爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●一年を回顧、感謝あるのみ....

2014年12月31日 08時48分28秒 | 季節





(作成された方のお許しをいただいて使わせていただきました)

  
いよいよ、今年も大晦日を迎えた。年を取ると、一年が過ぎるのが凄く早く感じる。「光陰矢の如し」、「歳月人を待たず」などの諺が頭に浮かぶ。

一年を回顧すれば、自分の私生活にとっては、ある意味で辛い苦しい一年であったかもしれない。自分の残された生涯をどう生きるか、試行錯誤し、いろいろと悩みもしたのである。まずは、健康を回復したいとの願いから、室内でストレッチやインナーマッスル.トレーニングをしたり、食欲が出るようにいろいろ試してみたりもしたのである。

でも、この冬将軍到来と、厳しい寒さが続く季節を迎えて、腰痛や足の痺れは増し、やはり、回復は難しいのかと、落ち込んだりもした。食事は、一年前に比べると、大分美味しく食べられるようになったが、体重は、55キログラムしかない。身長174.5センチで、この体重は少なすぎる。一度、減った体重は増えないのだ。

もう一度、旅行できるまでに健康回復できれば、と思って努力したが、やっぱり無理かもしれない。せめて、日常生活だけでも、普通にできるようになればと思っていたが、今はスーパに買物に行くのも、楽ではない。でも、何とかして、前向きに頑張りたいと思っている昨今である。

孤独であっても、孤立してはならない....と自分に言い聞かせて、10月頃に、このようなブログも始めてみた。他人の作成したブログを訪問して、好き勝手なコメントを書いたりして、迷惑をかけたりしているのではないかと、反省もしている。多分、子や孫たちは、爺やの別な一面を見て、驚いているのではないかと想像している。(笑)

若い方のブログを訪ねて、いろいろ刺激を受けたり、また、楽しませてもらったり、教えられたり、学ぶことも多くあったのだ。また、ネット上でも、心の触れ合いのようなものを少し感じたりして、少しは、ボケ防止に役に立っているのでは?と思ったりしている。

人間の心というのは、暗い気持ちになると、どんどん負のスパイラルのように下に落ちて行くように感じるのだ。久し振りに、ブログをやって、他人のブログを覗いたりして感じたことは、孤独な人たちが非常に多いということである。面には表れなくても、そのような人たちは巷にあふれているように思うのである。

現代社会は、若い方にも年配の方にも、昔に比べて、確かに孤独な人が多いように思う。また、人生のいろいろな出来事に直面して、傷ついておられる方もたくさんおられるのだ。孤独な方や、人生の試練に遭遇している方がいると、自分が孤独な状況にあることも忘れて、何とかして助けてあげたい、いっしょに寄り添ってあげたいという欲張った思いが出て来ることもある。

この一年、いろいろな方にお世話になった。また、御迷惑もおかけした。心からの感謝を申し上げたい。自分の孫や、子供たちにもいろいろ励まされた一年であった。また、このブログを始めてから、出会ったたくさんの方々との交流も楽しかった。

なんとか、明るい気持ちで新年を迎えたいと思っているのである。この一年を回顧すれば、すべては、ただ、感謝あるのみである。

では、皆々様、どうか、良いお年をお迎えあれ!!

May the grace, peace and the love of God be with you all.

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎(sin)を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」(旧約聖書:詩篇103:2~5)。






●今日はただの日記である

2014年12月29日 09時01分59秒 | 日記

(これは、集会に来ているYamano--さんがクリスマスにプレゼントしてくれたものである。自分で作ったというから、凄いと思う。暗い所に置いてあっても、人が3mくらいの距離まで近づくと、ライトが付いて明るくなるのだ。)

朝起きると、まず、カーテンを開けて外を見る。今日は、雪が降っていない。雪が積もっていないと安心する。朝の除雪をしなくていいからだ。若い時は、冬の除雪で汗を流すことは運動不足を補うことにもなるし、爽快感すらあったのだ。でも、今は、腰痛があるので、除雪は楽ではない。

私のPCを開くと、最初の画面に私が住んでる所と子供たちが住んでいる所、親元を離れて生活している孫たちの住んでいる所の気温が表示されるように設定してあるのだが、今日は全国的に暖かいようだ。今日は、なぜか、わが住所よりも、東北のI県の方が気温が低い。マイナス5℃となっている。

今日は、朝6時頃に目覚めた。通常は、夜中にトイレに起きることなく、朝まで眠れることは、ほんどないので、珍しいことである。昨夜から今日にかけて非常に暖かく、今も0℃くらいなので、それでよく眠れたのだろうか....。暖気の時は心配なこともある。それは、屋根の雪が滑り落ちて、隣家の壁を直撃しないかと気になるのだ。

