爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●今年のカレンダーの絵

2015年01月05日 17時24分28秒 | 季節





   
Kさんというご婦人が、以前から利用している銀行(信用金庫)のカレンダーには、いつも、かわいい少女の絵があって、その温かい雰囲気が私もすごく気に入ったので、数年前からその銀行のカレンダーをいただいている。カレンダーだけもらいに行くのは、ちょっと気がひけるので、少しだけ預金してある。今年のカレンダーがこれである。昨年のカレンダーの絵が下の絵である。

子供の笑顔は、とても慰められ、心が癒される気がする。お姉さんが妹を負んぶしている絵もとても可愛いと思う。大人であっても、子供であっても、人の笑顔が嫌いな人はだれもいないと思うのだ。人の笑顔は確かに、周りの人を幸せな気持ちにさせる力があると思う。世界中の人たちがみんな笑顔であったら、どんなにすばらしいことかと、率直にそう思うことがある。

自分も、人に会う時には笑顔でいたいと思うが、時々、疲れていたりすると、眉間に皺を寄せていることがある。人は、他人にこうあってほしいと願うことが多いのであるが、まず、自分から常に笑顔で人に接するように心がけていたいと思う。

聖書の次のことばを思い出した。
「いつも、主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ書4:4)。
パウロというクリスチャンは、この手紙を福音のために迫害を受けて投獄されたローマの獄中から書いているのだ。何度も何度も、喜びなさいと、勧めているのだ。彼自身が喜んでいなければ、他人に喜びなさいなどと決して勧めることはできないはずである。自分は、パウロの足元にも及ばないが、そうなりたいと思う。





この写真は、昨年12月末、ドイツ人のクリスチャンの友人からいただいたカードである。もちろん、私はドイツ語は全く読めないし、何も分からない。でも、ここに何が書いてあるかはすぐ分かった。なぜかというと、この最後のところに、Psalm 90.4 と書かれてあるからだ。これは、旧約聖書の詩篇90篇4節のことであるのだ。聖書を開いてそこを読むと、次のように書かれているのだ。

「まことに、あなた(神)の目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」(詩篇90.4)

この葉書を送ってくれた方は、一年が間もなく終わろうとしているその時、この聖書のみことばが頭に浮かんだのであろう。あっと言う間に、一年が過ぎ去り、また、新しい年を迎え、もう数日が過ぎた。時間は、止まることがない。時計が壊れて止まっても、時間は止まらない。

この詩篇90篇の記者はモーセであるが、彼は、続けて「朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。」(詩篇90.6)と書いて、人生の儚さを花にたとえ、絵画的に描写している。今年も、時間は止まることなく流れて行くであろう。残りの時間をどう生きるか熟慮すべく、自分に言い聞かせているのである。

昨年は、ちょっと無理し過ぎて、今は、少し疲れている。今年は、ブログの更新頻度は、もう少しゆっくり、スローペースで行きたいと考えている。



★明日の夕方から、8日にかけて北海道は、また、大荒れの天気予報である。しかし、気温は一時緩みそうで、雪崩や屋根のからの落雪には、十分、注意しなければならない。
★7日朝、当地氷点下10℃、もの凄い猛吹雪。ホワイトアウトの状態。

●今年もよろしく!!

2015年01月02日 07時21分58秒 | 季節





Happy New Year !!
皆様、昨年はいろいろとお世話になり、ありがとうございました。
今年もどうかよろしくお願いいたします。


==ここからは、日記です。===
今朝の気温は、マイナス16℃。 2015年の新しい年が明けた。昨日は清々しい気持ちで新年を迎えた。本州(昔は、蝦夷の人は内地と言った)の、特に東北や北陸などの日本海側は大雪の予報であったが、当地は、昨日は一日中天気がよく、雪も降らなかった。朝食は軽く済ませ、お昼に、昨日いただいたお節を温めておいしく食べた。とても、柔らかくて食べやすかったのである。

