏閣は結構好きでして・・・(笑)。
ただし、行っても、形だけは拝みますが、特にお願い事などはしません。
まあ、日本古来の文化尊重するという意味ですね。

ということで、具体的に言うならば、まず、「自分のツキを信じなければならない」ということがあると思います。
信じきる為には、「実力」というのも、大きな要素のひとつでしょう。
その上で、必要と在れば、自分なりの神仏をもつというのもいいと思います。
誤解の無いように申し上げておきますと、「いかがわしい新興宗教に入れ!」と言うことではなく、あくまで、「自分なりの神仏」です。
この点では、的場選手と同じ、福岡ソフトバンクホークス秋山幸二総合コーチは、「私が生まれる1年前に日射病のため、7歳で世を去ったが、いつも、見守ってくれている」というようなことを言ってましたが、これなども、ひとつのそれなのかもしれません。
(ちなみに、秋山コーチの「幸二」という名前は、「早世した兄の分まで倍、幸せになってほしい」という両親の願いがこもっているそうです。)
ツキがないと思うアスリートは、シーズンオフの間、越前福井永平寺のようなところに修行に行くというのもいいと思いますよ。

ちなみに、この後、おまけ編に続きます(笑)。

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人間とは他者を差別せずに生きてはいけない生き物

2006年11月04日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

連休ですね。
いかがお過ごしでしょうか?
私は、ここ一ヶ月、週末はすべて家を空けており、一切、家族サービスなる物をしておりません(笑)。

で、こちら(↑)は九州国立博物館です。
前回、子供たちを連れて行ったときの物ですが、さすがに、東京、京都、奈良に続いて100年ぶりに誕生した博物館ですよ。
展示品を見なくても、子供たちが博物館に触れ合えるコーナーがあるんですね。

で、唐突ですが、「人間とは他者を差別せずに生きてはいけない生き物である。」・・・、そう思われませんか?
以前、明治時代佐賀が舞台の映画、「次物語」という物を見ていたら、ある老婆が、「世が世なら・・・」と言い出したので、「?」と思ってみていたら、続いて出来た言葉は「我が家は殿様から拝領した家なるぞ!」というものでした。
「は?瓦~?」とちょっと、ガクッと来ましたが、よくよく考えてみれば、これって、川幕藩体制という、もの凄いピラミッドの一角なんですよね・・・。
まあ、江戸時代というのはだのだのと、事細かに身分により仕様を規定されていましたから、瓦の使用を許されるということは、この老婆にとっては、それなりにステイタスなんでしょうが、徳川将軍家を頂点とする身分ピラミッド全体からしたら、「瓦の拝領」なんて、ものすごーく低い次元の自慢話以外の何物でもなく、それゆえに、かなり滑稽な話に思えるのです。

思えば、アメリカ黒人差別を例に挙げるまでもなく、日本でも、古くは魏志倭人伝にも邪馬台国を指して、「きちんと身分制度がある秩序ある国」・・・という記述があるくらいで、人間とは、古今東西、他者を差別すること無しには生きていけないもののようですね。
低い身分の者はそれに反発するかと思いきや、人間とは、より低い身分の者を差別することで、自分の存在意義を確かめたいもののようです。

その意味では、田舎者という言葉も万国共通のようです。
日本はもとより、中国でもアメリカでも聞きましたから・・・。
田舎とは田舎の中でも、より田舎を見つけ出し、バカにすることで優越感を保っているようですね・・・。
一方で、都会から来た人に反発しながらも強いコンプレックスを持つ・・・。

 「みやこおち すめばみやこの みやこどり 」  平太郎

逆もまた真なり・・・。

そう言えば、以前、アルバイトで雇っていた女性が、二言目には「私は前の会社(大手食品メーカー)では・・・。」を連発するのに辟易したことがあります。
その女性は、別にその会社の重役だったわけでも何でもなく、単に独身寮の中では「鬼の先輩」って呼ばれていたらしいという・・・たった、それだけのことだったのですが・・・。
いやはや何とも、人間とは業の深い生き物ですね・・・。

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カッコウの託卵

2006年10月24日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

「かっこうのたくらん」・・・。
学校のたくらみ、鬼の霍乱の間違いなどではなく、アタマが錯乱したわけでもありません(笑)。
「カッコウの託卵」です。
子供の鳥辞典で調べたら、こう書いてありました次第です(笑)。


