爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●ついに冬将軍の襲来!

2014年11月15日 10時36分40秒 | 季節



今朝は、一面、白一色の世界が広がっていた。初雪が降った後、何度か雪が降ったり解けたりを繰り返したのであるが、北国に、いよいよ本格的な冬の季節の到来である。

上の画像は、街路樹のナナカマドに雪が積もったところを撮ったものであり、何か、風情がある。このあと、天気が晴れると、空の青と、ナナカマドの実の赤と、雪の白い色のコントラストが絶妙に美しく映えるのである。

   深々と 降り積む雪の 夜は更けて

   老いし身に 備えを急(せ)かす 冬将軍
     (「備え」は、冬の備えのこと)
   一夜にて 汚れし世界 真っ白に 

    降る雪の 哀しきまでに 美しく
   

  
  

これからの数ケ月間の厳しい冬の季節を、何とかして乗り切りたいと願っているが、老骨に鞭打ってでも、耐えてみたいと思っている昨今である。






今夜の夕食のお惣菜の一品として、冷蔵庫にニラと卵があったので、ニラたまを作ってみた。
ニラたまには、活性酸素を除去する作用があり、抗癌作用もあるそうである。ようするに、SOD(活性酸素除去酵素)が増えるのである。
疲れ知らずの体になるとか、これは、本当かな?







  



●今は天国にいる妻のラブレター

2014年11月12日 21時25分07秒 | 思い出



今日、11月12日は妻が天国に逝ってから、2回目の結婚記念日である。47年前の今日、結婚したのである。男寡(やもめ)になって、結婚記念日を祝うのはおかしいことかもしれないが、今日、出前の生寿司をとって、一人でお祝いしたのである。*******「生寿司」という言い方は、北海道の方言で、多分、本州ではこのような言い方はないのかもしれない。

家族5人で生活していた頃に使っていたテーブルを今も使っているので、一人で使うのは、大き過ぎるし、濃茶色のテーブルは暗い印象がある。
それで、気分転換に、テーブルクロスを買って来て、かぶせて見た。部屋が少し明るくなったかな?という感じはあると思う。

*********47年前に、タイムスリップ・・・。妻と婚約したのは、その年(昭和42年)の8月であり、挙式したのが11月であるから、3ケ月の婚約期間があったのである。その婚約期間中に週に1度のペースで、妻と手紙のやりとりをしたのだ。今のように携帯電話のようなものがあるわけでもなく、その手紙が届くのが待ち遠しかったことを思い出す。

婚約中の妻の手紙は、男性的な筆跡で決して上手とは言えない文字であったし、小学生が書くような文章であったのであるが、感情や気持ちを短刀直入に、ストレートに表現して書いてあったので、とても分かりやすかったのだ。手紙を開けるときに、何か、palpitationを感じたのは事実である。爺やにもそんな青春時代があったのだ・・・。

ある日に受け取った手紙には、旧約聖書の次のことばが書かれてあったのである。「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。・・・・」(ルツ記1:16,17)。

これは、ルツ記の中の美しい話である。嫁のルツが姑ナオミに言ったことばである。その言葉を、やがて夫となるであろう私への手紙の中に書いて来たのである。その時に、私は心から妻を愛おしく思ったことを懐かしく思い出すのである。妻のまっすぐな信仰を見ることが出来るのだ。50年近く過ぎた今も、鮮明に記憶しているのだ。

また、妻が住んでいた所は私が住んでいたΟΟ市から電車で数時間はかかる距離であったので、頻繁に会うこともできなかったのであるが、多分、婚約期間中に、2回くらい、お互いに行ったり来たりしたことを覚えている。

ある時、妻が私の住んでいる所まで電車で来たので、二人で公園に行ったり、ボートに乗ったりして、楽しい時間を過し、帰る時には駅まで見送りに行ったのである。私は、プラットホームで、電車の発車するのを待っていたのだ。停車時間が長かったので、私は、視線をそらして右を見たり左を見たりしていたらしい。

それで、手を振って別れたのだが、その後、妻からの手紙の中に、「・・・あなたは、列車が発車するまで、ずっと、私の目を見ていてほしかったのに・・・。そうしませんでしたね。」という意味の言葉が書かれていたのである。その言葉も、長い年月が過ぎた今も鮮明に覚えている。

