猫屋敷の無駄ブログ

現在、我が家は猫3匹。もう猫屋敷とは呼べませんけど。。。

2014年8月17日台北

2014年08月22日 | 海外旅行
最終日です。
朝から息子たちの荷物詰め。
ついでに、二人のバックパックの中のごみ捨て。
T男の分は、のりみたいなもんのフタが開いてて、いきなり手にべったり。ヘアジェルらしいが。
M男の分は、大学のプリントのちぎれた紙切れにレシート類、各種使用済みチケットが散乱。それにしても日本出国時に呆れたけど、海外旅行に円を描くためのコンパスを持ってくる不可思議。

本日もゆっくりと朝食をいただいてからチェックアウト。
荷物を預けてから行天宮へ。
行天宮で関帝(神様となってしまった関羽)の像にお参り。T男は三国志を知っていたけど、M男はイマイチ理解不足でした。中国語勉強したのに、中国文化に興味はもてなかったか?

それから、メインイベント。地下道の占い横丁へ。
このため、それぞれの親に母子手帳を引っ張り出してもらって、出生時間をメモしてきたのでありました。四柱推命の四つの柱は、生まれた年月日時。昔私も占ってもらおうとしたら、私の古い出生証明には時間が書いてなかったのでありました。なんせ病院じゃなく産婆さんだったし。。。
てことで、「日本語OKのところを選びなさい」と二人に言ったとたん、即一軒の店からおばさんが「ようこそ~」って飛び出してきました。なんと素早いこと。
店の中には日本タレントと撮った写真とか飾ってました。まあ間違いはないでしょう。多分。
じっくりと二人を占ってもらいました。途中「お母さん、心配いらない。大丈夫。」って何度か言われたけど、お母さんってのが呼びやすかったのかしら?まあ訂正する必要もないけど。

メインイベントも済んだし、後は帰国するのみなんですが、台湾ドルがえらく余ってしまいました。一月ソウルに行ったとき不足して、途中両替追加したのに、その時と同じくらい両替して、しかも一日多いにも関わらず、随分と余ってしまいました。あのときも思ったけど、いくらウォン高とはいえ、韓国の物価が行くたびにガンガン上昇しているのに対して、台湾は何年経ってもあんまり変わらない。最近大陸から人間が押し寄せてきてるらしいので、そのせいで人件費が上がらないこともあるのでしょうか?
とにかく余っても仕方ないから、最後の食事はリッチなもん食べようとなりました。
一流ホテルのレストランならということで、最初は台北駅の裏にできた君品酒店を目指しました。が、席がなかった。「こんな格好でいいのかな?」とT男が心配するほど、格式はあったんだけど残念。
で結局、シーザーパークの朝食会場の向かいにあった王朝レストランにしてしまいました。安易すぎ。
でも正解。
フカヒレ姿煮・蟹みそ豆腐・牛肉葱炒め・杏仁豆腐など、すべて美味しかった。二人の一致した意見は、今まで日本で食べてた杏仁豆腐は杏仁豆腐ではなかった。これぞまさしく「口福」。雀の巣のスープがメニューになかったのが唯一の欠点。しかも思ったより安いし。結局台湾ドルを使い切ることはできませんでした。




お腹一杯になって満足しつつ帰途につきました。
T男は足つぼマッサージに行くと言ってたのに、結局毎晩眠気に負けて、ホテルから出ることができませんでした。今度は自分で行く機会が果たしてあるかな?

2014年8月16日台北

2014年08月21日 | 海外旅行
ホテルの朝食ビュッフェですが、ここのホテル(シーザーパーク)は和洋中多様で、しかもかなり美味しく、T男に朝からお願いされました。
「朝ごはんはもっとゆっくり食べたい!」
そんなわけで、今回は町なかの朝ごはん屋さんで、台湾風朝食を食べることはあきらめました。本来は一食くらいは、外で食べさせたかったのですが、T男の意志を尊重することといたしました。

ゆっくりと朝食を済ませたあと、まずは二二八公園へ。やはり少々行動開始が遅かったせいか、すでに老人クラブみたいな方々も、今朝の太極拳や健康体操の日課を終え、おしゃべりに花を咲かせておりました。けど野生のリスたちが、自由に木登りしてる姿を二人に見せられたから、よしとしときます。
それから双連の朝市。M男もようやく台湾の匂いになれてきて、肉・魚・野菜・小吃・生活用品などをじっくり見物できるようになりました。ほんにこの子はとっかかりに時間がかかります。
文昌宮で学業祈願をして、日本時代から続く古い問屋街である迪化街の街並を散策。
そのあと、いつも行くお茶問屋さん(明山茶業)へ。

たまにしか行かないのに、私の顔を覚えていてくれてて、中国茶の試飲をさせてもらいながら、話がはずみます。
二人より一つ年上、花蓮の大学3年生という甥御さんがたまたま店に来て、二人の話相手になってくれました。高校時代に日本語を勉強しており、しかも日本に数か月、おばさんと一緒に暮らしていただけあって、なかなかの日本語の腕前でありました。が、結局T男とは英語で会話しておりましたけど。大学のプログラムで、プサン大の学生と交流した成果は、確実に身についていたようです。
大学で一年間中国語勉強したはずのM男のほうは、口から言葉が出てこない。お茶屋のおばさんが、簡単な中国語会話をふって応援してくれたのですが、結局中国語も英語も口から出てきませんでした。普段えらそうな口たたく割に肝が小さい。
翌日の占い師さんから「この子は利口だけど口下手だから、今すごく内心イライラしてる時期です。」と指摘されたけど、まさしくそのとおり。ちなみにT男のほうは、「好奇心旺盛なために、現在は落ち着きがなく何考えてるかわからないように人から見える時期。」でありました。けっこう当たってるかも?



