goo blog サービス終了のお知らせ 

平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

地図にはあっても海にはない国境線!

2007年08月18日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

去年だったか、友人と見た「モーターサイクリング・ダイアリーズ」という映画で、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラは、若き日、南米を縦断する旅に出るわけですが、これを可能にしているのは、何より南米大陸は、すべて言葉が通じるということだと思いました。
(また、北米は英語だけで基本的に言葉が通じるわけですが、これは新大陸だけの特殊な事情だとは思いますが・・・。)
この点、アジアでは、面積人口共に最大のエリアである中国国内だけでも方言と言えないほどに言葉が違ってしまい、ましてや、近隣諸国となると、まったく通じないし、文字すらも違うところもあるわけで、ゲバラの言う「南米はひとつ」というのは、南米では、あながち、夢物語ではないようにも思えますが、(あれだけ、まとまらなかったヨーロッパがまとまるのですから。)残念ながら、上述のようなことを考えれば、アジアでは不可能なことだろうと思っておりましたところ、先般、実に面白い話を耳にしました。

宮本常一って人をご存知でしょうか?
民俗学者としては、伝説的な存在なのだそうですが、生憎、私は存じ上げませんでした。
昭和30年代庶民を民俗学者の目から、多くの写真と共に記録に残したことで知られる人物だそうです。
その人の著作の中に、ちょっと面白い話を見つけました。
昨日述べました対馬の話も、また違う目でご覧頂けるのではないかと思い、以下にご紹介させて頂きます。
--------------------------------------
 「大阪近傍の、おそらく佐野かどこかであったろう、さる漁師が、急に玄界灘なるものを見たくなって、人を語らってそこへ出かけた。
 何日かの舟旅で音に聞く玄界灘の荒海に出て、連れは満足して引き返したが、彼はさらにその先が見たくなり、凪を待って海を渡った。
 玄界灘の真ん中にあるという赤い線(国境線)は、ずいぶん気をつけていたが見あたらなかった。
 こうして海を渡ったあとも、次々とその先が見たくなって、釣った魚を売りながら先へ進み、気がつくと海のような泥水の川に入って、どうもシナまで来たらしいので、それからは引き返したという。

 その後、(宮本さんが)この話を淡路島のどこかで話したところ、わしも似たようなことをやったという老漁師があらわれた。
 同じように玄界灘を渡ったのだが、それ以上には行かなかった。
 そこでは魚がよくとれて女どもも寄ってくるので、三、四人女房を持って魚を売らせ、左うちわで暮らしたという。
 ところがそのうちにひょいと気がついて、故郷(くに)にも女房がいた、あれはどうしているだろうかとまた淡路へ帰ってみると、もとの女房はもう何十年も昔に再婚して何人もの子供を持っている。
 そんならそれでよしと、また朝鮮へもどるのも億劫だから、こうしてまた一人で暮らしているとのことであった。」
-------------------------------------

国境線って、地図にはあっても海にはない・・・。
赤道と同じような話(笑)ですが、この話は、即ち、国境線とは国家の事情であり、その気になれば、個人にはないということを示してくれているようです。
少し、希望が湧いてきました。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

盆に想う人間とは何とも相反する矛盾を抱え込んだ生き物

2007年08月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨日も申しましたとおり、撮りだめしていたビデオを見て、今年の盆休みは終わったのですが、4日間、ビデオ三昧だった割には、特に、印象に残るものはすくなかったですね。
「ダヴィンチ・コード」などは、「ナショナル・トレジャー」の、まったくの焼き直しじゃないですか。
ストーリー・・・というか、オチはすぐにわかったし・・・。
話題作だっただけに、もう少し期待したんですけどね・・・。

「笑いの大學」というのも、何より、狙いは良いし、内容も満足できるレベルで決して悪くはなかったのですが、何か、イマイチ、インパクトが弱かったですねぇ・・・。
(少し、間延びした感がありましたので、時間的にも、もっと短かった方が良かったのかも・・・。)
役所広司はともかく、稲垣吾郎はちと、ミスキャストだったのではないですか?
もっと、薄っぺらくて、軽い感じの人の方が良かったのでは・・・。
まあ、彼の名前でないと、客は入らないという営業側の事情があったのかもしれませんが。
その意味では、むしろ、廊下でたたずむだけのしょぼくれた案内係老警官として出ていた名優、高橋昌也の方に存在感を感じましたけどね。

その意味では、時節柄、印象に残ったのは、水木しげる翁の戦争体験を基にしたフィクション、「鬼太郎が見た玉砕」だったでしょうか。
香川くんも、よく、水木翁の特徴を掴んでましたね(笑)。
ただ、この時期、どうしても、こういう、人間の生死というものについての映像ばかり見せられますので、考えまいとしても、色々、考えさせられます。

で、最近、空前のペットブームだそうですね。
私も子供の頃は、家にチャボなどを飼ってましたが、今のようなマンション時代になると、飼うのが難しいし、何より、私には畜生を座敷の上に上げて生活する・・・というのがどうにも抵抗がありまして・・・。
ところが、宇宙飛行士は宇宙にいる間、もの凄い、ストレスがたまることから、そのストレス解消の為に・・・といっても、犬や猫を飼うわけにはいかないから、植物の世話をするんだそうですね。
(考えてみれば、あの狭い空間の中に、同じ顔ぶれと、ずっと、いるわけですから、ストレスがたまらない方がおかしいでしょうね・・・。)
そう考えてみれば、人間というのは、何とも相反する矛盾を抱え込んだ生き物だな・・・と。