結婚した後も、それらの妻からの手紙を屋根裏部屋に、宝物のように大切に保管していたのであるが、いつの間にか、無くなっていたのである。多分、妻が捨ててしまったのであろうと思っている。子供たちに見られたら恥ずかしいと思って捨てたのであろう。きっと、そうに違いない。

多分、天国の妻は、「お父さん、そんなこと、ブログに書くのは、恥ずかしいから止めて~!!」と言っている気がする。
子供や孫たちも、「爺やは、とうとうおかしくなったんじゃないか~!」と言っているかもね・・・。(笑)でも、病床で苦しんでいた時の妻を思い出すのは辛いので、なるべく楽しかったことを思い出すように努めているのである。





●続けたいと思っていること

2014年11月11日 11時02分59秒 | 健康の話







 普段、自分の健康維持と増進のために、できるだけ、病院や薬に頼らないで、これを続けてみようと思っていることがいくつかある。「継続は力なり。」ということばもある。小さなことでも続けることによって、いつか、それが大きな結果を生むことはあり得ることではないかと思っているのだ。

以前から、時々、思い出しては続けていることの一つに「腹式呼吸」がある。最近は、これを毎日続けようと心掛けているのである。肺や心臓の健康のためにも全身の血流をよくするためにも決して悪いことはないと思うのである。多分、睡眠の質を高めるためにもよいはずである。

また、腹式呼吸は、ストレスを軽減する効能もあることも分かった。呼吸と自律神経は深い関係にあって、深くゆっくりと息をしていれば、リラックス時にはたらく副交感神経がスムーズに動き、ホルモンの分泌や免疫のはたらきが正常になるというのだ。浅い呼吸を続けていると脳や自律神経に影響を及ぼし、ストレスをますます増幅させてしまうというのである。

また、腹式呼吸は、消化機能、冷え症、腰痛の改善にも良いという。そして、腹式呼吸によって、横隔膜の運動範囲が広まり、それによって、胃腸が刺激を受けて働きが活発になるというのだ。最近、胃腸の調子が若干よくなって来ているように感じるのも、これも無関係ではないかもしれないと思っている。

腹式呼吸をしっかりとするだけで内臓脂肪が燃焼して、余分な脂肪が取れるので、ダイエットにも効果があるようである。腹式呼吸をしっかりとすると横隔膜が上下に動くのである。これによって内臓の血行がとても良くなったり、新陳代謝がとても良くなったりするのである。私の場合は、太りたいと思っているので、腹式呼吸で、かえってお腹がへっ込んでしまって困っているのだが・・・。 

また、最近、以前から感じていた左胸の辺りがバクバクするような違和感(不安感?)が少なくなって来たのである。心房細動の不整脈がよくなっているのかもしれない。まだ、不整脈はあるのだが、以前ほど強く感じないのだ。

それから、運動不足を補うために、家の中でできるストレッチも毎日続けている。軽い有酸素運動も食前に行うようにしている。また、ふだん使わない深層筋を鍛えるインナーマッスル・トレーニングも、短い時間ではあるが、簡単なものから始めて、最近続けている。これは、狭い場所でも行うことができるので、続けることは難しいことではない。



今は、特に、日常生活で支障を来していることの一つは、腰痛と足の痺(しび)れである。最近は、手にも痺れがある。これも、何とかして、改善したいと思っているのだ。




★パソコンの操作は、頭と手を使うので、ボケ防止に、少しは役に立っているかもしれない・・・と思っている次第である。







●三階から落ちた人

2014年11月08日 10時30分11秒 | 友人のこと

(写真と記事は関係ありません)

G県に住んでいる私の友人の一人で、Kさん(57)という人がいる。彼が先日、私の健康を心配して自宅の病床から電話をかけて来たのである。自分のような小さな者のことを気遣ってくれる友人がいることはありがたいことである。

私も彼が病気であることを知っていたので、久しぶりに電話で話すことができたのは、感謝であった。彼は、「重症急性膵炎」という重い病気で2年間くらい入院していたのであるが、今年の春頃退院して、現在、自宅で療養しており、リハビリ中なのである。

急性膵炎とは、食物の消化に必要な消化酵素と血糖の調節に必要なホルモンを分泌する膵臓に、急激に炎症が起こり激烈な腹痛がおこる病気である。本来、食べ物を溶かす働きをする消化酵素が、膵臓自身を溶かしてしまうのだというから怖い・・・・。

その病気の程度により軽症と重症とに分類されているのである。このうち、重症急性膵炎とは膵臓だけではなく、肺、腎臓、肝臓、消化管などの重要臓器にも障害を起こしたり、重篤な感染症を合併する致命率の高い急性膵炎を指すのである。

