思えば「脱・下請け」から始まった!山ちゃんのレントラ的言いたい放題

函館出身の代表がレントラ便の普及と、公共インフラとしての使命感を強く持って想いのまま綴ります

東北支援が30回

2012年05月23日 | Weblog

写真は先週15日に、気仙沼から上京して頂き、東京都大田区の小学校で震災の授業をして頂いた復興リーダー坂井(右)さんと私(左)。


今晩、まもなく4トントラックで東北へ向かいます。
今回の行先は気仙沼と女川町。
通過点でしかありませんが、30回目の節目の東北となります。

昨年の5月を思い起すと震災翌日の3月12日以降、14回目の支援物資輸送をしていました。
仙台市若林区、名取市、多賀城市、宮古市、大槌町、山田町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市、福島県南相馬市、福島県広野町、、、
被災地の行政の倉庫ではなく、避難所をツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアで見つけ出し、直接物資を届けてきました。
坂井さんとの貴重なご縁もこんな中、生まれました。

私が30回も物資輸送が出来たのは、今回もそうですが多くの個人の方や、多くの企業様、団体様から心のこもった物資のご提供を頂いたことに尽きます。
この場をお借りして、深く御礼申し上げます。

最近は緊急性が薄れて、物資の内容も少しづつ変化しています。
最近では、みなし仮設住宅に入居する方へは自立のための家具、家電や日用品。
復活する企業や商店、飲食店などへはオフィス家具、オフィス機器、厨房機器など。
津波で全てを流されてしまった現地では、復活資金もままならず、本当にまだまだ支援は必要です。

ちなみに仮設住宅では物資は供給過多になりつつあるようです。
が、最近は炊き出しなども最近はめっきり無くなり、炊き出しは非常に喜ばれるとか。
音楽鑑賞や心や身体の相談など、心のケアも喜ばれるそうです。


直接の被災地に住んでいない私たちは、ともすると震災があったことすら忘れるくらい、平和な日常を過ごしていますが、現地ではまだまだ厳しい状況で、昨年とほぼ変わっていない現実があります。

長々となってしまいましたが、過去の東北行きの1回目から29回目を思い出しながら、再び心に「震災」を刻み、深夜の東北道をひたすら北へ向います。







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