++おさんぽ日和+++

美味しいモノと、楽しいコト、暑い国でちょっとずつ。。

谷崎潤一郎「陰影礼賛」

2008-02-07 | レビュー
今日は旧正月。
夕べは爆竹がボコボコすごい音でした。

最近読んだエッセイ二つに、筆者は違うのにたまたま「陰影礼賛」が引用されてて
「どんなんだっけな」と思って読み直してみることに。

初めて「陰影礼賛」を知ったのは、中2の時。
現代国語の教科書に載ってた。

でも、中2といえば「電気はガンガン付いて明るい方がいいに決まってんじゃ~ん」
ていう世代。

強烈な照明の装置でプリクラ取りまくってる子たちに、

「ほんのり暗いのが、いとをかし」

なんていう美意識が分かるハズもなく。

「へぇー。『礼』て『らい』とも読むんだー」
くらいの印象しか持たなかった。

「陰影礼賛」といえば、建築の項が引用されてるのをよく見るけど、
今回面白いなーと思ったのは食文化の項。

特に漆器のとこ。

「吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の入れ物ではああは行かない。

第一蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう、
漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、
暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。

(略)その湯気が運ぶ匂によって口にふくむ前にぼんやり味わいを象覚する。

その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何という相違か。

それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない」

たしかに、白いお皿にスープを入れて中身が丸見えの西洋料理と違って、
漆に入ったお汁は、中身が分からない。
だいたい、真っ黒い(赤もあるけど)の入れ物にお汁を入れるという日本料理の発想ってオモシロイ。
せっかくの吸い口や、キレイに盛られた具がよく見えないんだもの。

見えなくてもいい。
口に運びながら「どんな味かな」と想像するのが風情であり、禅味なんだ、と谷崎は言ってる。

そういえば、先月末のNHK「美の壺」で「漆」を取り上げてた時も
漆とは暗闇の美の世界、と言ってたっけ。

ちなみに我が家の漆のほとんどは、ベトナムで買ったもの。
蒔絵みたいな繊細さはない代わりに、素朴な感じが気に入ってどっさり買ってきた。

一番出番が多いのはコレ↓



丼の代わりによく使う。
お茶漬けとかにも

牛丼などを入れると、たちまち格調高くなって「牛丼サマ」と呼びたくなる風格となるのは、やっぱり漆器の上品な佇まいのせいでしょうか。

黒い陶器の丼に牛丼を入れたら、お肉があまりキレイに見えないけど
なぜかこの黒い漆に入れるとしっくりくる。

漆器てあのツヤツヤした光沢が照明のように料理を照らしつつ、
料理と一体感を持つ気がする。陶器よりもずっと。

ベトナムの漆は安いのをいいことに、ロクにお手入れもせず
ガンガン使っていたせいで、よぉく見ると底の部分にヒビ割れが!

もっと水気を拭き取って仕舞わないといけないんだー。

だけど、大事に仕舞いこんでるのもモッタイナイ。
器は使わなくっちゃ。

陶器の中に漆がポンとあるテーブルって、軽い木の異素材感がすごくイイ感じ
これからもドンドン登場してもらおう





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