私には、小学、中学、高校と机を並べて勉強したY君という友人がいた。彼は運動神経抜群であったのだ。私は、彼と、小学校から高校まで、同じ学校で勉強したのである。私は、運動神経が鈍く、跳び箱も、ソフトボールも、何をやっても駄目だったのであるが、しかし、Y君は、頑健な体格をしていて、運動は何をやっても巧かったのである。その上、彼はとても真面目で努力家であったのである。
S高校に入ってから、彼はレスリング部に入部して、どんどん力をつけてメキメキ上達して行ったのである。彼が、高校の体育館で、汗水流して猛練習していた姿を私は見ている。彼の決して諦めない姿勢は、はたで見ていてもよく分かったのである。そして、やがて、中央大学に進み、益々、技に磨きをかけて行ったのである。そして、中大4年の時、62年世界選手権で優勝、63年世界選手権で優勝している。
彼こそは、1964年東京オリンピックのレスリング.フリースタイル.フェザー級金メダリストの渡辺長武(おさむ)氏である。今の若い人は、渡辺長武と言っても、知らない人が多いと思うが、私の年代の人であれば、大体、知っているのではないかと思う。彼は、日本レスリング史上最強と言われるほどの選手となったのである。 怪力と激しい闘争心で「アニマル」の異名をとり、技の正確さで“スイス・ウォッチ”とも評された男である。
1964年東京オリンピックでの金メダル獲得は間違いなしといわれた。このプレッシャーにもめげず、全試合フォール勝ちで見事に金メダルを獲得。フォール勝ちというのは、ボクシングで言えば、KO(ノックアウト)と同じようなものである。世界選手権と合わせ3年連続世界一の偉業を達成したのだ。この間にマークした「186連勝」はギネスブックにも掲載された。この記録は、簡単には破られない記録であろうと思う。
ネットで調べてみると、こんなことが書いてある。*******64年の東京五輪で、金メダルは確実視されていた。自信はあったが、最強ならではの重圧が襲う。「ねじ伏せてフォール勝ちしなければ…」。気持ちを落ち着かせるために選手村のサウナに入ると、先客にマラソンのアべべ(エチオピア)がいた。「走る哲学者」と評された男の落ち着いた姿を見て、渡辺の動揺は収まったという。*********
東京五輪が終わって、間もなく、自分が帰郷した時に、ちょうど、同窓会があったので出席したら、渡辺君は、日の丸のついたブレーザーを着用して出席していた。満面の笑みを浮かべていたのが、印象的であった。彼は、終始、泰然自若として、にこやかであった。私には、その時、彼がものすごく眩しく見えたことを記憶している。
それから、最近、知ったことであるが、彼のお父さんが、重い関節リウマチの病気で体を動かせない状態になり、彼は少年時代からお父さんをお風呂に入れたり、介護をしていたらいしいことを知って驚いたのである。彼の家は、石屋をしていたので、重い石を持ったりなど、子供の頃から、そんな重労働をしていたのである。彼は子供の頃から体格が良かったのは、そのことも関係していたのだと思う。学校では、そんな様子は微塵も見せなかったのだ。
彼は、お父さんから「何でもいいから、世界一になれ!!」と言われ、その一言で、のちに士別高校に入った時にレスリングと出会い、発奮したのである。彼は、私のような軟弱でひ弱な男ではなく、意志が強固で、全力を尽くして初志を貫徹し、最後までやり抜く男であったのだ。高校卒業後は、私と渡辺君は全く別の道を進んだのである。
そして、渡辺君は確かに世界一になったのである。しかし、栄光は長く続くものではなく、既に彼は過去の人となってしまったのだろうか。ダグラス・マッカーサーの「老兵は死なず。ただ去り行くのみ。」ということばがあるけれども、人生は寂しいものである。しかし、老兵には老兵のすべき仕事がることもまた事実ではないのか....。老兵たちよ。勇気を出そうではないか......。
(2004年、紫綬褒章受章、大鵬ご夫妻と記念撮影。左端が渡辺長武君である。)
●「東京オリンピックマーチ」を聴くと、50年前にタイムスリップして、その当時のシーンがよみがえって来る。そして、自分の若かりし青春時代を思い起こすのだ。この行進曲には、確かに、何か不思議な勇気を与えるような、そんな気がして来たのである。
●【64年東京オリンピック開会式:動画】
(私は、この開会式を松前灯台の無線室で見ていたこを記憶しており、昨日のことのように思い起こすことができるのだ。なぜか、意味もなく、なんか涙が出て来た。)
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は、日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い栄光をもたらすからです。」(Ⅱコリント4:16,17)。
「私たちはみな、顔のおおいをとりのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主の姿に変えられて行きます。....」(Ⅱコリント3:18)。
私は、20代の若い頃から、決して去ることのない永遠に続く栄光を求めて生きて来たのである。それが、クリスチャンの人生なのである。ハレルヤ!!