昼食を食べてから、忠烈祠で衛兵交代見て、故宮博物院でヒスイの白菜見ました。
後ろの衛兵さんらと比べると、二人とも姿勢が悪いなぁ。。。



そしてようやく夜市。三日目の夜ともなると、ようやくM男も文句言わなくなり、いろんなものを口にできるようになってきました。屋台で自分らで欲しいものも買えるようになってきたし、エビ釣りとか射的とか見かけるたびに立ち止まって見はまってました。「ここじゃ、毎日こんなお祭りをやってるの?」とえらく楽しげであります。
一日目の夜に匂いで拒否反応おこした原因となった臭豆腐を一口ずつ食べさせた感想は、T男いわく「カピパラの味がする。」でありました。相変わらず理解不能。カピパラって一体どんな味?



その後、タイペイアイという外国人向けの劇場で、百芸(雑技みたいなもの)と京劇の鑑賞。
日本語字幕でストーリーの説明もしてくれるし、動きの激しい飽きさせない構成で、二人も十分楽しめたようでした。

さて、明日はいよいよ最終日です。

2014年8月15日高雄

2014年08月20日 | 海外旅行
二日目は、日本が海外初輸出した高速鉄道に乗って、高雄の日帰りツアーです。
でも車体のみ日本製で、電気系統はフランス製。フランス人技師もついこの前まで常駐してたらしい。当初すべてフランス製に決定してたのが、工事着工後に大地震に見舞われ、トンネルが多く地震が多い国土に、ヨーロッパ製は向かないってことで、当時の李登輝総統が日本製に変更したらしい。しかし、そんな寄り合いにしても大丈夫なんでしょうか?それにこの前テレビで、日本の新幹線安全システムこそ世界一って、池上さんが言ってたのになぁ。
日本製はなんでも高すぎです。安倍さんが頑張って世界各地に高速鉄道売り込みして回ってますが、安全や品質にお金を使う国って、なかなかないもんです。それだけの価値はあると、もちろん私は信じてますけど。
この台湾版新幹線、高速鉄道略して「高鉄」は、台北~高雄間を1時間半で結んでおります。おかげで、このルートの飛行機路線が赤字化して、すべて撤退してしまったとのことです。
同様に、高雄市内まで路線が通じると、途中降りる人がいなくなるので、わざと高雄市外の左営までしか通してない・・・とガイドさんが言ってたけど、真偽のほどは定かではありません。

まずは、蓮池潭観光。龍の口から入り龍塔のてっぺんまで登り、虎の口から出てくると、ちょうど午前11時でした。日本との時差1時間。「敗戦69年目の黙祷!」と私が言うと、甥っ子二人も即座に従いました。まだまだ素直なお年ごろ。(笑)



それから、高雄85大楼。
私はこの建物見ると、台湾ドラマ「痞子英雄」を思い出します。日本の大丸デパートが撤退したせいか、随分とさびしい建物となっておりました。
展望台から先日爆発事故を起こした凱旋路のほうを眺めると、肉眼でもその一帯が異常に静まりかえっているように思えました。ガイドさんの話では、前日まで高雄は大雨が続き、陥没した道路に水がたまり、町の中に川が出現してたらしいです。「今日はうって変わっての好天気で、皆さん運がいい。」と言われました。

昼食は「紅毛港」という海鮮料理店。ツアーについた食事ということで、なめてかかっておりましたが、なかなかに美味しかったです。次回自由旅行でまた行けたとしたら、この店にまた行こうなんてひそかに考えております。
ツアーの中の一人の男性が言ってたんですけど、高速鉄道の窓から見た田んぼや畦道の風景が、日本とそっくり同じなのは、やはり日本の農業技術を継承してるせいだと思う。東南アジアにいくと、苗の植え付けがいかにもバラバラと適当であんなに揃ってない。。。だそうです。初対面というのに、結構話はずんだりして、ツアーもなかなか楽しいもんです。中華の円卓ってのが、話がはずむ原因だったのでしょうか?それとも台湾の明るい空気のせい?前回韓国の板門店ツアーの人たちとは、ほとんど会話しなかったなぁ、なんて思いました。

食後はフェリーに乗って、旗津へ。フェリーというから車が乗り込むのかと思いきや、乗るのはスクーターばかりの小さな船。おそらく車は、島南端の海底トンネルから行くのでしょう。
清朝時代から続く古いお寺、そのお寺を中心とした屋台街、たくさんの海産物店、海水浴場などがありました。
このいか焼きは、日本のと味が違ったけど、えらく美味しかったらしいです。だもんで翌日夜市でも、M男はいか焼き見つけたら、即お買い上げしておりました。



再びフェリーに乗って戻って来てから、フルーツかき氷。ただし今回、ツアー客が30名以上いるため店に入れないってことで、バスの中でいただきました。かき氷用の持ち帰り専用容器は、ドラマで見て知ってはいたけど、実際実物を見たのは初めて。日本じゃ、かき氷の持ち帰りってありえない。