人間は、何か、生き物の世話をすることでストレスを解消しようとする性向がある・・・、つまり、生まれながらに何かに奉仕するようにプログラミングされている生き物でありながら、同時に、他国を征服し、他者を自分に奉仕させようとしたがる指向があるということです。
(これは、人間の歴史とは、侵略と戦争の歴史であるということからも証明できるのではないでしょうか。つまり、誰かに教えられたわけでもないのに、古今東西、そうじゃない例を見つけることの方が珍しいと・・・。)
独裁者専制君主が、ストレス解消のためにペットの世話をする・・・というのも、何か、根本の部分で大きく間違っているような・・・。
つまるところ、ペットは何も考えていないから裏切ることはない・・・ということなのでしょう。
人間は裏切りますからねぇ。
でも、それが人間なんですよね・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない

2007年08月07日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

大宇宙のなかの塵芥にすぎない自分が、なぜこのように躁鬱・憂鬱・哀感・・・などという感情を持つのか・・・、最近よくそう考えます。

なぜ自分はこのように不愉快な思いをするのか?
今喜んでいる自分はいったい何なのか?
なぜ広大な大宇宙の中で、自分(達)がこのような感情を持っているのか?
なぜ、自分はぬのが怖いのか?
人は死ねばただのアミノ酸になる・・・、それだけのことではないのか?
それではいけないのか?
何が怖いのか?
怖いってなんだ・・・?
日々、そう、自問しております。

人類なんて大宇宙に放り出されれば、あっという間に、自己というものを停止せざるを得ないものなんでしょう?
そう考えると、自己とは何なのか?
なぜ自己というものが存在しているのか、エゴとは何なのか・・・?
私には、何だかよくわかりません。

畳の上で死のうが、肥だめの中で死のうが、「死」という一点においては、何ら変わりはないのではないでしょうか?
死んでしまえば、思考を停止し、土に帰る。
それだけの話ではないでしょうか?

かつて、私は「神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない」と言ったことがあります。
こういう難しい問題を考えずに、本能忠実な人ほど、神は愛でるように思います。
そう確信していたからこそ、以前からこういう問題にはあまり深入りしないように、どこかで自分を律してきたような気がしております。
が、最近、「どうせ神には愛されていないんだし・・・。」と開き直り始めました。
今度生まれてくるときは、カエサルになって生まれて来たいです(笑)。

ゲーテでしたっけ、あれのファウストというものについてなのですが、手塚治虫が生涯のテーマとした作品らしく、彼は三度それを漫画にしているそうですが、(一度目は空襲で生き残ったとき。二度目は手塚プロを設立したものの、彼の理想を追い求めすぎたがゆえに倒産し債権者に追われたとき。三度目は死の直前、病と闘いながら・・・だったそうです。よほど、あの人の中では何か感じるところがあったのでしょうね。)その三番目のファウストのなかで、彼は主人公の口を通して、「生きる、こいつはどういうことだ?生き物、こいつの本質は何なのだ?」ということを言っていました。

これは、うまく言えないのですが、「我々はいったい何なのだ?宇宙の中からみれば、ただよっているチリの一つと何の違いがあるのだろうか?ただ、そのチリが自己というものを持っていることだけは確かである」という、最近、よく私が感じている疑問と近いのではないですか?
この時期は、「生」「死」という物を嫌と言うほど見せつけられます。
師よ、見放したもうな!

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

三原脩の口癖『品性下劣』にみる有無を言わせない秋霜烈日

2007年07月06日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

三原 脩氏は、監督時代、若い選手たちに対し、よく、口癖のように、「品性下劣」という言葉を使ったと言います。
曰く、「ああいう、品性下劣な人間にだけはなってはいけない」と。

2:6:2の法則というのがありますよね。
「どんな社会でも、不思議と、『優秀な者2割、どちらでもない者6割、落伍者2割』になる」・・・というやつ。
村社会、下町、刑務所、エリートの世界然りだと。
この点で、もの凄い競技人口のピラミッドの、その頂点の部分に位置し、鍛え抜かれた肉体と技術、精神力を持つ人たちの集まりであるプロ野球の世界でも、「品性下劣」という言葉を聞いたとき、思わず、この法則を思い浮かべてしまいました。
そう言えば、昨年の球界再編問題、ストライキなどで、凋落傾向にあるプロ野球人気復活のための一環として行われたWBCのときにも、協力を惜しむ選手がいたという話も聞いていますから、やはり、この法則は今の球界でも、決して、過去のことと言い捨てるわけにもいかないのでしょう。

