爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●私の家はどこ・・・・・・?

2015年02月03日 14時04分00秒 | その他




今朝の気温は、マイナス15℃。しかし、今日は、雲ひとつない晴天で、紺碧の青空が広がっていた。体調は決して良くなかたが、どうしても外を歩いてみたくて、痛む足を引きずりながら 市役所庁舎の最上階(11階)に上がって、わが街の写真を撮って来た。


私が一人で住んでいる家の屋根も見える。どこだろ~....?
庁舎の窓から、家々を眺めて、その家の一軒一軒に、それぞれの人生のドラマがあるのだろう.....などと考えていた。老人が一人だけで住んでいる家も今はたくさんあるのだろうと思う。


この街に移り住んでから、30数年が過ぎ、感慨無量である。すっかり、街が変わってしまった。その頃は、街に出るとたくさん人が歩いていて賑やかであったが、今は、誰も歩いていない。大型スーパーが郊外にいくつも出来たこともあるが、若者が都会に出て行ってしまったのだ。寂しい限りである。


明日の朝は、氷点下20℃になる予報である。年寄りには厳しい寒さである。
でも、「がんばるぞ~」と、カラ元気を出してみる.......。







<MEMO>
■最近、なぜか、パンやお菓子類が食べにくいし、味覚がおかしい、唾液がネバネバする、口が渇く、舌がピリピリする...などの症状があり、なんだろうと思っていたら、昨日の某TV番組で、ドライマウスについてのことを放映していて、「なるほど!」と思いました。ドライアイは知っていたけど、ドライマウスは知らなかった。加齢と共に、様々な体調の不良が出て来る・・・・。これも、どうしようもないことだ。いかに対処すればいいのか、今、調べているところです。



●赤毛のアン:名言集

2015年01月27日 16時31分51秒 | その他


■赤毛のアン動画■

  
今日は、気分転換に少女のような心になって、アンの世界に、皆様をご招待します。アンは感性溢れる言葉をたくさん残していますが、アン以外でも、心に残るすばらしい言葉はたくさんあります。その一部をご紹介します。時々、子供のような心になることも、自分の老化しつつある脳内を刺激するのではと思ったのです。すべて、村岡花子訳です。

「これから発見することがたくさんあるって、すてきだと思わない?あたししみじみ生きているのがうれしいわ―世界って、とてもおもしろいところですもの。もし何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ。そうでしょう?そうしたら、ちっとも想像の余地がないんですものねえ。」-アンの言葉。
Isn't it splendid to think of all the things there are to find out about? It just makes me feel glad to be alive—it's such an interesting world. It wouldn't be half so interesting if we know all about everything, would it? There'd be no scope for imagination then, would there?

「朝はどんな朝でもよかないこと?その日にどんなことが起こるかわからないんですものね。想像の余地があるからいいわ。」-アンの言葉。
All sorts of mornings are interesting, don't you think? You don't know what's going to happen through the day, and there's so much scope for imagination.

「おわびをして許されるって、ほんとにいい気持ちのものね。」-アンの言葉。
It gives you a lovely, comfortable feeling to apologize and be forgiven, doesn't it?

「家へ帰るってうれしいものね。自分の家ときまったところへ帰るのはね」-アンの言葉。It's lovely to be going home and know it's home.

「あのね、マリラ、何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」-アンの言葉。
Oh, Marilla, looking forward to things is half the pleasure of them.

「寝室というものは眠るためにあるのだよ」「あら、それから夢を見るためでもあるわ、マリラ。それにほら、部屋にきれいなものがあったほうがよけい、いい夢が見られるじゃないの。」-マリラとアンの会話。
“Bedrooms were made to sleep in." "Oh, and dream in too, Marilla. And you know one can dream so much better in a room where there are pretty things.”

「ああ、小父さん、すてきな朝ね。神様がご自分でただ楽しみのために描いた絵のような世界じゃないこと?」-アンの言葉。
"Oh, Matthew, isn't it a wonderful morning? The world looks like something God had just imagined for His own pleasure, doesn't it?”