それからツアーの定番、おみやげ屋に寄って、再び新幹線に乗って台北に帰りついたのが夜7時でありました。

夜は、林森路の繁華街へ。
私の台湾の夜の定番、ビールとしじみのにんにく漬けを求めて台湾料理店へ。
林森路の真ん中に立って、右の「梅子」と左の「青葉」とどっちがいいか、二人に選ばせようとしてたら、見知らぬ一老紳士が突然振り向いて、ニコニコ嬉しそうな顔して、しかも日本語で「アオバッ!」ってお答えになった。(笑)
ほんに台湾は、人の心があったかいところであります。

2014年8月14日台北

2014年08月19日 | 海外旅行
前述の甥っ子二人と、今回は台湾へ。

前回LCC利用でしたが、今回はキャセイ(国泰航空)。食事に飲み物もきちんと出てくるし、各座席モニター付きで、ドラマや音楽が楽しめるようになっている普通便でありました。が、二人とも、行きも帰りも飛行時間中は丸々ボードゲーム三昧でありました。窓の外とか果たして眺めていたのでしょうか?

桃園空港から国光客運のバスで台北へ移動。
ホテルは駅前にとりました。なんせ前回ソウル仁川空港でえらく慌しかったもんで、今回は空港との移動が便利であることをメインに考えました。
最初の部屋に入ったら、どでかいキングサイズベッドがあって、二人ともびっくり。「こいだけ大きかったら、二人寝ても大丈夫!」いやいや、ここは私のシングルの部屋だと思う。。。そして、隣の部屋にはちゃんとシングルベッドが二つ用意されてて、しかも部屋自体相当な広さがあり、二人ともなぜか大喜び。「ホテル代、高かったろ?」と心配してくれました。一泊料金はソウルの時と変わらないのに、クオリティの差が実に激しい。ソウルの物価が高すぎです。

そして、市内観光開始。
今年3月のひまわり学生運動の舞台となった立法院から始まり、総督府など日本統治時代の古い西洋建築群を見物しながら、中正紀念堂まで歩きました。
私の説明だけでは、台湾の現在の国際的立場がすぐには理解しがたいらしく、二人とも頭ひねっておりました。なんせ、馬英九って名も初めて聞いたってなもんだし。しかし、翌日の高雄のガイドさんが「ここからはちょうどいいぐあいに大陸が見えません。」と言ったり、翌々日は茶問屋のお姉さんが「2016年には女性総統。そうすればアメリカも台湾も女性がトップ。」と私に話しているのを聞いてたりして、少しずつ理解していったようでした。
それにしても、ヒラリー・クリントン・・・米民主党と共和党の逆転もありうるのでは?台湾にしたって、前回も民進党支持派が絶対的多数だったにも関わらず、国民党政権になってしまったのは何故だったのか?明るく断言する彼女の自信はいったいどこからくるのか?と、つっこんんでしまう私が悲観論者なのか?
とにかく二人には、日本のような国に生まれ育ったありがたみをまず理解しなきゃ、他国の状況は理解できないと、取りあえず訓を垂れておきました。



中正紀念堂から信義路をバスで移動し、台北101へ。展望台に登り、せっかく音声ガイドを借りてやったのに、二人ともほとんど聞かず仕舞。まあ、初めての場所で、聞いてもわからないかとは思うが。。。
それから、マンゴーかき氷やら、小龍包・餃子やらを食べて、ホテルに帰りました。
臨江街の夜市を通るつもりが、腹いっぱいだし、中華の匂いにまだ慣れていないとM男から拒否られました。ほんに、最初のとっかかりがこいつはいつも時間がかかる。
ソウル旅行から半年、大学2年になっても、相変わらずまだ酒の相手は無理のようです。


2014年1月5日ソウル

2014年01月11日 | 海外旅行
さて最終日。
時間が絶対的に不足する中、効率を考えつつ頭の中で本日のスケジュールを構成。
とにかく8時過ぎにはホテルチェックアウトするために、朝から甥っ子二人の荷物のパッキング。M男がトレーナーが無いと騒ぎ、詰めた荷物をもう一度ひっくり返したり、ベッドの下のごみ拾いまでして、結局クローゼットの中のバスローブの奥にハンガーにかかった状態で発見。小学生の頃から全く成長してない。よくまあこんなんで、クラブの遠征とか自分だけで行けるもんだとつくづく思う。

ホテルに荷物を預かってもらって、歩き出す。
この3日間お天気に恵まれ、1月のソウルにしては暖かい日ばかりで本当に運が良かった。

まずは朝ごはん。ネットで探していた、ホテル裏通りの焼き魚の店へ直行。店の外でアジョシが大量に魚を焼いていた。「サバとイシモチね」と指さしたら、「サワラやサンマもあるよ」とアジョシ。
中に入って息子たちに何がいい?と聞いたけど、何が良いのかわからないと言われ、骨が少なそうなサバとサワラを勝手に注文。私はキムチチゲ。ドンと目の前に出された魚見て、二人とも箸つけるのをためらっているので、私が身をほぐしてやるとウマウマと食べだした。遠慮でもしてたんだろうか?「韓国は肉って思ってたけど、魚も美味しかとねぇ。」とT男がしみじみ申した。そりゃ炭火で焼くからガスの何倍も美味しいに決まっている。最後は骨についた身までなめるように食べてきれいに完食。もともと私の父が魚好きだったせいもあり、血筋的に二人とも魚食べるのはうまいようだ。

