funny life

人生のアクシデントに度々見舞われる。だけど人生ってどうなるか分からないから面白い!

人生って面白いかも

2009-11-08 03:59:40 | 人生
パソコン教室に通い始めた私、自分で車を運転してなんだか嘘みたい!乗り降りに成功する度に思っていた。事故当初の寝たきりだった私…ここまで成長できるなんて誰が想像していただろう…そんな自分を尊敬していただけどやっぱり健常者が羨ましいと思う気持ちもある。そこは考えたって出口がない…そんな葛藤をしていた。でも、ある日ふっと思った

乗り降りの成功1つ1つが嬉しい、寝たきりの自分を思い出して自分を尊敬する…こんな嬉しい気持を健常者の人は体験出来ないんだよなぁ…なんか私って健常者も障害者も体験出来て人よりちょっとお得な人生なのかも!?そう思えた

車の運転が怖い、乗り降りが出来ない…まともにリハビリをしてなっかたけど、全てクリアした。障害者だからって出来ない事なんてないんだ!歩く機能を失った足には車椅子という自助具がある。ペンが持てなくても、ペットボトルの蓋が開けられなくても自助具がある。車だって改造すれば乗れる。どうしてもダメな時は手伝ってもらえばいい、それは健常者だって同じ事!誰もが支えあって助け合って生きてる。きっと私たちと健常者の境界線なんてどこにもないんだ!

車の運転一つでこんなにも前向きになれるなんて!考え方一つでこんなに幸せになれるなんて思ってもみなかった失ったものは大きいけれど得たものの変わりなんてない!健常な頃よりずっと心は豊かだった。歩ける事が当たり前だった…いや、当たり前すぎて気付けなかった日常の大切さ、いつでも当たり前に明日が来ると思ってた…でも生死をさまよった経験をして、日々の重みを知る。何も欲がなかったのは生きていられる事だけに感謝を覚えていたからかもしれない。健常な頃は、何もかも持っていたのに欲深かった気がする

人生の苦労とか挫折とかどん底とか人生の財産なんじゃないかと思う。
最初は、なんで私なの?私が何かした?って気持ちでいっぱいだったけど…こんな風に幸せな気持ちになれるなんて思わなかった。初めて自分の事を好きになれた。全てを受け入れられた。こんな幸せな私を見てもらいたいと思った。

それからは私は健常者を羨む事はなくなった。だって楽しいんだもん障害者ライフ
でも、私は特殊なのかもしれない…同じ障害を持つ友達に話しても理解しがたい様子だっただけど頼んだってなかなかこんな体験は出来ない。普通の人よりも濃密な人生歩ませてもらえてる事に幸せを感じている。

どんな風に転んでも人生上手く出来てる!ほんとに人生って面白い!





教習所

2009-11-08 02:44:47 | 日記
免許の更新に行ってきた。免許を持っていた私は、更新に行ってしまえば足が不自由な人用に改造された車に乗っていいのだが、改造車に乗る前に練習したいと思って、福祉車両が置いてある教習所を支援センターの人が調べてくれて、その教習所に通うことにした

改造車を運転するより車に乗り込む事が大変だった。車椅子と座席の間に板を渡し移乗するのだが、上半身もバランスの悪い私は色んなところに頭をぶつけながら、たまに落ちそうになったり、でもぶつけて落ちて学ぶんだ。と言い聞かせた。運転も手動は足よりも感覚の掴み方が難しかった。ずっと軽に乗っていた私は車幅もうまく掴めない…前途多難だった

回数を重ね、場内から路上に上達し高速デビューまでしてしまった!怖かった教習所は半年くらい通った。それと同時に車も買い、自家用車でも練習しに行こうと思ってたら、「自家用車だと場内しか走れないから、休みの日に指導してあげるよ」と行ってくれて、プライベートレッスンをしてくれた

すごく良い指導者の方に恵まれたと思ってる。でも…当時トゲトゲしていた私は、またも運転しながら暴言を吐いていたらしい恥ずかしい

マイカーは教習所の車とは違いフレンドマチック車で不自由な体を考慮してくれる機能がもともと付いていた。座席の横にシートが付いていて、今までみたいに板を渡さなくても良くなった。だけど、乗り降りはまだ危なっかしくて上手く出来ない、一人で出掛けた時に落ちてしまったらどうしよう。なんて思うと怖くて出掛けられない結局は誰か付いていないと不安なため、車はあっても誰かの予定が空くのを待つ日々…せっかく買ったのに意味がない!これじゃ前と変わらない宝の持ち腐れだ。そしてまた悶々とする日々…