ご存じかと思いますが、カッコウという鳥の一部には、自分で雛を育てるということをせず、「託卵」という方法で雛を育てるものがいるそうです。
一度、テレビで見たことがあるのですが、他の鳥のに狙いを付けるや、(親鳥が出かけたのを見計らい、)その巣の中に入り込み、その鳥の卵の傍らに自分の卵を産み付けます。
そればかりではなく、何と!孵化したカッコウの雛は、驚くことに、その家の本来の主である、その鳥の子供達を、片っ端からから追い落としてしてしまい、親鳥が運んでくるエサを独り占めにしてしまいます。
やがて、雛は成長し、自分とは、はっきりと似ても似つかぬ形となっても、親鳥はせっせとエサを運び続ける。
自分よりはるかに巨大になり、どこから見てもカッコウそのものになっても、なおもせっせとエサを運び続ける。
そして、完全に成長したカッコウは、「もう結構」とばかり一声鳴くと、もの凄い羽音と共に大空へ飛び去っていく・・・。
後に残された親鳥は、茫然として誰もいなくなった巣の中で独り立ちつくす・・・。

鳥に表情があるはずもないのですが、他の雛が巣から追い落とされるときも、明らかに戸惑ったような哀しい表情に見えたし、最後もこちらに先入観があるからでしょうか、茫然としているような表情に見えました。
少しばかり客観的に見たならば、何とも間抜けな話ですよね。
当然、この番組のゲストからも、「(カッコウの雛が他の雛を追い落としているのを)親鳥はたしなめないのか?」という質問が出てましたが、それに対して識者の答えは、「親鳥は、我が子のすることには何も言わない。無条件で容認するのです。」というものでした。
私自身、世の親ばかというものから、何度か被害を受けたことがあります。
他の友人も、本人でさえも、自分が悪いということを言っているのに、そこの親だけが、「友達が悪い。」とか、客観的に見れば、どうにも理解できないことが、「親」というフィルターを通せば、見えなくなるのでしょう。
最近、うちの家内などを見ていると、親(特に女親・・・。)とは、鳥も人間も大差ないのでは?と思えることが少なくないようにも感じられます。

以前、歌手で俳優の清水健太郎氏が覚醒剤で逮捕されたとき、収監された清水に対し、上京してきた父は、「おまえの保釈申請は取り消したから。完全に治ってから出て来い。」と言ったそうです。
その話を聞いていた女性ゲストは、「これは、やはり、男親だから出来ることですよ。女親だと、もう、理屈抜きに、どんなことをしてでも出してやりたい!と思いますから。」と言ってました。
どんな行為でも、どんな出来の悪い子供でも、我が身に替えても容認してくれるのが、男親と違う、有り難い母の愛なのでしょうが、もし、それが、産婦人科で取り違えられた子だったとしたら・・・。
まるで、横溝正史推理小説の題材になりそうな、あまり気色のいい話ではないでしょうが、実際に、世の中の母親を見ていると、「そんなに親ばかやってるけど、本当に貴女の子・・・?」と思わなくもありません(笑)。・・・失礼!

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無神論者の日本人とイスラム教徒との7通の手紙。

2006年10月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

実は、私には、ネット上で知り合った後輩の日本人女性にイスラム教徒の方がいらっしゃるのですが、先日、「今、断食中だから、も飲めない。」と言われるのを聞いて、私、大変、驚きました。
夏場などは、日射病にならないように、きちんと水分を補給しなさい・・・ということを聞いていたからです。
実際、坂上次さんは、日頃から、あまり、水分取らない人だったから、脳梗塞で倒れたと聞きました。

でも、断食というのは、たまには良いらしいですね。
内蔵を休めるという意味で。
まあ、確かに、人間の体は、本来、四六時中、食い物にありつけるという前提にはなっていないわけですから、それも有りかなとは思います。
ただ、良く聞くと、断食って言っても、昼間だけの、正味、半日だけだそうで、まあ、それなら、納得できたのですが、それでも、上述したような理由から、「水だけは飲んだほうがいいのでは・・・。もともと、砂漠の中で生まれた宗教だから、日本のように、水が普通にある・・・という前提じゃないんでしょうから」と申し上げた所、他のマレーシア人イスラム教徒の方から、「そんなこと言わないでください。そうじゃないですから…」というコメントをいただきました。

