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コロナな日々、引きこもってます

2020-04-23 01:14:00 | 雑事つれづれ

▲お花屋さん、バラの花束2つで500円だったのでお持ち帰り。3つに分けてあちこちに飾った。オレンジのバラ、元気が出る

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 令和2年の激動はまだまだ続く。

 3月上旬に退院し、週明けから職場復帰した。
 久々の職場では急に仕事が振られることもなく(一連の流れの途中からは入りにくい)、ひたすら事務作業。出退勤システムの登録とか、後出し有給申請とか、はたまた医療費還付の申請とかとにかくいろんな事務作業だけで1週間が過ぎる。

 そうこうしているうちにようやく次の業務が始まったので、その流れに組み込まれる。



▲退院後、眼科検診で行った横浜の桜(3月21日)


 だが、世間の状況は悪化していった。

 取引先の営業は自分が復帰する以前から実質ストップしており、弊社にもその影響は出てきていた。スタートしても仕様変更が続く。フィニッシュ直前にも変更指示が飛んでくる。そんな状況を横目に見ながら、次の業務を進める。

 とりあえず各種原稿を投げた翌週、世間はさらに悪化した。
 上の方では終日の会議が繰り返された。

 そして出た結論は、4月からのリモートワークへのシフト。国の要請に応じた対応であった。



▲春の雪に当たったベランダのムスカリも無事咲いた


 幸い、自宅にはPCもネット環境もあり、周辺機器もあるので、即対応可能。無事リモートワークに突入する。とはいえ、クライアントとの打ち合わせや書類の受け渡しもあるため、1日おきには出社していた。
 もともとフレックス制なこともあり、朝はラッシュ無縁で、まだ普通に歩けない自分にとってはありがたい状況であった。


 そんな1週間が終わるころには世間の状況がさらに悪化し、状況は次の段階へ。

 投げた原稿が形になって戻ってきたが、それはそこで打ち切りとなった。世情悪化に伴い、取引先から発行停止の連絡が来たからだ。
 ここで弊社は割と早くジャッジをする。国の雇用調整助成金の特例措置を申請することにし、一般社員を休暇に突入させることになった。
 その日から4月いっぱいまでの特別休暇が降ってきた。とはいえ、世間の外出自粛の要請に従って、自宅引きこもり生活である。

 まぁ、引きこもり大好きだし、ネット繋がるなら別に困らないし、近所のスーパーは開いているから(当初は品薄感がすごかったが4月中旬ごろから復活)と、お気楽休暇に突入である。




▲突然の入院で長期間水を上げられなかったので、アネモネは今年は1輪のみ咲いた



 長期特別休暇となってようやく確定申告(医療費控除)に着手する。
 ずっと入院していたし、その後も会社の書類書きや、保険金の申請やらなんやらでめっちゃ手書き書類を書いて書いて書きまくっていた。
 確定申告の提出期日が4月16日まで伸びていたこともあり、後回しにしていたのである。ひゃー領収書どこだー!!って、必死に探したり、ついでに整理整頓をしたりと地味に忙しかった。

 その合間に通院などもしており、4人目の主治医とご対面。抜釘手術日も決まる。また全身麻酔での手術らしく、事前検査日も設定された。なかなか面倒くさいね。
 世間ではコロナ対応で手術が延期されている病院もあるようだが、自分が行っている病院では完全にその辺りは区分けしているらしく、影響がないのはありがたい。



 
 さて、月末が見えてきているが、この措置はいつまで続くのだろう…。まぁ、GW明けまでは会社の対応も現状のままだろうが、その後の方針は、はっきり言ってコロナ状況次第である。
 傍から見ているとうまく抑え込めているとは思えず、まだ取引先の営業は遠そうな雰囲気。この状況、いつまで続くのか、さすがに心配になる。




▲ストロベリーティー。ネットで見かけたのを見よう見まねで真似してみたが、結構おいしかった


初めてづくしの入院生活(出所編)

2020-04-02 23:24:00 | 雑事つれづれ

▲最後の朝餐。朝ごぱんの多めな病院でした。根っからのお米党としてはかなりガッカリだったのだが、「ジャム職人」としてはだいぶ成長したと思うw

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 「血のバレンタイン事件」から6日目。夕方、装具が納品された。予定より1日早かった。
 
 ……スキー靴!?

 靴タイプとは聞いていたが、メッチャやっすいスキー靴っぽいものが来た。かつてバリバリスキーヤーとしては、こう何というか「上がらない」感が…。おれの金で買ったのだから言ってもいいだろう(この時点では金は1文も払っていない)。

だっさ! 


▲どう見てもやっすいスキー靴にしか見えない装具。でもお高いんでしょう(ハイ( ノД`)シクシク…

 とはいえ、これでリハビリをしていけば退院への道が開ける。すでに当初の入院期間をオーバーしている身としては、もう早く退院したくて(有給残とお仕事方面からのプレッシャーがかなりきつくなってきていた)、久々の前向きなアイテムの登場というわけである。
 さぁ、これでリハビリも…。

 看護師から「先生が見に来るって言ってたよー」と聞かされて、ずーっとベッドの上で待っていた。が、夕飯を食べ終わっても先生が来る様子がない。こりゃ今日は来ないか!? と思った頃に主治医が白衣をなびかせて走ってきたーー。

 装具来たでしょ! ちょっと履いてみて!!