これは、国が指定している難病の一つで、治療が難しい重い病気であり、そのうちの多くは多臓器不全となり、死亡するに至ると言われている怖い病気でもある。

であるから、Kさんが退院して、自宅で療養するまでになり、快方に向かっていることは、奇蹟的とも言えるのである。彼は、過去に何度か、「急死に一生を得る」(to have a narrow escape from death)という奇蹟的に命拾いをした経験がある人なのである。

実は、彼がまだ20代の頃、仕事で、ある方の住まいを訪問した時に、その団地の三階の入り口にあった手摺りが腐っていたのか、ちゃんと固定されていなかったのか、明確ではないが、体を手摺りに預けた瞬間に、手摺りといっしょに、三階から真っ逆さまに地上に落下したのである。私が彼に出会ったのは、彼が入院していた時の頃であったと記憶している。

彼は、落ちる瞬間に、「頭から落ちたら即死する~!」と思って空中で、水中を泳ぐように手で空気をかくようにしたというのだ。それで、頭から落ちないで足から落ちたので、両足を複雑骨折し、数ケ月入院したのである。その時に、彼を献身的に看護してくれたクリスチャンの看護師さんがいたのだ。それが今の奥様なのである。背後に、何か、神様の摂理のようなもの感じるのである。

不思議なことであるが、聖書に、三階から落ちて生き返ったユテコという青年の事が書いてあるのだ。しかし、ユテコの場合は、「九死に一生」ではなく、医者ルカによって死んだことが確認されたあと、生き返らされたのである。

「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起してみると、もう死んでいた。・・・・人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」(使徒20:9~)。





(爺やの昨晩の夕食、さんまを焼きましたが、ご覧のとおり、失敗しました。)



●孤独と孤立の違いは

2014年11月06日 15時57分47秒 | ひとりごと




 今日、「ひとりぼっち日記」の他の方を訪問してみた。多分、若い女性であろうかと思うが、そ方のブログを見ると、「毎日ひとりぼっち。さみしいです。 なんとか少しだけでも社会とつながっていたいです。」と書かれている。何か、痛いほどその気持ちが分かるような気もする。

私は、独身時代に、一人で生活したことはあるけれども、職場が置かれていた環境のためもあると思うが、その時には寂しいとか孤独であるとか、そのように感じたことはあまりなかったように思う。

しかし、自分も結婚して、子供たちが生まれて、妻や子供たちと楽しい日々を過ごし、やがて子供たちもだんだん成長して、みな独立して遠くに行ってしまい、妻は長い闘病生活のあと、先に天国に逝ってしまった。

このように家族と共に過した長い年月を経たあと、地上に残されて一人になった今の心境は、やはり、独身時代の時の一人とは違うように感じるのは、当然と言えば当然であろうかと思う。

年老いてからの一人暮らしは、やはり、寂しい・・・。
特に、健康が勝れない時には尚更、不安を覚える時があるというのが、正直な気持ちである。

しかし、“孤独”と“孤立”は、意味が似ているけれども違うのではないか。物理的に、孤独な生活が好きな人も中にはいる。いや、人が成長するためには、ある意味では、一人の時間を大切にし、孤独になる時を持つように心がけることも必要ではないかと思うのである。

孤立とは、人間関係から離れて助けもなく、ひとりだけ存在することである。人とのつながりを嫌がり、やみくもに人間関係から距離を置いている状態のことである。
しかし、自分の意思に反して、孤立した環境におかれることもあると思う。
「孤立無援」という言葉もあるが、他とかけ離れて、ただひとりで助けのない状態を意味するのである。

簡潔に言えば、次のように定義できるのではないだろうか。
「孤独」は、一人でいる状態のこと(外見的側面)。
「孤立」は、つながりが切れている状態のこと(心理的側面)。

自分は、孤独ではあるが、孤立しているわけではないと思っている。
遠くではあるが、子供たちも、孫たちもいる。メールで連絡を取ることもできるし、電話で話そうと思えば、いつでもできるのである。私が体調が悪い時には、心配もしてくれるし、健康のために祈ってくれている信仰の友もいる。

人間関係が希薄になっている現代、孤独になっても、敢て、自ら、孤立してしまう道を選らばないようにしたいものである。人は、互いに助け合い、支え合って生きるように造られているのである。
 

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)。