「あたしの中にはたくさんのアンがいるんだわ。だからあたしはこんなにやっかいな人間なんじゃないかしらって思うことがあるのよ。もしあたしが、たった一人のアンだとしたらもっとずっと楽なんだけれど、でも、そうしたらいまの半分もおもしろくないでしょうよ」-アンの言葉。
There's such a lot of different Annes in me. I sometimes think that is why I'm such a troublesome person. If I was just the one Anne it would be ever so much more comfortable, but then it wouldn't be half so interesting.

「まったく、この世は会ったり、別れたりってことばかりね。リンドの小母さんの言うことじゃないけれど」-アンの言葉。
Dear me, there is nothing but meetings and partings in this world, as Mrs. Lynde says,

「マリラ、明日がまだ何ひとつ失敗をしない新しい日だとおもうとうれしくない?」-アンの言葉。
Marilla, isn't it nice to think that tomorrow is a new day with no mistakes in it yet?

「ちょっとしたほめ言葉が、ときにはありとあらゆる良心的な教育をよせ集めたとおなじくらいの効果を、あげることがあるからである。」
a little "appreciation" sometimes does quite as much good as all the conscientious "bringing up" in the world.
★「a little "appreciation"」を「ちょっとしたほめ言葉」と訳しているのも、流石、村岡花子訳ですね~。

「とてもすばらしかったわ。あたしの生涯で画期的なことになると思うの。でもいちばんよかったことは家に帰ってくることだったわ」-アンの言葉。
I've had a splendid time," she concluded happily, "and I feel that it marks an epoch in my life. But the best of it all was the coming home.

「そしてアンが気がつかないうちに春はふたたびグリン・ゲイブルスにめぐってきて、世はまたも花に包まれた。」-
and then, almost before Anne realized it, spring had come again to Green Gables and all the world was abloom once more.

「リンドの小母さんのまねじゃないけれど、ほんとうに元気になれないまでも、とにかくなれるだけ元気になりましょうよ。」-アンの言葉。
As Mrs. Lynde says, 'If you can't be cheerful, be as cheerful as you can.
★「ほんとうに元気になれないまでも、とにかくなれるだけ元気になりましょうよ。」という言葉は今の私には、心に語りかける言葉のような気がします。

「あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。」-アンの言葉。
I don't want to be anyone but myself,

「あんたにはわたしがいるし、わたしにはあんたがいるもの。ふたりで力を合わせていくんだよ、アン。あんたがいなければ―あんたがこの家にきてくれていなければ―わたしはまったく途方にくれていたよ。」-マリラの言葉。
We've got each other, Anne. I don't know what I'd do if you weren't here—if you'd never come.
★「We've got each other, Anne.」を「あんたにはわたしがいるし、わたしにはあんたがいるもの。ふたりで力を合わせていくんだよ、アン。」と訳す村岡花子も凄いですね。文脈を完全に理解していないと、こんな訳はできないと思うなあ~。(笑)

「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの」-アンの言葉。
Now there is a bend in it. I don't know what lies around the bend, but I'm going to believe that the best does. It has a fascination of its own, that bend, Marilla. I wonder how the road beyond it goes—what there is of green glory and soft, checkered light and shadows—what new landscapes—what new beauties—what curves and hills and valleys further on."

「「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。」-ブラウニングの引用。
"'God's in his heaven, all's right with the world,'" whispered Anne softly. softly.”
★「whispered Anne softly. softly.」を「アンはそっとささやいた。」と訳しているのは、やはり,名訳だな~と思いました。


★北海道は、数日、3月下旬のような暖かいが日続きましたが、今日は一転して、真冬日に戻りました。「病は気から」という一面もあるので、できるだけ前向きに生きていきたいと思っています。
★ローカル番組で、「北海道では、最近、winter blue(ウインターブルー)になる女性が増えている。」ということを言っていました。職場でのストレス、世の中は暗いニュースばかり.....、希望が持てない社会...ブルーになってもおかしくないかもしれない。私は、シルバーブルーにならないようにしっかりしなければ...。
Green Gables のような春が早く来ることを心から願う昨今です。(^ー^)