私としては、両者の環境の違いを言いたかっただけなので、先週末に、「はあ・・・。メッカって砂漠じゃないんですか??行ったことないけど。 でも、中国ヨーロッパなどに来ると、不思議と普及しない宗教ですよね。スペインでも根付かなかったし。 何か、そういう気候的な物があるのかな・・・と思ってました。 あ、他意はないですよ。どうでもいいことですので。」という返事を返しいていたのですが、その後、月曜なってPCを開いてみると、以下のようなメッセージが来てました。
以下、私と彼のやりとりを開陳させて頂きます。

> メッカって確かに砂漠だねぇ~。僕だって行ったこと無いけど…
>でもさー、イスラムって砂漠の国でしかできない宗教じゃないと思うよ~。っていうか、砂漠とイスラムは関係ないと思う。たまたま、イスラムが発祥した地が砂漠だっただけで、砂漠だからイスラムが発祥したわけじゃない。まあ~、イスラムを知らない日本人には理解できないかもね~。残念だけど。でもさー、日本国外に行ったらさ、どこに行ってもさーイスラム教徒はいるじゃない?中国にも多くのイスラム教徒がいるって知ってた?実際には、ヨーロッパにも、たくさん
のイスラム教徒はいるんだよぉ。そういうイメージはないと思うけどね。
> へえ~、断食ってそういうとらえ方されてるんだぁ~。不思議だね~。なんで断食で教徒を死なせようとする宗教をたくさんの人々が信じてイスラム教徒になるわけ?
> なんで砂漠のある場所で断食している人たちは死なないのに、日本のような環境のいいところで断食して死ぬわけ?
> ねね~知ってる?大昔にイスラム教徒はこの地球の3分の1以上征服したって…それよりさ、ずっとその前にも断食中でも戦いに勝ったって知らないよね?
>
> 結論を言うと、断食というものは私たちを弱くするものではなくて、逆に精神的な面で強くする効果がある。それは歴史的な事実からわかる。
>
> それでも、現在のムスリム達はそんなふうになかなかできないが、断食の本当の意味を理解して、それぞれのベストを尽くしてる。
------------------------------

・・・と。
この段階で、はっきり言って、私は「???」でした。
まず、砂漠が不浄の物だという意識はないですし、断食を野蛮な物だとも言ってないからです。
水だけは飲んだ方が良いのでは?と言っただけで、なんで、「断食で教徒を死なせようとする宗教」になるのか???
それに、中国にもヨーロッパにもイスラム教徒がいるのはもちろん、知ってますが(中国では、東トルキスタン弾圧されてることも知ってます。)、でも、それって、不思議と内陸部が多いし、それに、グローバル化によって、人々が移住しただけの話で、イスラム教徒だけが世界中に広まったわけじゃないわけで・・・。

ただ、本当は、私は、一度、イスラム教徒の人と、本音の所を話をしてみたかったのですが、相手の日本語能力に疑問を持ちましたので、それは諦め、以下のように返信しました。
------------------------------
遅くなりました。

実は、私、以前から、貴方のような人たちと話をしてみたかったので、喜んで、拝見したのですが、正直、がっかりしました。
私は、英語がまったくできません。
従って、日本語で話すしかないのですが、貴方の日本語力は、正直、ちょっと、誤解を与えそうで、怖いのでやめます。