この点で、三原脩という人が、巨人の監督を追い出されて、出来て間もない九州の弱小球団・西鉄ライオンズに来たときも、万年最下位球団・大洋ホエールズに来たときも、最初にやったことは、プロのレベルに達していない選手・・・、つまり、低レベルの選手たちの解雇であったといいます。
これは、我が、福岡ソフトバンクホークスでも、ダイエー・ホークスの初期の頃などにはあったといいますが、松中などが、夜遅くまで練習していると、「余計なことしやがって!」とか、「カッコつけやがって」などといって、あまり、いい顔をしない人たちがいたという話も聞いております。
とかく、弱小チームというのは、何もしないと、負け犬根性が染みついていき、やがて、こられの人たちは、実力を磨くよりも、くだらない陰謀足を引っ張ることに終始するようになり、ついには、「悪貨は良貨を駆逐する」ようなことになると、そういう人たちの吹きだまりとなるようです。
(ちょうど、マラソン大会で、早く走れない者が、他の者に、「もっと、ゆっくり走ろうぜ。こんなのやってもばかばかしいだけじゃないか」というのと似ているでしょうか。私も、高校時代、マラソン大会で友人がこういうので、つきあって走っていると、あまりにも、遅すぎたので、途中から裏切って走ったところ・・・。後で聞いたら、そいつは、全校生徒中ビリ・・・つまり、最下位で、危なく、私も最下位の仲間入りさせられるところでした(笑)。)
つまりは、結局、真ん中の6割というのは、どちらにでも転ぶ可能性がある人たち・・・ということであり、となれば、組織を健全に保つためには、この部分の流されやすい人たちをどう導くか・・・にかかっているともいえ、その意味では、この三原監督の、「品性下劣」という言葉には、秋霜烈日言い訳など無用の、思わず、ハッとするような、有無を言わせないまでの「峻厳」さがあったように思えます。

ちなみに、三原 脩翁は、初めて巨人の監督になった昭和22年のとき、36歳だったとか・・・。
ただ、今の36歳とは違い、人間五十年の時代、すでに百戦錬磨老練な・・・、まるで、お爺さんを思わせるような風格をもった指揮官だったいいます。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

オイルショックの本質!

2007年06月29日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨夜、夜更かしして撮りダメしていた昭和47年の人気番組「木枯らし紋次」をみてしまいました。
別に、そんなにはまって見るつもりじゃなかったのに・・・つい。
おまけに2本も・・・。
だから、ちょっと眠い・・・zzz。
昔、あれの主題歌が好きだったんですよ。
で、今見たら、色がきれい。特に青々とした緑がきれい!
「あ、これって、あの時代の色だ!」って思いましたね。

ところで、それを見て改めて思ったのですが、あの番組は、暴力、貧困、因習・・・等々、人間の不条理というか不寛容というか、そういったものが、かなり前面に出てる作品でしたが、さすがに、私の身近では、あそこまでのことはもう無かったものの、今ではすっかり死語になった観がある「ひもじい」「人さらい」などという言葉が、まだまだ生きていた時代でもあり、あの当時は、それほどの違和感を持つことはなかったように記憶しております。

今でも暴力や不条理を描いたモノはありますが、それを突き動かす原理は主に「欲望」であり、「貧困」とか「因習」などというものはかなり少ないように思えます。
それだけに、今の子供たちにとっては、そういう世界って、もの凄く現実感がないものだろうな・・・と。
そして、そう考えれば、もし、今、また戦後みたいになったら、我々の世代はともかく、今の子供たちは対処できるのだろうか・・・と。
そこまで考えて、ふと思ったことがあります。
それが、この翌年、昭和48年(1973年)に起こった「オイルショック」です。

私は、かねがね、このオイルショックというものが、イマイチ、よくわかりませんでした。
当時の政府の実務担当者たちの証言番組も見ましたし、様々な回想録なども読みましたが、やはり、どうにも説明としては釈然としないものを感じていました。
あの騒然とした世の中・・・、トイレットペーパーに群がった人々・・・、まるで、日本という国そのものが顔面蒼白になったような雰囲気だったように記憶しております。
「オイルショック」とは一体、何だったのか・・・。

で、それこそが、まさしく、「木枯らし紋次」の放送当時の時代背景・・・、即ち、日本にまだ「「貧困」というものの記憶が残っていた最後の時代怯え」だったのではないでしょうか・・・。
私には今でも鮮明に覚えている、その時の記憶があります。

小学校から帰ってきた私に、母が深刻な顔で言いました。
「大変な世の中になった・・・。これからは、今までのようにはいかないんだ。とにかく、今までが良すぎたんだ・・・。」と。
戦後の貧困の時代から、一転、バブル以上と言われた未曾有の好景気、高度経済成長を謳歌しつつも、それでいて、皆、心のどこかで、「いつか反動が来るのではないか?」、「出来すぎなんじゃないか?」と、この良すぎる時代に怯えがあったのではないでしょうか?
単なる産油諸国の「脅し」にすぎなかったものが、「見積有効期限1時間」などという、狂乱物価へと成ってしまった本当の原因だったのではないかと思えてなりません。
「貧困への怯え」の残滓・・・、これこそが「オイルショック」というものの本質だったのではないでしょうか・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

グッドウィル折口会長の顔に想う性格に相応しい出来事

2007年06月11日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

土曜の続きです。

あのグッドウィル会長である折口雅博氏についてですが、彼って、今日が46歳誕生日なんですね。
ということは、私と生まれ月も一緒の同級生ということになるかと・・・。
(私が10日ほど、お兄さんみたいです(笑)。)
で、彼の謝罪会見を見ていて思ったのが、同じ年でありながら、「あまり、良い顔はしてないなぁ」と・・・。
で、彼の経歴を調べてみて、少し、思うところがありました。

Wikipediaより、一部抜粋すると、
1961年6月11日生まれ。
実家はサッカリン工場経営で裕福であったものの、発癌性確認による法規制で倒産生活保護世帯の中で育つ。
その後、合格した埼玉県立熊谷高等学校へは学費が原因で進学できず、陸上自衛隊少年工科学校を経て、1984年防衛大学校理工学本科卒業するも任官拒否
日商岩井(現・双日)時代には、ジュリアナ東京の仕掛け人として名を馳せ、1995年にグッドウィル・グループを設立」・・・と。