私の元旦の日の楽しみは、年賀状である。大部分は、全国各地の信仰の友などからのものである。その他、たくさんの年賀状が、どさっと届いた。一昨年は妻が天に召されて、〇〇はがきを出したので、昨年の正月は年賀状が一枚もなく、寂しい思いをしたので、特に、私のような一人暮らしの者にとっては、友人、知人の近況などを知ることができるので、すごくうれしいのである。ほとんどの方は、私の健康を気遣ってくれている。感謝なことである........。1時間以上かけて、1枚1枚ゆっくり読んだのである。

東北I県に住んでいるIさんは、2年くらい前に、重い病気になって、今は自宅で生活できない状況に置かれているのだが、印刷された年賀はがきに、「家内の不用となった物を見る度に、悲しみと淋しさを覚えるこの頃です。」と書き添えられていた。奥様の看病を続けておられるIさんのお気持ちが痛いほどよく分かるので、心からの同情の念を禁じ得なかった。

また、年賀の中に、今は神奈川県に住んでいるK君からのものがあった。その年賀には、青森の尻屋崎燈台の写真が印刷されていた。燈台の写真はとても、懐かしいのである。彼は、今から50年も前に、舞鶴にある海上保安学校燈台科(2年)を卒業して、尻屋崎燈台に赴任した同期の桜である。2年間、勉学と訓練を共にし、寮生活をした腹心の友(?)であった。

私は、北海道のM燈台、彼は青森の尻屋崎に着任したのである。夜になって燈台が点灯すると、津軽海峡を挟んで遠く離れていても、お互いに燈台の灯が見えるので、「今日も〇〇君は頑張っているな~...」と確認することができたのである。今も、胸が締め付けられるような懐かしさを覚えるのである。「喜びも悲しみも幾年月(Times of Joy and sorrow )」という映画も思い出した。主演は、佐田啓二と高峰秀子である。因みに、佐田啓二は、私の好きな俳優の一人であったが、東京五輪が開催された64年、37歳の若さで交通事故で亡くなられたのである。中井貴一の父である。

(他に、別な別な動画もある。)

また、年賀の中にびっくりするようなものが1枚あった。それは、〇〇警察署からの年賀である。それには、「振り込め詐欺には気をつけましょう!」と書かれているのだ。これには、私もほんとうに驚いた。「怪しい電話にご用心!」「不審に思ったり感じたら〇〇警察署へ!」と印刷されている。なんと、警察は、高齢者に対してここまで気を配って親切にしてくれるのか!と思って、感謝の思いでいっぱいになった。

一昨年、天に召された妻の妹K代さんからの年賀もあった。そう言えば、しばらく、ご無沙汰していたのだ。「昨年春に、母がホームに入所して、今は、少しほっとしています。」と書かれている。K代さんは、長い間、妻の母95歳の介護をして疲れていたのである。早速、電話してみたが、30分くらいの長電話になっってしまった。「ほんとうに、お疲れ様でしたね....」と労をねぎらったのである。自分のことで頭がいっぱいで、Kさんに対する感謝と慰労の言葉をすっかり忘れていたのだ。誠に申し訳ない気持ちである。

話は脱線するが、Kさんは、妻の末の妹であり、妻とも昔から一番、仲良くしていたようである。Kさんと妻との間に、もう一人の妹がいたのであるが、結婚して、あまり年月が経たないうちに、出産の時に亡くなったのである。その時は、妻は非常に悲しんでいたのである。でも、その時には、私も若かったので、妻の深い悲しみをよく理解してあげることができなかったのである。娘2人が母より先に他界してしまったのであるが、95歳の母は、今もホームで頑張って生きておられる。

年賀状を見ていたら、次から次といろいろなことが頭を過ぎるのである。元旦から、うれしくてなったり、涙を流したりした。年賀状の話はこれでおしまい。

今年のカレンダーをまだ買ってなかったので、昨日午後は、書店に行って、2015年のカレンダーや日めくりを買って来た。例年、銀行のカレンダーは必ずもらいに行くのであるが、景色などの写真つきのカレンダー2、3点は、書店に買いに行くのである。元旦に、カレンダーを買ったのは、初めてかもしれない。いろいろと、することが多くて忘れていたのだ。

追記:燈台に関する記事で、M燈台から天気がいい日の夜間に非常によく見えたのは、竜飛崎燈台の灯で、そこにも同期のS君が勤務していたのである。


  



●一年を回顧、感謝あるのみ....