ただ、私は砂漠を悪い物だとはとらえておりません。
砂漠の中で生まれたから、下品な物で、海の中で生まれたから、高級な物だ・・・とはどこにも書いてませんよ。

断食についてもそうです。
・・・って、やはり、これ以上はやめます。
誤解を招くのが怖いので。
誰か、日本語がもう少し、わかる人に見てもらって下さい。

・・・わかりますかね?
------------------------------
・・・と。
以下は、それに対する向こうからの返事です。
------------------------------
> メール拝見しました。
>
> あなたの言っていることは理解できなくもありませんが、正直言って、あなたの日記のコメントは多くのムスリムをいやな気分にさせるものだったと思います。
> 僕の日本語が誤解を招くとおっしゃいましたが、僕にしてみればあなたの日本語も十分誤解を招くと思います。
>
> なぜなら、僕以外にもあの日記のコメントを読んで、嫌な気分になった人たちがいるからです。あなたは知らないと思いますが…ほかにも、あのコメントを読んだムスリムがいます。でも、あの場で討論しても、あまり意味がないと思ったのであえてコメントは控えているのだと思います。
> イスラムを知らない人には、理解できないことがあって当然だと思いますが、あなたが書いたようなことは多くのムスリムに不快感をあたえ、誤解されるものだと僕は判断しました。
>
> 僕は、あなたにイスラムについて語るつもりはありません。
> しかし、ああいうコメントはムスリムに誤解されるということをお伝えしたかったのです。
>
------------------------------
・・・私に言わせれば、誤解も何も、何だか、私がイスラム教徒の国に行っているかのような気がしてきました。
で、返信です。
------------------------------

了解しました。

では、少し語りましょう。
私は、当然ながら、イスラム教の教義であるとか、そういうものはしりませんし、興味もありません。
従って、そういうものを話すつもりもありませんし、言われてもわかりません。

で、まず、これは私も含めて、日本人の多くがそうだと思うのですが、イスラム教というのは仏教キリスト教ほどには、身近な宗教ではないということですね。
従って、「砂漠」・・・云々が、あなた方を不愉快にさせるとは考えたこともありませんでした。
ただ、こういう宗教に関する議論は、他の日本の新興宗教などでもそうですが、とかく、感情論になりがちです。
あなたをみてると、「ああ、こうやって、宗教戦争というのはうまれていくんだな」ということを実感します。

とかく、宗教のことになったら、あなたのような対応になりがちなんですが、もっと、冷静に話せませんか?
相手は、イスラム教のことを何もしらない人間なんですよ。
何も知らない人間に対し、神を侮辱した!とかいうから、戦争になるんです。
まず、何が自分たちにとっては一番大事なことなのか?を説明し、それでも、相手が無視するようなら、その段階で抗議するならわかります。
しかし、何の説明もしないで、いきなり、砂漠と言われたから、不愉快な思いをしたといわれても困ります。
あなた方は、今、他人の国に居るんですよ。

砂漠についても然り。
>断食で教徒を死なせようとする宗教

こんなこと、どこでも言ってません。
呆れて物が言えません。

私は、はっきりいって、イスラムの歴史にも、それなりに詳しいつもりですし、評価もしていました。
また、一般の日本人のように、イスラム教徒=テロリストなんていう、短絡的な考えは持っていませんでしたが、はっきり言って、これで、あなた方イスラム教徒が嫌いになりました。

いいですか。
あなた方は、他人の国に来ているのです。
私が、あなた方の国に行っているわけではありません。
これ以上、貴方と不毛な議論をするつもりはありませんので、もう、メールは送ってこないで下さい。
無意味だとわかりましたから。

最後に、以前から、あなた方、イスラム教徒の人と、一度、ゆっくり話したいことがありました。
今の貴方を見ていると、到底、理解出来ないとは思いますが、もう、お話しすることはないので、ここで言わせてもらいます。

海外で宗教が基で紛争が起きるたび、私は日本人として思うことがあります。
それが、日本のことわざ、「郷に入れば郷に従え」です。
郷というのはという意味です。
つまり、よその村に行ったら、その村の習慣に従えという意味です。
日本人の移民は、アメリカなどへ行くと、アメリカ人になる。
だから、邪魔にならないといわれる。
それに対し、ユダヤ人中国人、韓国人などは、あくまで、自分たちの風習、習慣を押し通そうとする。
それじゃあ、当然、紛争が起きるでしょう。
いいですか。
あなた方は、外国に行ったら、今回のように、「貴様の発言はイスラムを侮辱した!」などと上から言うのではなく、「少しでも理解してもらえませんか?」と下から言わなければならないのです。
宗教云々以前に、習慣風習も違う外国人同士コミュニケーションをとるのに必要最低限のことです。
------------------------------

で、「貴方は私を非常識だと言われるが、では、私は日本人として、それほど、非常識な部類なのか、私のブログで貴方と私の会話をそのまま、掲載して、他の人の意見を問うてみたいと思います。 」と・・・。
繰り返しますが、私はイスラム教のことを侮辱したつもりも、軽蔑したつもりもありません。
それなのに、この会話のズレです。
彼らが、特に、9.11以来、日本社会で様々な偏見にあってきたという背景があったのかもしれません。
それでも、イスラム教のような、あれほど、しっかりした教義伝統をもった宗教でも、結局の所、日本の新興宗教と何ら変わりないんだな・・・ということを実感したというのが、私の結論でした。