それからソウル及び李氏朝鮮の歴史を話して聞かせながら、宗廟・昌徳宮へと歩く。この二つはユネスコ世界遺産なので、外せないかなと思う私の考えで。ただし時間ないので宗廟は通過、昌徳宮は9時開園を待って入場。他の日本人観光客がガイドさんに説明聞いてるのを指さして、あんたらタダで専属ガイドがついてることを感謝しとけと、一応恩を売っておく。まあ老後の面倒まで見て貰うつもりはないけど。(笑)
それから仁寺洞キルを廻ってホテルに帰る。

ホテルで荷物を受け取り、ホテルのシャトルバスでソウル駅へ。駅のロッカーに荷物を入れ、地下鉄でノリャンジン水産市場へ。
市場で活きたタコ・あわび・ナマコ・アサリ・蛤等を買って、地下の食堂へ。食堂のおばさんに貝汁(チョゲタン)とあとは刺身にしてと頼んでテーブルについた。速効私がソジュを頼んで飲みだしたら、M男が「昼から酒飲むな」とお堅いことを言い出した。これはあとあと帰国してからも言われてます。姑・小姑よりウルサイ甥です。

ここの刺身はみなすべて美味しかった。刺身は新鮮命。「韓国最後の食事がこれで正解。」とM男。「いいシステムやねぇ。」とT男。いや、日本にもこういうのあると思うけど?ただ韓国の刺身は調味料が違うってのを教えたかっただけです。

食後、目の前にあるにも関わらず自動車専用道路しかなくて、歩いては行けない63ビルへタクシーで移動。ビルの展望台から、国会議事堂や漢江、昨日登った南山などを眺望。
その後ソウル駅から空港へと駆け足で帰途についたのでありました。
帰りの飛行機にギリギリセーフとなってしまって慌てたのでありますが、その話すると長くなるので省略。
今考えても、最終日にスケジュール少々詰め込みすぎたかなぁ。。。と、一応反省しております。

2014年1月4日ソウル後篇

2014年01月11日 | 海外旅行
ツアーはロッテホテル解散で、その足ですぐ明洞に向かいます。
韓国来たなら焼肉はお決まり。
今回行ったのは「李家村」って店です。
その昔韓国みやげの定番は、私が世帯ごと1箱ずつ買って帰っていたヤンニョムカルビ。甘辛いタレのついた「網状になった骨付き肉」と言えばその親たちはわかるのだけど、この二人はまだ幼かったせいか全く記憶がないらしい。食べてたはずなのだが。その後BSEだの口蹄疫だのと、世の中は急激に住みにくくなり、韓国外に肉類を持ち出せなくなって久しい・・・
T男は昨年釜山に行ったけど、いかんせん学生の身、豚のみで韓牛は食べなかったそうです。
とにかく若いだけあって、ヤンニョムカルビ、サムギョプサル、アンチャンサル、コットゥンシムと、アジュンマが芸術的な手つきで焼き上げハサミで切り分けてくれる肉類を、次々に平らげていきます。M男も完全にソウルの空気に同化しちまって、今までの不安感などウソのように何でも口に入れてる。私は他に並んでるパンチャンというおかずやらサービスのケランチムやらをツマミに、ようやくありつけた焼酎(ソジュ)をチビチビやってたけど、彼らの食べっぷり見てるだけで腹が膨れてきました。
実は私、現在ダイエット中。4か月で5kg減量に成功したばかり。1月の半ば予定の定期健康診断前に、この努力を水泡に帰してはいけないという心のブレーキがしっかり効いていたようです。

食後は南山のソウルタワーへ。
三年前来た時とロープウェー乗り場がすっかり変わってました。しかも新年のせいかものすごい行列。で、我々の前のカップルのイチャイチャの激しいこと。音まで聞こえてきます。それを30分以上見せつけられる結果となってしまいました。イライラで血圧上がり気味。上に登るなり一服するために隅っこのほうへ向かったら、M男から「全くもう、夜景も見んでっ!」と怒られました。あんたら初めてやろうけど、私は20年以上前からこの景色見てるんだが・・・
ただ今回、足元の案内表示にハングルで「ソウルの星」と書いてあるのを発見。で、そこからのぞくと、道路の灯りが星型にくっきりと形成されているのです。いつの間にこんなもんできたんだろうか?とは思いました。
後日談ではありますが、M男が家に帰ってその時の話を親にしてるのを、私は横で聞いてました。「南山は若いカップルばかりで、観光客は俺たちだけ。年寄りも伯母さんだけ。」旅行に連れてってもらいながら、そういう失礼なこと普通言いますかね?