■■== 1990年(平成2年)に、北海道某市に、カナディアンワールドというテーマパークが開園されたことがありました。
開設時にはプリンス・エドワード島にあるものを忠実に再現した「赤毛のアンの家・グリーンゲイブルズ」や「リンド夫人の家」、「時計塔・セントジョン」などが整備され、開業時には「カナダをテーマとしたものでは日本最大のテーマパーク」とされていたのです。

しかし、赤毛のアンの人気は「カナディアンワールド」の集客には直結できず、年間入場者数は最多だった1991年(平成3年)度で約27万人と目標の40万人を大きく下回り、早くから入場者数が低迷して業績不振に悩まされることになったのです。
それで、「赤毛のアン」ではなく、「赤字のアン」になってしまったという笑話のような話もあります。このようなものは、やはり、テーマパークとしてやっても駄目なのですね。  

 

●シドニーで起こった事件....

2014年12月16日 09時27分46秒 | その他


 

昨日、オーストラリアのシドニーで起こった事件についてTVニュースで報じられていた。実は、先日の記事にも書いたのであるが、外国からの来客があって、30年ぶりくらいに再会を喜び合って、帰国したのであるが、そのHさんご夫婦は、AustraliaのSidneyから来られた方だったのである。

私は、昨夜、心配だったので、Hさんにメールを送信してみたのだ。そうしたら、今朝、返信が届いていたのである。以下は、そのメールの一部である。

「お早うございます。先日大変お世話になりまして、お礼申し上げます。家内と一緒に先週の金曜日に無事に帰国しました。例の事件が起こったところで私自身6年間仕事をさせて頂きました。先ほどのニューズでは事件が、犯人を含みまして3人の死亡者をもって、終了しました。これから、起こるだろうと聖書は予言をしている事件と比較したら、小さい出来事であると思われますが...」

Hさんが、ここで6年間も働いていたことは全く知らなかったので、ほんとうに驚いた。今日の早朝のニュースでは、警察が犯人が立てこもっていたカフェに突入して、銃撃戦となり、犯人は射殺されたが、2人の人質が死亡したらしい。2人の人質のいのちが失われたのは残念である。

このニュースに触れて、「2人だけの犠牲でよかった!」と思う人もいれば、「2人もの尊いいのちが失われたのは残念だ!」と悲しむ人がいるかもしれないが、私は後者である。

人の命は尊いものである。昨今、あまりにも軽々しく人のいのちが失われる事が多いので、とても嘆かわしいと思っているのである。

今回の事件の犯人が、「イスラム国」と関係しているかどうかまだ分からないが、「イスラム国」の旗を持って来るように要求したということは、明らかに、そのような過激な思想を持った人物であることは間違いないであろうと思う。

Hさんが来られた時に聞いたことであるが、オーストラリアには、イスラム国の兵士の予備軍を希望している若者が非常に多く(何万人も....!)もいるということである。恐ろしいことだ。カナダやアメリカにもたくさんいる。多くはないと思うが、日本にも、そんな若者がいるのだ。それも、最高学歴を持つ者たちの中に....。

今後、このような事件が世界各地で起こるであろうことは、十分、予測できることである。世界各国の指導者がイスラム国とどのように対峙するか、頭を悩ましていることは周知の事実である。そして、これは、非常に難しい問題であることは間違いないのである。

武力に対して、武力で対抗しようとするなら、憎しは憎しみを生み、悪循環で、益々、世界に大混乱を巻き起こすことになりかねないと懸念しているのである。これは、世界の一都市で起こった小さな事件と考えるべきことでないと思っているのである。

あの9・11のテロの後、世界は変ったと言えるかもしれない。テロを封じ込めようとして、武力を用いたために、更に大きな危険に遭遇しているのが、現実ではないだろうか。過去の歴史を見れば、分かることであるが、戦争によって、解決できた問題が、何か、一つでもあったであろうか。人は、残念ながら、歴史から何も学んでいないのである。

集団的自衛権なるものが、行使されて、自衛隊が海外に出て行って戦争をするようなことにでもなれば、テロ集団は、今度、日本にも矛先を向けるであろうことは、容易に想像できることである。

今年の世相を表す言葉を漢字一文字で表すならば、「税」であると報じられている。もちろん、それも生活の苦しさを考えるなら、よく分かるのであるが、しかし、もし、私が選ぶとするなら、「危」と言う字を選びたいのである。