2014年12月31日 08時48分28秒 | 季節





(作成された方のお許しをいただいて使わせていただきました)

  
いよいよ、今年も大晦日を迎えた。年を取ると、一年が過ぎるのが凄く早く感じる。「光陰矢の如し」、「歳月人を待たず」などの諺が頭に浮かぶ。

一年を回顧すれば、自分の私生活にとっては、ある意味で辛い苦しい一年であったかもしれない。自分の残された生涯をどう生きるか、試行錯誤し、いろいろと悩みもしたのである。まずは、健康を回復したいとの願いから、室内でストレッチやインナーマッスル.トレーニングをしたり、食欲が出るようにいろいろ試してみたりもしたのである。

でも、この冬将軍到来と、厳しい寒さが続く季節を迎えて、腰痛や足の痺れは増し、やはり、回復は難しいのかと、落ち込んだりもした。食事は、一年前に比べると、大分美味しく食べられるようになったが、体重は、55キログラムしかない。身長174.5センチで、この体重は少なすぎる。一度、減った体重は増えないのだ。

もう一度、旅行できるまでに健康回復できれば、と思って努力したが、やっぱり無理かもしれない。せめて、日常生活だけでも、普通にできるようになればと思っていたが、今はスーパに買物に行くのも、楽ではない。でも、何とかして、前向きに頑張りたいと思っている昨今である。

孤独であっても、孤立してはならない....と自分に言い聞かせて、10月頃に、このようなブログも始めてみた。他人の作成したブログを訪問して、好き勝手なコメントを書いたりして、迷惑をかけたりしているのではないかと、反省もしている。多分、子や孫たちは、爺やの別な一面を見て、驚いているのではないかと想像している。(笑)

若い方のブログを訪ねて、いろいろ刺激を受けたり、また、楽しませてもらったり、教えられたり、学ぶことも多くあったのだ。また、ネット上でも、心の触れ合いのようなものを少し感じたりして、少しは、ボケ防止に役に立っているのでは?と思ったりしている。

人間の心というのは、暗い気持ちになると、どんどん負のスパイラルのように下に落ちて行くように感じるのだ。久し振りに、ブログをやって、他人のブログを覗いたりして感じたことは、孤独な人たちが非常に多いということである。面には表れなくても、そのような人たちは巷にあふれているように思うのである。

現代社会は、若い方にも年配の方にも、昔に比べて、確かに孤独な人が多いように思う。また、人生のいろいろな出来事に直面して、傷ついておられる方もたくさんおられるのだ。孤独な方や、人生の試練に遭遇している方がいると、自分が孤独な状況にあることも忘れて、何とかして助けてあげたい、いっしょに寄り添ってあげたいという欲張った思いが出て来ることもある。

この一年、いろいろな方にお世話になった。また、御迷惑もおかけした。心からの感謝を申し上げたい。自分の孫や、子供たちにもいろいろ励まされた一年であった。また、このブログを始めてから、出会ったたくさんの方々との交流も楽しかった。

なんとか、明るい気持ちで新年を迎えたいと思っているのである。この一年を回顧すれば、すべては、ただ、感謝あるのみである。

では、皆々様、どうか、良いお年をお迎えあれ!!

May the grace, peace and the love of God be with you all.