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安倍新総裁誕生にみる「木を見ずして森を見る」的見方。

2006年09月21日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

正式に安倍総裁が決まりましたね。
ちょっと、きついかもしれませんが、頑張って欲しい物です。
ちなみに、私なら、麻生幹事長、谷垣経産、平沢官房、福田外務、中川財務・・・としますが、果たして、如何でしょうか(笑)。
で、目玉は、平沢(勝栄)さんのような、ちょっときつめの官房長官に「あんたが総理になったつもりでやってくれ。私は御輿に徹する。」と。
「御輿に徹する」というのは、簡単なようで、その実、侮れない立派な戦略だと思いますよ。
(参考記事:平太郎独白録 「好漢惜しむらくは兵法を識らず」
もっとも、平沢さんの登用には、天敵・公明党難色を示すでしょうし、それ以前に、無理して、サプライズ作らなくてもいいと思うんですけどね・・・。

で、先日、私はここにいました。

何をしていたかというと、塩爺こと、塩川正十郎氏の講演を聴きに行ってました。
で、このとき、塩爺さんが言ってたのは、「今の小選挙区以前の中選挙区で出てきた人は考え方がまるで違う。中選挙区の時代だから出てきた人は、業界や団体などを重視していればそれでよかったけど、小選挙区になれば、それでは全然足りないので、業界団体などよりも、こうなると総裁の人気度頼りになる。」と・・・。
なるほど・・・と。
それで、大してキャリアもない「アベさん」なんですね。
もう少し、真剣に選べよ・・・という気もしないでもありませんが・・・。

ところで、そのアベさんに対して、今朝のテレビなどは、早速、「親の七光り」だとか、「ボンボンだから・・・」などというネガティブな話を垂れ流しておりましたが、この点については、少し、思う所があります。
それが、「木を見ずして森を見る」です。
つまり、その人個人を見るのではなく、その人の背景を見ている・・・ということですね。
アベさんが、親も祖父も有力者だった・・・などということは、アベさん個人の資質とは何ら関係ないことなのではないでしょうか?
この点は、かつて、細川護煕氏のときも同じでしたね。
殿様だから」、「近衛の孫だから」・・・って細川さん自身の資質の問題とは関係ないでしょう?

この話は、私自身も体験として持っております。
かつて、私がまだ、20代前半の新卒当時、ある職場で、取引先や下請けなどと世間話をしていると、若い者だけなら、まず、、車の話女の話か、罪がない話で盛り上がるんですが、これにおじさんが一人入ってくると、すぐに、「おまえ、いくら給料もらってる?オレなんか、たったこれだけだぜ。それなのに、あいつは、いくらもらっている。・・・もらっているに決まっている。」などという待遇上の不満の話になる。
まあ、女房子供抱えて、生活に追われ出すと仕方ないんでしょうが、はっきり言って、内心、「しらねえよ!」と・・・。
で、つまるところ、これの延長線上に、「木を見ずして森を見る」があると・・・。

ある地場産業大手の社長さんが、以前、「是非、某会の理事長に・・・」と口説かれたそうですが、その方とは当時、たまたま、割と親しくしていたこともあり、その話を聞いた私は、その方に、「誰もアナタ個人には期待していない。皆が期待しているのは、アナタの会社であり、アナタの家だ。」と言ったことがあります。
つまり、「『OOさんのこういう能力を理事長として活かしてもらいたい』という言い方は誰もしないでしょ。」と・・・。
結局、その方は、理事長にはなりませんでしたね(笑)。

で、「親が総理大臣だったから」、「あいつは、名門の出だから」とか、その人の背景ばかり見ずに、もっと、その人個人を見ろよ・・・と言いたいです。

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理論上有り得ることは現実に起こりうること。

2006年07月11日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

これは、私の中の昭和三十年代です。
わかる人にはわかるでしょうか・・・。
福岡市の中心、中央区天神の町の真ん中にあるスポットです。
思わず、違う時代に迷い込んだかのような錯覚に陥ります(笑)。
ここのモツ鍋屋も、昔はよく行きましたよ・・・。
しかし、ホント、もう、こういうところは少なくなりましたね・・・。