あらゆるところで、人間の命が危険に晒されているからだ。「危険ドラッグ」もそうである。その危ないドラッグを飲んで平気で車を運転し、通行人の命を奪っているのだ。これは、日本だけでなく、諸外国でも、深刻な問題となっている。

地球環境も危ない。地球温暖化が原因と思われる災害が毎年、急加速度的に増加している。それに対して、世界各国の指導者は、危機感があまりにも薄す過ぎるのだ。それは、根本的には人間のエゴが原因である。自己中心的な人間が持っている罪が根本的な問題であることを多くの人は気づいていないのである。

今は、軍備を拡張し、戦争をやっている時ではないのだ。世界中が一致協力しないと、この美しい地球は滅びてしまうのである。人類は目を覚まさなければならない。ただ、世界経済がよくなればそれでいいというような単純な問題ではないのだ。世界の指導者たちが、英知を結集して、この美しい地球を守らなければならないのである。

日本の教育も危ない...。正しい意味の教育とは何か、根本から見直す必要があるのだ。いや、世界の教育が危ない。あのノーベル平和賞を受賞した17歳の少女、マララさんは、ある意味で一石を投じたと言えるかもしれない。子供や女性が教育を受ける権利をいのちがけで熱く語っている。日本では、教育を受けるのは、当然のことのように思っている若者も多い中で、彼女の強固な信念に脱帽する。

書けば、きりがないが、人の命の尊さをもっともっと知るべきではないだろうか....。一人の人間のいのちは、地球よりも重いことを聖書は語っているのである。

「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」(マルコの福音書8:36,37)。

〓〓このような記事を書いていた当日、パキスタンでは、マララさんの思いも届かず、タリバンによって、学校が襲撃され、彼らは、勉強している無防備な多くの子供たちに銃を向けて、30分も乱射しつ続け、141人の子供たちが死亡したことが報じられたのである。なんと、驚愕するような戦慄すべき出来事であろうか....。

★今夜からあさってにかけて、北海道地方は、数年に一度の暴風雪の天気になる予報で、厳重な警戒を呼びかけている。停電、雪崩、強風による家屋倒壊、視界ゼロになるホワイト.アウト、様々な交通障害.......などもあり得る。
わが家は、オール電化なので、停電が長く続けば、凍死もあるかも...。ああ、私のいのちが危ない~!!   
  






   

●この問題、分かりますか?

2014年12月09日 17時36分05秒 | その他



氷点下の寒い日が続いている。今日も、寒かった~!!ぶる!!

さて、先日、ある民放TVで、「日本一の頭脳決定戦」というタイトルの番組が放送された。ボケ防止になるかと思って、興味をもって見てしまった。

日本で最も勝れた「頭脳」を持つのは誰なのか。3万人を超える挑戦者の中から予選を勝ち抜いた8人が、学力、知識力、知能指数(IQ)、推理力など、あらゆるジャンルで戦うのである。

戦いは、8人による準々決勝、4人による準決勝で進められ、最後に2人による決勝戦となるのだ。

8人はみな、超天才ばかりである。その決勝戦で戦ったのは、東大医学部の奇蹟の頭脳を持つ最年少の18歳の男と、京大の天才との戦いになり、18歳が優勝して100万円を貰ったのである。

私には、その問題の意味すら、理解できないものも多くあったが、超難問をスラスラと秒単位で解いていくのだ。偏った知識でなく、すべての分野(数学、物理、音楽、歴史、天文学、科学、化学、文語....etc)で勝れていなければ、絶対に勝ち進めないのである。

日本には、こんなに勝れた頭脳を持った人がいるのかと、ほんとに驚いたのである。究極の知力バトルである。

最後の決勝戦の問題の中で、今、その問題と答えを思い出して、思い出せるものが二つだけある。記憶力がイマイチなので、表現は正確ではないかもしれないが下記のような内容だったと記憶している。