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎(sin)を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」(旧約聖書:詩篇103:2~5)。






★神様からの贈物

2014年12月24日 09時21分45秒 | 季節




(雪の中、元気に登校して来る子どもたち。この日、小学校の前で、子どもクリスマス会の案内チラシを配ったのだ。)





  
私のブログは、その日に思いついたこを書くだけであり、何のテーマもないのである。何でもありの雑貨屋みたいなブログである。ここを訪問する人は、戸惑うかもしれない。どうか、その点、ご了解いただきたいと思っている。

今年の夏に、S市に住んでいる60代の友人Uさんから、胃腸の不調が続いていた私のことを心配して、とても軟らかい煮魚のセットのようなものが送られたきたのである。骨まで軟らかいので、胃が弱い私にとっても、とても食べやすかったので、メールで丁寧なお礼を書いたのである。1週間ほど前に、また、同じものが送られて来た。鍋に湯を沸かして温めるだけで食べられるので、非常に助かっている。

また、先日は、北海道の日本海側にある初山別というところに住んでいて、障害者施設で働いている私の弟が、その施設で製造している海産物の“いくら”1セットを送って来た。その日の夕食に、温かいご飯にのせておいしくいただいたのである。まだ、数回食べられるだけ残っており、毎日、少しづついただいている。やはり、兄貴に食べやすいものを、ということで、送ってくれたのであろう......。

また、昨晩は、娘の一人から「西の果ての島からの甘い贈り物」石焼ごと芋(さつまいも)というものが送られて来た。「長崎・五島福江島産」と書かれている。レンジで3分温めればすぐ食べらるものだ。「一度食べたら、忘れられないねっとりと濃厚な密の甘さ」と書いてある。要冷凍と書いてあったので、1晩、玄関フードに置いておいた。北海道では、厳寒(ゲンカン)時は、玄関の外の玄関(ゲンカン)フードは常に氷点下なので、そこに置いておけば、冷凍庫に入れなくても大丈夫なのだ。(笑)

これらのものは、みな私に食べやすいものばかりである。まことに、ありがたいと思っている。自分は、しあわせ者であると思って感謝しているのである。何よりも、このような者のことを思いやり心配してくれるその心がうれしいのである。そして、私たちは、普通、人に贈物(Present)をする場合、その人が何が一番必要であるか、何を一番喜んでくれるかを考えるのである。

昔、私の先輩の伝道者(Mさん)がある時、福音集会で話したメーッセージを今でも覚えている。Mさんは、小児麻痺で、両手両足が不自由であって、左手だけが僅かに自分の意志で動かせる方であった。その彼が、クリスチャンになり、そして、人々にキリストの福音を伝える伝道者になったのである。彼と結婚して夫を支え続けた夫人も凄い人だと思う。決して誰にでも真似ができることではない。

その彼が、ある時の集会で、こんな話をしたのである。ある時、彼のことをよく知っている友人が彼にPresentを贈ったのである。ところが、そのMさんに贈ったのは、革靴であったのだ。Mさんは、生まれてから一度も歩いた経験がなく、もちろん、靴を履くことなどできるはずがないのだ。それをよく知っている友人が靴を贈ったのである。

その時の福音メッセージで、Mさんは、なぜ、その友人が彼に靴を贈ったのか、今でも分からない....というような意味の話をされたのである。ただ、それだけの話であるが、40年も前のことを今でも記憶している。

私がこのようなことを書いたのは、人は誰でも、贈り物をする場合、その人に何が必要なのかを考えるのである。それならば、愛なる神様は、なおさら、そうではないか....ということを言いたかったのである。今日はクリスマス・イブ....。聖書の中から、“神様の贈物”のことを考えてみたいのである。聖書の中に次のような聖句がある。

「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイ7:11)。

「すべての良い贈物、また、すべての完全な賜物は、上から来るのであって、光を造られた父(神)から下るのです。父(神)には移り変わりや、移り行く影はありません。」(ヤコブ1:17)。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、この世(この世界にすんでいるすべての人々)を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト.イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)。


クリスマスのこの時期に、神がなぜご自分の御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになられたのかを静かに考えるひとときを持つ事ができたら、幸いである。

神の御子イエス・キリストは、約2.000年前のあの静かな夜、あのベツレヘムの寒村の馬小屋で、全人類の救い主として、ひっそりと、生まれたのである。あなたのためにも....。
 
Merry Christmas to you.
May the grace, peace and the love of God be with you all.


