爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●64年,東京五輪で活躍した友人の雄姿を想う

2015年02月14日 21時41分14秒 | 過去の記憶










私には、小学、中学、高校と机を並べて勉強したY君という友人がいた。彼は運動神経抜群であったのだ。私は、彼と、小学校から高校まで、同じ学校で勉強したのである。私は、運動神経が鈍く、跳び箱も、ソフトボールも、何をやっても駄目だったのであるが、しかし、Y君は、頑健な体格をしていて、運動は何をやっても巧かったのである。その上、彼はとても真面目で努力家であったのである。

S高校に入ってから、彼はレスリング部に入部して、どんどん力をつけてメキメキ上達して行ったのである。彼が、高校の体育館で、汗水流して猛練習していた姿を私は見ている。彼の決して諦めない姿勢は、はたで見ていてもよく分かったのである。そして、やがて、中央大学に進み、益々、技に磨きをかけて行ったのである。そして、中大4年の時、62年世界選手権で優勝、63年世界選手権で優勝している。

彼こそは、1964年東京オリンピックのレスリング.フリースタイル.フェザー級金メダリストの渡辺長武(おさむ)氏である。今の若い人は、渡辺長武と言っても、知らない人が多いと思うが、私の年代の人であれば、大体、知っているのではないかと思う。彼は、日本レスリング史上最強と言われるほどの選手となったのである。 怪力と激しい闘争心で「アニマル」の異名をとり、技の正確さで“スイス・ウォッチ”とも評された男である。

1964年東京オリンピックでの金メダル獲得は間違いなしといわれた。このプレッシャーにもめげず、全試合フォール勝ちで見事に金メダルを獲得。フォール勝ちというのは、ボクシングで言えば、KO(ノックアウト)と同じようなものである。世界選手権と合わせ3年連続世界一の偉業を達成したのだ。この間にマークした「186連勝」はギネスブックにも掲載された。この記録は、簡単には破られない記録であろうと思う。

ネットで調べてみると、こんなことが書いてある。*******64年の東京五輪で、金メダルは確実視されていた。自信はあったが、最強ならではの重圧が襲う。「ねじ伏せてフォール勝ちしなければ…」。気持ちを落ち着かせるために選手村のサウナに入ると、先客にマラソンのアべべ(エチオピア)がいた。「走る哲学者」と評された男の落ち着いた姿を見て、渡辺の動揺は収まったという。*********

東京五輪が終わって、間もなく、自分が帰郷した時に、ちょうど、同窓会があったので出席したら、渡辺君は、日の丸のついたブレーザーを着用して出席していた。満面の笑みを浮かべていたのが、印象的であった。彼は、終始、泰然自若として、にこやかであった。私には、その時、彼がものすごく眩しく見えたことを記憶している。

それから、最近、知ったことであるが、彼のお父さんが、重い関節リウマチの病気で体を動かせない状態になり、彼は少年時代からお父さんをお風呂に入れたり、介護をしていたらいしいことを知って驚いたのである。彼の家は、石屋をしていたので、重い石を持ったりなど、子供の頃から、そんな重労働をしていたのである。彼は子供の頃から体格が良かったのは、そのことも関係していたのだと思う。学校では、そんな様子は微塵も見せなかったのだ。

彼は、お父さんから「何でもいいから、世界一になれ!!」と言われ、その一言で、のちに士別高校に入った時にレスリングと出会い、発奮したのである。彼は、私のような軟弱でひ弱な男ではなく、意志が強固で、全力を尽くして初志を貫徹し、最後までやり抜く男であったのだ。高校卒業後は、私と渡辺君は全く別の道を進んだのである。

そして、渡辺君は確かに世界一になったのである。しかし、栄光は長く続くものではなく、既に彼は過去の人となってしまったのだろうか。ダグラス・マッカーサーの「老兵は死なず。ただ去り行くのみ。」ということばがあるけれども、人生は寂しいものである。しかし、老兵には老兵のすべき仕事がることもまた事実ではないのか....。老兵たちよ。勇気を出そうではないか......。



 (2004年、紫綬褒章受章、大鵬ご夫妻と記念撮影。左端が渡辺長武君である。)



「東京オリンピックマーチ」を聴くと、50年前にタイムスリップして、その当時のシーンがよみがえって来る。そして、自分の若かりし青春時代を思い起こすのだ。この行進曲には、確かに、何か不思議な勇気を与えるような、そんな気がして来たのである。

【64年東京オリンピック開会式:動画】
(私は、この開会式を松前灯台の無線室で見ていたこを記憶しており、昨日のことのように思い起こすことができるのだ。なぜか、意味もなく、なんか涙が出て来た。)

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は、日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い栄光をもたらすからです。」(Ⅱコリント4:16,17)。

「私たちはみな、顔のおおいをとりのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主の姿に変えられて行きます。....」(Ⅱコリント3:18)。


私は、20代の若い頃から、決して去ることのない永遠に続く栄光を求めて生きて来たのである。それが、クリスチャンの人生なのである。ハレルヤ!! 





