猫屋敷の無駄ブログ

現在、我が家は猫3匹。もう猫屋敷とは呼べませんけど。。。

2014年1月4日ソウル前篇

2014年01月10日 | 海外旅行
6時半起床と言ってたのに、学生ってやはり起きれないのね。
電話でひとまず起こし、しばらくして部屋のブザー鳴らすと、T男がボンヤリした顔でドアを開けてくれ、M男はいまだベッドの中。
とにかく急かして用意させて、ホテルを出ました。
朝食はソルロンタン。このくらいになると、M男もボチボチ韓国の食べ物を味わえるようになってきたみたいで、「この味は結構上位に入る」とか言ってます。一晩寝て落ち着いたことで、雰囲気に慣れてきたのでしょう。「要するに文字を読もうとするからいけないんだ!」とか言って、自分を納得させておりました。
それからロッテホテルの6階の旅行社のデスクで、ツアー受付です。
今まで行ってみたかったけど仲間がいなくて行けなかった、私の初めての板門店ツアーの開始。

バスの日本語ガイドさんは「ちびまる子ちゃん」というニックネームらしい。南北分断の歴史を話してるうちに、結構熱く語ってきた。でも彼女の考えは私には共感できる部分が多かった。それがテレパシーで通じるのか、彼女としょっちゅう目が合ってしまった。この手の話は、私も時々熱く語ってしまって周りの人間にひかれてしまうのです。彼女が言うに、韓国人は夫婦・親兄弟でも政治の話はしないらしい。結局喧嘩にしかならないからだそうな。その気持ちよくわかるなぁ。。。

1時間近く走ったところで、バスの窓に川が見えてきました。漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)の合流地点。川の向こう岸は北の領土です。先月誰かがこの近くを軍の制止を聞かず泳いで渡ろうとして銃殺されたとか。堤の上には隙間なく鉄条網が張り巡らされ、映画でしか見たことない景色です。北側の岸にも建物がポツポツと見えるのですが、まる子さんの説明によると、だれも住んでないダミーの住居だとか。
臨津江にかかる統一大橋を渡る時は、兵士がバスに乗り込んできて、パスポートチェックを行います。大学休学して兵役についてる若い兵士で、つまりT男・M男とさして変わらない、可愛いお顔してます。二人は平和な自国の状況を改めて認識したかな?
先ずトラ山駅に到着。キム・デジュンの写真がデカデカと、近代的な駅のホーム内にかかっております。「ああ、太陽政策ね」とT男。「そうそう!よう知っとった。」さすが私の甥だ。(笑) イ・ミョンバク以降南北関係が冷え込んでいるために、現在この駅から先には行けない。しかし、この駅と次のケソン駅の間のレールが開通した時、この駅はユーラシア鉄道・シベリヤ鉄道の起点となるという説明。
お次が、南侵第三トンネル。北が秘密裏に南に攻撃をしかけようと掘ったトンネルのうち、三番目にみつかったもの。現在4つのトンネルが発見されているが、南に亡命したトンネル技師の話では20個近くあるはずだとか。パジュ市がお金かけて整備し、観光資源として活用中。というか、本来は北はこんなマネしてるとの訴えなんですけどね。ヘルメットかぶって、観光客用トロッコで下に降りて行きます。北側が、これは石炭坑道であるとの主張のもとに、何やら黒いものを塗りつけた跡やら、ダイナマイトを北側から埋め込んだ跡などを手に触れる位置で観察することができ、終点の小窓からは、壁の向こう側がのぞけます。あちらには、誰もいないようでしたが。地上では、ビデオ上映のミニシアターまで完備されておりました。
それからトラ山展望台。500ウォンの望遠鏡にそれぞれお金入れて、フォトライン(そこから先はカメラ撮影禁止)の上にかかっているパネルと実際の風景を見比べます。ちょうど、ケソン工業団地からこちらに向かうトラックの隊列が見えました。時速30キロ以内で固まってしかこの道は移動できないらしい。キム・イルソン像とパネルにあるのですが、どんなやっても実際には発見できない。3人でワイワイ言ってたら、そこにいた兵士がなめらかな日本語で言った言葉が「実はよく見えないんですよ」つまり彼は、我々の会話ずうっと理解して聞いてたのね。(笑)
それからまた橋渡って昼食タイムです。板門店に行く人は、けしてアルコール類を口にしてはいけないとの厳重注意を受けました。
昼食後、臨津閣自由の橋にてまる子さんとお別れです。彼女は非武装地帯コースのみの人たちを連れて、ソウルに帰りました。