入浴する日は、大体就寝前に入ることが多いのであるが、昨夜は夕食前に、いつもより温めの湯にゆっくり入って見た。熱い湯に入るより、温めの湯にゆっくり入った方が体温を上昇させ、それを長く維持できるらしいのだ。また、昨夜は、お風呂のお湯を捨てないでそのままにして、風呂場のドアーを開けたままにして寝てみた。

部屋の湿度は、加湿器を使っても、冬は暖房などのために30%くらいにしかならないのであるが、今日は、いつもより少し湿度が上がっているようだ。空気の乾燥を防ぐためにも、風邪の予防のためにも、これはいい方法かもしれない....。

月曜日は、可燃ごみと生ごみの収集日なので、8時前に生ごみを出した。生ごみの収集は朝早いからだ。可燃ごみは、午後になることが多いのである。生ごみで、思い出したのだが、私は、先日、カラスに非常に腹を立てたのである。

何故かと言うと、いつもは、生ごみはポリバケツに入れて蓋をして、その上に重石のようなものをのせて置くのであるが、短い時間だから今朝は大丈夫だろうと、ちょっと、注意を怠って、その日は重石をのせなかったのである....。

ところが、僅かな時間(20分くらい?)にカラスがやって来て、蓋を開けて、ポリバケツを倒し、つついて食べて、中の生ごみを蹴散らかし、私が見に行った時には、白い雪の上に一面生ごみが散乱していたのである。私は、人に対して腹を立てるということはほとんどない。しかし、カラスに対して腹を立てたのだ。

カラスは、電柱の上で、「カァー、カァー、アホー、アホー」と言っているので、更に腹が立った。それで、雪玉を作ってカラスに投げつけたら、糞をして飛び去ったのである!北海道のカラスは特別に賢いのかどうか分からないが、何とも情けない。ああ、こん畜生......!!自分の不注意を棚に上げて、カラスに腹を立てるという まだまだ人間として、できていない爺やなのである。

先日、S県S市に住むSさんに電話をしてみた。最初に奥さん(S.Sさん)が出たのであるが、「もし、もし」と言っただけで、「あ~ら、〇〇さ~ん、お元気ですか~!」と、すごく元気な声で、テンションも高いのでびっくりした。「もし、もし」だけで、私だと分かったことにまず驚いた。

人間の声帯というのは、凄く精密にできている事に驚く。「もし、もし」だけで相手が分かるのである。話はそれるが、オレオレ詐欺などで、息子を装って電話をかけて来る偽息子を、なぜ、見抜けないのか、非常に疑問に思っているのだ。私は、自分の息子が電話してきたら、「もし、もし」だけで、瞬時に分かるような気がするのだが...。

しかし、それでも、振込め詐欺が後を絶たないのは嘆かわしい(あ、話がそれたままだ.....)。今年も振り込め詐欺の被害額は昨年よりもさらに増えているという。どうして、お年寄りをそのように食い物ににして平気でいられるのか、理解できない。彼らには、罪悪感がないのか、良心がないのか、嘆かわしいことだ。

ところで、先ほどのSさんであるが、私と同じ年齢である。東北から温暖な地方に今年引っ越したのである。一時、非常に体調を崩していたのであるが、電話で話しても、もの凄く元気なのである。体に、リョウマチなど、いろいろ悪いところがあったのに改善され、大分よくなったと言う。老後は温暖な地方で暮らした方がいい、と言っておられた。夫婦共にお元気でることを聞いて、まずは安心したのである。

今、自分にとって、いちばんしんどいのは腰痛と足の痺れである。自由に思うように歩けないというのは、辛いことだ。買物に行っても、重いものを持たないようにしている。家の中の家事も自由にできないのだ。普段もあまり掃除していないのに、まだ、大掃除もできていない。このまま、年を越すことになるのかもしれない。

元気な若い頃は、歩けることは当然のことのように思っているが、歩行の不自由を経験して、初めてそのありがたさを知る者となるのであろうか。歩くことも、手足を動かせることも、目が見えることも、耳が聞えることも、ご飯がおいしく食べられることも、みんな神様の恵みであり、人は神様に生かされているのに、普段はそれを当然のことのように思って、あまり感謝もしない自分がある。それが、人間かもしれない。もっと、もっと、感謝の心を持つ者でありたいと思う。

「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ書3:15)



