爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●妹のことが、少し心配である

2015年03月07日 20時59分13秒 | 病気のことなど



先日、妹のK子(70)から電話があって、また私のところに来たいということであったのであるが、昨日昼頃に来て、また一泊して、今日夕方電車に乗って帰って行った。今回も、妹は台所を中心とした箇所をあちこちと掃除してくれて、食器棚のガラスまで磨いてくれたりして、大変助かったのである。

そして、夕食後は、前回のように、寝不足になるほど、深夜まで、いろいろと話し込んで、時間を過したのである。しかし、今回は、妹は、明らかに少し落ち込んでいるのが分かった。その理由は、最近、A医大の眼科で受診したところ、あまり聞き慣れない「地図状脈絡膜炎」と言う目の病気があることが分かったというのである。これは、目の病気でも稀なものであるようだ。

これは、決して軽い病気ではないということは、私も理解できた。治療しないで放置すれば、炎症が進み、失明することもあり得るということである。しかし、治療方に、あまり選択肢があるわけでもない。ステロイド(プレドニン)を使用する治療が主なものである。この治療を始めると、一生、このステロイド剤を使用し続けなければならないようなので、大変である。

しかし、そのプレドニンを使用し続けると、様々な副作用があるのである。代表的な副作用は以下の通りである。(1)感染しやすくなる。(2)糖尿病。(3)胃潰瘍。(4)精神症状。(5)副腎機能の低下。(6)骨粗しょう症。(7)顔が丸くなる{ムーンフエイス}・肥満。(8)高脂血症・高血圧・血栓。(9)筋力低下・筋肉痛 。(10)白内障・緑内障。

K子は、病院からもらって来た「ステロイド治療の説明・同意書」の中の、薬の副作用の説明の箇所を読んで、かなり凹んだようである。プレドニンには、これら以外にも、様々な副作用があるが、一人の人にすべての副作用が起こるということではないのある。家内の生前、病気治療中に、この薬を使っていたことがあるので、ある程度の事は知っているけれども、だれでも、この副作用を見ると、心が暗くなって当然ではないかと思う。でも、病院では、このような薬を続けた場合、このような副作用があることを患者に説明する義務があるわけである。

プレドニン治療には、(1)内服と(2)パルス療法がある。パルス療法は、ステロイド剤を大量に注射する方法で、症状が重くて、早急な対処が必要な場合屋、内福では、十分な効果が出ない場合に行われるものである。この治療法は、大量にステロイドを使用しているわりには、副作用がそれれほど出ないとされているようである。全体として治療期間が短く済み、入院日数も少なくて済むし、その後のステロイド剤の服用量もある程度、少なくて済むとされているようである。

こんなことをブログに書いてもしようがないのであるが、少しでも辛い思いをしなくて済むように神様に祈りを捧げたいと思っている。妹は、そんな大変な時期に私のことをを心配して来てくれたのである。普通は、こんな時には、自分のことだけで頭がいっぱいになり、パニックになるのではないかと思う。本当に、妹の優しさと親切に心から感謝したいと心から思っている。

妹は、2年前に、夫を膵臓癌で亡くして、やっと、元気になって前向きに生きようとしていた矢先に、今度は自分が重い目の病気で苦しい思いをしなければならないことを思うと、妹がとても不憫でならない。前回、妹が訪ねて来た時には、妹が私を励ましてくれたが、この度は、私が妹を慰めることになってしまった。人生、何が起こるか、最期で分からないのであるが、まず、すべてのことにおいて、現実を受け入れるところから始めたいと、自分は思っている。そして、妹の晩年の真の幸せを切に祈りたい。

私の腰痛と両足の痺れなどは、今も依然として続いており、足が冷えており、歩行もままならない状態にあるが、神が与えられる試練として、甘受しなければならないのであろうか.....。

「あなたがたの会った試練はみんば人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはありません。むしろ、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)。




●痛みの意味を考えてみた..........

