爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●絶海の孤島、M小島の生活....

2015年02月09日 14時41分54秒 | 思い出

(この写真は、最近のもので、当時とは灯台近辺の様子が大分違っている。ヘリポートなどもできているし、昔あったエンジン室がない。灯台の電源として太陽光発電=ソーラー発電設備ができている。50年前とは違っていて当然ではあるが、時代が変わったのだ。)


(巡視船「宗谷」は、現在は、すでに引退している)


 年を取ると、時々、昔の若い頃のことを思い出すことがある。私が、20代前半の頃、5~6年間だけであるが、灯台で働いたことがある。北海道南端のM灯台で無線通信士として勤務したことがある。定期的に簡単な気象観測を行い、航行する各船舶向けに、毎時の定刻に、気象通報などをモールスで送信していた。また、船舶向けにビーコン(無線標識)を発射することもやっていたのである。

その燈台の近くに、職員の官舎があり、そこでは、11人の灯台職員(燈台守)が住んでいたのである。そして、そこから南の方に30キロくらい離れた所に、M小島灯台がったのであるが、2ケ月に一回くらいの割合で、2人1組で、そのM小島灯台で交替勤務したのである。小島に滞在する期間は、おおよそ2週間であった。

それで、2週間に一度、巡視船で渡海交代をするのである。それぞれ、2週間分の食料を用意して巡視船に乗り、小島には巡視船が着岸できるような大きな岸壁はないので、漁師が操船する艀船(はしけ)で沖に停泊している巡視船の近くまで行き、荷物などを巡視船から艀船に移し積んで岸壁まで運び、灯台職員2人も小島に向かうのである。その時に、2週間小島で勤務した2人は巡視船に乗り移るのである。これが、渡海交代勤務である。

しかし、暴風で海が荒れている時などは、この渡海交代の作業は命がけであった。物凄い大きな波なので、小舟は木の葉のように波の山に押し上げられるように上り、次には谷底にど~んと落ちるので、生きた心地がしないほどの恐怖感を味ったことも多々あった。それで、巡視船から艀船に乗り移るタイミングは非常に難しく、失敗すると、大事故になりかねないのだ。巡視船は、あの南極観測で活躍した、「宗谷」に乗船して渡海交代したこともあった。海が時化て、大幅に交代が遅れた時は、海上保安庁のヘリコプターを使ったこともあった。

M小島には、夏の間は、灯台の近くにある番屋に10数人の漁師が住んでいるのであるが、冬は完全に無人島になってしまうのである。M小島での灯台職員としての仕事は、夕方になって暗くなり始めると、エンジンを始動させて灯台に点灯することと、朝になってエンジンを止めて消灯すること、それから、ガス(霧)がかかった時に、霧笛を鳴らして航行する船舶が、座礁したりすることなく、安全に航行できるようにすることなどである。

そのようなわけで、M小島での生活は、夏の間は、結構楽しかった記憶がある。退屈な時は、海に出て、あわび、さざえ、うになどを獲ったりする時間もあったのである。暇な時は、時々、番屋に降りて行って、漁師さんたちと話すのも楽しみの一つであった。番屋に顔を出すと、どこに行っても、「〇〇さん、マンマ食ってけ~!!」というのである。それが、漁師さんの挨拶であったのだ。

漁師さんたちは、みな気前がよくて、イカがたくさん獲れると、灯台まで持って来てくれるし、その他、いろいろな魚もたくさんもらった。特に、イカの刺身は新鮮だったので、おいしかったのを覚えている。そして、漁師さんたちが作ってくれた料理は格別においしいのである。魚を煮て、味噌を入れただけの料理でも、おいしかったのだ。イカの刺身も漁師さんは慣れた手つきで作ってくれるのだ。

あの頃の生活は、とても懐かしく思い出す。毎年ではないが、時々、石川県の輪島から海女さんたちも来て、昆布、わかめなどを獲っていた。海に潜って数分間も、海面に出て来ないのを見て、驚いたことがある。なんで、あんなに長く息もしないで潜っていられるのか、不思議に思ったのである。海面に出て来て、「ピュ~、ピュ~!」というような独特な音を出して、息を吸ったり、吐いたりしていた。

その海女さんの中には若い海女さんもいて、灯台に遊びに来たりしていたこともあった。自分も、その頃は若かったので、海女さんたちとおしゃべりするのも楽しい時間でもあったのである。たまには、観光客も来たりして、灯台の階段を上って、レンズがある所まで、案内したこともある。小島での生活は退屈でもあったので、人が来ると嬉しかったのである。

しかし、冬になると、完全に無人島になり、絶海の孤島となる。島に住んでいるのは、灯台職員2人だけになるのだ。誠に、寂しい。冬のM小島は、雪混じりの冷たい風が吹き、寒さも厳しい。雨の日も、風の日も、嵐の日も、一年365日、休むことなく、灯台の灯を灯し続けるのである。いつも、まっすぐに、毅然として起立する白亜の灯台の姿を見ていると、何か、自分に語りかけているように思えたことがあった。すべて、半世紀昔の懐かしい思い出である。    

この無人島で、冬は何もすることがないので、夜が更けるまで「聖書」を読んだことを懐かしく思い出すのである。だれであったか、無人島に何か一つ持って行くとしたら、何を持って行くか....と問われて、「聖書」(Bible)と答えた人がいる。


