花とおじさんの ほろ酔い日記

若い頃からのテニスに加えて2007年からランニング。2015年から水泳と筋トレ、2023年からパドルテニスを始めました。

8月の出来事

2024-08-31 15:04:13 | ほろ酔い日記

今日は8月最後の日。

子供時代には「夏休みの最後」。

「宿題は全部終わったかな?絵日記は? 作文は? 工作は?」

セミの鳴き声が一層焦らせた。

当時は暑くても30℃だった。エアコンなど無くても夏をしのぐ事が出来た。

 

そして今、2024年8月31日(土)は台風騒ぎも静かになった。

ブログ記事も特別無いので、この月の出来事をメモしておく。

◆パリオリンピック 
8月10日夜 卓球女子団体銀メダル

8月11日夜 女子やり投げで優勝した北口榛花さんの笑顔。

 

 

◆月末は台風10号
予報の時点から「史上最強」とか「風速50mから70mで車も家も飛ぶ!」とか
毎日報道された。

九州が一番心配だったが、予報よりは軽くて済んでホッとした。
関東にはこれからだけど、もう熱帯低気圧にダウンして強風は無くなるが、
「線状降水帯」、「ゲリラ豪雨」はまだ日本列島のあちこちで発生するだろう。

◆そして、自民党の総裁選が賑やかに。
候補者が10人前後と多数! なんだか先月の東京都知事選を思い出させた。
それにしても、ここで勝った議員が日本国の総理大臣になるなんて。

◆米国の大統領選挙が同時進行しているが、この国は国民全体が投票で決めることになっている。
この国の候補者は1対1。 それにしても相手の悪口を言い合う姿は見苦しい。

◆ロシアとウクライナの戦争。イスラエルによるガザ地区での悲惨な殺戮。
 戦争を止めることが出来ない人類は何と愚かな生き物なのか!

 

オリンピックと台風報道のおかげで、すっかり寝不足になってしまった8月末である。

 

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準優勝

2024-07-29 19:52:00 | 感動スポーツ

毎日の酷暑! 今日の東京は37℃

そんな中での、パリオリンピックで毎晩深夜の中継を見ながら、寝不足です。

 

ところで一昨日、7月28日の日曜日、東京都下の「○○区パドルテニス大会」がありました。

この大会に突然、出場を要請されましたので、しぶしぶ参加しました。

昨年11月からはじめたパドルテニスは徐々に慣れてきて、腕も少しずつ上がってきたように思っていましたが、まさかこんな大きな大会に出場なんて思ってもいませんでしたのでエントリーもしていませんでした。

ところが、大会の1週間前に大会の役員の方から電話がありました。

「エントリーしていた方が、急に出られなくなったので、代わりに出てもらえませんか?」

深夜の電話でしたし、大会事務局でも大変困っているようでしたので、仕方なく「ハイ」と返事しました。

「男子ダブルスBクラス」。ペアになる相手の方もまだ知りません。
通常、大会に参加する方たちは、十分知り合った相手とペアを組み、事前に練習も重ねています。

しかし、私の場合は急な出番だし、相手も初めての方です。練習も出来ずに、ぶっつけ本番で臨みました。

当日、朝9時集合の会場で初対面。相手は50台の好青年でした。(私の所属するクラブとは別のクラブの方でした)
「はじめまして」の挨拶の後、互いに自己紹介。私が、「79歳と6ヶ月です」と言うと、驚いて!!しばらく無言でした。 聞くと、彼の父親とほぼ同じでしたので。

そんな訳でぶっつけ本番の試合が始まりました。
「男子ダブルスBクラス」は8組が参加しており、それを4組ずつの2ブロックに分けて、各ブロックでのリーグ戦。各リーグでは3試合となります。
6ゲーム先取。5-5でタイブレーク。

最初の試合ではペアで初めての試合なので、互いの得意、不得意の確認でした。
最初は、ポイントを失いましたが、回を進めるごとにコンビネーションも合ってきて、逆転の6-4で勝ちました。

2試合目は苦戦でした。相手は本大会の審判部長やコーチを務めるベテランのペアでしたので、試合前から「勝てるはずは無いが、せめて1ゲームでも取りたい」との気持ちで戦いました。
先行されましたが、ぐっと我慢して粘り、結果は5-5になり、タイブレーク。そしてタイブレークは7-5で競り勝ちました。
ここを勝ち抜けたのは信じられないくらい凄いことでした。

残りの3試合目は6-1での楽勝でした。
よって、リーグでは3戦全勝1位通過で。決勝戦に進出できました。

決勝戦は午後から、相手はなんと過去において「男子ダブルスA」でも入賞している大ベテラン同士でした。

試合開始から4ゲーム先行されましたが、ここから頑張って3ゲームを取ることが出来ました。しかし、結果は3-6で負けました。

でも急増ペアで、よく頑張ったと思いました。準優勝! 五輪なら銀メダル相当です。

「2位じゃダメなんですか?」のレン○ウさんの言葉も浮かびましたが。(笑)

 

決勝戦には100名近くの参加者大勢の視線と歓声も聞こえました。

まるでオリンピックの決勝戦みたいだな、と思いました。

表彰式で「賞状」を受け取り、大勢の参加者達から温かい拍手を貰うことが出来ました。

80歳を前にして、とても良い体験が出来ました。

また、これからも楽しいパドルテニスを続けて行きたいと思いました。

(個人情報保護のため、画像はボカしました。悪しからず)

 

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第32章 またまた奇跡!