ところで、先般、NHKで、中国明代の航海者、鄭和を特集したドキュメンタリーがあってましたよね。
私も鄭和という人は「海のシルクロード」を開いた人・・・ということで、名前だけは知ってましたが、それ以上は、あまり、深く知りませんでした。
何でも、コロンブスより早く、アメリカ大陸に到達していた可能性があるとか・・・。
少し、眉唾のような気もしますが・・・(笑)。

で、この人、これほどの大航海をする人にしては意外だったのですが、宦官だったそうですね。 
少年期、の兵隊につかまって、男性器を切り落とされたのだとか・・・。
明では、こうやって、去勢した少年を将軍への贈り物にする習慣があったと言いますが、これって、まさにペットの感覚ですよね。
お得意さんが、犬が好き・・・と言うので、犬を差し上げて、「あ、もう、この犬、オスですけど、切っちゃってますから、サカリとか気にしなくていいですよ。」という発想に近いような。
でも、犬よりは、言葉もわかるわけですし、こういうのを奴隷にしたら、便利でしょう。
これが、古来より、洋の東西を問わず、奴隷文化というものが、存在し続けてきた所以なのでしょうが、思えば、これって、他の動物では有り得ない、人間だけの世界のものですよね。
強いオスがたくさんのメスを従えて、ハーレムを作るとか、同種が同種を食う・・・ということはあっても、こういう自分の使役に使う為に他者を拘束するなんてことを実行したのは、人間だけでしょう。

さらに、人間は奴隷の市場ができるほどに、この制度を効率的に整えていったわけですが、何も、こういった恐ろしいことはアメリカ黒人解放で歴史の中のことになったわけではありません。
現代でも、少年奴隷も居ますし、形を変えて、子供の兵士化児童売春などの理不尽なことは多々、起きているわけです。
ある友人から聞いた話ですが、中国のある島に行ったとき、飛行機から降りたら、たくさんの女性が群がってきて、何か言っている・・・。
「???」と思っていたら、「私を買ってくれ!」「いや、私よ!」ということだったとか。
それしか、産業がないんだそうですね。

以前、私は、ある女性と話しをしたことがあるのですが、その女性の発想はすべて、「そんな理不尽なことが起きるあはずがない。」、「そんなことではいけない!」・・・ばかり。
それで、上記のような、あまり、品は良くないけど、現実にある話をしたのですが、それでも、一瞬詰まったものの、やはり、「そんなことはおかしい。」、「こんなことではいけない。」と・・・。
おかしいとか言っても、現実に起きている話なんですが、それが、その人にはまるでわからない・・・。
思わず、以前、平太郎独白録 「周恩来・キッシンジャーの会談録にみる日本の部族的な視野」の中で触れた、かつて、当時のキッシンジャー補佐官と周恩来首相との会談の中で、「日本人は部族的な視野しかない。」、「ものの見方が狭くとても変わっている」という会話が為されたという話に触れましたが、この人たちの言っていることを聞いていると、思わずそれを思い出しました。
人間とは、自分たちが恵まれた環境にいると、それ以外の現実を見ようとはしない物のようですね。

「理論上有り得ることは現実に起こりうること」でもあるのです。
昨今、日本で起きている犯罪なんて、すべて、そうじゃないですか。
「オレオレ詐欺」、「ATMを重機で丸ごと盗難」、「工事の人のフリして壁やシャッターを破壊して窃盗」・・・なんて、これまで、日本人は誰も可能性として、まったく有り得ないことだとは思ってこなかったでしょう。
「理論上はあり得るよな。でも・・・。」と。
今、それが現実に起きている。
現代でも、子供の男性器を切り落として、奴隷にして、贈り物にする・・・などと言うことが、ないとは言い切れないんですよ、御同輩・・・。

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春眠暁を覚えずに思う邯鄲の夢的妄想にみる指が痛い!