●「今日は、しばれますね~!!」

2014年12月26日 10時58分29秒 | 思い出





 北海道には、“しばれる”という方言がある。もの凄く寒さが厳しいときに使うことばである。少々の寒さでは、絶対に使わない言葉なのである。私の子供の頃は、マイナス20℃よりも低いくらいの気温にならないと使わなかったような気がする。昔の方が今よりも冬はもっともっと寒さが厳しかったのである。

子供の頃住んでいた所は、和寒(ワッサム)町字塩狩というところで、小、中学時代は、塩狩から和寒までSLで通学していたのである。SLが和寒駅のホームに到着すると、駅員が「ワッサム~、ワッサム~、」と、独特な節回しでアナウンスして歩くのである。真冬にその声を聞くと、「わっ、寒~い!!」と、震えたのを懐かしく思い出すのである。(ちなみに、SLは、steam locomotive{蒸気機関車}の略である)

私の子供の頃は、今よりもずっと寒さが厳しかったように記憶している。冷気を吸い込むと、鼻の穴も、肺の中も凍ってしまうような感じになるのである。そして、吐いた息で、眉毛も鼻毛も凍ったように白くなってしまうのである。雪の道を長靴を履いて歩くと、「キュ、キュ、」と軋むような音がするのだ。そのような厳しい寒さの時に、“しばれる”という言葉を使うのである。

私が、子供の頃に経験した最低の寒さはマイナス34℃くらいであったことを覚えている。その当時は、家の中も、今のように温かくはなく、朝、目が覚めて布団の襟のところを見ると、吐いた息が凍ってガバガバになっていたのを懐かしく思い出すのだ。わが家は、貧しい開拓農家であったので、なお更、寒かったのではないかと思う。冬の夜は、家の中でも冷えるので、中学生の頃、家の中でオーバーを着て勉強したこともある。

それで、そのような寒さの日には、道で人と会った時も、「今日はしばれますね~!」と挨拶するのだ。父といっしょに、冬の道を歩いていると、道ですれ違う人に、必ずと言っていいくらい、「今日は、しばれますね~!」と挨拶していた。私は、「父さん、あの人、知っている人なの.....?」と聞くと、「いや、知らない人だ......。」と答えるだけで、それ以上何も言わないのだ。

私は、昨日、町内会の人が会費を徴収に来た時に、「いや~、今日はしばれますね~」と言ってしまった。すると、その人も、「そうですね~、しばれますね~、」と言ったのだ。それ以上は何も言わない。冬になると、北国に住む人たちは寡黙になるのだ。でも、「しばれますね~!」と挨拶した後で、何か、小さな罪悪感のようなものを覚えた。このくらいの寒さでは、昔はしばれるとは言わなかったからだ。昨日は、マイナス10℃くらいしか下がらなかったからだ。

自分の心の中には、このくらいの寒さでは、まだ使ってはならない言葉である、という勝手な思い込みがあったのである。この気持ちは、厳寒の北国に住む人でなければ分からないのではないかと思う。いや、今の若い人たちにも分からないかもしれない。若い人は、「しばれますね~!」などと挨拶することはまず、ないのではないかと思うのである。

ネットで調べると、「しばれる」というのは北海道弁で「寒い」とか「冷え込みが厳しい」という意味の方言、というような説明があるが、この説明では、ちょっと、物足りない感じがする。本州の人は、氷点下0℃くらいでも、「冷え込みが厳しい」と言うのではないかと想像する....。それで、それくらいの寒さが「しばれる」の意味と誤解される可能性があるからである。

この「しばれる」の語源は、いろいろな説があるようであるが、一説には「寒くて身が縛られるように感じる。」というところから生まれた言葉という説があるようだ。私も、今まで、語源についてまで考えたことがなかった。ちなみに、「シバリング」という医学用語がある。体温が下がった時に筋肉を動かすことで熱を発生させ体温を保とうとする生理現象のことである。調べてみたけれど、「しばれる」との関連は不明である。

ところで、妻が病気になる前には、私は、北海道から沖縄まで、全国各地を旅行したのであるが、南の地方のある場所で集会が開かれ、その時に、子供たちがたくさんいたので、こんな話をしたことがある。「北海道の冬はね、もの凄く寒さが厳しくて、山に向かって、“お~い。元気か~!”て叫ぶとね、その声が凍ってしまうんだよ。そしてね、春になって暖かくなると、その声が融けて、やまびこが帰って来るんだよ。」という話しをしたのである。

もちろん、これは、子供を驚かせようと、冗談で言ったことである。でも、小さな子供たちは、真面目な顔で真剣に聞いていたのだ。ほんとうだと思ったのである。それで、その後、すぐに、「これは、冗談だよ~!」と言ったら子供たちは、ゲラゲラと、笑っていた........。そんなことがあって、子供というのは、純真でいいなぁ~と思ったことがあるのだ。子供に嘘をついては行けないと思っているけれども、このくらいの冗談は許される範囲内だと思っている。

このブログでは、正体がばれないように、地名を出さないと決めていたが、今日は書いてしまった。ワッサムという地名を書かないと、伝わらないからだ。それにしても、今日も、「わっ、さむ~!」.......。ぶるぶるっ!!