2015年02月28日 22時28分34秒 | 病気のことなど



  
私は、何かの病気で痛みを覚えるときに、「どうして早く痛みが治まらないのか」と思うことがある。子供の時に「痛みがなければいいのに....痛みがなければどんなに楽か....」と、自分勝手なことを思ったこともある。そんなことは誰でも考えることではないだろうか。

ある医者は、“医療は痛みに始まり、痛みに終わる”言ったのであるが、含蓄のあることばである。なるほど、医者の仕事の大部分は痛みを見分けることと言っても過言ではない。「頭が痛い」「喉が痛い」「胸が痛い」「胃が痛い」「関節が痛い」「目が痛い」「腰が痛い」「歯が痛い」「お腹が痛い」.....など、いろいろな痛みをもって人々は病院に行くのだ。

そして、医者はその痛みの訴えを聞きながら、何が問題なのかを探って行くのである。痛みは、私たちの体に何か異常があることを知らせてくれる警報装置のようなものである。

「先天性無痛症」という非常にまれな病気(難病の一つ)があると聞いたことがある。生まれつき“痛み”の感覚がない病気である。痛みがないために怪我をしても気づかないのである。火傷をしても気づかない。凍傷になっても気づかないのである。傷は、そのまま放置されるので、そこからバイ菌が入って深刻な感染症になるのである。

また、制御作用としての痛みがないために力を入れ過ぎて、自分の体の骨を折ったり、筋肉や関節を傷つけたりすることもあるというのだ。自分の歯を抜いたり、自分の眼球まで取り出してしまう子供たちの例もあるというから怖いことである。性格的な特徴は、共通して短気で怒りっぽく、かつ冷淡であるというのである。

☆先天性無痛覚症に関して、次のようなサイトがある。それが、これである
生まれつき痛みを感じないことがどれほど大変なことであるかが、よく分かると思うのである。

これらの疾患を通しても分かることであるが、痛みは生きて行く上で、私たちの健康を維持して行く上で、不可欠のものであることが分かる。また、人格形成の上でもきわめて重要であることを知らされるのである。痛みを感じることを感謝する人はあまりいない(自分もそうである)と思うが、このような事実を知ると、やはり感謝しなければならないと分かるのである。

痛みを知らない者は、他人の痛みを知ることもできないので、思いやりが欠けた人間になるのことは間違いがないことである。いつでも、苦しみは苦しく、痛みは痛いのである。しかし、人間は、苦しむことによって人間らしくなり、痛みを経験して人間らしくなるのではないか....と思うのである。

痛みがいつも人間を成長させるとは限らない。しかし、痛むことなしに、苦しむことなしに、人間は成長しないということは確かであると思う。人生のいろいろな挫折や悲哀、失敗を通して、他人の痛みが分かる人に変えられて行くのではないだろうか。

「徒然草」の中で、吉田兼好は、「友とするに悪しき者」として7つを挙げている。「高くやんごとなき人(身分の高い人)、若き人、病なく身強き人、酒を好む人、武く勇ある兵、虚言する人、欲深き人、」の七つであるが、なるほどと思わせられることもある。

兼好が、その中に、「病なく身強き人」を入れているのは、病気や痛み苦しみを経験しなければ、他人の弱さや痛みを十分に思いやることができないということを見抜いていたのであろうか。これは決して健康な人がよくないという意味ではないということは、もちろん、当然である。

「彼(キリスト)は悲しみの人で痛みを知っていた。........彼は私たちの痛みを負い、私たちの痛みをになった。」(イザヤ書53:3,4)。





●MRI検査に行って来た・・・・・

2015年02月05日 15時08分54秒 | 病気のことなど



三寒四温の季節が近づいているのだろうか。今日も当地は青空広がる快晴である。こんなに天気が続くとあとが怖い感じがする。大雪、大荒れの天気が必ず来るのであろう。
さて、両足のしびれと腰痛のために、前回、整形外科で診てもらったのであるが、MRIの検査の予約日が今日なので、病院へ行って来た。