●あれから20年・・・・・

2015年01月17日 10時23分59秒 | 過去の記憶





20年前に阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が起きた日の前日、すなわち1月16日、私は、ある大きな集会でお話をするために、東京に旅行していたのであるが、その日の予定を終えて、当時東京のH大学で学んでいた息子(長男でもあり、末っ子でもある)の賃貸アパートの部屋に泊っていた。そして、その日の夜は、久しぶりに息子と水入らずの時間を過したのである。

そして、その翌日の朝の7時頃(?)、私は、起床してすぐTVをつけたのである。普段は、起床してすぐTVをつけることは殆どないのであるが、その日は、なぜか、帰りの飛行機のことや北海道の天気のことなどが気になり、チェックしたいと思ったのか、はっきり記憶にないが、TVをつけたのである。

そして、TVのスイッチを入れた瞬間、そこには驚きの光景が目に飛び込んで来たのだ。ニュースの時間だったかどうか、はっきり記憶にないが、明らかに、現場からのリポートで、神戸市内の高速道路の橋脚が横倒しになり、家屋やビルが倒壊し、車が押しつぶされ、道路はズタズタになっているような映像であった。それで、大地震があったらしいことが分かったのである。

それで、息子を叩き起こして、「なんだか、大変なことが起こっているぞ~!」というようなことを言ったような気がする。息子も、TVを見るなり、「あ~!何だ、何だ、これ、今、日本で起こっているの~!?」と言うような意味のことを口走ったのを記憶している。私も息子も、非常に大きな衝撃を受けたのである。

最初は地震の被害が報じられていたが、帰宅後のTV報道で、神戸の街のあちこちから、火災が発生し、それがどんどん拡大して行ったことが報じられたのである。死者6.434人にのぼる甚大な災害となったのである。それは、つい先日のことのように、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いて残っている。でも、あれから、もう20年が過ぎたのである。

●震災翌日の正午のNHKニュースの映像である。
(この映像を見ると、20年前にタイムスリップしたような錯覚を覚える・・・・)


その同じ年の3月に、地下鉄サリン事件が起こったり、その年は嫌なことが、いろいろあったような印象が残っており、暗い1年であった。20年前と言えば、6人の孫のうち、その時生まれていたのは、一番上の大学3年生の孫だけである。でも、その孫娘も、幼かったので、その記憶はないはずである。

一口で、20年と言っても、その間には、私の人生にも、様々なことがあったのである。妻の病気(血液のがん)の宣告と長期の闘病生活、私の看病&介護、そして、妻の死。一昨年秋からの自分の体調不良など.....。世界でも、日本国内で、いろいろなことが目まぐるしく起こったが、それをここで書くつもりはない。

ちなみに、9.11、すなわち、2001年9月11日に発生したアメリカ 同時多発テロ事件は3千人以上の犠牲者を出し、アフガニスタン紛争、イラク戦争へと 繋がる歴史の大きな転換点となったことは周知の事実である。これは、阪神淡路大震災から6年後のことである。

その震災が起こった年、息子はまだ大学生であった。しかし、今は、もう40歳を越しており、社会人として、東京のコンクリート.ジャングルの中で働いている。私は、大都会の中で生活するのは、多分、息が詰まりそうになるのではないかと思うが、息子は、その中に溶け込み、順応して一生懸命生きているようである。

こちらから連絡しないと、ほとんど、音沙汰がない。便りなきは良き便りと昔から言われているので、私もそう信じているのである。息子も元気で働いているであろうと思っている。北海道の田舎に帰って来ても、働く場所もないので、多分、東京で働くのが息子に合っているのかもしれない。

話は、横道にそれてしまったけれども、「災害は忘れた頃にやって来る。」と言われているが、今の時代はこの言葉が当てはまらないように思うのである。忘れるひまがないほどに、毎年、次々と、大きな災害が起こるのである。新しい建物が建てられ、神戸の街並みはきれいになったように見えるが、実際には、本当の復興はまだであると報道されている。災害からの復興がないまま、次の災害が来るのだ.......。

災害においては、地方よりも、大都会の方が危険であると思っていたが、今は地球上のどこに住んでいても、安全なところは、ないことを痛感する昨今である。


「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは、知らないからだ。」(聖書:箴言27:1)。


●しかし、このような「泣ける動画」も見つけました。
阪神大震災の時に、犬に救われた尊い命です。人生に迷った時、是非、見てほしい...感動的な実話です。


私は、この動画を見ながら、涙が流れて止まりませんでした。こんなに涙が出たのは久しぶりです。人生には、辛いこと、悲しいことがいっぱいありますが、一枚の紙にもその表と裏があるように、一つの出来事があるとき、必ず、表と裏があることを覚えて、その苦しいことを乗り越えたいものです。