   
 



     (その当時、塩狩峠を実際に走っていたSLである。)


★今日(27日)は、寒さで朝4時前に目覚めて、そのあとは眠られず、今日一日体調が悪かった。明日は日曜日なので、体調を整えておきたい。睡眠と体調はかなり深い関係があるようだ。年を取ると、寒さが身に沁みて応える....。何か、すごく疲れた・・・・。今夜は、熟睡したい。

★神様からの贈物

2014年12月24日 09時21分45秒 | 季節




(雪の中、元気に登校して来る子どもたち。この日、小学校の前で、子どもクリスマス会の案内チラシを配ったのだ。)





  
私のブログは、その日に思いついたこを書くだけであり、何のテーマもないのである。何でもありの雑貨屋みたいなブログである。ここを訪問する人は、戸惑うかもしれない。どうか、その点、ご了解いただきたいと思っている。

今年の夏に、S市に住んでいる60代の友人Uさんから、胃腸の不調が続いていた私のことを心配して、とても軟らかい煮魚のセットのようなものが送られたきたのである。骨まで軟らかいので、胃が弱い私にとっても、とても食べやすかったので、メールで丁寧なお礼を書いたのである。1週間ほど前に、また、同じものが送られて来た。鍋に湯を沸かして温めるだけで食べられるので、非常に助かっている。

また、先日は、北海道の日本海側にある初山別というところに住んでいて、障害者施設で働いている私の弟が、その施設で製造している海産物の“いくら”1セットを送って来た。その日の夕食に、温かいご飯にのせておいしくいただいたのである。まだ、数回食べられるだけ残っており、毎日、少しづついただいている。やはり、兄貴に食べやすいものを、ということで、送ってくれたのであろう......。

また、昨晩は、娘の一人から「西の果ての島からの甘い贈り物」石焼ごと芋(さつまいも)というものが送られて来た。「長崎・五島福江島産」と書かれている。レンジで3分温めればすぐ食べらるものだ。「一度食べたら、忘れられないねっとりと濃厚な密の甘さ」と書いてある。要冷凍と書いてあったので、1晩、玄関フードに置いておいた。北海道では、厳寒(ゲンカン)時は、玄関の外の玄関(ゲンカン)フードは常に氷点下なので、そこに置いておけば、冷凍庫に入れなくても大丈夫なのだ。(笑)

これらのものは、みな私に食べやすいものばかりである。まことに、ありがたいと思っている。自分は、しあわせ者であると思って感謝しているのである。何よりも、このような者のことを思いやり心配してくれるその心がうれしいのである。そして、私たちは、普通、人に贈物(Present)をする場合、その人が何が一番必要であるか、何を一番喜んでくれるかを考えるのである。

昔、私の先輩の伝道者(Mさん)がある時、福音集会で話したメーッセージを今でも覚えている。Mさんは、小児麻痺で、両手両足が不自由であって、左手だけが僅かに自分の意志で動かせる方であった。その彼が、クリスチャンになり、そして、人々にキリストの福音を伝える伝道者になったのである。彼と結婚して夫を支え続けた夫人も凄い人だと思う。決して誰にでも真似ができることではない。

その彼が、ある時の集会で、こんな話をしたのである。ある時、彼のことをよく知っている友人が彼にPresentを贈ったのである。ところが、そのMさんに贈ったのは、革靴であったのだ。Mさんは、生まれてから一度も歩いた経験がなく、もちろん、靴を履くことなどできるはずがないのだ。それをよく知っている友人が靴を贈ったのである。

その時の福音メッセージで、Mさんは、なぜ、その友人が彼に靴を贈ったのか、今でも分からない....というような意味の話をされたのである。ただ、それだけの話であるが、40年も前のことを今でも記憶している。

私がこのようなことを書いたのは、人は誰でも、贈り物をする場合、その人に何が必要なのかを考えるのである。それならば、愛なる神様は、なおさら、そうではないか....ということを言いたかったのである。今日はクリスマス・イブ....。聖書の中から、“神様の贈物”のことを考えてみたいのである。聖書の中に次のような聖句がある。

「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイ7:11)。

「すべての良い贈物、また、すべての完全な賜物は、上から来るのであって、光を造られた父(神)から下るのです。父(神)には移り変わりや、移り行く影はありません。」(ヤコブ1:17)。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、この世(この世界にすんでいるすべての人々)を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト.イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)。


クリスマスのこの時期に、神がなぜご自分の御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになられたのかを静かに考えるひとときを持つ事ができたら、幸いである。

神の御子イエス・キリストは、約2.000年前のあの静かな夜、あのベツレヘムの寒村の馬小屋で、全人類の救い主として、ひっそりと、生まれたのである。あなたのためにも....。
 
Merry Christmas to you.
May the grace, peace and the love of God be with you all.


