親愛なるアッティクスへ
最近、「この通りにすれば、すべてバラ色・・・」みたいに言ってると思う短絡的な人が多いのに、少々、困惑している。
何の問題でもそうなんだろうが、副作用がない薬というのはないわけで、要は、風邪を治すが良いか副作用を我慢するがいいか、すべてはその時点での体調との兼ね合い次第であると思う。
にも関わらず、何か違った切り口から見たようなことを言うと、「ふざけている!」というお叱りを頂戴することが少なくないし、そこまでは言わないまでも、「それをやったら、すべてがバラ色になるとでも言うのか!」というご意見を戴く。
だが、誰も、この通りにすれば、「世の中、すべてバラ色で、すべてが解決される・・・」などとは言ってはいないのである。
当然、既得権益層など不利益を蒙る人たちなどに、何らかの副作用が出ることは考えられることであり、要は、それでも、「変えた方が害が少ない」という兼ね合いの問題だと言いたいのだ。
また、私は、それが当を得ているかどうかは別にして、物事を様々な違った角度から見てみると言うこと、それ自体も大事なことでは無かろうかと思っている。
昔、ソ連(現ロシア)がアフガニスタンに軍事侵攻したことがあった。
当然、これに対し、世界中から、轟々たる非難の声が起こり、モスクワオリンピックのボイコットにも繋がったわけだが、同時に、誰もが、このときのソ連の真意、この戦争の行方、金相場などの経済の動きなどを注視しいてた。
そんな中、ある地元紙に以下のような評論が載っていたことを覚えている。
「ソ連と言う国は、帝政ロシア以来、不凍港を持ちたいというのが国を挙げての悲願であり、その為、クリミア半島に出ようとして英仏に叩かれ、極東に出ようとして日本に阻まれた。今回、ソ連は、アフガニスタンに侵攻したわけだが、ソ連としては、アフガニスタンを併合し、次はパキスタンかイランを手に入れれば、念願の南に日当たりの良い通路が開けるのである。これが、ソ連の目的である」と。
この意見自体は、ソ連のアフガン侵攻が失敗に終わり、さらに、ソ連自体が崩壊し、様々な内部資料が明らかになった今日の視点から見れば、そこに書かれていたことが必ずしも、当を得ていたかどうかは疑問である。
しかし、それをして、「何の参考にも成らない」とすることは、少し違うのでは無かろうか。
私が注目したのは、ソ連にそれが出来るかどうかということではなく、つまり、それが必ずしも当を得たことなのかどうかではなく、ソ連のアフガン侵攻をクリミア戦争から日露戦争を経て続く、一本の線に繋げて見るという見方は、(少なくとも、当時、こういう物の見方をした記事は他には無かったこともあり、)それなりに、斬新な意見だった・・・ということである。
こういう、他とは違った見方をしたことを、すぐに、「ふざけた見方をしている!」と否定するのは簡単である。
だが、一つの事象がそこにあるとき、その見方が当を得ているかどうかは別にして、違う角度から見てみようとする姿勢は必要なのではないだろうか。
私も以前、友人に忘年会のお知らせで送ったメールの末尾に、「今年は、ゴルフでもやりますか?」と書いたところ、皆から、「ゴルフなら行かない」、「ゴルフなら私は欠席だ」、「ゴルフなんて!」と過剰とも思えるような反応が来たことがある。
本題のついでに出ただけの話だったのだが、そこに「ゴルフ」という三文字があっただけで、本題を吹っ飛ばしてしまい、随分と私がゴルフに執着しているかのような話になってしまったのである。
こうなれば、後の収拾が大変で、「いや、そんなことはない」、「でも、おまえが」、「いや、それは」と散々、説得する羽目になってしまった。
ちなみに、そもそも、私はゴルフなどは、1年に一度行くか行かないかの世界で、それも、あくまで、友人同士の場合だけであり、少なくとも、別にゴルフが好きで好きでたまらない・・・ということは無いのだが・・・。