南山下って南大門市場・南大門・ソウル駅と夜の街を歩きました。
なんだか、夜の南大門市場が以前に比べ少々寂しくなってるような気が?あんまりボッタクリ屋台が多すぎたせいで、観光客から嫌われたのかしら?と感じてしまいました。
現在手抜き復元工事でニュースを賑わせている南大門(崇礼門)は、夜は近付くことができず、丹青がどのくらい剥げてるか見ることはできませんでした。守衛がいろんな方向から目を光らせてて、明るくライトアップされ、昔のロータリー真ん中でほとんど真っ暗だった南大門とは大違いでありました。
ソウル駅に行ったのは、ロッテマートに行くため。
明日はもう帰国ですから、今夜のうちにお土産仕入れておかねばなりません。
レジ袋は有料なので、用意していたビニールバッグを各自に持たせ、勝手に買い物して集合ということに。なんせ私も自分の分の買い出ししなきゃいけないので。T男がハングル少しは読めるから、多分大丈夫だろう・・・と思ったら、いつのまにかM男が後ろにくっついていた。なんで?と聞いたら、お金が少々足りなさそうだったからだそうな。

ということで2日目の夜は終わり。
私は、なんて健康的なソウルの夜を過ごしているんだろう!
これなら、家に帰って体重計に乗るのも怖くないゾ。


2014年1月4日ソウル前篇

2014年01月10日 | 海外旅行
6時半起床と言ってたのに、学生ってやはり起きれないのね。
電話でひとまず起こし、しばらくして部屋のブザー鳴らすと、T男がボンヤリした顔でドアを開けてくれ、M男はいまだベッドの中。
とにかく急かして用意させて、ホテルを出ました。
朝食はソルロンタン。このくらいになると、M男もボチボチ韓国の食べ物を味わえるようになってきたみたいで、「この味は結構上位に入る」とか言ってます。一晩寝て落ち着いたことで、雰囲気に慣れてきたのでしょう。「要するに文字を読もうとするからいけないんだ!」とか言って、自分を納得させておりました。
それからロッテホテルの6階の旅行社のデスクで、ツアー受付です。
今まで行ってみたかったけど仲間がいなくて行けなかった、私の初めての板門店ツアーの開始。

バスの日本語ガイドさんは「ちびまる子ちゃん」というニックネームらしい。南北分断の歴史を話してるうちに、結構熱く語ってきた。でも彼女の考えは私には共感できる部分が多かった。それがテレパシーで通じるのか、彼女としょっちゅう目が合ってしまった。この手の話は、私も時々熱く語ってしまって周りの人間にひかれてしまうのです。彼女が言うに、韓国人は夫婦・親兄弟でも政治の話はしないらしい。結局喧嘩にしかならないからだそうな。その気持ちよくわかるなぁ。。。

1時間近く走ったところで、バスの窓に川が見えてきました。漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)の合流地点。川の向こう岸は北の領土です。先月誰かがこの近くを軍の制止を聞かず泳いで渡ろうとして銃殺されたとか。堤の上には隙間なく鉄条網が張り巡らされ、映画でしか見たことない景色です。北側の岸にも建物がポツポツと見えるのですが、まる子さんの説明によると、だれも住んでないダミーの住居だとか。
臨津江にかかる統一大橋を渡る時は、兵士がバスに乗り込んできて、パスポートチェックを行います。大学休学して兵役についてる若い兵士で、つまりT男・M男とさして変わらない、可愛いお顔してます。二人は平和な自国の状況を改めて認識したかな?
先ずトラ山駅に到着。キム・デジュンの写真がデカデカと、近代的な駅のホーム内にかかっております。「ああ、太陽政策ね」とT男。「そうそう!よう知っとった。」さすが私の甥だ。(笑) イ・ミョンバク以降南北関係が冷え込んでいるために、現在この駅から先には行けない。しかし、この駅と次のケソン駅の間のレールが開通した時、この駅はユーラシア鉄道・シベリヤ鉄道の起点となるという説明。
お次が、南侵第三トンネル。北が秘密裏に南に攻撃をしかけようと掘ったトンネルのうち、三番目にみつかったもの。現在4つのトンネルが発見されているが、南に亡命したトンネル技師の話では20個近くあるはずだとか。パジュ市がお金かけて整備し、観光資源として活用中。というか、本来は北はこんなマネしてるとの訴えなんですけどね。ヘルメットかぶって、観光客用トロッコで下に降りて行きます。北側が、これは石炭坑道であるとの主張のもとに、何やら黒いものを塗りつけた跡やら、ダイナマイトを北側から埋め込んだ跡などを手に触れる位置で観察することができ、終点の小窓からは、壁の向こう側がのぞけます。あちらには、誰もいないようでしたが。地上では、ビデオ上映のミニシアターまで完備されておりました。
それからトラ山展望台。500ウォンの望遠鏡にそれぞれお金入れて、フォトライン(そこから先はカメラ撮影禁止)の上にかかっているパネルと実際の風景を見比べます。ちょうど、ケソン工業団地からこちらに向かうトラックの隊列が見えました。時速30キロ以内で固まってしかこの道は移動できないらしい。キム・イルソン像とパネルにあるのですが、どんなやっても実際には発見できない。3人でワイワイ言ってたら、そこにいた兵士がなめらかな日本語で言った言葉が「実はよく見えないんですよ」つまり彼は、我々の会話ずうっと理解して聞いてたのね。(笑)
それからまた橋渡って昼食タイムです。板門店に行く人は、けしてアルコール類を口にしてはいけないとの厳重注意を受けました。
昼食後、臨津閣自由の橋にてまる子さんとお別れです。彼女は非武装地帯コースのみの人たちを連れて、ソウルに帰りました。

私たちはバスを乗り換え、英語チームと合流で板門店に向かいます。バスの前半分に英語チーム、後半分が日本語チーム。英語ガイドさんと新しい日本語ガイドのチョンさんが、交互にマイク持って説明していってくれます。チョンさんのお父さんは、もともと妻と子供がいたのに分断によって家に帰れなくなり、それで南で新しい家族を作ったそうです。ですからチョンさんには、顔も名前も知らない兄や姉が北にいるそうです。また、南で拉致され北に消えた人達も大勢いて、そういう離散家族が韓国人の25%を占めるらしい。ですからそういう人たちにとって、日本人拉致問題はほんの少数に過ぎないと言われました。もちろん当事者にとっては数の問題ではないのではありましょうけど。