♪・・・・きよしこの夜(Silent Night)・・・・♪





◆◆*****2日くらい前から、両足の親指が少し痛い。今日は、足の裏も少し痛い。これは、もしかしたら、“しもやけ”なのか....。それとも、湯たんぽによる低温火傷か....。痒いわけではないので、やはり、火傷かもしれない。子どもの時、湯たんぽで足のくるぶしの上のあたりをやけどしたことが時々あったのを思い出した。
  


  




●クリスマス.カラーの3色

2014年12月22日 12時01分00秒 | 季節







今日は、私の通院日であるが、外は猛吹雪であるので、病院に行くのは止めることにした。車を走らせるのも危険だし、歩いていけば、行き倒れにになるかもしれないからだ。毎日、服用している薬もなくなったが、1日くらい飲まなくても、死ぬこともないだろう。

でも、今日は、少し体調がよろしくないようだ。やっぱり、低気圧と無関係ではないようだ。爺やは、子供や孫たちに元気なところを見せて安心させようとして、ちょっと無理しているかもしれないかな.......。時々、疲れて、頭がボーっとしていることがあるのだ。

=====ところで、一般的に、クリスマスカラーと言えば、どなたも、赤・緑・白の3色が頭に浮かぶと思う。この3色がそろうとクリスマスという感じがするのだ。その3色から、私の人生のみちしるべであり、座右の書としている聖書(BIBLE)のみことばから考えてみた。

クリスチャンにとって、「赤」はキリストが十字架上で流した贖罪の血の色を思い浮かべ、それは、神の「愛」を表している色ということが言えると思うのである。
最近、民放TVのある番組で有名な假屋崎 省吾という華道家が、「赤は、キリストの血を意味しているんです。」というのを聞いて、ちょっと驚いた。一般の人で、そのように言う人は、とても珍しいと思ったからである。

「あなたがたが、先祖から伝わったむなしい生き方から救われたのは、..........傷もなく、汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(Ⅰペテロ1:18,19)。

「緑」は、クリスマス・ツリーに使われるモミの木や松の木、柊(ひいらぎ)を思い浮かべるのであるが、これは一年中葉が落ちず、緑を保つ色を変えない常緑樹で、つまりエバーグリーンの植物である。この強い生命力から希望の木とされ、永遠の命を象徴していると、一般的には言われているようだ。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。

「白」は、どなたも、クリスマスに降る雪の色をイメージされると思う。もちろん、南半球では、12月は真夏なので、全く雪のないクリスマスであるが、白はきよい心とか、純潔を表す色ということができるかもしれない。

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のように白くなる。」(イザヤ書1:18)。

このクリスマス.シーズンに、一人でも多くの方にキリストの十字架にあらわされた神の愛を知ってほしいと切望して、私は、神様に祈りをささげる......。


★★今日の午後、吹雪が少し弱まった感じがしたので、やっぱり、病院に行って来た。車にするか、歩くか、大分迷ったが、結局歩いて行って来た。車をガレージから出すのが面倒なこともあるが、帰宅した時に積もっている雪のために、車がガレージに入れなくなる可能性があるからだ。診察なしで、薬だけもらって来た。

薬局で、座って待っていた時、薬が陳列されている棚に、アリナミンEXがあるのを見たので、それもついでに買って来た。先日、初山別にいる弟に電話した時、「腰痛には、アリナミンEXがよく効くと思うよ!」と言っていたのを思い出したからだ。

帰りは、最初はタクシーにしようと思っていたが、雪の降り方が大分収まって来たようだったので、やっぱり、歩いて帰って来た。経済的な問題ではなく、足や腰の筋力が弱くならないように少しでも歩いた方がいいと思ったからだ。

帰って来てから、すぐ、カーペットの上に、ごろんと横になって、腰の痛みが楽になるまで、しばらく休んでいた。それから、PCの前に座ってブログを開いて見たら、SNOWちゃんのコメントがあったので、嬉しくなった....。