♪・・・・きよしこの夜(Silent Night)・・・・♪





◆◆*****2日くらい前から、両足の親指が少し痛い。今日は、足の裏も少し痛い。これは、もしかしたら、“しもやけ”なのか....。それとも、湯たんぽによる低温火傷か....。痒いわけではないので、やはり、火傷かもしれない。子どもの時、湯たんぽで足のくるぶしの上のあたりをやけどしたことが時々あったのを思い出した。
  


  




●クリスマス.カラーの3色

2014年12月22日 12時01分00秒 | 季節







今日は、私の通院日であるが、外は猛吹雪であるので、病院に行くのは止めることにした。車を走らせるのも危険だし、歩いていけば、行き倒れにになるかもしれないからだ。毎日、服用している薬もなくなったが、1日くらい飲まなくても、死ぬこともないだろう。

でも、今日は、少し体調がよろしくないようだ。やっぱり、低気圧と無関係ではないようだ。爺やは、子供や孫たちに元気なところを見せて安心させようとして、ちょっと無理しているかもしれないかな.......。時々、疲れて、頭がボーっとしていることがあるのだ。

=====ところで、一般的に、クリスマスカラーと言えば、どなたも、赤・緑・白の3色が頭に浮かぶと思う。この3色がそろうとクリスマスという感じがするのだ。その3色から、私の人生のみちしるべであり、座右の書としている聖書(BIBLE)のみことばから考えてみた。

クリスチャンにとって、「赤」はキリストが十字架上で流した贖罪の血の色を思い浮かべ、それは、神の「愛」を表している色ということが言えると思うのである。
最近、民放TVのある番組で有名な假屋崎 省吾という華道家が、「赤は、キリストの血を意味しているんです。」というのを聞いて、ちょっと驚いた。一般の人で、そのように言う人は、とても珍しいと思ったからである。

「あなたがたが、先祖から伝わったむなしい生き方から救われたのは、..........傷もなく、汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(Ⅰペテロ1:18,19)。

「緑」は、クリスマス・ツリーに使われるモミの木や松の木、柊(ひいらぎ)を思い浮かべるのであるが、これは一年中葉が落ちず、緑を保つ色を変えない常緑樹で、つまりエバーグリーンの植物である。この強い生命力から希望の木とされ、永遠の命を象徴していると、一般的には言われているようだ。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。

「白」は、どなたも、クリスマスに降る雪の色をイメージされると思う。もちろん、南半球では、12月は真夏なので、全く雪のないクリスマスであるが、白はきよい心とか、純潔を表す色ということができるかもしれない。

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のように白くなる。」(イザヤ書1:18)。

このクリスマス.シーズンに、一人でも多くの方にキリストの十字架にあらわされた神の愛を知ってほしいと切望して、私は、神様に祈りをささげる......。


★★今日の午後、吹雪が少し弱まった感じがしたので、やっぱり、病院に行って来た。車にするか、歩くか、大分迷ったが、結局歩いて行って来た。車をガレージから出すのが面倒なこともあるが、帰宅した時に積もっている雪のために、車がガレージに入れなくなる可能性があるからだ。診察なしで、薬だけもらって来た。

薬局で、座って待っていた時、薬が陳列されている棚に、アリナミンEXがあるのを見たので、それもついでに買って来た。先日、初山別にいる弟に電話した時、「腰痛には、アリナミンEXがよく効くと思うよ!」と言っていたのを思い出したからだ。

帰りは、最初はタクシーにしようと思っていたが、雪の降り方が大分収まって来たようだったので、やっぱり、歩いて帰って来た。経済的な問題ではなく、足や腰の筋力が弱くならないように少しでも歩いた方がいいと思ったからだ。

帰って来てから、すぐ、カーペットの上に、ごろんと横になって、腰の痛みが楽になるまで、しばらく休んでいた。それから、PCの前に座ってブログを開いて見たら、SNOWちゃんのコメントがあったので、嬉しくなった....。