2006年04月28日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨日の午後、机の上に積み上げてあった本をどかそうと、本の下に手を突っ込んだところ、突然、左手薬指激痛が・・・。
何と、本の下には、カミソリ・・・。
カッターナイフと違い、刃先を収納出来ないカミソリは、ペン立てなどに立てておくと危ないからと思い、机の上の、よく見えるところに置いておいたのですが、それが仇に・・・。
その上に、迂闊にも本を重ねてしまったんですね。
傷口は、かなり、ひどい・・・。
スパッと切れて、パッカリと開いています。
出血も半端じゃありませんでした・・・。

まあ、商売柄(?)、こういう怪我には馴れてはいるんで、いつものように絶縁テープで止血して、今朝ほど、近所の外科に行ってきました。
(馴れている私にとっても、史上一位二位を争うほどの怪我でした。)
案の定、「縫合」されました。
今頃、麻酔が切れて痛いです。
ていうか、ついでに、ここ3年くらい、トゲが刺さったままだった左手中指も手術で取り除いてもらいましたから、左手が指二本包帯だらけで、キーボードが打てません・・・。

ということで、春ですね。
春と言えば、春眠暁を覚えず・・・でしょうか。
ということで、今日は夢について述べてみたいと思います。

まず、「邯鄲の夢」というのをご存じでしょうか?
まあ、私なんぞが改めて言うことではないのでしょうが、確か、
「中国は唐の時代、ある不遇を託っていた青年が、邯鄲という街の宿で、たまたま、一緒になった道士からを借りて眠ったところ、みるみる枕が大きくなって、枕の横の部分にあった穴の中に入って行くと、家があり、そこの娘を嫁にもらった縁で、官途につき、その後、栄達したかと思えば左遷されたり、復活したかと思えば失脚したりした挙げ句に、最後は高官として、一生を終える・・・というを見た。だが、目覚めてみると、炊きかけの大粟もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった。」という話だったと記憶しております。

まあ、人生栄枯盛衰はかないことのたとえであり、かつ、我が身の不遇ばかりを嘆くでないよ・・・という戒め的な話なのでしょうが、何故こんなことを言うかというと、実は、私もこれと似たような不思議な経験をしたことがあるからです。
お恥ずかしい話ですが、まだ建設現場に出ていた20代半ばの頃、陰気な、辛いだけの職場だったこともあり、時間が早く過ぎることだけを願っていた私は、作業中、よく、空想にふけってました。
そのときも、いつものように、作業場で材木を削っているときでした。
と言っても、電気カンナに材木を突っ込むだけですから、単純な作業の繰り返しです。
私は、いつものように、空想にふけりました。

ある日突然、当時の日本の最大の仮想敵国であったソ連が、一斉に、日本に侵攻してきて、大混乱になります。
私は、その侵略に対し、レジスタンスに身を投じ、戦乱の中で、次第にレジスタンス軍の中で重要な地位につき、そして、ソ連を撤退させたことにより、最後は、この国の独裁者にまで登り詰めます。
(細かい経緯は忘れました。)
独裁者となった私は、まず、理想の国家作りを実現すべく、改革へ着手。
改革に抵抗しようとする、抵抗勢力皆殺しにしました。
次に、その連中の近親者クーデターの計画があることが発覚し、先手を打って、この連中もすべて粛正しました。
すると、今度は、それにつながる友人、支援者たちが恨んでいるという情報を得たので、これも、すべて殺しました。
その後も、それらを繰り返していくうちに、ついには、自分の側近家族も信じられないようになりました。
まさしく、スターリンそのものじゃないですか!
私は半ばパニックになり、「どうしてこんなことになったのか!こんなはずではなかったのにぃ・・・!」と叫びそうになって、ふと我に返りました。
そのとき材木は、まだ10本程度しか削れてなかったと言う・・・。
これは、ただの、私の、取るに足らない妄想だろうか・・・、それとも、何かが私に与えた啓示だったのだろうか・・・ということは、私にはわかりませんが、ひとつだけ、はっきりと言えることがあります。

「自分に死ぬ勇気がない奴は、絶対に、人を殺してはいけない。」

おそらく、スターリンも同じ状態だったのでしょう・・・。

嗚呼、マジで指が痛い!!!
今日ばかりは、意味不明をお許し下さい・・・(泣)。

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我が愛しの名作、「どろろ」にみる理想と現実の真理!