 っていきなり。えぇ!? いきなり!? 
 どうやって履くのかわからない初心者の自分と、実は装具は初めて治療に投入するらしい先生(こっちも初心者かよ!?)。いやぁ、僕もよく分からないんだよね~、これ初めて使うからさぁ~。ここはこうやって通すのかなぁ…と何とも心もとない装着。そしていきなり、片足で立ってみろという。

 えぇ!? 今まで絶対荷重不可の右足でですか!?

 そうそう、ホラホラ早く!とせかす主治医

 こちとら入院以来右足は常に地面から離していて、先生の言う通りに荷重してなかったんで、全然この右足で立つ自信がないんですが…。という私の逡巡なんて聞く耳も持たず、ホラホラとせかす主治医。
 こわーーい!! と叫びながら、右足に荷重して、左足を床からそーーーーっと離す。


 はっ! 立てる!! 痛くない!!!!

 ほんの1秒か2秒、そんなわずかの時間ではあったが、右足を地につけて立った。

 それを見た主治医は満足そうに帰っていった。明日から荷重リハビリだよ~言い残して…。


 そして翌日、朝いつものリハビリの人が来て、装具納品されたんですねって話しかけてきた。そして、だけど荷重許可が出てないんですよね…。

 えっ!?Σ(゚Д゚)

 先生、昨日指示出すって言ってたじゃないですか!? なのに忘れた!? 指示していない!?(この病院、口頭指示ではなくPCで患者情報共有しているので、そこに荷重許可の情報が入っていないと、理学療法士もそのリハビリに移れない)
 ということで、結局装具は病室に置いたままいつものリハビリを行うことになる。

 結局、その翌日にようやく荷重許可の登録がされ、1日遅れて装具付きのリハビリかと思ったら担当リハビリの人が休みでまた1日お預け…。
 結局2日遅れての装具訓練となった。(ちなみに、この日から病院はコロナ禍による面会禁止になった。隣のおばあは面会に来る旦那との会話が声が大きかったので正直助かった)

 装具付きのリハビリを始めて思ったのが、右足の筋肉の喪失。約1カ月右足に荷重をかけていないから、筋肉がなくなっていた。左右の足を比べると右足がかつてないほどのスリムさ。あまりのほっそりさに両足の写真を撮って妹のスマホに送り付ける。
 「姉ちゃん史上最大のほっそりさ!!!!!」とリプが帰って来たw

 以後、地道にリハビリ生活を過ごす。松葉杖の歩き方も姿勢が大事。ちゃんと傾かないようバランスよく歩くことを要求される。装具をはいてる分右足が長くなるので、結構気を遣う。まずは姿勢正しくまっすぐ歩くことをマスター。しかし、ほっそり右足が何とも心もとなく長距離歩くのはなかなか難しい。すぐ疲れる。まぁ病院の中をうろうろするしかなく、コロナ騒動もにぎやかになって病院内も剣呑な雰囲気を感じることもあり。なかなか息苦しい時期になってきた。
 しかし片松葉になったり、階段上り下りなども取り入れられ、退院後の生活も見えてきた。

 幸い、我が家はかなりバリアフリーで、自宅に入るまで玄関の上がり框の段差のみがバリアという物件であった。風呂も手すりが設置され、脱衣場との間もフラット。エレベーターもあるので退院後の自分の生活が見えてきた。
 そうなると早期退院を(すでに予定期間を大きくオーバーしている)と思いを巡らすのだが、なかなか退院許可が出ない。
 どうしてかなぁ…。そろそろ退院しないと会社クビになっちゃうよ~。と泣きそうになったころ、どうやら状況が聞こえてきた。合議制で、えらい先生が渋っているらしいと…。
 入院していた病院、整形外科の評判が良いのは知っていたのだが、その偉い先生が、まだ退院には早いんじゃないかと思っていたらしい。それで、なかなかコトが進まなかったと後になって知る。主治医の思惑ひとつで決まるものではないのね…。財前教授か!? お前が止めていたのか…(違!)

 そうこうしているうちに、栄養士が退院後の栄養指導の予約を入れてきたり、一時外出のリハビリが組まれたりと、これは周りの人(そして私より先に退院した人たち)が辿った道じゃね!? という状況になってきた!よし、今週か、来週には退院したいじょー!って思っていた時、ようやく退院通知が来た! 

 主治医が相変らず走ってやってきて、今週末退院できるよ!って告知\(^o^)/

 って気持ちになったのだが、その日私は臥せっていた。前日の一時外出で1カ月以上ぶりに病院外に出た反動なのか、なぜか発熱して、リハビリも何もできなくベッドに沈んでいたのだ。先生がうれしそうに話すのに、こっちはかぶった布団も動かせず、わずかに顔を出して涙目でうなづくしかできなかった。
 
 先生ごめんよ。一緒に喜べなくてスマン…。

 マジでその日だけ苦しかったんだよ。ごはんは全部食べたけれど(これ家訓だから)。朝の微熱が夜まで徐々に上がり、夕方にはぐったりだったんだよ…。
 熱は一晩寝たらすっかり下がった。

 そして、その週末、ようやく退院となる。


 その前に41日分の請求書を突き付けられて、泣きました。保険が出るまで猶予してくださいって、月2万づつ払う誓約書を書きました。会計のおばちゃん怖かったよ~。

 入院したときと同じく、一人で荷造りして、一人で病院を出て、さすがにタクシーに乗ってようやく帰宅。部屋には奈良から帰って来た荷物がそのままに残り、そしてベランダの花たちが咲いていた。
 時は止まり、流れていた。



▲帰宅した家で約1カ月だれにも世話されなかった花が生きていたことがうれしかった。