再び統一大橋の検問を過ぎ、今度は米軍のキャンプボニファスでブリーフィング。前のほうに英語チーム。私たちは後ろのほう。「以前は日本人が多かったから、私が前のほうで説明できたのに・・・」とチョンさんがちょっと悔しそうにつぶやきました。ここのところの日韓関係の冷え込みで、急激に日本人観光客が減少して、旅行業界ほんとに大変そうです。昨日美素のクォンさんもそんなこと言ってたなぁ。
ここで「軍が全力で守りますが、もし守り切れなかった時は、たとえ死んでも文句いいません。」という内容の用紙を渡され、サインさせられました。あとでこの用紙は、おみやげに配られましたけど。
そしてここからは、銃に実弾装填した軍人と共に軍のバスで移動です。荷物はポケットに入る貴重品以外、手に持てるのはカバーはずしたカメラのみ。午前中と異なり、否応なくここらからピリピリした空気が漂ってきます。「これが本当の非武装地帯(DMZ)なんやね」とT男が言いました。
そして共同警備区域(JSA)板門店へ。

唯一バスから降りれたのが、ここでした。そして外部で許されたカメラの向きはこの方向のみ。
会議場はこの左側の建物です。兵士たちは、建物の内外問わず、微動だにしません。目の動きや表情がみえないよう、皆JSAサングラスと呼ばれる黒いレイバンをしております。中の兵士さんたちとは記念撮影できましたが、ほんとにお人形さんのように全く動かず、旅行に浮かれた我々のことを一体どう思っているのやら?

これが「帰らざる橋」。バスの上からの見学のみです。昔捕虜交換をした場所。一方向に向かったら、二度と後戻りできないというのでそういう名がつきました。T男は旅行前に韓国映画「JSA」を見たと言ってたが、「ここだよね!」と嬉しげに私に聞いてきた。確かにイ・ビョンホンが映画の中で通っていた場所に見えるけど、あれはセットのはず。だって向こう側にソン・ガンホとかシン・ハギュンが待ってるわけないもの。・・・という超レアな会話を甥っ子とできることに、なんか幸せを感じてしまったのでありました。

さてそういう次第で、銃撃に巻き込まれることもなく無事にソウルに帰ることができたわけですが、いまだ戦時下にあるこの国。60年も続く休戦状態なんて異常事態が隣国にあるという事実。私も改めて認識できました。甥っ子たちにも勉強になったはず。同じ年頃の若者が、家族と離れただ一人、1万円程度の給料で危険な場所で兵役生活を送っているところを自分の目で見れたことは、きっと二人のこれからの人生に何らかの印象を残したものと、私費修学旅行の引率してる伯母としては信じたいものです。

2014年1月3日ソウル

2014年01月09日 | 海外旅行
私には大学1年生になる甥っ子が二人おりまして、大学の第二外国語として、一人は韓国語もう一人は中国語を履修しております。今まで身近の誰とも中韓の話をすることができず、一人なんだか疎外感すら感じていたもんで、伯母としては妙に嬉しく、より二人に愛情を感じてしまいます。
で、韓国語やってるT男は、大学のプログラムとして夏休みに釜山大学の学生と交流したことで、俄然韓国に対して興味が湧いてきたようです。あと一人のM男のほうも、同い年の従兄の話聞いてて、自分も韓国に行ってみたくなった。。。ってことは、そりゃあ私が連れてってやらにゃなるまい!長崎空港発のLCCジンエアーなるものも就航したことだし、金曜発・日曜着の二泊三日で、正月なら私の仕事にも二人の学校にも支障はないはず。
ということで、ソウルに行ってまいりました。

LCCながら軽食付ってことだったのですが、水とケーキのみ。帰りは三角おにぎりついてましたけど。アルコールは有料。座席狭し。しかも長崎空港は田舎だからいいけど、仁川ではターミナルからメチャ離れたとこにしか横付けできない。でも、ウォン高進行前にHPから予約入れたんで、値段安いから文句は言えない。LCCは私には向かないのかも?というのが正直な感想でありました。

ソウル着くなり、M男のほうは顔に徐々に緊張感が漂ってきます。なんせ、高校の修学旅行で上海・北京に行った経験はあるけど、良い想い出が皆無だったようで、その時の事しか比較対象ないし。空港から市内に向かう空港鉄道の中では、変な匂いがするのなんのとのたまう。こちらの食べ物をなんか口に入れれば、その匂いは気にならなくなるからと言うのに、「どうも食べれそうなもの無いかも?」などと、食べる前から心配ひとしきり。