MRI検査は、初めての経験であったので、少し緊張はしたけれど、心配するようなことは何もなかった。台の上に寝かせられた状態で器械の中に入って行く。もの凄い大きな音がすることは聞いて知っていたが、その音のあまりの大きさに驚いた。アラームのような音や、ダ、ダ、ダ、.........というような、重機で穴を掘るような音など、その他、様々な音が、20分くらいは続いた。ヘッドホンをしていたけれども、それでも、音が大きいのだ。

ヘッドホンからクラシック音楽が聴こえて来た。その音楽を聴いているうちに、だんだん心地よくなってきて、その音楽が何か自分を天国に誘っているように感じて、このまま、気が遠くなって、そのまま眠って天国にいけたらいいなぁ~などと、とんでもないことを考えていたのである。これ以上、この世の中の罪深く醜い世界を見たくないとも思ったのである。

しばらくして、放射線技師の「はい、終わりましたよ~!」という声で、現実の世界に戻ったのである。検査を終えてから、「こんなに長い時間、放射線を浴びて大丈夫なんですか?」と先生に聞いたら、「いや、放射線でなく、磁力ですから....大丈夫です。」との答え。私の無知と恥を晒してしまった。MRI検査を終えて、しばらく、診察室前の待合室で待っていた。自分の番が回って来て、名前が呼ばれたので、診察室の中に入った。

先生から、いろいろ説明を聞いたのであるが、どうも、はっきりした原因は分からないようである。自分で、はっきり分かったことは、椎間板ヘルニヤではないということである。椎間板が潰れて神経に触れているとか、そういうものは見当たらないようである。亡き妻は、若い頃から椎間板ヘルニヤであったので、その写真は何度も見ているので、その程度なら、素人の私でもなんとなくわかるのだ。「神経の通り道もきれいです。」ということも言われた。

でも、先生は、ピンポイントで画像の大きさを変えたり、角度を変えたりしながら、いろいろ説明してくれた。そして、白い部分をいくつか示して、「神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)」という病名を口にして説明してくださったが、よく理解できなかった。でも、これは、良性のものだと思うのでそんなに心配するようなものではない、というようなこともおっしゃったように思う。

それで、経過観察をする必要があるということで、「3ケ月くらいあとに、また来てください。」と言われたのである。前回見た時には、それほど、血流も悪くないということを言われたのであるが、「でも、先生、痺れるだけでなく、足が冷えるんです。」と言うと、「もう一度、靴下を脱いでみてください」と言われたので脱いだ。先生は、足の甲の血管を触っていた。「何か、心臓の病気がありますか?」と言うので、「はい、心房細動の不整脈があります。」と答えた。

先生は、「じゃあ、血流の検査をしましょう。」と言われたが、これは血管の固さなどを調べる検査のようである。それで、1ケ月後の3月5日(木)にABIの予約をして、薬局で、メコバラミン錠500「トーワ」をもらって帰宅した。ビタミン12が主な成分と思われる。効能効果に、「末梢神経の働きを助けて手足のしびれ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」と書かれている。

でも、薬局の先生に聞くと、即効性のあるものではなさそうである。ドラッグストアーから、同じようなものを買って服用しているが、それを止めて、病院からもらった薬を飲んでみようと思う。医者を信じて、あとは、神様の御手に委ねようと思っている。

(記:翌日2月6日)
◆あとで、ある方から聞いた話であるが、その方の友人は閉所恐怖症の方で、このMRI検査で2度も失敗したらしい。中が狭いので、無呼吸のような状態になってしまったというのである。私は、高所恐怖症ではあるが、閉所は大丈夫でああると思う。そういえば、器械の中に入る前に、先生から、「狭い所は大丈夫ですか?」と聞かれたことを思い出した。
◆当日夕刻と今朝、関東と、北陸地方在住の2人の知人から、「MRIの検査結果は、どうでしたか?」と電話をいただいた。こんな者のために心配して祈っていてくれる友人がいることは、本当に感謝なことである。でも、なんとなく、曖昧な返事しかできなかったので、何か申し訳ない気がした。