で、これらの経歴と、謝罪会見での彼の「顔」とを見ていて、ふと、数日前の新聞記事を思い出しました。
それは、突然、入ってきた男にを掛けられた上にを付けられ、全身に大やけどを負った福岡市博多区会社社長の話だったのですが、私は、正直言って、同じ博多区内の出来事でありながら、所詮ヒトゴト・・・で、恥ずかしながら、この話に関しては、「そう言えば、聞いたような」という程度の認識しかありませんでした。
しかし、当人にとっては、当然、それどころの話ではないわけで、辛うじて一命を取り留めたものの、今も障害が残る体となり、しばらくは、我が身の不幸を怨む日々が続いたそうです。

で、そんなある日、ある言葉と出会ったそうです。
この社長さんも、折口君(?)同様、貧しい境遇からスタートし、一代で会社を興し、懸命に上を向いて頑張ってきたそうなのですが、この言葉を聞いて、なりふり構わずに金持ちを目指す自分の姿勢が「知らず知らずに『敵』を作っていた」・・・ということに思い至ったそうです。
つまり、今回の事件は、「どうして自分だけが」などという、単に「運が悪かった」だけの出来事ではなく、自分自身が招いた必然だったと。
で、その言葉というのがこれです。

「人生はその人の性格に相応しい出来事に出会う」

この言葉は、私にとっても、かなり、考えさせられました。
私も、結構、「どうして、よりによって俺だけが・・・」ということが少なくなかったからです。
でも、これもよく考えてみたら、自分にそうさせている遠因があったのではないか・・・と。
「たまたま、運が悪かった」などではなく、そこに至る可能性が高い必然だったのではないかと。
でも、折口君同様、その「性格」に至った点では、少し、文句を言いたい面もありますけどね・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

道に迷ったとき道標となるもの

2007年06月09日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

コムスン・・・、いや、グッドウィル折口 雅博会長・・・の謝罪会見を見ていて、少し思ったことがあります。
まず、「敵を知り、己を知らば、百戦するとも危うからず」って、ご承知の通り、これは、有名な孫子の一節ですよね。

では、「金儲けがしたい」、「金が欲しい」、「金持ちになりたい」って多くの方がよく口にしますよね・・・。
ではでは、これを上述の孫子の論法で説くならば、まずは、「金を知る」ことが必要でしょう。
で、そもそも「金」って何ですか?
お金の持つ交換時間保存などの特徴を述べるのは、今更、釈迦に説法でしょうから省きますが、自分なりにこれを考えてみると、突き詰めて言うならば、金とは「サービス券」ではないかと思います。

子供が父の日に、お父さんに肩たたき券を1枚あげる。
お父さんはその日でなくとも、肩が凝った日にそれを出して肩を揉んでもらえる。
さらに、お父さんは肩たたき券を集めて、もっと大きなサービスをしてもらうこともできる・・・。
それをさらに高度化、複雑化したのが、様々なサービスであり、それに変えられる「お金」なのだと思います。
要は何が言いたいかというと、「金が欲しい」「金持ちになりたい」と言うのなら、人がして欲しいと思うサービスを提供すればいいだけではなんですよね。
「人はこれをして欲しがっている」とか、「これがあったら皆、便利だろうな」などということをしてやればいいんですよ。
逆に、自分がそれをして欲しいなら、相手にも何らかのサービス券をあげなければならない。
どれくらい、自分のサービス券を相手に渡してまでして欲しいか?ということでしょう。
ただ、お金というサービス券が欲しい人が多いわけですから、そこに競争が生まれるわけで、となれば、人がして欲しいことを言われてやっていたのではもらえる確率は低くなります。
たくさんサービス券が欲しいなら、欲しがるであろうサービスを、言われる前に提供しなければならないわけで、かつ、満足させればなお良しです。
つまり、お金持ちになりたいなら、自分が人にどんな喜ばれるサービスを提供できるかを考えればいいわけです。

ところが、この論理の範疇外の事象があります。
それは、誰かの持っているサービス券を奪ってしまうこと、即ち、泥棒です。
だから、時代も国も違っていても、いつも泥棒は公権力によって厳しく、取り締まられています。
ところが、現実には、「浜の真砂は尽きるとも・・・」ではないですが、泥棒の種は尽きないようです。

この点で、道が二つに別れていて迷うときには、「倫理」というのは、確実にひとつの「道しるべ」にはなると思います。
迷わないならこの限りではありませんが、もし、わずかでも迷うようなら、倫理に背かない方に行っておけば、とりあえずは間違いないということではないでしょうか、ご同輩殿・・・。

月曜に続きます。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

郷ひろみの至言にみる我流から基本を経て我流に至るの理

2007年05月25日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

先日、歌手の郷ひろみさんが、NHK「英語でしゃべらナイト」という番組に出ていました。
(お!「郷ひろみ」は一発変換しますね。さすがの知名度というべきでしょうか(笑)。)
私は、英語はまったく、わかりませんし、わかろうとも思っていない人間なのですがこの辺は、同郷人である新庄剛志選手と一緒で、あるいは、県民性かもしれません(笑)。
もちろん、福岡人でも、私の周りには英語が好きな人もたくさんいますが、「かったりーことはだりーからやりたくなーい」・・・みたいなところは県民性かも。)
で、この番組は、単なる英会話勉強番組ではなく、 英語を学ぶつもりなど無い人間にも、情報番組としても、なかなかに楽しめる番組ですので、割とよく見ています。
で、その番組での彼の話を聞いていると、さすがに、この世界で35年も飯を食ってきた人だけあって、なかなかに、含蓄に富んだ話をされていました。