これは、推理と想像力が試される問題だと思うが、みなさんも是非、挑戦してみていただきたい。決勝戦で戦って優勝した18歳少年は30秒足らず(?)で解いた問題である。

問題1.次の(      )の中に入る言葉(文?)を考えて意味の通じる文章を完成させなさい。なお、(        )の中には、どちらも同じことばが入るものとする。

●(          )は、南半球にあるが、
 (          )は、南半球にはない。

問題2.次の(       )の中に入るアルファベットは、何か答えなさい。
  M <V<(    ) < M<J<S <U<<N <P
この問題は、優勝した18歳(東大)だけが、答えた問題で、戦ったもう一人(京大)は答えることができなかったのである。(ある程度の英単語の知識が必要と思う)

どなたでも、答えが分かった方がおられたら、コメント欄で教えていただきたい。匿名でも、ハンドルネームでも結構である。2日後くらいに、ココで答えを発表することにするのだ~!!   


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明日、答えを発表しようと思いましたが、問題1は、コメント欄のお3人とも、正解に近いし、問題2の答えは、レナルナさんが、正解でしたので、答えを書いてしまいます。

問題1の答えは、
(     )の中は、(地球の半分)が、正解です。この言葉を入れると、

「(地球の半分)は、南半球にあるが、(地球の半分)は、南半球にはない。」で意味が通じる文章になりますね。
レナルナさんの“半分こ”というのは、大体、発想として当たっているのです。

問題2の答えは( E )で正解です。レナルナさんは、すごいですね。英語に親しんでいないと、この答えは出て来ないかもしれませんね。多分、答えを聞いても、何故?と思われる方もおられるかもしれませんので、もう少し説明します。

何故、Eかと言いますと、これは、太陽系の惑星の配列を、太陽に近い方から並べたものを英語で言ったものの頭文字なのです。太陽からだんだん遠くなって行く順番です。
すなわち、下記の通りです。
水星 Mercury (マーキュリー)
金星 Venus(ビーナス)
地球 Earth(アース)
火星 Mars(マーズ)
木星 Jupiter(ジュピター)
土星 Saturn(サターン)
天王星 Uranus(ユラヌス)
海王星 Neptune(ネプチューン)
冥王星 Pluto(プルート)
    M <V(E)< M<J<S<U<<N<P

レナルナさん、あなたの想像力と語学が勝れていることが証明されました。
  congratulation!!  パチパチ   

ネットで、動画がないかどうか、調べてみました。ありました。見たい方は、ココをクリックしてご欄になってください。

すみません。これは、2011年の決定戦でした。今年のはUPされていないですね。
今年、頭脳王で優勝したのは水上颯という青年(少年?)です。
1日、1時間しか勉強しないで、優勝するのですから、まさに、超天才なのだと思います。








◆ブログ雑感・・・・

2014年12月01日 11時41分33秒 | その他



私は、過去に数年間、ブログをやっていたことがある。でも、それは、ブログをやるのが目的ではなく、HPの代用としてそのツールを使ったのである。

私は、ホームページを作成したかったのであるが、PCは60過ぎてから独学で始めたこともあって、自分にはHPを作る能力がないことが分かったのである(今もそのスキルの低さは変わらないと思う)。

それで、その頃、ブログなるものがあることを知ったのであるが、これなら、自分でもHPの代用として使えるのではないかと思って始めたのである。日本では、ブログが2003年の12月に、一気にブレイクしたのであるが、その意味で、今、考えると、私は、流行の先端を行ってたのかな.....。(笑)

私には、世界中に発信したいメッセージがあったのである。それで、2004年11月~2007年10月までの約3年間、時間のある時にコツコツと記事を書いて、3年間に約200余件のメッセージを書き綴って発信したのである。

私の予想を越えて、たくさんの方のご訪問をいただいた。流石にインターネットである、海外に住んでおられる多くの邦人の方からもメールもたくさんいただいたのである。

アメリカ、カナダ、南米諸国、オーストラリヤ、NZ、ヨーロッパ諸国、オーストリヤ、スイス、韓国、中国、インド、............etc.

