11月25日 AM8時30分
先月までは、避難所にもなっていた気仙沼高校が物資拠点でしたが、
今回からは、坂井さんが民間の倉庫を借りとのことで、気仙沼高校のある市街地から10分ほどの
場所に移転した拠点(岩手県一関市)に支援物資を荷卸ししました。
窓には『顔晴ろう』(がんばろう)。
寝ずに運転しましたが、疲れも吹き飛びます。
倉庫のとなりの新聞店。
ここには『東北は負けない』の文字。
ここが被災地であることを再認識させられます。
物資を降ろした後は、坂井さんが復興のためだけに立ち上げた『気仙沼復興株式会社』の事務所へ移動。
写真は坂井さん。バザーの売上を寄付させて頂きました。
気仙沼市内にある仮設住宅87か所の管理をされているのですが、
仮設住宅もメーカーにより程度も違い、管理も大変だということです。
気仙沼復興株式会社の事務所は、いまだ津波で電話が不通のまま。
事務所の電話は携帯電話で代用しています。
しかし、来月には電話回線が通じる事務所へ移転できるとのことでした。
少しですが、日常に近づくのはホッとします。
事務所内で1時間強、今後の打ち合わせをして、食事をご一緒させて頂きました。
気仙沼名物の『マグロ三色丼』とてもおいしかったです。
食事後、坂井さんにすがとよ酒店へ連れて行って頂きました。
続く。
先月までは、避難所にもなっていた気仙沼高校が物資拠点でしたが、
今回からは、坂井さんが民間の倉庫を借りとのことで、気仙沼高校のある市街地から10分ほどの
場所に移転した拠点(岩手県一関市)に支援物資を荷卸ししました。
窓には『顔晴ろう』(がんばろう)。
寝ずに運転しましたが、疲れも吹き飛びます。
倉庫のとなりの新聞店。
ここには『東北は負けない』の文字。
ここが被災地であることを再認識させられます。
物資を降ろした後は、坂井さんが復興のためだけに立ち上げた『気仙沼復興株式会社』の事務所へ移動。
写真は坂井さん。バザーの売上を寄付させて頂きました。
気仙沼市内にある仮設住宅87か所の管理をされているのですが、
仮設住宅もメーカーにより程度も違い、管理も大変だということです。
気仙沼復興株式会社の事務所は、いまだ津波で電話が不通のまま。
事務所の電話は携帯電話で代用しています。
しかし、来月には電話回線が通じる事務所へ移転できるとのことでした。
少しですが、日常に近づくのはホッとします。
事務所内で1時間強、今後の打ち合わせをして、食事をご一緒させて頂きました。
気仙沼名物の『マグロ三色丼』とてもおいしかったです。
食事後、坂井さんにすがとよ酒店へ連れて行って頂きました。
続く。