爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●自分はどんな最期を迎えるのだろう

2015年01月19日 14時54分48秒 | ひとりごと



健康な体での一人暮らしは、それなりに楽しめると思うが、老年になって体が弱くなってからの一人暮らしは、決して楽ではない。しかも、北国の冬の生活は厳しい。最近、体調がよくないと、時々、不安になることがある。自分の人生、どのような最期を迎えるのだろうかと考えることが時々ある。自分がこの世を去る時には、誰の世話にもなりたくないし、誰にも迷惑もかけたくないと、正直思っているのだ。でも、こればかりは、自分の希望どおりにはいかないというのが、現実かもしれない.......。

ある医者が、TVで、「死ぬのなら、ピンピンコロリが一番、理想的です。」というようなことを言っていたのを見たことがある。ただ長生きするだけでなく、亡くなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の人生であれば、それが一番いいかもしれない。でも、長期の寝たきりになって亡くなるネンネンコロリ(NNK)の人も多いのである。日本は世界に名だたる長寿国であるが、年をとってもピンピンしている健康長寿の人も多いように思うが、でも、それもごく一部で、そんなに多くはいないであろう。

でも、自分の場合、すでに体のあちこちがぼろぼろで、いいところがないので、「ピンピン」は、消去法で行くと、もうあり得ないのである。では、コロリと死ねる病気は何か、心臓病か?でも、心臓病になっても、コロリと死ねるとは限らない。寝たきりになる人もいる。癌にもなりたくない。コロリとは行かないからだ。入院すれば、周囲の人たちに迷惑をかけてしまうことになる。また、妻の長い闘病生活を見ているので、長期の入院生活はしたくないと思っている。

誰かが、「B型の人は、癌になりにくい」と言ったのを聞いたことがある。でも、これは何の証拠もないことが分かった。私の両親と、兄妹たち5人は、血液型が何であるか、最近まで知らなかったので、昨年、兄に聞いても詳しくは分からなかったので、妹に電話で聞いてみた。そうしたら、全部知っていた。このようなことは、何故か、女の方が知っていることが多いみたいだ。

私は、血液型がB型であるが、なんと、両親は2人ともB型であったのだ。そして、当然であるが、兄弟姉妹5人とも、みなB型であるのだ。今まで、自分の血液型しか知らなかったというのも、のん気な話ではある。私の父は、70代で胃癌で亡くなっている。また、祖父も50代で胃癌で亡くなっている。「B型の人は、癌になりにくい。」というのは、医学的にも何の根拠もないものと思われる。血液型から人の性格を判断して推測して誰かが言ったのであろう。私は、血液型で、世界中の人々の性格を4つに分けるなどと言うのは全く意味のないことだと思っている。

ネットで、調べてみると、ピロリ菌が感染するのは子供の時(5歳くらいまで)だけだという。大人になってからはまれのようである。これは信じていいのだろうか?私は、子供の頃、ごく田舎に住んでいたので、井戸水も川の水も、毎日のように飲んでいたので、自分の胃の中には間違いなく、ピロリ菌がいるものと思っていた。しかし、数年前に、ピロリ菌の検査をしてもらったら、陰性であったのである。今後も、陰性であり続けると信じていいのだろうか?

私は、一昨年秋、今まで経験したことのない、著しい胃の不快感があり、これは、明らかに胃潰瘍か、胃癌にでもなっているのではないか、と真剣に考えたのである。病院で検査を受けたが、胃が爛れて荒れているが、胃潰瘍ではないと言われたのである。それで、色々病院で処方してもらった薬を飲んでみたが、一向に回復しなかったのである。これは、多分、精神的なストレスからのものであったのだろうと思っている。

いずれにしても、「ピンピンコロリが一番、理想的です。」と言われても、そんなに、簡単なことではない。人生、最期まで、思うようにはいかないようである。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配しえくださる。主は、決して、正しい者がゆるがされるようには、なさらない。」(詩篇55:22)。






★子供たちへ★
最近は、特に腰痛と足の痺れがひどくなっているようですので、祈ってください。冬になる前頃は、かなりよくなったように思っていたのですが、寒さは、やはり腰痛などにはよくないようです。今も、コンビニまで歩いて行って来たのですが、道が滑るので、少しづつ注意しながら、歩いてやっと帰って来ました。下半身の血流が悪いようで、冷たい感じがします。いろいろストレッチをやったり、インナーマッスル・トレーニングをしたり努めているのですが、なかなかよくなりません。限界があるようです。その上、除雪作業もあるので、楽ではありません。祈ってもらえたら、それでいいのです。みんな、元気で過してください。
  



●ひとりごと..........