私たちはバスを乗り換え、英語チームと合流で板門店に向かいます。バスの前半分に英語チーム、後半分が日本語チーム。英語ガイドさんと新しい日本語ガイドのチョンさんが、交互にマイク持って説明していってくれます。チョンさんのお父さんは、もともと妻と子供がいたのに分断によって家に帰れなくなり、それで南で新しい家族を作ったそうです。ですからチョンさんには、顔も名前も知らない兄や姉が北にいるそうです。また、南で拉致され北に消えた人達も大勢いて、そういう離散家族が韓国人の25%を占めるらしい。ですからそういう人たちにとって、日本人拉致問題はほんの少数に過ぎないと言われました。もちろん当事者にとっては数の問題ではないのではありましょうけど。

再び統一大橋の検問を過ぎ、今度は米軍のキャンプボニファスでブリーフィング。前のほうに英語チーム。私たちは後ろのほう。「以前は日本人が多かったから、私が前のほうで説明できたのに・・・」とチョンさんがちょっと悔しそうにつぶやきました。ここのところの日韓関係の冷え込みで、急激に日本人観光客が減少して、旅行業界ほんとに大変そうです。昨日美素のクォンさんもそんなこと言ってたなぁ。
ここで「軍が全力で守りますが、もし守り切れなかった時は、たとえ死んでも文句いいません。」という内容の用紙を渡され、サインさせられました。あとでこの用紙は、おみやげに配られましたけど。
そしてここからは、銃に実弾装填した軍人と共に軍のバスで移動です。荷物はポケットに入る貴重品以外、手に持てるのはカバーはずしたカメラのみ。午前中と異なり、否応なくここらからピリピリした空気が漂ってきます。「これが本当の非武装地帯(DMZ)なんやね」とT男が言いました。
そして共同警備区域(JSA)板門店へ。

唯一バスから降りれたのが、ここでした。そして外部で許されたカメラの向きはこの方向のみ。
会議場はこの左側の建物です。兵士たちは、建物の内外問わず、微動だにしません。目の動きや表情がみえないよう、皆JSAサングラスと呼ばれる黒いレイバンをしております。中の兵士さんたちとは記念撮影できましたが、ほんとにお人形さんのように全く動かず、旅行に浮かれた我々のことを一体どう思っているのやら?

これが「帰らざる橋」。バスの上からの見学のみです。昔捕虜交換をした場所。一方向に向かったら、二度と後戻りできないというのでそういう名がつきました。T男は旅行前に韓国映画「JSA」を見たと言ってたが、「ここだよね!」と嬉しげに私に聞いてきた。確かにイ・ビョンホンが映画の中で通っていた場所に見えるけど、あれはセットのはず。だって向こう側にソン・ガンホとかシン・ハギュンが待ってるわけないもの。・・・という超レアな会話を甥っ子とできることに、なんか幸せを感じてしまったのでありました。

さてそういう次第で、銃撃に巻き込まれることもなく無事にソウルに帰ることができたわけですが、いまだ戦時下にあるこの国。60年も続く休戦状態なんて異常事態が隣国にあるという事実。私も改めて認識できました。甥っ子たちにも勉強になったはず。同じ年頃の若者が、家族と離れただ一人、1万円程度の給料で危険な場所で兵役生活を送っているところを自分の目で見れたことは、きっと二人のこれからの人生に何らかの印象を残したものと、私費修学旅行の引率してる伯母としては信じたいものです。


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