●「喜びも悲しみも幾年月」(Times of Joy and Sorrow)●

「あなた(神)のみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)。




(昨夜食べたクリームシチューです!体が温まるので、今晩も残ったのを食べます)(^-^)

●=子供たちへの連絡=●
(2月10日記)
今日午後、足の痺れ酷ひどく、家の中の歩行も困難となり、タクシーで市内のKペイン.クリニックに行って来ました。
前の病院よりは、丁寧に診てくれたように思います。
下半身の血流が悪いので、下肢のサーモグラフィーを見ました。両足の足の先が極端に冷えているのが分かりました。
腹部、骨盤のCT検査もありました。腰椎メー?(メモしたけど不明)検査。
今回、分かった病名としては、腰椎.椎間板ヘルニヤ(先生は言わなかったように思うけど、看護師さんに聞いたことです=画像では確認できなかった)。
左腎のう胞(?):普通の人にはない何かできもの(?)のようなものがあって、先生も首をひねっていました。市立病院で診てもらった時の白く映った腫物と同じものなのかどうかは、分からない。
それから、私の腰椎の下の方(?)の関節が固くなってくっついていると言っていました。
今日は、取り敢えず、足の血流をよくするためのブロック注射をしてもらいました。
薬をいろいろ処方してくれました。
漢方薬も含めて、4種類です。主に、血行を良くしたり、しびれ、痛みを改善するためのものです。
次回、金曜日の予約をして来ました。画像を専門に見ることのできるA医大の先生が来た時に見てもらうそうです。
説明をいろいろ聞いたけど、理解力が衰えているのか、うまく説明できません。m(_ _)m
ブロック注射の結果は、今のところまだよく分からないが、少しはいいかなという程度です。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (コスモス)
2015-02-09 17:03:47
映画と歌でしか知らない灯台での暮らし
読ませていただきました。
多分私と同じ年代の方だろうと思います。これまで生きて来られて、男性の
北爺さまは女性では経験し得ない
生き方をされたことと推測致します。

長い闘病生活の奥様を亡くされて
食欲もない・・・とお書きでしたね。
私も黄泉の旅路に夫を見送り、この
5月で、丸4年になります。
私は植物が趣味で狭い庭に花を植
えておりますが、夫を亡くして、如何
いう訳か咲く花咲く花が色を失って、
白一色になった経験があります。
今ようやく、色彩豊かな花を咲かせる
ようになりました。
夫婦は一対ですもの、身体の半分を
もぎ取られるようなもの。
不調があって当たり前・・・なのかも
知れませんね。
ブログを始めて、直ぐに夫が肺癌だ
と解り、半年後に永眠致しました。
ブログで救われ、励まされたことも
多々あります。

自然は良いエネルギ-を運んでくれますね。
生きの良い海の幸、山の幸を取り入れて、命を長らえましょう!

御丁寧なコメントを頂いて有難うございます。心に響くメッセ-ジを大切に
読ませて頂いています。
またお伺いさせて下さい。
返信する
コスモスさんへ (北爺)
2015-02-09 22:48:54
こんばんは。

早速、ご丁寧なコメントをいただき、恐縮いたしております。そうですか.....、コスモスさんも、伴侶を亡くされたのですね。さぞ、お辛かったこおとでしょう。

私の場合は、もともと、子供の頃から、胃腸が弱かったので、ストレスなどがあると、すぐ胃に来てしまうのですね。
ですから、なかなか、健康な方には理解してもらえなくいかもしれません。
食べられないと、活力が出ないのですね....。
あと、どれだけ生きられるか分かりませんが、みっともない最期にならないように日々、努めております。

植物や花が趣味だそうで、高尚な趣味で、すばらしいですね。どうか、残された生涯、有意義な日々をお送りください。
私のブログは読まれたら恥ずかしいようなプライベートなことまでたくさん書いてありますので、読むのに忍耐が必要と思います。
どうぞ、適当にスルーして読んでください。

私も、体調が不具合なところがたくさんあり、今は、腰痛と特に足の酷い痺れで、家の中を歩くのも、ままならない状況です。
ですから、ブログの更新も、不定期になり、かなりの間隔が開くことも考えられますのでご了承ください。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせることはなさいません。」(Ⅰコリント10:13)。

では、お休みなさい。
返信する
読者登録 (hasse)
2015-02-10 12:50:03
    hasse(はっせ)と申します

この度は読者登録をして頂きありがとうございます

毎日、カメラを担いで野鳥を追っかけています
午前中は鳥撮り、午後から写真の整理、ブログアップと皆さんのブログチェック等々
で時間がかかり 5時になると食事の支度 
皆さんのブログになかなかコメントできませんが よろしくお願いします

灯台守の苦労…喜びも悲しみも幾年月・・・佐田啓二さんの映画は見ましたが 
孤島での生活 今の便利な生活からはなかなか想像できませんね
北爺さんの半世紀・・・今、時々思い出されて、
私も北爺さんと同じ頃の年 若い頃思い出しています
返信する
hasseさんへ (北爺)
2015-02-10 21:40:20
こんばんは。

コメントありがとうございます。
私のブログは他人に見せるような益になるものは何もありません。
ただのボケ防止のために、何か思いついたことを書いているだけです。
hasseさんのブログ、野鳥や美しい花々を撮って歩く散策はすばらしいですね。

気が向いた時にいつでもお越しください。
では、お休みなさい。

  
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