2014年12月13日 15時32分12秒 | ひとりごと





私は、一人で生活していて、ひとり言を言うことは、ほとんどない。でも、たまに、子どもたちに、どうでもいいような内容をメールする時、「ひとりごと」というタイトルをつけて、送信したりすることがある。要するに、にどうでもいいことなのだが、誰かに言ってみたい時である。今日は、ブログのひとりごとである。



昨日、S県の友人Nさんから「みかん」一箱が送られて来たのである。しかし、宛名である私の名前が、「Ο川ΟΟ」と苗字の2番目の文字が違っているのだ。このような間違いはよくあることである。しかし、その方は、旧知の間柄で私をよく知っている人なのである。間違うはずがない方の間違いであるのだ。なんでだろう.....? ただ、それだけのことだ。私より年上だから、ボケが始まったのかな....なんて考えたりしたのだ。

しかし、みかんは、子供の頃は、正月にしか食べられなかったのである。開拓農家で家が貧しかったこともあるが、それよりも、その当時は、私が住んでいる北国では、冬にしか食べなかったような気がする。貴重なビタミンCの供給源である果物なので、これは、大切に感謝してた食べなければならない、と肝に命じたのである。



これも、どうでもいいことだが、昨年天国に行った妻の衣類などを整理して捨てたりしていたら、洋服ダンスの中からダンボール1箱に入った衣類が出て来た。しかし、その中に、どうしても腑に落ちないものが出て来たのだ。それは、真っ赤なガウンである。

このような色のガウンを着たのを見たことがないし、妻の好みに合わないものであることは、長年連れ添った私にはよく分かるのである。まず、ガウンそのものも殆ど着たことがないし、色も、セーターは赤いのを着たことがあるが、赤いガウンは、絶対に着る事がないはずのものである。

しかも、妻は身長が私より大分低かったので、見ただけでサイズが妻に合わないことが分かる。試しに私が来てみたら、私にッタリのサイズである。これは、不思議だ....。なんでだろう...?ああ、なんでだろう...?。

考えたあげく、これは、妻が買ったものではなく、だれかの贈物に違いない、そのように結論を下した。それにしても不思議だ。妻を知っている友人なら、なぜ、サイズが合わないのか...?やっぱり腑に落ちない...。

  






  (夕食に麻婆豆腐を作ってみた。)


   

●なんと、12年かかって編んだとは・・・!!

2014年12月11日 13時48分00秒 | ひとりごと








私は、2015年の年賀はがきのデザインをジッと眺めていて、おやっと思ったことがある。ひつじが編み針をもって編み上がったマフラーを首に巻いているデザインである。12年前(2003年)の年賀はがきのデザインもひつじであったはずだ。

それで、調べてみた。やはり、ひつじの図柄であって、ひつじが編み物をしているのだ。2003年というと、妻が2000年の8月に血液のがんを告知され、「余命2、3年です!」とドクターに宣告されて、3年目の正月だったのであるが、なぜか、その年の年賀はがきのデザインを漠然と記憶していたのだ。

そして、はたと気付いたのであるが、12年前のひつじは、毛糸で編み物をしているのであるが、2015年の年賀はがきは、編み終えたマフラーを首に巻いているではないか。なんと!このひつじは、12年かかってマフラーを編み終えたのである。

ここに、12年越しの感動のドラマがあったのである。2015年の年賀はがきの首に巻いているマフラーは、12年前に編み始めたものだったのである。これは、凄いことを発見をしたぞ!と思ったのだが、何と、すでにネット上で話題になっていたのである。






12年をかけて年賀はがきでひとつの物語を描いてしまうとは、日本郵便も、なんとも粋な演出ではないか。デザインを担当した星山理佳さんによると、12年前から「12年後にできたらいいな......」と思っていたそうである。

今年のデザイン担当が12前と同じ星山さんだったからこそ実現したことで、こんなところにも12年間のさまざまなドラマを感じることができるデザインではないか。
でも、このひつじは、自分の羊毛で、マフラーを編んだりしているのだろうか....。
こんな小さなことで、大袈裟に感動する子どもみやいな爺やであったのだ。
  

因みに、ひつじは、おとなしい家畜である。自分が子どもの頃、春になって、父が羊の毛を刈っているのを見て、自分もやりたいと思って父に頼んだのだ。それで、大きな鋏で羊の毛を刈ったのであるが、誤って毛ではなく、皮を切ってしまったことがある。それで、血が流れ出たのであるが、羊は微動だにせず、黙っていたのだ。


「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊。』」(ヨハネ1:29)。




☆☆=今日は、すこぶる体調がよくなかった。腰痛はひどいし、体は冷えて、どうも気持ちがすっきりしない。いまいち、食欲がない。やはり、低気圧が関係しているような気がする。でも、ただ、体調が悪いというより、気圧と関係しているらしいということが、分かっていた方が安心できる気がするのだ。風呂に入ったら、少し体が温かくなったようだ。明日は、さらに真冬並みの低気圧が来るような予報である。心構えをしておこう。