■=MEMO=■
☆「神経鞘腫」について、ネットで調べてみました。

【神経鞘腫とはどんな病気か】
神経のそばに発生する良性腫瘍で、比較的みる機会の多い疾患です。
1本の電話線のケーブルが多くの細い電線の束からできているように、1本の神経は多くの神経細胞の線維が束になって成り立っています。神経鞘腫は、このうちひとつの神経細胞から発生するので、残りの神経細胞は正常なままです。ただし、ひとつの神経にたくさんの神経鞘腫が数珠のように発生することもあり、注意が必要です。 発生する年齢は20〜70代まで幅広く、平均年齢は40代後半といわれています。

【どのような症状が出るのか】
体の表面に近い部分では、瘤(こぶ)として意識されます。 この腫瘍は良性腫瘍なので、大部分の症例では瘤が成長する速さは比較的ゆっくりで、何年間も大きさが変わりませんが、比較的早く成長する例外的なケースもあります。
神経のそばに発生しているので、痛みを伴うことがあります。瘤を押したときのみに痛みが出る(圧痛)、瘤を押すと発生した神経の走行に沿って電気が走るような痛みが出る(Tinel's sign〈チネル徴候〉)などの痛みの出方があります。
体の深い部分に発生した場合は、原因不明の痛みやしびれを症状とすることが多いようです。
最近はMRI検査(磁力を利用した画像検査)が発達し、ほかの病気の検査のために行ったMRI検査で、たまたまこの病気が見つかる機会も増えてきています。 症状が進行すると、感覚障害(触られたときの感覚が鈍い)や運動障害(力が入りにくい)などの原因となります。 脳神経に発生した場合、脳神経の障害(耳の聞こえが悪い、めまいがするなど)が発生します。



●昨夜、作った“餃子”のおかずです。見かけはまずそうですが、ひさしぶりに食べたので、うまかった!!、でも、写真に撮ってみると、器の選び方も、盛り付けも、採点すれば、100点満点の15点くらいかもね。  ( ̄O ̄;) 

★今日、病院の待合室で......

2015年01月22日 13時25分40秒 | 病気のことなど



最近、足の痺れと腰痛などが急速に悪化しているように感じて、とても心配していた。日常生活にもかなり支障が出るようになって来たのである。家の中を移動する時も、そろ~りそろ~りと、ゆっくり歩かねばならない。その上、普通の人には全然問題ない重たさの物でも、自分が持つと、腰に痛みが走るのである。それで、今日思い切って、市内の市立病院の整形外科に行って来たのである。

数百メートルの距離に病院があるので、滑らないように十分注意して歩いて行って来た。今日は、少し暖気であったので、凍結路面ではなく、いつもよりは歩きやすかったかもしれない。午前9時頃に病院に着いて、帰宅したのが、12時頃だったので、早かった方かも知れないと思っている。帰宅してから、疲れていたけどスーパーまで行って昼ごはんに海苔巻きといなり寿司がセットになっている弁当を買って来て食べた。

病院では、待合室で周囲を見廻すと、ほとんどが高齢者である。待っている時間に、隣りに座っている方々とも会話をした。私と同年齢で、同じような症状の男性の方もいた。それで、その方とも病気のことや普段の生活のことなど、いろいろな話をした。症状が似ているというだけで、何か親近感が湧いたので不思議である。私は、病院では、待ち時間に、同じように退屈しているかもしれない方もおられると思って、時々話しかけることがある。今日、4人の方に話しかけてみたのであるが、4人とも快く応じてくれたので、嬉しかった。

ある70代と思われる女性にも話しかけてみた。雪道ですべって転んであばら骨を打って最初は、痛みが酷くなかったので、放置しておいたら、だんだん痛みが強くなって来たというのである。安静にしていればよかったのではないかと思うが、それでも、雪が降れば除雪をしなければならないので、多分、それで、悪化したのでないかと思う。そのようなことを話したら、「そうなんですよね~、ほんとは、安静にしていたかったんですけど、主人が病気がちでね~、除雪作業があるからね~」というのである。そして、その方の旦那さんは、どうやら、認知症になりかけていると言うのだ。