2024-07-08 16:17:29 | 健康・医療

 

7月6日(土)は定期検査でした。
結果は、「またまた奇跡!のマル○」 で、再発していなかったのです。

これで、昨年11月、今年3月に続いて、3回目のマル○でした。

 

前回の記事は今年の3月4日 「第31章 またも奇跡?!です。

今度の検査結果も、この記事とまったく同じでした。

院長先生は、自身が検査で撮影した画面を次々と示しで、淡々と

今回も問題なかったです。次回は4ヵ月後にまた検査しましょうか」とひとこと。

私は内心(今度こそは、もう再発してるかな? 3回連続で再発しないなんて無理!?)と覚悟していましたが、先生の冷静な説明に「そうか」と今回は自分も冷静に納得出来ました。

先生は前回(OKだった)の写真と見比べながら、「ほとんど変化はありませんので」。

私は「今度再発していなかったということでしょうか?」と確認しました。

そうです」に続けて「これまで何度も再発していましたが、再発するたびにだんだん悪くなる人もいますが、貴方はそうじゃないタイプなんでしょうね」

あくまで冷静に説明を追加した後で、パソコンでスケジュールを確認しながら、

11月2日土曜日の10時半で如何ですか?

はい、その日でお願いします

 

2年前の2022年2月24日に最初の手術。その5ヶ月後に再発して、7月27日に2回目の手術。

翌年2023年の3月31日に3回目の手術。さらに8月2日に4回目の手術。

このように1年半の間に4回も再発して手術をしていたのですから。

だから最後の手術2023年8月2日から11ヶ月も過ぎた今回は、
いくらなんでももう再発してるだろう」と覚悟して臨んだ検査でした。

しかし今回は「結果OK」との説明が素直に受け入れられました。

 

次回は11月2日。あと4ヶ月です。 

その日が近くなればまた同じように心配になるかも知れませんが、それはそれ、なるようになるんでから。

 「良いことも、いやなことも必ずやってくる

それまでは一日一日を大切に、やりたいことも大いにやって過ごして行きたいと思います。

 

(追記) 昨日、7月7日(日)は東京都知事選挙の「投開票日」でした。
私は今回も「期日前投票」を済ませていましたので、検査の翌日になって、「あっそうか、今日は七夕、投開票日だった」と思いました。

夕方、20時の開票速報でいきなり小池百合子さんの当確が出ました。納得でした。

今回は56人というこれまでに考えられなかった、いわば「非常識」の立候補となりました。
同じ組織から10数人の立候補をするアホな党もありましたし、売名行為だけの候補者も多数。SNSの閲覧を意識して受けの良い内容で世間を騒がせ、Youtubeで稼ぐような悪質な輩も。

家の近くの小学校入り口にも掲示板がありまので、非常識なポスターがあれば大変だ!と案じていましたが、幸いここにはまともな掲示物だけでしたのでホッとしました。

このような民主主義を馬鹿にしたような行為を規制するために公職選挙法の規定の早急な見直しが必要だと思います。

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6月の記録 ピアノの処分

2024-07-02 11:47:30 | ほろ酔い日記

早くも7月になっている。前回の記事アップから、すっかり更新が滞ってしまった。
送ればせながら、6月の記録を留めておきたい。

 

6月の大きな出来事は、「終活その1」ともいえるだろうか?

なんと、「ピアノの処分」をしたことだ。

子供が小さかった時に、当時流行っていた「ピアノ教室」

イヤがる子供に「ピアノを習わせたい」との親の押し付け。

無理して買ったピアノも、マンションに越してからは弾くことも出来ず、居間の一角を占領したままだった。

「地震の時に倒れるのが怖い」、「いつかは処分したい」

購入してから40年あまり、ついに「処分」の日を迎えた。

きっかけは? もののはずみ?だった。

思い立ったら、即実行へ。

TVのCMでおなじみの引き取り業者へ電話で相談。

3~4社。各社の返答は、いずれも

「年数が古いので「買い取る」どころではなく「引き取り費用がかかります」とのことだった。

「費用の比較」と「電話対応の良さ」から1社に決定した。

6月13日(木)の午後。無事に引取りが完了した。

思い立った月初めから、情報収集、そして搬出のための部屋の片付け。

最後の片付けは引き取り日の午前 それまでには出来る限りの整理。片付けをした。

今、思い返しても「大変な作業」だった。 「大きな終活」と言える。

ピアノが去ってからは、部屋が広くなった。

時折、テレビで音楽番組などでピアノの姿を見ると、ちょっぴり悲しくなる。

でも、引き取られたピアノは補修を加えた後、後進国などで再利用されるとのこと。

新たな国で、新たな子供たちに愛される場を得て、「嬉しいと思っているだろう」

そのように言い聞かせて、悲しさを堪えている。

 

それから20日あまり過ぎた、今日この頃は、梅雨の真っ最中? 毎日湿度が高いので、うんざりしている。

 

あーー、やっと記事アップが出来た。(^_^;)

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愛宕神社 「出世の石段」に挑戦!