2006年04月25日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

戦国の梟雄、北条早雲が泥棒を捕らえたとき、泥棒が早雲に向かい、「俺のことを泥棒だと言うが、お前の方が大泥棒ではないか!俺は、物を盗っただけだが、おまえさんは、国を獲った!」と言い、早雲も、「確かに。」と納得して、泥棒を放してやったという逸話があります。



で、泥棒と言えば、私が子供の頃、大好きだったテレビ・マンガ-「どろろ」-というのがあります。
手治虫氏の作品で、水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」を意識した作品だと言われてますが、当時、私は小学校低学年だったと思いますが、毎週、欠かさず見てましたね。
何でも、今度、実写版で映画化されるとのことですが、「御願いだから、やめてくれ!」って感じですよ・・・。



時代は、戦国時代初頭、まさしく、早雲と同時代辺りかと思われますが、「父の野望犠牲となり、妖怪に体の48箇所を奪われた」百鬼丸という若者が、「どろろ」という元気な子供の泥棒と共に、自分の体を取り戻すべく、妖怪退治の旅を続けるというマンガでした。
百鬼丸という若者は、体のあらゆるパーツ感触までを妖怪に持って行かれたが為に、手も足も目も耳も、あらゆる部分が作り物であり、それを筋肉ではなく、念力テレパシーで操っているという設定でしたが、それだけに、作り物の両腕にはが仕込んであり、同じくには硫酸は爆弾と言った具合に、体中、武器だらけで(私も、使った後、そんな物、どこで補充しているのかな?とは思ってました(笑)。)、子供心に「カッコイイ!」と思い、私も、交通事故にあったら、両手に刀を入れてもらおうと思ってました(笑)。

で、DVDが発売されるや、これだけは!と思い、早速、買いましたね。
ボックスで。
高かったけど、これだけは、買わねばならぬ・・・と(笑)。

で、あらためて見てみてみて、さすがは「神様、手治虫作品」と・・・。
単なる子供向けのアニメに留まらず、風俗から建築様式まで時代考証は正確であり、建物の木目の一つ一つまでの丁寧さ、絶品でしたね。
オープニングでのテーマソング場面でも、民衆の蜂起とそれを鎮圧する将兵というものが描かれてましたが、そこに出てくる部隊を指揮する馬上の武士は、私には帝国陸軍将校に見えましたね。
おそらく、手さんの意識の中でもそうだったのではないでしょうか・・・。

で、当然、子供心にも、強く印象に残るシーンは幾つもあったのですが、それは置くとして、今回、そのDVDを見ていて、少し、思うところがあったのが、「どろろ」が町を闊歩していて、行き倒れ僧侶に呼び止められるシーンでした。
「小僧さ~ん、小僧さ~ん・・・。」
「何でぇ、誰かと思えば坊主じゃねえか!」
「御願いですじゃ・・・。何か、何か食べ物をくださらんか・・・。」
「ばっきゃろう!食い物欲しけりゃ、てめえで盗んでこい!
「何と言うことを・・・。世も末じゃ・・・。」
「何言ってやがる!侍が人の命を盗んでいる世の中じゃねえか!食い物盗んで何が悪い!違うか、クソ坊主!」

これに対し、僧侶は、何か、説教めいたことを言うかと思っていたら、力なく、一言、「道理じゃぁ・・・。」と・・・。
確かに、私にも、どろろの言っていることは、一理あるように思いました。
この状態では、いかな名僧高僧でも、何を言っても、説得力ないですよね。

この辺の現実と理想の折り合いというのは、私は、以前、平太郎独白録 「孤立!微熱!歩く摩擦熱!!手前勝手な私の二つの持論。」の中で述べた通りなのですが、確かに、この僧侶のように、理想に殉じるのも、また、ひとつの生き方でしょう。
戦後、そう言って、闇米を食わずに餓死した検察官がいましたよね・・・。)
でも、宗教家でない、経営者や武将と言われる人たちは、高い理想を持たねばならないが、かといって、それに囚われてはならない・・・。
会社は潰してはいけないし、国は滅ぼしてもいけない・・・。
理想という物は、現実の海を航海する者にとっては、見失ってはいけない北極星のような物だと思います。
しかし、理想は、絶えず、現実の前に敗れ去る宿命にある。
従って、我々、俗人は、理想は高く掲げつつ、絶えず、上手に妥協していくことを忘れてはいけないと思います。

どろろは、生きる為には、必要であれば、食い物は盗まなければならないし、北条早雲は自分の理想を実践する為には、人の国を盗らなければならない・・・。
違いますか?御同輩・・・。

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