爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●蒸した長芋の話はホンマか?

2014年11月03日 14時40分39秒 | 健康の話





実は、9月初旬頃のことであるが、関東地方に住んでいるある信仰の友人と電話で話していたとき、ある面白い話を聞いたのである。

その内容を簡潔に纏めると、「ΟΟさん、胃腸が弱いあなたに朗報がありますよ。私は、ある講演会に行ってK県の知事さんの話を聴いたのですが、それによると、蒸した長芋を食べ続けると胃腸の弱い人は丈夫になるらしいですよ。その知事のお父さんは、癌になって余命2ケ月と宣告されて、もういつ死んでもおかしくないような状態だったそうですが、ある方に『長芋を蒸して毎日食べ続けなさい』と勧められて、そのとおりにしたら、どんどん食欲が出て来て、癌が治ってしまって、今はピンピンしているそうですよ!」というのだ。

全く食欲がなく、元気のない辛い日々を送っていたので、「それは本当なのか?」と、ネットでいろいろ調べてみたら、その知事がインタビューを受けている動画のあるサイトを見つけたのだ。それが、これだ!!→「コレ」をクリックしてご覧あれ。

俄かに信じ難いと思いつつも、9月半ば頃だったと思うが、藁をもつかむ思いで、小さな蒸し鍋を買って来て、その日から一日一回、今日まで食べ続けている次第である。蒸した長芋は、スプーンでも食べられるくらい柔らかいので、病人でも食べられるのである。

その知事のお父さんは、重篤な癌だったので、一日3回食べ続けたというのであるが、私は、それはとても無理なので一日一回だけ食べているのである。

少し変わって来たことは、味覚がほとんど感じないくらい胃が弱っていたのであるが少し食べ物がおいしく感じられる時が多くなってきたのかな・・・?と、最近感じることがあるのである。それから、朝方、目覚めの時などに多い胃のむかつきと不快感も殆ど感じなくなったことは事実かもしれないのである。でも、少ししか食べられないので、体重は減ったままである。

私はある建物の二階に住んでおり、日曜日には、一階にある集会室である集まりがあるのであるが、K婦人は「私は、朝から何を食べてもおいしいですよ。」と言う。何を食べてもおいしいというのは健康な人には当たり前のことであるのに、れを聞くと何か羨ましいと思ったりもするのである。食欲の秋で、みんなは食欲を抑えるのに苦労しているというのに、自分は、僅かに味を感じるようになったといって、ほんの少しだけ喜んでいるという次第である。


「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」(Ⅰテモテ4:5)。

 

 

●老いるということ

2014年11月01日 10時21分35秒 | ひとりごと


   
数年以上前のことであるが、ある高齢の一友人が「年を取ることは残酷なことですね~!」と言ったのを記憶している。その時は、「え!クリスチャンなのに何で?」と思ったのであるが70代半ば近くになった今になって考えてみると、何となくその意味が分かった気がするのである。

私の場合は、妻が重い病気(特殊な血液のがん)になって、看病&介護を14年も続けたので例外かもしれないが、70代に入ると、急激に体力も気力も衰え、そればかりでなく、様々な考えてもいなかった病気と体の不調が出て来るのだ。

そいう意味では、確かに残酷と言えば残酷である。
若い時にできたことが、次々と出来なくなるのは辛いことである。

もちろん、これにはかなり個人差があり、80、90歳になっても、いや、100歳になっても、ピンピンして元気旺盛な人もたくさんいるのは確かなことである。
私は若い頃から、特に胃腸が弱く、体力は弱かった方だと思う。これは遺伝かもしれない。

父は胃腸が弱かったので、その悪いところを自分が全部受け継いだのかもしれないのだ。これは、多分、遺伝かもしれない。
兄妹5人いるが、自分が特別に胃が弱かったのである。

母は、心臓や肺が弱かったので、どうやら、それも受け継いでいるらしい。
もう、20年以上も前になるが、旅行中に酷く咳が出て、辛い思いをしたことがある。帰宅後、病院で診てもらったら、軽い「肺気腫」と診断された。

これは、今では気管支炎と肺気腫を合わせて「COPD」という病名である。
一般的に、これは「タバコ病」とも言われ、タバコを吸う人に多いのであるが、私は今まで、タバコを吸ったことがないので、明らかに母方からの遺伝であろうと思う。

また、私は現在、心房細動の不整脈があり、これも母方の遺伝ではないかと思う。私の4つ上の姉は心臓が弱く、ペースメーカーを10年くらい入れていたが、8年くらい前に70歳で脳梗塞で他界している。

自分は、あとどれくらい生きられるか分からないけれど、人の寿命は全く予測不可能であり、誰にも分からない。
今の心境は、何とかしてもう一度、健康を取り戻して、若い頃のように働きたいのであるが、それは無理な願いなのだろうか・・・。

「年老いた時も、私を見放ないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。」(詩篇71:9)。