今日(3月9日)は私の74歳の誕生日である。感慨無量である。
考えてみると、私が母親の胎内にいた時から、私の心臓は動き始めて、今も不整脈ではあるが確かに鼓動している。73年間、一日も休まず、一度もサボることもなく、不眠不休(?)で働き続けている。まことに、不思議な臓器である。大人の心臓はその人のこぶしくらいの大きさで、重量は200~300gほどの袋状の筋肉のかたまりにすぎないのであるが、実に大きな仕事をしているのだ。
心臓は、血液を体のすみずみまで、まんべんなく循環させるためのポンプの役割をしている。そのポンプの働きを、私たちは鼓動として感じるのである。
心臓は、1日に約10万回もの収縮と弛緩を繰り返し血液を送り出しているのだ。その血液の量は、毎分約5リットル、1日にすると7000~8000リットル、ドラム缶40本分もの血液を全身に向けて送り出していることになるのである。
これを一年に換算すると3千500万回、73年間では25億5千万回以上も拍動した計算になるのである。心臓が一回収縮する時の力は、手のひらにテニスボールを置いてぎゅっと思い切り握る程度の力だそうである。私は、自分の心臓に向かって「ほんとうに、長い間、おつかれさま....」と言いたい気持ちになる。
この心臓は、一体、誰が動かしているのか。ただ、偶然に動いているのか。絶対にそのようなことはあり得ないと堅く信じている。車のエンジンが偶然にできて、偶然に動き出すことは考えられない。私は、世界中のすべての人が無神論者になっても、創造主なる神の存在を信じる。この心臓を動かしているのは全能者なる神以外に考えられないのである。
私は、20代の若い時に神を信じて、73歳まで生きて来た。そのことを一度も後悔したことはない。私がクリスチャンになった時、バカにしたり、嘲って笑った友人もいた。でも、そのようなことは全く気にしていない。私をバカにした同僚の一人は、何故か、生きている意味も分からないまま、若くして胃癌になって死んでしまった。とても気の毒に思っている。しかし、私は、神を信じた時から、自分は日々神に生かされていると実感するようになったのである。
今も、「現代の科学の時代に、神を信じるというのは愚かなことだ。」という人がいるのも事実である。でも、昔も今も、謙虚な科学者の中には神を信じている人が多い。あのノーベル物理学賞をもらった山中教授は、TVの対談の中で、「神」ということばを使っていた。それが、どのような意味で使われたかは分からないが、何か、謙虚な科学者という印象をもったのである。
人間のいのちというのは、実に神秘的である。人間が万能であるかのように言う人もいるが、医学や科学が入ってはならない神聖な領域というものもあると信じている。人間は思い上がってはならない。どのような人間も神になることはできないのである。人間は、神に生かされている存在であり、神の被造物であると、私は、堅く信じているのである。そういう意味において、人は謙虚でなければならないと思っている。
私は、子供の頃、真夏のある日に、緑の草の上に寝転がって、青空を見上げながら、左の胸の上に手を置いて、心臓が鼓動を打っているのを感じたことがある。また、真冬の晴れた日に、やはり、友達と雪遊びで疲れたあと、雪の上に寝そべって、冬の青空を見ながら、やはり、「ドキッ、ドキッ、・・・・」という鼓動を聞いたことがある。何か不思議な思いになったのである。
そして、青年時代になって神に出会ったのである。私が、灯台で無線通信士として働いていた頃、その岬まで徒歩で訪ねてくださった宣教師がいたのである。誠に不思議な出会いであった。「人生は出会いで決まる」ということばがあるが、私がその宣教師に出会っていなければ神に出会うこともなかったのである。神に出会っていなければ、今頃は、人生真っ暗闇であろうと思うのである。私は、神に出会って、本当に良かったと心から思っている。
この原稿を書いていた時に、ちょうど同じ時間に、宅急便で、3人の子どもたちから、誕生日のプレゼントが届いたのである。遠くに離れていても、こんな父親のことを忘れないで覚えていてくれることがうれしいのである。長女からは「高級・冷凍生菓子」、次女からは、いろいろな種類の入浴剤など(ゆずの湯・へちまの湯・生姜の湯・柿の葉の湯・その他、たくさん..)、息子からは、衣類に貼る温熱シートや、(レンジで温めて)繰り返し使える“ゆたぽん”など体を温めるたくさんのグッズである。みな心のこもったものばかりで、うれしい限りである。
それから、今朝、Aさんという人から「誕生日おめでとうございます」というメールが届いた。この人は、子供の頃、日曜学校に来ていた女の子で、いつも笑顔でニコニコしていた子である。今は、もう主婦になっていて、40近い年齢であるが、この人は、一度、誕生日を聞いたら絶対に忘れないという特殊な能力の持ち主で不思議な子である。うちの家族の誕生日をすべて覚えている変わった子である。3年くらい前に、再会したのであるが、子供の時と少しも変わっていないのだ。相変わらず、ニコニコしているのである。
今晩は、冷凍生菓子を解凍して食べて、薬用乳剤を入れた風呂に入って、寝る時はゆたぽんを入れて寝れば、ぐっすり眠れるだろう・・・・。(笑)
「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組はあなた(神)に隠れてはいませんでした。あなた(神)の目は、胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが書き記されました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」(詩篇139:15,16)
うちの父は77歳
母は76歳なので
どうも北爺さんと両親を重ねて見てしまいます。
母は10年ほど前に不正脈で何度も救急車で運ばれたり
入院したりするうち
心臓が止まるという事が起こるようになり
ペースメーカーを入れました
ペースメーカーというものがなければ、死んでしまったかもしれませんので
ありがたいものです。
心臓とは、命そのものですね。
北爺さんもお身体を大事になさってくださいね。
お子様方も、素晴らしい方々ですね。
私ももうすぐ後を追いかけます。
同じ歳なのですね!