ホテルは鐘路3街と乙支路3街の中間で、清渓川沿い。
チェックインして、まずはネットで予約を入れていた「美素汗蒸幕」なるところに向かいました。最初にキムチ作り。用意して貰っていた野菜切りからはじめますが、目の前のM男のたどたどしい包丁使いの、見ててまあ恐ろしいこと。しかも、大根・ニンジンの線切りならぬ拍子切りが出来あがっていきます。でも自分でやることに意義があるんだろうと思いつつ、手伝いもほどほどにしておきました。美素のクォンさんがエビとシラスの塩辛で味付けしてくれました。「オンニが作ったキムチのほうが、私の作ったのよりおいしかった」と言われたけど、でも味付けは結局彼女がしたんだが・・・。ビニル袋を2重に縛って名前を書き、まとめてバッグに入れてくれました。覚悟はしてたが重いっ!これ日本に持って帰らんといかんのか?
さてそれから、いよいよメインの汗蒸幕(ハンジュンマク)開始。サウナみたいなもんだけど、身体を横たえてリラックスできるから、より快適かも?ただ女性専用ルームのほうのサウナは、乾燥ヨモギの香りが充満してて、私はそっちのほうが好きだった。三人でムシロの上に寝転がってたら、M男はこのままずっとこの中にいるなどとツマランことを言ってます。さっさと二人残して、私は垢すりに入りました。ここからのコースは男女別れるので、あとはどうだったんでしょうね?終わった後、クォンさんが「恥ずかしくなかった?」って心配してたけど、二人とも自分の体から出た19年分の垢見て、単純に喜んでたようにも見えました。垢すりのお兄さんが「これ」って出た垢の塊指差したらしいから、相当大量に出た模様でありました。
サービスの食事は、プルコギ・ビビンパ・チジミ。M男によると、翌日の板門店ツアーでもチジミ食べたけど、美素のチジミのほうが美味しかったと、あとで申しておりました。ただまだこの時点では、キムチ作りの時の塩辛の匂いが気になって、何からもあの匂いがするとグダグダ申しておりましたけど。空港鉄道の匂いはそれだったそうです。
美素の運転手さんにホテルまで送ってもらって、キムチを無理やり冷蔵庫に押し込め、それから夜の散歩に出かけました。

鐘路から仁寺洞キルを抜け景福宮に出て、光化門を背に歩き、世宗大王とイ・スンシン将軍の像に挨拶をしてから、鐘路に戻ってきました。
そこらじゅうに並んでいる屋台で一杯ひっかけたい気持ちをひたすら抑えつつ、サツマイモケーキのお店でティータイム。こいつらが、酒の相手ができるようになるには、もうちょい時間が必要な模様。トッポッキとおでんを立ち食いして、ホテルに戻りました。
明日は朝8時にロッテホテル集合。さっさと寝なきゃいけません。


さて一日目、今まで食べた中で何が一番おいしかった?と言う質問に対し、M男は「チジミ」T男は「おでんのスープ」だったそうな。なんじゃそりゃ?と思いつつ、二人の隣の部屋で、私は缶ビールに乾きものでひとり酒して、床についたのでありました。

2013年5月釜山③

2013年05月11日 | 海外旅行
私にとって、1回目と2回目との釜山の大きな違いというのは海雲台地区。
以前はバスでしか行けなかったし、単なる海水浴場にしか思えなかった。
が、映画やドラマ等で見るとえらい様変わりぶりで、でかい橋がかかり、超高層ビルが林立し、ぜひとも行かねばと思っていたのでした。
海水浴場・トンベク公園も、昔と違ってえらく洗練されたものになってます。フラフラ歩きながら、広安大橋をよく眺めようと近づくのだけど、どうしても全貌が見えない。どこから上ればいいのかすらわからない。これって自動車専用の橋だったのですね。長さが7キロ以上もあるから、歩けないのが当たり前?
とにかくその橋を眺め、その橋を渡りたい。釜山駅前のシティツアーバスなるもののバス停見てたら、夜景コースといって、夜1便だけそれ風のコースがあるじゃないですか。で、出発時間前にバスのところに行って運転手さんに尋ねると、「予約が必要で、席はありません」とあっさり断られました。ギャフン。
で翌日朝から、観光案内所に行き、予約をとってもらいましたとさ。本来は前日予約が前提らしいのですが、ひとりだけなら席が空いていたということで、無事予約完了。
夕方早めに行って、釜山駅前のバス停に並びます。なんせ早いもの順でいい席に座れるから。
飛び込みのロシア人夫婦がやってきましたが、昨日の私同様に断られておりました。バス停に「要予約」とでもでかく表示しといてくれればいいのに。。。
バスの入口で、予約名を告げ、料金10,000ウォンを支払います。
ちょうど5月5日は子どもの日で、子ども連れの韓国人家族もおりました。男の子がお父さんに確認しております。「パパ、割引券ちゃんと持ってきた?」気のきいた息子だこと。


まずは出発前に運転手さんからの説明。「夜に海水浴場見ても仕方ないから、広安大橋がきれいに見える広安海水浴場と金蓮山の2か所でフォトタイム10分ずつ取りますが、それ以外は車内から夜景をご覧ください。帰りには広安大橋を渡ります。」とのこと。やはり思惑通り、橋を楽しむ為だけの2時間半コースであった。
車内は正面と各座席前にモニターがあって、ルート中の観光案内をしてくれます。で、外国人にはイヤホンを貸し出してくれ、座席のモニターで英語・中国語そして日本語を自分で切り替えるようになっているのです。が、主モニターの韓国語がビンビン耳に聞こえてくるもんだから、私はどっちにも集中できずにいたのですが、途中で私の座席モニターがフリーズして、主モニターの案内しか結局聞けなくなりました。
でも、夜の金蓮山に登るなんて自分じゃできないですもんね。実にきれいな橋を見ることができました。


