爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●今は天国にいる妻のラブレター

2014年11月12日 21時25分07秒 | 思い出



今日、11月12日は妻が天国に逝ってから、2回目の結婚記念日である。47年前の今日、結婚したのである。男寡(やもめ)になって、結婚記念日を祝うのはおかしいことかもしれないが、今日、出前の生寿司をとって、一人でお祝いしたのである。*******「生寿司」という言い方は、北海道の方言で、多分、本州ではこのような言い方はないのかもしれない。

家族5人で生活していた頃に使っていたテーブルを今も使っているので、一人で使うのは、大き過ぎるし、濃茶色のテーブルは暗い印象がある。
それで、気分転換に、テーブルクロスを買って来て、かぶせて見た。部屋が少し明るくなったかな?という感じはあると思う。

*********47年前に、タイムスリップ・・・。妻と婚約したのは、その年(昭和42年)の8月であり、挙式したのが11月であるから、3ケ月の婚約期間があったのである。その婚約期間中に週に1度のペースで、妻と手紙のやりとりをしたのだ。今のように携帯電話のようなものがあるわけでもなく、その手紙が届くのが待ち遠しかったことを思い出す。

婚約中の妻の手紙は、男性的な筆跡で決して上手とは言えない文字であったし、小学生が書くような文章であったのであるが、感情や気持ちを短刀直入に、ストレートに表現して書いてあったので、とても分かりやすかったのだ。手紙を開けるときに、何か、palpitationを感じたのは事実である。爺やにもそんな青春時代があったのだ・・・。

ある日に受け取った手紙には、旧約聖書の次のことばが書かれてあったのである。「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。・・・・」(ルツ記1:16,17)。

これは、ルツ記の中の美しい話である。嫁のルツが姑ナオミに言ったことばである。その言葉を、やがて夫となるであろう私への手紙の中に書いて来たのである。その時に、私は心から妻を愛おしく思ったことを懐かしく思い出すのである。妻のまっすぐな信仰を見ることが出来るのだ。50年近く過ぎた今も、鮮明に記憶しているのだ。

また、妻が住んでいた所は私が住んでいたΟΟ市から電車で数時間はかかる距離であったので、頻繁に会うこともできなかったのであるが、多分、婚約期間中に、2回くらい、お互いに行ったり来たりしたことを覚えている。

ある時、妻が私の住んでいる所まで電車で来たので、二人で公園に行ったり、ボートに乗ったりして、楽しい時間を過し、帰る時には駅まで見送りに行ったのである。私は、プラットホームで、電車の発車するのを待っていたのだ。停車時間が長かったので、私は、視線をそらして右を見たり左を見たりしていたらしい。

それで、手を振って別れたのだが、その後、妻からの手紙の中に、「・・・あなたは、列車が発車するまで、ずっと、私の目を見ていてほしかったのに・・・。そうしませんでしたね。」という意味の言葉が書かれていたのである。その言葉も、長い年月が過ぎた今も鮮明に覚えている。

結婚した後も、それらの妻からの手紙を屋根裏部屋に、宝物のように大切に保管していたのであるが、いつの間にか、無くなっていたのである。多分、妻が捨ててしまったのであろうと思っている。子供たちに見られたら恥ずかしいと思って捨てたのであろう。きっと、そうに違いない。

多分、天国の妻は、「お父さん、そんなこと、ブログに書くのは、恥ずかしいから止めて~!!」と言っている気がする。
子供や孫たちも、「爺やは、とうとうおかしくなったんじゃないか~!」と言っているかもね・・・。(笑)でも、病床で苦しんでいた時の妻を思い出すのは辛いので、なるべく楽しかったことを思い出すように努めているのである。