●孤独と孤立の違いは

2014年11月06日 15時57分47秒 | ひとりごと




 今日、「ひとりぼっち日記」の他の方を訪問してみた。多分、若い女性であろうかと思うが、そ方のブログを見ると、「毎日ひとりぼっち。さみしいです。 なんとか少しだけでも社会とつながっていたいです。」と書かれている。何か、痛いほどその気持ちが分かるような気もする。

私は、独身時代に、一人で生活したことはあるけれども、職場が置かれていた環境のためもあると思うが、その時には寂しいとか孤独であるとか、そのように感じたことはあまりなかったように思う。

しかし、自分も結婚して、子供たちが生まれて、妻や子供たちと楽しい日々を過ごし、やがて子供たちもだんだん成長して、みな独立して遠くに行ってしまい、妻は長い闘病生活のあと、先に天国に逝ってしまった。

このように家族と共に過した長い年月を経たあと、地上に残されて一人になった今の心境は、やはり、独身時代の時の一人とは違うように感じるのは、当然と言えば当然であろうかと思う。

年老いてからの一人暮らしは、やはり、寂しい・・・。
特に、健康が勝れない時には尚更、不安を覚える時があるというのが、正直な気持ちである。

しかし、“孤独”と“孤立”は、意味が似ているけれども違うのではないか。物理的に、孤独な生活が好きな人も中にはいる。いや、人が成長するためには、ある意味では、一人の時間を大切にし、孤独になる時を持つように心がけることも必要ではないかと思うのである。

孤立とは、人間関係から離れて助けもなく、ひとりだけ存在することである。人とのつながりを嫌がり、やみくもに人間関係から距離を置いている状態のことである。
しかし、自分の意思に反して、孤立した環境におかれることもあると思う。
「孤立無援」という言葉もあるが、他とかけ離れて、ただひとりで助けのない状態を意味するのである。

簡潔に言えば、次のように定義できるのではないだろうか。
「孤独」は、一人でいる状態のこと(外見的側面)。
「孤立」は、つながりが切れている状態のこと(心理的側面)。

自分は、孤独ではあるが、孤立しているわけではないと思っている。
遠くではあるが、子供たちも、孫たちもいる。メールで連絡を取ることもできるし、電話で話そうと思えば、いつでもできるのである。私が体調が悪い時には、心配もしてくれるし、健康のために祈ってくれている信仰の友もいる。

人間関係が希薄になっている現代、孤独になっても、敢て、自ら、孤立してしまう道を選らばないようにしたいものである。人は、互いに助け合い、支え合って生きるように造られているのである。
 

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)。




     






●老いるということ

2014年11月01日 10時21分35秒 | ひとりごと


   
数年以上前のことであるが、ある高齢の一友人が「年を取ることは残酷なことですね~!」と言ったのを記憶している。その時は、「え!クリスチャンなのに何で?」と思ったのであるが70代半ば近くになった今になって考えてみると、何となくその意味が分かった気がするのである。

私の場合は、妻が重い病気(特殊な血液のがん)になって、看病&介護を14年も続けたので例外かもしれないが、70代に入ると、急激に体力も気力も衰え、そればかりでなく、様々な考えてもいなかった病気と体の不調が出て来るのだ。

そいう意味では、確かに残酷と言えば残酷である。
若い時にできたことが、次々と出来なくなるのは辛いことである。

もちろん、これにはかなり個人差があり、80、90歳になっても、いや、100歳になっても、ピンピンして元気旺盛な人もたくさんいるのは確かなことである。
私は若い頃から、特に胃腸が弱く、体力は弱かった方だと思う。これは遺伝かもしれない。

父は胃腸が弱かったので、その悪いところを自分が全部受け継いだのかもしれないのだ。これは、多分、遺伝かもしれない。
兄妹5人いるが、自分が特別に胃が弱かったのである。

母は、心臓や肺が弱かったので、どうやら、それも受け継いでいるらしい。
もう、20年以上も前になるが、旅行中に酷く咳が出て、辛い思いをしたことがある。帰宅後、病院で診てもらったら、軽い「肺気腫」と診断された。

これは、今では気管支炎と肺気腫を合わせて「COPD」という病名である。
一般的に、これは「タバコ病」とも言われ、タバコを吸う人に多いのであるが、私は今まで、タバコを吸ったことがないので、明らかに母方からの遺伝であろうと思う。

また、私は現在、心房細動の不整脈があり、これも母方の遺伝ではないかと思う。私の4つ上の姉は心臓が弱く、ペースメーカーを10年くらい入れていたが、8年くらい前に70歳で脳梗塞で他界している。

自分は、あとどれくらい生きられるか分からないけれど、人の寿命は全く予測不可能であり、誰にも分からない。
今の心境は、何とかしてもう一度、健康を取り戻して、若い頃のように働きたいのであるが、それは無理な願いなのだろうか・・・。

「年老いた時も、私を見放ないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。」(詩篇71:9)。