みんなが私の車の乗り降りを見て、車椅子のここにズボンが引っ掛かる感じがすると言っていたのを思い出し、車椅子の業者さんに来てもらった。車椅子を見てもらうはずだったのが、そこの会社は車椅子の人も働いてるから、色んな人の乗り降りを見慣れてるんじゃないかと思って、私の乗り降りを見てもらう事にした。二人で3時間くらい試行錯誤した。足から乗ってみたり、お尻から乗ってみたり、座席の位置や高さも変えてみたり…それでやっと落ちずに移乗できる方法を見つけた。まぁ、またここでも私の暴言は裂列してたけど

私は、その人のおかげで一人で出掛けられるようになった。最初の頃は落ちてしまったりと色々あったが、すぐに慣れた。

車の運転も慣れて視野が広がった私は、パソコンを習いに行き始める事にする




現実

2009-11-08 01:38:02 | 日記
入院中は退院したら、美味しいもの食べたり、行きたいところに行ったり…なんて考えていたけど、いつでも出来る環境になると欲がなくなり食欲も物欲もなくなって、ほとんど寝ていた。昼間おきてるのは苦痛だった。外は出掛けたいくらいの良い天気。でも私は出掛けられないすごく損をしてるように感じた。だから逆に人が寝静まった頃に行動していた。昼夜逆転生活。

たまに外へ出るも、何だか健常者が多くて怖かった。今まで見慣れていた車椅子がいない!周りの目が気になる。健常者を見ると“昔は私もあぁやって歩いてたのに”と、ヒールをカツカツ鳴らしながら歩いてるのを見るとやりきれない気持ちになった
外に出るのが嫌だった。毎日不安定な気持ちが続く…夜な夜な友達に電話をする日々…何だか何もやる気がしない…また良からぬ事を考えたりと感情の浮き沈みが激しい。もうずっと引きこもりでも良いかな…なんて思っていた。もともと家にいることが苦じゃなかった私は、意外に引きこもりも楽しく感じていた

そんな日々を過ごしていた時、九州から姉達家族が私のために上京してきてくれた。
母と二人暮らしだった中で家族が増えた。話相手もいるしつまらなくなくなった。
当時の私はとてもトゲトゲしてて怖かったらしい

住んでいるところの改造が難しく、お風呂には介助が必要だった。介護の仕事をしてた私が人に介助されるのは嫌でたまらなかった。ヘルパーさんを紹介してくれるところで支援センターの説明があったらしく、週一で生活支援センターの人が訪ねてくるようになった。尖ってた私は、支援センターの人に敵意むき出しだった「支援センターの人なんかいらないです」「もう帰ってください」「どこに連絡したら断れるんですか」などの暴言を吐いていた…。

当時は、支援センターの人に「私なんていつでも死んでも良いんだ」「もうやだ」と言っていたらしいでも、私がどんなに冷たい態度をとっても暴言を吐いても毎週やってきた。そんな彼女を少しずつ受け入れ、生活面でも「どこかに行きたい」という思いが強くなってきた。だけど車がないどこかに行くには誰かに頼まないといけない…相手の都合に合わせる日々…車への移乗を手伝ってもらう申し訳なさ…行きたい時に行けないもどかしさで悶々とするようになっていった。

退院前はまた車に乗るつもりだったのに…車で事故った私は、もう一度車に乗るのは恐怖を感じていた。だけど悶々としてる方が体に悪いし、これから先車には乗れた方がいいと思って もう一度、車を運転することを決意した。



退院

2009-11-08 00:35:41 | 人生
12月26日に退院する事に決めた。退院の前日はクリスマス。クリスマスってこともあり一時帰宅する人も多く、私は病院で一人寂しく過ごしていた。そこに宅配便が届いた

私より先に退院した入院仲間からの突然の贈り物!真っ赤な箱にはBaccaratの文字



開けてみると、十字架のネックレスが入っていた。十字架は一見透明だが、光に当てると角度によって色が七色に変化した。嬉しくて思わず電話をかけた。これから先このネックレスと同じで色んな色に変化してほしいという思いで買ってくれたそうだ



障害も色んな症状があって、私は歩けないし胸から下は感覚もないから痛くても分からないし、触っても分からない…。でもプレゼントをくれた彼は、何とか歩けるものの体中にすさまじい痛みが伴う。24時間365日痛い…薬も20錠は軽く飲んでた

自分が痛くて痛くて大変なのに人を思いやる気持ちがあった事に感動し、自分は愚痴や不満ばかりだった事を恥じた。「あぁ私って腐ってたかも…」と反省一生外さないと決めた。

退院当日、みんなに見送られて国リハを去った。約半年間のリハビリ、転院前を合わせると9カ月の入院生活。色んな事を思い出した

病院で迎えた誕生日のこと、夜の喫煙所でお喋りしてたこと、食事のあと皆でジェンガをした事。すごく楽しかった!ここで出会った人達は障害を負わなければ出会えなかった人達。出会えて良かったし出会いたかった人達だ

縁というものや人生というものは不思議なものだ

私は、退院後は教習所に通ったり、パソコンの勉強をして社会に出る準備をすると決めていた