2024-05-04 15:18:42 | ほろ酔い日記

ゴールデンウイーク最中の5月3日(金)は憲法記念日

東京新聞朝刊の記事「愛宕神社 出世の石段」に触発されて、出かけることにした。

新聞記事を引用すると、

標高26メートル。自然の地形では東京23区で最も高い愛宕山(あたごやま)の上にある愛宕神社への石段(男坂)は上り始めたら休むことを許さない。
 段差が高く、約40度もの全86段には踊り場がないため、途中で足を止めて見上げると上体を大きくそらす体制になって、転げ落ちそうな感覚に襲われるのだ。下るのも手すりやチェーンに頼らないと怖い。

(中略)
石段は1603(慶長8)年の神社創建時の姿が保たれている。この石段を舞台に、講談にもなった古事がある。徳川幕府三代将軍家光増上寺への参拝の帰路に、愛宕山から梅の香りがするのに気付いた。
誰か馬で石段を上り、梅を折り取ってまいれ」」と命じたところ、四国丸亀藩士、
曲垣平九郎(まがきへいくろうが愛馬とともに見事に成功させ、梅を献上して一躍その名をとどろかせた。今も「出世の石段」と呼ばれ、曲垣にあやかろうと上る参拝者が絶えない。境内には家光に献上されたと伝えられる梅の木もある。

講談は何度か聞いたことがあったし、いつかはこの石段を登ってみたいと思ってはいたのだが今日まで行かなかった。(近いからいつでも行けると思っていたのかも)
ここまでは最寄の駅から地下鉄で35分程度、歩きを入れて1時間以内で行けるところだった。
さらに、この愛宕神社の敷地のすぐ傍に「NHK放送博物館」もあるのだ。
愛宕山といえば1925年日本で初めてラジオ放送が始まり、その電波が発信されたのである。それからまもなく100年を迎える。「放送のふるさと」と呼ばれている。

花おじ自身にとっても特別な関係のある所だった。

急な石段を登れるか?

放送の原点を見届けたい!

この二つを目標に出発した。

結果・・・急な石段は52秒で上りきった。 普通の人は2分程度ともいわれているから、花おじは早かったんだろう。これもひとえに普段の鍛錬の成果か?と嬉しくなった。

神社の周辺は意外と広く、東京の街を眺めることが出来た。

そしてNHK放送博物館も同じ敷地の傍、20メートル位のところに建っていた。

放送の原点・・・確かに懐かしい資料があれやこれや。懐かしいというよりも知り尽くした資料ばかりであった。 最新では「8K」の映像が観られた。ここまで進歩したのか。

博物館を出ると、NHKのキャラクター「どーもくん」が待っていた。
記念に撮ってもらった。

 

下りはやはり「男坂」を手すりにつかまりながら下りた。


一瞬でも足を踏み損なえば真っ坂さまに落ちてしまう。重症は免れない。
慎重に下りた。  さて何秒? 45秒だった。
これって早い? とにかく無事に下りることが出来てホッとした。

 

毎日が日曜日であり、ゴールデンの日々、80歳まで半年余りとは、、、信じられない。

コロナ以降、都会に出るのも数年ぶり、「虎ノ門ヒルズタワー」は、まさに見上げる高さ!
日本の、東京の壮観であった。

 

帰路、地下鉄は ほぼ満席で外人客が七割ほどと多かった。円安に伴う外人観光客の多さを実感した。

そこで、車内の中央のつり革に掴まっていると、目の前の座席の「外人さん」が微笑みながら僕にアイコンタクトを取ってきた。身振りも含めて「席を譲ろうとしている」ことが分かった。20~30代のガッシリした男性である。手荷物を3個抱えているのに。
「いいえ、大丈夫ですよ」とこちらも身振りで応えたのだが、もう席を立ってしまったので「ありがとう!」と日本語でお礼を述べて座った。
席を譲った彼は僕の前でつり革につかまり、僕の右側に座った男女3人のグループと話しこんでいた。いわゆるグループ旅行なんだろう。中東系の人と見られた。

十数分して新宿駅に付くと、彼らは降りはじめた。僕は彼の肩に手を付いて、振り返った彼に「ありがとうね!」ともちろん日本語で。すると彼も「アリガトウゴッザイマシタ」と。

インバウンドの弊害としていわれている「オーバーツーリズム」を是正するかのような外人さんの心配りに、なんだかとても、ほのぼのとした気持ちになった。

外人さんたちの「良き旅」を祈った。

「憲法記念日」のよき思い出となった。

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