まず、彼には、大切に思っている3つのことがあるとか。
即ち、「考える、行動に移す、繰り返す」・・・と。
彼の言葉を借りれば、「人間は他の動物とは違い、考えるという能力を持っている。でも、考えたならば、それを行動に移さなければならない。そして、実行に移したならば、それを継続させねばならない」・・・と。
概略、こういう意味のことを言われたと思うのですが、これは、確かに・・・と。
継続は力なりとはよく言いますよね。

私も、このブログも三年目を迎え、いい加減に飽きてきたな・・・と思っているところでしたが、3年だろうが、10年だろうが、30年だろうが、実行に移した以上は継続させねばならないんですよね。
継続させることこそが難しい・・・と。
でも、とかく、好きやすの飽きやす・・・と呼ばれる、熱しやすく冷めやすいアバウトな福岡人ですから・・・。
ま、適当に、続くまで続ければいっかなーと・・・。

まあ、それはさておき、次に彼が言っていたことで、なるほど・・・と思った言葉です。
「創造とは、徹底的に真似ることから始まる」・・・と。
この点は、囲碁棋聖にして、秀策流と呼ばれる独自の境地を切り開いた本因坊秀策も、本因坊家に入ってすぐは、徹底的に先人棋譜を真似ることから始めたといいます。
スポーツでも、いくら我流から入っても、慣れてくれば慣れてくるほど、基本に近づき、基本を超越すると我流に至る・・・と聞いたことがあります。
イチロー振り子打法や、野茂トルネード投法というのも、決して、素人の思いつきなどではなく、血のにじむような練習の末に基本を超越してたどり着いた境地なのでしょう。
その意味では、郷ひろみさんのこの言葉にはなるほど・・・と思い、聞き耳を立てていたのですが、彼は続けて、「僕がアチチ~♪と歌っていたのも、オリジナルの歌を徹底的に真似して、そこから、自分のオリジナルを作り出したんだ」・・・と言ってました。
でも、それって、結局、物真似の範疇から出てないのでは???と思ったのは私だけ・・・(汗!)。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

好漢惜しむらくは兵法を識らず

2007年05月19日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

平安時代中期、前九年の役に際し、苦心の末、勝利した名将・源 義家が都に凱旋してきたとき、その奮戦を賞賛する声が鳴り響く中、一人の公家が、「好漢、惜しむらくは兵法を知らず(いいやつだが、戦争の仕方を知らない。)」と言い放ったという話があります。
現代で言うならば、去年引退したサッカー日本代表司令塔中田ヒデに対し、「いい奴だがサッカーを知らない」と言い放つようなものでしょう。
当然、周囲の誰もが皆、この公家を白眼視し、冷ややかな視線を浴びせかける中、当の義家一人が、敢えて教えを乞うたといい、このとき、教えを受けたものこそ兵法法典の最高傑作として名高い「孫子」であったといわれています。
これにより義家は、間もなく勃発した第二次戦役を、前回が9年もかかったものを、わずか3年で片付けることが出来たと言われています。
これがいわゆる、後三年の役ですね。

このエピソードは義家の度量を顕すものとして有名ですが、私が言いたいのは、むしろ、「自分では出来もしないくせに・・・。」という、世間というものの空気です。
理論と実践とは、一対のものであり、「実践無き理論は空論に終わり、理論無き実践は悲劇に暮れる。」と思います。
あるいは、このとき、無類の実践者・義家も自分の中では、何か限界を感じていたのかもしれません。

かつて、小泉純一郎前総理がその手法「丸投げ」と批判されました。
でも、人間、すべてのことが得意という人は一般的ではありませんし、すべての物を持って生まれてきたという人も、また極めて稀だと思います。
そんな天才の出現を待つことは、現実政治においては無責任極まりない話であり、だとすれば、自分にない能力、得意でない分野を、能力者、得意な人に任せると言うこともひとつの手法なのではないでしょうか?
丸投げというのが問題なのは、任せておいて責任を取らない(信用しない)ときと、決定権がどちらにあるのかあやふやな場合のみでしょう。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

背割り

2007年04月28日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

以前、とあるセミナーに行ったときのこと。
村上春樹と書いてあるかと思ったら、上村春樹でした(笑)。
ご存じかと思いますが(私は知りませんでした。)モントリオールオリンピックの無差別級優勝者で、今は日本代表の監督の上の総監督みたいなことをやっている人だそうです。

かなり面白かったですよ。
「柔道で金メダルなんか取る人は子供の頃から運動神経抜群で精神力が強くて・・・なんて思ってるんじゃないですか?そんなやついたら、柔道なんかやらずにプロ野球選手になってますよ!」って言ってましたが、まあ、確かに(笑)。
その人自身、中学の時から運動なんて苦手で、100mを20秒で走ったとかで、未だにワースト記録を持っておられるそうです。

それから、「柔道は金で当たり前」、それでいながら、ヤワラちゃん始め、本命が何大会か連続で、皆、負けていると。
それほどのプレッシャーだということでしたが、私はそれを聞いているうちに別のある感慨が浮かんできました。