腕が悪くてこの程度の画像しかアップできなくてすみません。
是非ご自分の目で見ることをお薦めいたします。

ただ一言だけ。
せっかく月見(タルマジ)の丘まで行ったのに、車内からじゃ月は見えないと思う・・・

2013年5月釜山②

2013年05月10日 | 海外旅行
以前釜山に行った時は、市外バスで慶州に行きました。ちょうど晩秋の頃で、仏国寺から石窟庵への沿道の紅葉の鮮やかさは、いまだに忘れることができません。シャトルバスの私の後ろの座席に座ってたハラボジの「紅葉がとても気持ちいい」ってため息のようにつぶやいた声と同時に。

あれからKTX(韓国高速鉄道)が開通し、慶州への路線も通りました。でも今回は別の場所に行きたい。もちKTXに乗って。
・・・ってことで思いついたのが、韓国第三の大都市である大邱(テグ)。ただ、大邱の観光って大したものがないんですよね。で、大邱経由で陜川(ハプチョン)の世界文化遺産・海印寺へ。

初KTXということでちょっと緊張しましたが、チケット売り場は一般の列車と同じだし、「東大邱」と言うと当たり前のように「KTXですね?」と言われました。なんかやたら普通。。。
それだけ高速鉄道が浸透してるって事?なんせソウル~釜山間が3時間だし。

釜山を出立し、しばらくの間は真っ暗な世界が続き外は見えません。まるで鉄道版地下鉄です。車両内天井から下がっているたくさんのテレビ。そして、その画面の片隅に現在速度が時々表示されます。270km/h?マジ?外真っ暗だし、車体の揺れやビビリもなく、快適といや快適なんだけど、全然速度を体感できません。
で、パッと視界が開けたところが次の駅、蔚山(ウルサン)でした。私の隣の席に男性が乗ってきて、席につくなりサンドイッチとコーヒーで食事を始めました。と思ったら、後ろの席の親子連れからもキムパブのゴマ油の香りがプ~ンと。韓国では、車内では食事するのが当たり前のようです。郷に入ればなんとやら、うん、帰りは私も何か食べねばと思ったのでありました。
釜山から大邱までは50分ちょいのあっという間。
東大邱駅から地下鉄で市外バスターミナルへ移動。
そういや地下鉄と呼ぶのはソウルのみで、釜山も大邱も都市鉄道という呼び名でした。地下ばかり走ってるわけではないから?いや、ソウルでも漢江(ハンガン)を越すと地上に出るから関係ないか。そこんとこ、ちょっと疑問に感じた点であります。

それから、市外バスで海印寺を目指します。高霊(コリョン)で高速を降り、伽耶山を登り始めます。見えてきたのが大伽耶山城の看板。ドラマ「キムスロ」で見たイジナシが畑を耕す姿がなぜか思い起こされて・・・って、伽耶国のお話は長くなるので省略。だいたい韓国の歴史ドラマって、1,800年前も800年前もセットがほとんど変わらなくてどうも納得いきかねる。私の頭の中に変なイメージが植え付けられるからやっぱ見ないようにしなきゃ、と改めて感じたのでありました。


そこからはますます深い山に入っていき、そして少し開けたところは日本と何の変わりもないのどかな田舎で、なぜか牛の香り。今度は「黄土韓牛」?の看板。おそらくそこが陜川。そして又山中に入って行き、ゲート手前でバスが止まり、おじさんがバスに乗り込んで来て、入場料を徴収されました。そこからが海印寺文化財区域です。
海印寺は、今から1200年前、統一新羅時代から続く古刹。とにかく大きい。韓国じゃ皆さん登山服着てお寺にお参りしてるのが納得いくほど、本殿までの道のりが遠い。


メインは、本殿裏手にある八万大蔵経殿。800年前、モンゴル侵攻の危機にあった高麗時代の王が、国の安泰を願い経典の木版を作らせました。この木版から刷られた経典は室町時代の日本にも伝わっております。そして600年前の李氏朝鮮時代、この地にその木版は納められ、その木版が炭化することもなく現存しているのであります。歳月を経た木というものは独特の匂いを放つものなのですが、あまり近づけないせいもあってか匂いがしない。他の建物が幾度となく焼失したにも関わらず、この経典を納めた建物だけは難を逃れたというのが、ますますこの経典のありがたさを高めており、又それを保存できる環境を維持できる、立地および建築・保存技術の高さには驚くべきものがあります。
蔵経殿の屋根の四隅に風鈴のようなものがぶら下がっており、又その音色が実に奥深く心に沁みます。本殿前の卍というか迷路を手を合わせてぐるぐる回る人たちの列に加わろうかとも思いましたけど、時間もないのにと思い返し、そのまま帰途につきました。
「仏様、あんにょ~ん」って、よちよち歩きの女の子の声と共に。


大邱へ向かうバスの中では、歩き疲れもあってウトウト。。。ってとこで、急ブレーキとクラクションで目が覚めました。運転手さんが、前を走るトラックに向かって大声でめちゃくちゃ悪態ついて、まあその後の運転の荒いことといったら、現世に急激に引き戻された気分で、そして恐ろしいほどのスピードで大邱へ到着。正直体感スピードはKTXよりか上でした。(笑)
チムカルビ通りなるところで、大邱名物チムカルビを食し、その後KTX内でデザートにサツマイモケーキと牛乳をいただきつつ、釜山へ帰ったのでありました。
そういや、生の春菊食べたのって生まれて初めてでした。