親愛なるアッティクスへ
去年だったか、友人と見た「モーターサイクリング・ダイアリーズ」という映画で、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラは、若き日、南米を縦断する旅に出るわけですが、これを可能にしているのは、何より南米大陸は、すべて言葉が通じるということだと思いました。
(また、北米は英語だけで基本的に言葉が通じるわけですが、これは新大陸だけの特殊な事情だとは思いますが・・・。)
この点、アジアでは、面積人口共に最大のエリアである中国国内だけでも方言と言えないほどに言葉が違ってしまい、ましてや、近隣諸国となると、まったく通じないし、文字すらも違うところもあるわけで、ゲバラの言う「南米はひとつ」というのは、南米では、あながち、夢物語ではないようにも思えますが、(あれだけ、まとまらなかったヨーロッパがまとまるのですから。)残念ながら、上述のようなことを考えれば、アジアでは不可能なことだろうと思っておりましたところ、先般、実に面白い話を耳にしました。
宮本常一って人をご存知でしょうか?
民俗学者としては、伝説的な存在なのだそうですが、生憎、私は存じ上げませんでした。
昭和30年代の庶民を民俗学者の目から、多くの写真と共に記録に残したことで知られる人物だそうです。
その人の著作の中に、ちょっと面白い話を見つけました。
昨日述べました対馬の話も、また違う目でご覧頂けるのではないかと思い、以下にご紹介させて頂きます。
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「大阪近傍の、おそらく佐野かどこかであったろう、さる漁師が、急に玄界灘なるものを見たくなって、人を語らってそこへ出かけた。
何日かの舟旅で音に聞く玄界灘の荒海に出て、連れは満足して引き返したが、彼はさらにその先が見たくなり、凪を待って海を渡った。
玄界灘の真ん中にあるという赤い線(国境線)は、ずいぶん気をつけていたが見あたらなかった。
こうして海を渡ったあとも、次々とその先が見たくなって、釣った魚を売りながら先へ進み、気がつくと海のような泥水の川に入って、どうもシナまで来たらしいので、それからは引き返したという。
その後、(宮本さんが)この話を淡路島のどこかで話したところ、わしも似たようなことをやったという老漁師があらわれた。
同じように玄界灘を渡ったのだが、それ以上には行かなかった。
そこでは魚がよくとれて女どもも寄ってくるので、三、四人女房を持って魚を売らせ、左うちわで暮らしたという。
ところがそのうちにひょいと気がついて、故郷(くに)にも女房がいた、あれはどうしているだろうかとまた淡路へ帰ってみると、もとの女房はもう何十年も昔に再婚して何人もの子供を持っている。
そんならそれでよしと、また朝鮮へもどるのも億劫だから、こうしてまた一人で暮らしているとのことであった。」
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国境線って、地図にはあっても海にはない・・・。
赤道と同じような話(笑)ですが、この話は、即ち、国境線とは国家の事情であり、その気になれば、個人にはないということを示してくれているようです。
少し、希望が湧いてきました。
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去年だったか、友人と見た「モーターサイクリング・ダイアリーズ」という映画で、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラは、若き日、南米を縦断する旅に出るわけですが、これを可能にしているのは、何より南米大陸は、すべて言葉が通じるということだと思いました。
(また、北米は英語だけで基本的に言葉が通じるわけですが、これは新大陸だけの特殊な事情だとは思いますが・・・。)
この点、アジアでは、面積人口共に最大のエリアである中国国内だけでも方言と言えないほどに言葉が違ってしまい、ましてや、近隣諸国となると、まったく通じないし、文字すらも違うところもあるわけで、ゲバラの言う「南米はひとつ」というのは、南米では、あながち、夢物語ではないようにも思えますが、(あれだけ、まとまらなかったヨーロッパがまとまるのですから。)残念ながら、上述のようなことを考えれば、アジアでは不可能なことだろうと思っておりましたところ、先般、実に面白い話を耳にしました。
宮本常一って人をご存知でしょうか?
民俗学者としては、伝説的な存在なのだそうですが、生憎、私は存じ上げませんでした。
昭和30年代の庶民を民俗学者の目から、多くの写真と共に記録に残したことで知られる人物だそうです。
その人の著作の中に、ちょっと面白い話を見つけました。
昨日述べました対馬の話も、また違う目でご覧頂けるのではないかと思い、以下にご紹介させて頂きます。
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「大阪近傍の、おそらく佐野かどこかであったろう、さる漁師が、急に玄界灘なるものを見たくなって、人を語らってそこへ出かけた。
何日かの舟旅で音に聞く玄界灘の荒海に出て、連れは満足して引き返したが、彼はさらにその先が見たくなり、凪を待って海を渡った。
玄界灘の真ん中にあるという赤い線(国境線)は、ずいぶん気をつけていたが見あたらなかった。
こうして海を渡ったあとも、次々とその先が見たくなって、釣った魚を売りながら先へ進み、気がつくと海のような泥水の川に入って、どうもシナまで来たらしいので、それからは引き返したという。
その後、(宮本さんが)この話を淡路島のどこかで話したところ、わしも似たようなことをやったという老漁師があらわれた。
同じように玄界灘を渡ったのだが、それ以上には行かなかった。
そこでは魚がよくとれて女どもも寄ってくるので、三、四人女房を持って魚を売らせ、左うちわで暮らしたという。
ところがそのうちにひょいと気がついて、故郷(くに)にも女房がいた、あれはどうしているだろうかとまた淡路へ帰ってみると、もとの女房はもう何十年も昔に再婚して何人もの子供を持っている。
そんならそれでよしと、また朝鮮へもどるのも億劫だから、こうしてまた一人で暮らしているとのことであった。」
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国境線って、地図にはあっても海にはない・・・。
赤道と同じような話(笑)ですが、この話は、即ち、国境線とは国家の事情であり、その気になれば、個人にはないということを示してくれているようです。
少し、希望が湧いてきました。
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