大工の世界では、銘木を仕入れてきたら、真っ先に、4面のうち一番悪い面を犠牲にして、上から下まで、丸鋸で一直線に切れ目を入れてしまうんです。
それを背割りと言います。
木は湿度によって収縮しますから、それを入れておかないと、木は収縮に耐えられず、あらぬところにひび割れが入ってしまうことになります。
背割りを入れることによって、一番抵抗が少ない部分で収縮しますので、他の面にひび割れが入らなくて済むのです。

金メダルでも家庭でもこれではないかと。
うちの場合は、親父との確執がありました。
それが我が家の背割りだったのかもしれません・・・。
お袋は毎日、泣いてましたし、私自身も親父に本心から死んで欲しいと思いましたし、実際に死んだときも、まったく悲しくありませんでしたしね。
(ちなみに、当家では次の世代の背割りも用意されつつあるようです(笑)。)
何の根拠もある話ではないのですが、なぜかふと、そう思いました。

柔道の金メダルも同じではないでしょうか?
本命中の本命が万全の状態のときほど勝てない。
ヤワラちゃん篠原井上康生も、皆、絶頂期で怪我もしてない・・・、だから、絶対に取れるもんだと思っていたと。
愚考致しますに、そんな状態の時というのは、余裕がありすぎるから気持ちを維持し続けるのが難しいのだと思います。
私は常々、山下はあのとき、怪我してたから優勝できたじゃないかと思ってました。
そこに、大けがという背割りがあったから、よけいな余裕がなくなったから勝てたと・・・。
まあ、上村先生の話では相当、運があったみたいですけど、一番大きな要素は背割りだったのでは?

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

軍人は星の数で相手を見るにみる肩書きの是非、その2

2007年03月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。
本当は来週書こうかなと思っていたのですが、鉄は熱いうちに打て・・・と言いますので。
そのぶん、来週、手抜き・・・するかもね(笑)。

戦前、岸 信介元首相が、東条英機内閣商工大臣になった折りのこと、新任挨拶に行くと、東条首相から、「君の官位を正三位(?)にしておくよ」と言われたとか。
岸大臣は、「そんなの必要ないですよ」と言ったところ、東条首相は、「いや、これからは、立場上、軍人との折衝が多くなる。軍人というものは、相手を星の数(大将、中佐、少尉などの位を表すバッジ)で見るものだ。だから、官位はあった方がいい」と言われたとか。
(そういえば、ジパングという漫画で、タイムトラベルした自衛官が自らの名前の後に、「一佐」と付けて名乗ったら、帝国軍人らは、「一佐?」と少し、ぽかんとした後、「佐官級かよ!」と言って、一斉に立ち上がって敬礼しましたね。まあ、漫画の中の話ですけど、現実にも、これに近い世界があったんじゃないですか・・・。)

この辺は、如何にも、憲兵隊上がりの軍人官僚、東条首相が言いそうなことですが、確かに、私も、あまり、この手の話は好ましいと感じるものではありませんが、だからと言って、一概に否定できない部分も持っていると思います。
自分がそうでも、相手が、それを好む人間の場合、何の立場、どういう権威で自分が物を言っているかをはっきりさせておいたほうが良い場合もあるからです。
役職や権威がないと、相手が動かないという場合(現実)もあるんですよね。

また、軍隊の制度に、ライン=スタッフ制というのがあります。
いわゆる、参謀制度というものです。
これは、その組織の規模にもよるのですが、組織が一定以上の規模になってきた場合、「考える部門」「考えない部門」を分けた方が効率的だということです。
以前、あるテレビ番組で、「おふくろの味」と言いながらも、実際に家庭の主婦が作ったきんぴらごぼうと、スーパーの出来合いきんぴらごぼうとが、どちらが、美味いか・・・というのを、目隠しをして、食べ比べていたのですが、結果は何と、多くの人が、スーパーの出来合いに軍配を挙げました。
でも、これは、本来、無理からぬことなんですよね。
なぜなら、スパーの出来合いを作っている人は、毎日、きんぴらごぼうばかりを作っているわけで・・・。

それと同じで、工場のラインで、毎日、部品を作っている人は、余計なことは考えずに、毎日、同じ部品だけを作らせた方が効率的なんですよ。
部品を改良するとか、ラインの改善であるとか、考える部門は、考える専門のスタッフチームに考えさせたほうが効率的なわけで・・・。

今度こそ、そのうち、続く・・・ことになると思います。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

軍人は星の数で相手を見るにみる肩書きの是非、その1

2007年03月16日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

実は、ここしばらく、期限付きで没頭していた仕事があったのですが、やはり、もう、間に合いそうもない・・・ということで、粘りのない福岡人らしく、すっぱりと諦めました。
で、元ののんべんだらりの生活が戻りつつあったのですが、昨日、やはり、どうしても、期限中に仕上げろ!と、再厳命されまして、再び、パニックの中へと帰ってきました。
まるで、ターミネーターか、ダイハードみたいかと(笑)。(←少し、壊れてます。)
嗚呼、私の安寧は遠い・・・。

で、先般、いつも、拙ブログに対し、温かいご指導ご鞭撻を賜っております、Count_Basie_Band さんのブログ、「墓の中からコンニチワ」の中で、「お客様各位」という記事を拝見しました。
敬称を、すべて、「様」ではなく、「さん」で統一するという話だったのですが、その後、「追伸」という記事を拝見するに及んで、私には、以前から、少し思っていたことがあり、少し、考えてみました。