今は、たまに、季節にあったテンプレートを交換したりするぐいらいで、全く更新はしていないのであるが、それでも、毎日200人前後の訪問者があり、閲覧数は平均して500前後はある。
因みに、11月30日現在の、トータル閲覧数は、1,475,896となっている。

ところで、今回、10月27日にブログを始めたのは、情報発信は全く念頭にはなく、今はひとりとなってしまった自分が、遠くに住んでいる子供や孫たちに「爺やは元気で頑張っているよ~!」と知らせるツールとして使っているのである。

一人一人とメールで連絡しなくても、このブログを覗けば、「爺やは、今日も元気でやっているな~!」と分かって安心してくれたら、それでいいと思って始めたことなのである。たまに、コメントを書いてくれる子や孫もいるし、電話で連絡してくる子もいる。どちらでもいいのだ....。

でも、全国にたくさんの信仰上の知人(友人)がいるので、あまり知られたくないプライベートな記事もあるので、個人や場所が特定できないよう配慮しているのである。そういうことも子供たちにはあらかじめ伝えてあるのだ。

ところで、自分がこのブログを始めて、何か、心境の変化のよなものを感じている。自分は孤独ではなく、外と繋がっているというような感じである。また、他の方のブログをたまに訪問して、いろいろ教えられたり、刺激を受けたり、好奇心を持ったり......確かにボケ防止には役だっているかもしれないのだ。

最近、何人かの方のブログを訪問していたのであるが、ある方のブログを何となく訪ねると、「気軽に遊びに来てください。」と書いてあったので、気軽に立ち寄ってみた。その方のブログのタイトルは、 「ルナレナ・ラテ Louna Lena・Latte」である。

最初は、その意味がよく分からなかったので、ブログの記事を最初の方から読んで行くと、何となく分かって来た。ルナとレナは、姉と妹であり、このブログを書いているルナさんは姉で、レナさんは妹であり、2人は顔が似ているらしい、そして、その姉妹2人は近くに住んでらしいことも分かった....。

二人の姉妹は、とても仲よしであるが、物理的に適当な距離を保って生活しているだけでなく、精神的にも適当な距離を保っているように感じるのであるのだ。それぞれ、姉妹が頼り過ぎるでもなく、離れ過ぎることもない。この推理は多分、当たっていると思うのだ......。

そして、ルナさんのイラストを最初に見たとき、とても心が癒されるのを感じたのである。私には、年子の二人の娘と一人の息子がいるのであるが、実は上の娘(長女)は、子供の時から絵が好きで、40代半ばの今もイラストを書いており、親ばかと言われるかもしれないが、私は、娘のイラストも温かい感じがあり、好きなのである。ルナさんのイラストはまた別な手作り感のような温かさを感じるのである。

そして、ブログは、日々更新される日記的な Webサイトの総称を言うのであるが、ルナさんは、毎日、更新して、その文章も日常のことをさらりと書いており、私の文章のようにくどくどと説明していないし、読みやすいのだ。

その上、イラストもその日の記事に合わせて日々新しいもを書いている。何でも毎日続けることは大変だと思うがれをさらりとやっておられるのだ。

さて、読んでいて、驚いたことが一つあるのだ。それは、ルナさんの11月16日の「グラス」いう日記である。そこで、妹さんが、幼い時に三階から落ちて無傷だったことが、これもまた、さらりと書いておられる。「それにしても3階から落ちても無傷だったとは…」とルナさんも書いておられる。
実は、私は、その一週間前の11月8日の記事で、「三階から落ちた人」という題名をつけて友人のことを書いているのである。

お互いに、全く知らない者が、三階から落ちた人の話を一週間をおいてブログに書く確率は、限りなくゼロに近いと言えるのではないだろうか.....。もちろん、その時には、私はまだルナさんを訪問もしていなし、ルナさんも私のブログを知らない。私がコメントを書いたのもずっと後であるのだ。こんな、不思議なことがあるのだな~!と子供みたいに新鮮な感動を覚えたのである。

このことを書きたいために長々とここまで書いて来たのかもしれない。人間、年を取ると何事にも感動しなくなるという。小さなことにも新鮮な感動を覚えるような人生を送りたいものである。「人生、感動しなくなったら、おしまいだ!」と誰かが言ってたことを思い出した。

皆様方の上に神の平安がありますように。お休みなさい。