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最近、「この通りにすれば、すべてバラ色・・・」みたいに言ってると思う短絡的な人が多いのに、少々、困惑している。
何の問題でもそうなんだろうが、副作用がない薬というのはないわけで、要は、風邪を治すが良いか副作用を我慢するがいいか、すべてはその時点での体調との兼ね合い次第であると思う。
にも関わらず、何か違った切り口から見たようなことを言うと、「ふざけている!」というお叱りを頂戴することが少なくないし、そこまでは言わないまでも、「それをやったら、すべてがバラ色になるとでも言うのか!」というご意見を戴く。
だが、誰も、この通りにすれば、「世の中、すべてバラ色で、すべてが解決される・・・」などとは言ってはいないのである。
当然、既得権益層など不利益を蒙る人たちなどに、何らかの副作用が出ることは考えられることであり、要は、それでも、「変えた方が害が少ない」という兼ね合いの問題だと言いたいのだ。
また、私は、それが当を得ているかどうかは別にして、物事を様々な違った角度から見てみると言うこと、それ自体も大事なことでは無かろうかと思っている。
昔、ソ連(現ロシア)がアフガニスタンに軍事侵攻したことがあった。
当然、これに対し、世界中から、轟々たる非難の声が起こり、モスクワオリンピックのボイコットにも繋がったわけだが、同時に、誰もが、このときのソ連の真意、この戦争の行方、金相場などの経済の動きなどを注視しいてた。
そんな中、ある地元紙に以下のような評論が載っていたことを覚えている。
「ソ連と言う国は、帝政ロシア以来、不凍港を持ちたいというのが国を挙げての悲願であり、その為、クリミア半島に出ようとして英仏に叩かれ、極東に出ようとして日本に阻まれた。今回、ソ連は、アフガニスタンに侵攻したわけだが、ソ連としては、アフガニスタンを併合し、次はパキスタンかイランを手に入れれば、念願の南に日当たりの良い通路が開けるのである。これが、ソ連の目的である」と。
この意見自体は、ソ連のアフガン侵攻が失敗に終わり、さらに、ソ連自体が崩壊し、様々な内部資料が明らかになった今日の視点から見れば、そこに書かれていたことが必ずしも、当を得ていたかどうかは疑問である。
しかし、それをして、「何の参考にも成らない」とすることは、少し違うのでは無かろうか。
私が注目したのは、ソ連にそれが出来るかどうかということではなく、つまり、それが必ずしも当を得たことなのかどうかではなく、ソ連のアフガン侵攻をクリミア戦争から日露戦争を経て続く、一本の線に繋げて見るという見方は、(少なくとも、当時、こういう物の見方をした記事は他には無かったこともあり、)それなりに、斬新な意見だった・・・ということである。
こういう、他とは違った見方をしたことを、すぐに、「ふざけた見方をしている!」と否定するのは簡単である。
だが、一つの事象がそこにあるとき、その見方が当を得ているかどうかは別にして、違う角度から見てみようとする姿勢は必要なのではないだろうか。
私も以前、友人に忘年会のお知らせで送ったメールの末尾に、「今年は、ゴルフでもやりますか?」と書いたところ、皆から、「ゴルフなら行かない」、「ゴルフなら私は欠席だ」、「ゴルフなんて!」と過剰とも思えるような反応が来たことがある。
本題のついでに出ただけの話だったのだが、そこに「ゴルフ」という三文字があっただけで、本題を吹っ飛ばしてしまい、随分と私がゴルフに執着しているかのような話になってしまったのである。
こうなれば、後の収拾が大変で、「いや、そんなことはない」、「でも、おまえが」、「いや、それは」と散々、説得する羽目になってしまった。
ちなみに、そもそも、私はゴルフなどは、1年に一度行くか行かないかの世界で、それも、あくまで、友人同士の場合だけであり、少なくとも、別にゴルフが好きで好きでたまらない・・・ということは無いのだが・・・。
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