実は、20年くらい前でしょうか、私は、若き頃、本田技研工業の共同創業者である本田宗一郎藤沢武夫の両氏の創業伝説を読んで、その中の一文に感動したことがあります。
それが、「ホンダでは、肩書などでは呼ばない。社長も専務も新入社員も、皆、『~さん』で呼ぶ」という部分でした。
当時、私の周りにいた大人たちは、皆、自分の肩書取り分のことしか考えてないような人たちばかりだったこともあり、それに辟易していた私は、「もしやして、いつの日か、私が人を使うようになることがあったら、私の会社はこうありたいものだ・・・」と思いました。
ちなみに、昔、私が勤めていた会社は、全体の9割が幹部クラスという所があり、そこでは、時々、「幹部会議」なんてのをやってたのですが、そこに招集されない人を探す方が大変なくらいだったという(笑)。
「だったら最初から、全体会議にすればいいのに」って思ってましたよ。
また、当時、取引先があった、ある会社の中には、「係長」、「営業リーダー」、「主任」、「店長代理」、「主査」と、一度に、名刺を出されたことがありました。
これには、思わず、噴き出してしまいましたね。
「偉い順に並べろゲーム」じゃないんだから・・・と(笑)。

ところが、それから、20年を超える歳月が流れ、その間、色々な現実を見るにつけ・・・、かつて、私を感動させたこの考え方は、少し、「理想主義」に過ぎたものだったのではなかろううかと思うようになってきていました。
で、先日、日下公人という経済学者が、新聞に記事を寄せていたのを拝見したのですが、曰く、「今までは部長、課長、課長代理、係長、班長、主任なんて階段がいっぱいあった。命令する人と、それを聞いて実行する人がはっきりしていた方が仕事するらしいんだな。それをフラット化して、肩書きもチームリーダーとかディレクターとかカタカナ化して『山田さん』なんてさんづけで呼び始めると、組織もガタガタになっちゃうようだ」というものでした。

で、これには、私も、いくつか、思い当たる話がありました。

続きは、また、来週・・・に書けるかな・・・ですね。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

奇行は創造性の発露

2007年03月03日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

(↑昨日は、ここにいました。めんちゃんこです。めちゃんこではありません。つまり、麺ちゃんこ・・・なんです。昔は、福岡の西に一軒だけしかなかったのに、最近では、中洲を始め、確か、ニューヨークにもあるとか聞いたような。なんだか有り難味がなくなってたような(笑)。)

で、最近、うちの次男坊も野球なんて全くわからないくせに、福岡ソフトバンク・ホークスを見に行きたい!って言い出しました・・・。
で、何度か連れて行きましたが、やはり、退屈・・・するんです。
まあ、さもありなんでしょうね、ルールもわかってないんじゃ・・・。

で、こいつが、非行少年ならぬ奇行少年です。
でも、「奇行とは創造性の発露である」というのが元祖奇行少年である私の持論です。「奇行」、その対極にあるのが「常識」である。
そう思われませんか?

ここで、奇行とは創造性の発露と言い切ることは、歪ん物の見方!というご批判を頂戴するでしょうか・・・。
だけど、世間一般の常識というものの向こう側にこそ、創造と言うものが存在するのであれば、(奇行の原点である知識の不足によるという点は置くとして)疑問を抱えても、常識と摩擦を起こすことを怖れる者には、創造というものは為し難いのではないかと・・・。

創造とは世の中の常識という物を疑うところから始まる。
その意味では、その常識が正しいかどうか以前に、それ自体に疑問をもったときが創造の始まりであり、それを常識の側から見ると「奇行」と映る・・・とも言えるわけで。

なぜ、そう言い切れるか・・・。
それは、かくいう私も、非行少年・・・ではなく、元祖奇行少年だったからです(笑)。
当家二代に渡る(三代かも。亡父にもそういう噂があったような・・・)奇行伝説はいずれ、また、今度。

「あがくなよ どうせこの世は あと三月」 平太郎

1999年4月に詠んだ句です。
「終わってねーじゃねーか」と・・・。

ノストラダムス氏によると、本当は人類は、1999年の7月滅ぶはずだったんですけどね・・・。
ま、ぶーたら言っても仕方がないか・・・と。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

歌の文句に想いを馳せる♪ その4 藤沢武夫と「春夏秋冬」

2007年02月15日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

先日の平太郎独白録 「歌の文句に想いを馳せる♪ その3 渡辺崋山と春夏秋冬」の続きですが、これは、以前、私に、よくあった話で、会社の同僚などに、「この話は、絶対に誰にも言うなよ」と、自分の秘密を言ったところ、そいつがしゃべりまくっていたことが、何度か、ありました。
私が、「あれほど、言うなと言っただろうが!」と責めると、彼らの言い分は、大体、共通して、「何がいけないんですか。悪い話ではないんだから、言ったって、いいじゃないですか」と言うものでした。
中には、「私は、アナタが羨ましいから言ってるんだ」とか、「アナタの為に言ってあげてるんだ」などという人たちもいましたが、でも、相手には相手の「言ってもらっては困る事情」があるかもしれないわけですし、何より、本人が言われるのを望んでないんですよね。

この点では、我が敬愛する元本田技研工業副社長藤沢武夫さんの言葉に、「その人と、友人になろうと思えば、どんなことでも、言わないと約束したことは言ってはならない」というのがあります。
藤沢武夫という人は、などでも、たびたび、触れておりますように、「技術の本田、営業の藤沢」と呼ばれたほどに、本田宗一郎氏との分担経営で、今日のホンダを築き上げた方ですが、一方で、この二人は、現役時代は、決して、今日言われるような仲良しコンビではなく、それどころか、長年、ろくに口もきかないような関係だったといいます。
(参照:平太郎独白録 「敬愛する企業人・藤沢武夫翁に学ぶ『水魚の交わり』のありかた。」