朝鮮から引き揚げて直ぐにキリスト関
係(勿論その時は知りませんでしたが)
の幼稚園に入り、お話と歌を知ったのが
キリストの教えを盛り込んだ紙芝居と讃美歌でした。
現在、子供たちや介護施設では、
昔感動した紙芝居を演じるお婆ちゃんになりました。
幼少の頃から、身体が弱くて、きっと
育たないだろうと、医者に言われて
両親に心配ばかりかけていた、親
不幸者です。
この歳までたゆみなく愛を降り注いで
頂いている神に感謝!です。
同じ年齢の方に北爺さんは可笑しいですが、
これからも貴方様に見習って、神を
讃美し、南婆さんとして、元気に
過ごしたいと思います。
滅多にコメントも書けませんが、
何時も読ませて頂くのを楽しみに
しております。
3人のお子さんたちも優しいプレゼントを贈って
下さり良い誕生日をお迎えになられましたね。
北海道にいたころ、私も宣教師との出会いがあり
東京の教会で働く仕事が与えられ上京しました。
18歳の時洗礼を受け今は都心の教会へ時々
出かけております。神様に見守られ生かされて
いることに感謝です。
ご両親が70代なのですね。
そうすると、あなたは、50代の方でしょうか...。
ごめんなさい、勝手に年齢を推測したりして...。
お母さんはペースメーカーを入れていたのですか。
実は、私の姉も、多分10年間くらい、ペースメーカ-を入れていたのですが、70歳の時、脳梗塞で、亡くなったのです。
私の母の家系が、心臓が弱く、気管支や肺も弱かったので、それが遺伝したのかもしれません。私も心房細動の不整脈があるのです。
私は、血圧が低くて困っているのです。
足の痺れも、血流がよくないということと関係がありそいうですから、血圧と無関係ではなさそうなのです。
この年になると、誕生日が来ても、あまり嬉しいという思いはありませんが、この年まで神様に生かされたことを感謝する日にしています。
コスモスさんの年齢が私と同年齢であることは、ブログを読んで大体気づいていました。
でも、子供の時に、朝鮮から引き揚げて来られたことは、知りませんでした。
いろいろと苦労なさったのではないかと推察いたします。
南の沖縄は、蒼い海が美しいですね。一年中美しい花が咲いているのでしょうか。
実は、私の親戚で、晩年に、東北から石垣島に移住した人がいるのです。不思議ですね....。
どうぞ、沖縄で、南婆さんとして神を賛美しながら、頑張ってください。(笑)
コメントありがとうございます。
北海道出身で東京にお住まいの方でしたね。
今日は、座骨神経痛の痛みは大丈夫ですか?
そうですか...。北海道で宣教師の方との出会いがあったのですね。
人生の出会いというのは、ほんとうに不思議ですね。
やっぱり、クリスチャンの方だったのですね。
あなた様のブログはきれいな写真でいっぱいで楽しくなりますね。
これからも、どうぞ、有意義な人生を送ってください。
ギリギリまだ今日ですね^^;
素敵な人生を歩まれたのですね。
私はクリスチャンではありませんが、
子供の頃、近くの日曜学校に通い、
讃美歌を歌い、聖書の言葉が一つずつ書かれた美しいカードを毎回もらって来ていました。
そのカードがきれいで楽しみでしてね。
それ、今でもアルバムに貼ってあるんですよ。
一つ一つの言葉が私の脳裏に焼き付いていきました。
北海道出身でキリスト教信者というと、
「塩狩峠」のお話しを思い出します。
とても影響を受けた私の大好きな本です。
すみません、自分のことばかり長くなりました。
どうかこれからも、
素敵な74歳をお過ごしください。
もう一度、
おめでとうございます。
日付が変わってしまいましたが私の中ではまだ9日のつもりです…ごめんなさいm(_ _)m
私は家族の誕生日には必ず「生まれてきてくれて出会わせてくれて家族になってくれて、ありがとう」と言います。
誕生日は素敵な特別な日ですから、北爺さんにもこの言葉をお誕生日のメッセージにさせてください。
ブログで出会えてありがとうございます…です(*゜▽゜*)
そして、お子様たちからお祝いをされて幸せな誕生日を迎えられたことにブログを読んで嬉しくなりました。
これからも元気に楽しく可笑しく、過ごされることをお祈りいたします!
まだまだ寒いですが、春はもうそこです(*゜▽゜*)
暖かくなったら『ルナレナ・ラテ』は冷たい飲み物もメニューに加えようかな…って思っていますよ~(笑)
いつでも、お茶を飲みに来てくださいね!
ルナとレナでお待ちしています(*゜▽゜*)
Happy birthday
神経性の痛みは如何ですか?
どうぞご自愛ください。
心臓の鼓動を、誕生から現在までの数で想うことなど無かったので、改めてしると畏怖の念を覚えました。
有り難いことです。
子供の時に、日曜学校に行っていたという方に時々お会いすることがあります。
小さい時に聞いたり、見たりしたことは大人になっても覚えていることが多いようですね。
聖書の言葉には、人の脳裏に焼き付けるほど不思議な力があるのですね。
私は、子供の頃、あの「塩狩峠」に住んでいたのです。
三浦綾子さんが、その小説を書いてから、明治時代に、実際にそのようなことがあったことを知ったのです。