そのご婦人は、気さくな方のようであったので、自分のこともいろいろ話してみた。聞かれてもいないのに、自分の年齢まで話した。そうしたら、「あ~、そうですかあ~、私も同じ年です~!」と言うのである。「ああ、そうですか。じゃ、昭和16年生まれなんですね~、ちょうど、第二次世界大戦が始まった年ですね~、お互いに同じ大変な時代を生きてきたんですね~」と、気づいたら、とても病院の待合室で話している内容とは思えないことを話していた。もちろん、他の患者さんに迷惑にならないように小声で話したことは言うまでもない。

それで、その方が認知症の予防のためにどんなことをしたらいいかと問うので、できるだけ家に閉じ籠っていないで、外の人と話をしたりして接触した方がいいと思いますよ、というようなことを言った。そして、「私はPCをやっているので、できるだけ遠くにいる子供たちとメールして連絡し合ったり、それだけでなく、知らない人ともcommunicationを取ろうとしたり、交流するようにしているんですよ。」と言うと、「なるほどね~、うちの旦那は、家に閉じこもって外に出たがらないし、PCなんか全然興味を示さないんですよね~」と言うのである。「今、私がこうして隣りの方に話しかけているのも、そういう意味もあるんです」と言ったら、何度も頷いていた。

このように知らない人と気楽に話をしたりするのは、多分、父親の遺伝かもしれない。父がそういう人だったのである。レントゲン室に入る前に、看護師さんとの面談があって、症状などを聞かれたので、聞かれないことまで何でも話をした。必要なことだけメモしていたようである。「いや~、家内が一昨年夏に亡くなりまして、今、一人で、家の中を移動するのも大変なんですよ。気持ちが落ち込んで暗くなることもあるんです。」と言ったら、今度は、40代くらいの看護師さんが「そうですか....。実は、私の父も今は一人で、病気もあって、すごく寂しがっているんですよ.....。」と、心を開いて(?)話したのびっくりした。

これは、多分、ローカルの病院だからで、大都市の病院では、あり得ないのではないかと思う。最近は、どこに行っても、高齢化社会になって来ているので、看護師さんも、そのような老人に対する対応は慣れているのかもしれないと、勝手に思っている。でも、私は、誰に対しても、そのように接するのではない。73年生きて来ると、自分の人生経験から、この人はこういうことを話していい人かどうかをある程度は判断できるし、多忙な時間にそんなことをして、迷惑をかけないようにしているつもりである。

それから、いろいろな角度でレントゲンを5、6枚撮って、それから衣服を着て、診察室に呼ばれて、先生の説明を聞いて来た。写真を見ながら、いろいろ説明してくれたが、骨が潰れたり、骨に大きな異常はないことが分かった。さらに詳細に調べるために、2週間後にMRIをする予約をして帰って来た。次回は、2月5日(木)9:30である。病院で先生に診てもらったことで、少しは気持ちが楽になったかもしれない。でも、症状が楽になったわけではないのである。

☆★上記の記事の中で、4人の方と書いたのは、座席の前後左右の4人という意味ではなく、最初に座った席の隣り、その後、トイレに立って戻ったら、その席に別な人が座っていて、私は別な席に座り、その席の隣りの方と話し、その後、レントゲン室から戻ってまた別の席に座り、その後、診察室から戻ってまた別の席に座って、隣りの方に話したという意味である。

■一時、時間的余裕がないことと、健康的な理由から、ブログを止めるか、お休みにしようかと考えたのですが、やっぱり、もう少しやってみようと今日も書いてみました。止めるのはちょっと寂しいのです。ブログの更新は、不定期で、しかも、空く時間が長くなるかもしれません。また、コメントに返事を書く余裕がないかもしれません。自由にコメントを書いてくださって結構です。コメントは、ブログに行かなくても、gooからメールが届いて読めるように設定されているのです。コメントは必ず、読むようにします。