実際、当時の財界マスコミは、「藤沢がいずれ、ホンダを乗っ取る!本田は、丸裸にされて、放り出される」と言い続けたとも言います。
ところが、終わってみれば、藤沢氏は社長になることもなく、副社長のままで、本田社長と二人揃って「見事に息があった」引退劇となったわけで・・・。
で、それを言われると、いつも二人は、「最初の頃にまとめて全部話しちまったから、もう、話すことはない」と言っておられたそうですが、普通は、密接な関係を保っていたとしても、「あの頃は奴も、ああ言ったが・・・」などという意識が芽生えて来るものでしょうが、この二人に限っては、それが、まったくなかった。
それは、「乗っ取るなら乗っ取るでいいよ。おいらは、好きな技術のことが出来ればいいんだ」という本田さんの想いと、「放り出されるなら放り出されるで、別に、独立しても食っていけるからいいよ」という藤沢さんの覚悟・・・などもあったでしょうが、やはり、一番、大きな要素であったのは、定期的に互いが変質していないかチェックをし、互いが変質していないことを確認出来たことだろうと思います。

そして、その一つが、互いに、「言ってくれるな」と言ったことを、たとえ、相手の為になることであっても、言わなかったということがあったのではないでしょうか。
前回とは違う、「小さな親切、大きなお世話」の話でした(笑)。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング

歌の文句に想いを馳せる♪ その3 渡辺崋山と「春夏秋冬」

2007年02月07日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

奇しくも(?)、ちょうど、昨年の今日、書いたのが、「歌の文句に想いを馳せる」シリーズの平太郎独白録 「歌の文句に想いを馳せる♪ その1 ムハンマド風刺画と『春夏秋冬』」でした。

で、今回、また、泉谷しげるさんの名曲、「春夏秋冬」の中の一節である「人の為に良かれと思い♪」という部分について、ちと思うことがあり、で、前回はいつだっけ・・・?と思って調べてみたら、何と、ちょうど、一年前ではないですか!
ちょうど一年ぶりに、続編を書くというのも何かの縁・・・。
ていうか、この「その1」と「平太郎独白録 「歌の文句に想いを馳せれる♪ その2 植木等 『スーダラ伝説』」」の後、今回の「その3」まで一年もかかるというのは、何だか、25年ぶりにデビュー曲を再リリースしたら、オリコン1位になったので、25年掛かって1位になった記録を作ったと言われたサザン・オールスターズ「勝手にシンドバッド」を見るような気がしました(笑)。

などと、くだらない話はこれまでとして、本題の「人の為に良かれと思い~♪」です。
とかく、世の中には、自分は相手のために「良かれ」と思っても、相手がそれを望んでないことってのがあるんですよ。
私も、以前、福岡県の郡部の方の偉いさんの会にに来てくれと言われ、私としては、そんな郡部で商売するわけでもなし、無理して、お近づきになる必要もないので、断ったところ、「何も気にしなくて良いから」とあまりにも言うので、「それならば・・・」と仕方なしに出席したことがあります。
ところが、その後、その友人から、「おまえが、あの偉い人に対して失礼な態度を取ったおかげで、俺の信用に傷が付いた。元々、俺はお前の為に良かれと思って誘ってやったんだ」と言われ、挙げ句の果ては、「おまえは、出入り禁止だ!」などと言われたことで、こちらも完全に、プッツン!・・・。
以来、完全に絶縁したことがあります。
(行きもしないようなところを、出入り禁止と言われても・・・。)
ま、最近、結構、絶縁は趣味ですけどね(笑)。
(よく、「アナタは、本当は寂しがり屋なんですよね」と言われることがあるのですが、そういう相手に限って、いくら、「そんなことない」と言っても耳を貸さないんですよ。「すぐにそうやって虚勢を張るんだから」などと宣う始末・・・。だから、そういう人たちには、すぐに、絶縁という形で証拠を見せてあげるようにしています(笑)。)

この点で、最近、よく思うのが、渡辺崋山という人のことです。
江戸時代、田原藩の家老として、「蛮社の獄」に連座し、最後は自害して果てた悲劇の人・・・というよりも、最近では、画家としての画業の方が有名のようですね。
この人の絵は、「蛮社の獄」によって蟄居謹慎させられた後に描いた絵が、一番、素晴らしいと言いますが、政治的な立場から解放されたことで、好きな絵を描いて過ごせるようになったことは、逆に、本人には幸せなことだったのでしょう。
あるいは、そこに自分の居場所を見つけたのかも知れません。


(↑福岡城跡です。気分だけでも(笑)。)
ところが、謹慎処分になったことで、当然、収入の道が途絶えたことから、当然、生活は苦しくなっており、その、あまりの貧窮ぶりを見るに見かねた弟子が、師の為を思い、崋山に無断で絵を売りに出したところ、それが幕府の目にとまり、「崋山は謹慎中にもかかわらず、絵を描いて遊んでいる」ということになり、ひいては、主君の監督責任にまで発展する気配を見せ始めたことで、主君に累が及ぶことを危惧した崋山は、責を負って、自害して果てたと言います。
弟子の、師の為に良かれと思ってやった行動だったのでしょうが、逆に崋山をして、好きな絵の世界に安住させることなく、不本意な自害となってしまったわけですね。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング