猫屋敷の無駄ブログ

現在、我が家は猫3匹。もう猫屋敷とは呼べませんけど。。。

つばめその後

2006年06月28日 | Weblog
昨日あたりから、巣が立て込んできてます。
押し出されそうになるのを必死でこらえてるもの
狭い巣の中で、羽伸ばしたりしてはた迷惑なもの
顔じゃなくてお尻からもう半身以上のり出した(はみ出した)もの
親がまわりを飛び回ってるけど、いまだ巣から出てくるツワモノはいないようです。けど、そろそろ飛行訓練はじまりそう。。。

そうそう、4つの頭と私が書いてたもんで、義妹からクレームがきました。
五羽いるそうです。失礼しました。よくまああんな小さな巣の中で五羽も育ってるもんだ・・・

驚いちゃった

2006年06月25日 | Weblog
うちのぐうたら亭主が日記を書いてる。。。
とあるサイトに呼ばれてのこのこ行って、どうせ何もしてないんだろうと思ったら、なんとちゃんと日記を書いてて、しかもコメントにレスまで入れていた。チョ~びっくり
自分に来た手紙の返事ですら、わたしに書かせてたのに、結婚25年目にしてやっと、人間マメでなければと悟ったのであろうか?まあ、長続きするとはとても思えないけど、それでも大変いいことだ。
それに昨日は、「脳が元気になる大人のための塗り絵」なる本と色鉛筆を買ってきて、チマチマとやりだした。その調子で脳細胞の破壊を少しでもくいとめる努力をやってくださいませ。

わたしゃ、親の面倒で忙しい。亭主の面倒まで見る余裕は、今は到底ないのです。

つばめ

2006年06月19日 | Weblog
店の車庫の壁に、今年もつばめが来てます。ひなが4つの頭出してて、親がせっせとエサを運んできてます。
去年はカラスがひどくて、最初はひなが生まれて喜んでブログ用の写真撮ってアップした翌々日にカラスにやられ、しかも子供のために戦った親までも死んでしまいました。残されたつがいの片割れがポツンと電線の上で1ヶ月以上も残っていたのがなんとも、胸が刺されるくらい悲しかった。
その後、次のつがいがやってきて、巣の補修をして卵を産んだようなのですが、結局味をしめたカラスから、そちらはヒナにかえることもなくやられてしまいました。
今年こそ、無事に巣立ってほしい。
祈るような気持ちで、見守ってます。
見守るしかできないけど・・・

博多へ

2006年06月18日 | Weblog
福岡のバイク仲間が、二輪車交通安全大会の福岡大会で優勝し、鈴鹿で行われる全国大会に出場するというので、壮行会が博多にてありまして、夫婦二人で行ってまいりました。
よくよく考えてみると、夫婦でJRに乗ったのは20数年ぶりのような?
まあ、それは別にたいしたことでもなかったのですが、席が運転席の真後ろってのが、なんとなく嬉しかったりして
このガラス、透過度が変化するのか、時々白くなって、中が見えないようになったりするのですね。カーテンとかブラインドとかではないのです。技術力というかなんというか、感心してしまいました。

博多に到着すると、ももタクシーなるものがお迎えにきてくれました。これがまた、なんと表現してよいものか、思わず笑ってしまうようなシロモノで、かな~り私的にうけてしまった。真っ赤なビロードが壁も床も天井もカーテンも!でもってソファーがコの字状に配置され、なんとカラーのシャンデリアが!まるで昔のスナックみたい。亭主がシャンデリアにぴちょんくん風鈴をかけて遊んでました。
宴会も、いろんな方たちとおしゃべりできて楽しかったけど、やっぱ、昨日の一番の収穫は、このももタクシーに乗れたことかも?

最終のJRで長崎に帰ってまいりましたが、家に着いたときは日付が変わってました。
当然のごとく腹をすかせた猫たちは、大ブーイングでございました。

ホムペ

2006年06月16日 | Weblog
あんまり放置してるのが気になってたもんで、いじくってみました。
いじくりだすと、今度は違うことが気になってくる。
以前はGIFアニメが主流だったのに、いまやなんでもフラッシュ流行り。何でも使ってみなきゃわからないし・・・ということで、昨日からHTMLと格闘してます。なんせ、安易なホムペ作成をしてたもんで、脳みそも退化しつつあるもんだから。ただ単にタグをコピペするだけなのに、なんでこんなに苦労してるんだろ?
んで、やりだすと、やはりいつもエンドレス。満足できるものには、到底程遠いので、ますます深みにはまっていくのですよね。
そして、自己嫌悪と戦いながら、ひたすらウェブ上で素材探しと検索をかけ続けるのです。
本当は、自分で作成するのが一番だとは思うのですが、それ勉強し始めると、おそらく頭から火がふきだすのではないかと思うもんで・・・

深堀&香焼さるく

2006年06月11日 | Weblog
郊外のさるくの場合、あんまり通さるくの回数が多くないので、頭から自分たちで歩く遊さるくのつもりで出掛けました。
ちょうど、深堀のスタート地点についたら、なんと通さるくと重なってしまい、2チームあったのですが、両方とも定員いっぱいだったようで、ご一緒にどうぞと主催者のかたが言ってくださったのですが、いえいえとお断りして、夫婦二人で歩きだしました。
「説明なりと聞いていかんですか」と言っていただいたので説明聞きながら歩いていたら、そのうち結局完全に同化してしまい、ちゃっかり亭主はお茶やお菓子のご接待まで頂戴してました。
おかげで、詳しい説明をしていただいて、なんだか儲かっちゃった気分です。
写真はあこうの木という市の記念物に指定されている木です。ここまで大きくて樹形が美しいあこうの木は珍しいそうで、しかもこの木を見るためには、通さるくでないと入っていけないとのこと。ますます儲かった。
深堀は、鎌倉時代から続く城下町で、長崎市内とは昔からいろんな因縁で仲が悪くというか、独自の文化圏を築いてきていたらしく、結局江戸時代初期に佐賀藩に編入されてしまったらしいのですが、このさるくがあるまで、そんなこと考えもしなかったのに、郷土史を身近に感じられるようになったのは、本当にこのイベントのおかげです。
今日は、深堀ペーロン大会で、市会議員さんや長崎市長も来ていて、なんと市長が、我々のさるくにしばらく同行するというおまけまでつきました。
まもなく選挙だったっけ
深堀の貝塚遺跡資料館の年表によると、脇岬の観音寺は奈良時代と書いてありました。さるく事務局さん、平安時代ってなんのこと?やっぱ、郊外も通さるくでなきゃちょっと意味がわからないとこがありますね。

さて、お昼に幸寿司という香焼のおすし屋さんで食事。ここはほんにおいしい寿司屋さん。かくれた名店と言えるんじゃなかろうか?さるくが終わったら取りに来ますと持ち帰りの鯖寿司を注文して、香焼さるくを開始しました。
いきなりコースのしょっぱながこの階段。300段はあるかという急な階段にひるみましたが、さるくの旗も立ってるからと意を決して登っていきました。その後も円福寺本堂の横もまた階段で、もうこうなりゃと半ば意地になって登り続けました。きっと弘法大師さまも、ようがんばったとおっしゃってくれるはず(笑)おっと、弘法大師さまがこのお寺の場所でお香を焚いたといういわれから、この地を香焼と名づけられたそうです。
へとへとになって帰りに寿司屋の奥さんにその話をしたら、「ひえ~、うちの横から道の通っとるとに、あの階段歩いたりしたら人に笑われる」と言われました。地元民は歩かないよね。やっぱ
おそらく、このコース、今までの中で一番ハードだったかもです。
おかげで、疲れました。。。

島原復興アリーナ

2006年06月04日 | Weblog
なんでも長崎県下最大のフロアスペースを持つ多目的ホールだそうです。
今日はここで、ツーリングGOGOというバイク雑誌のイベントがあり、久し振りにバイクで行ってまいりました。最近さるくにハマっていて、ツーリングはご無沙汰状態でしたので・・・
初めて、島原のアーケードにある銀座食堂という店で具雑煮を食べましたが、なんだか懐かしい味がしました。観光用のお上品なお味の某店とは、やはりかなり違うような気がしました。
そして、この建物へ。とにかく全国から集まったバイク、バイク、バイク。すごい台数が集まってきていました。他の皆は、じゃんけん大会で結構いい景品をゲットしたりできたようですが、我々夫婦は後の用事もあり、早々に失礼して帰ってきました。
雲仙の気温は思ったより低めで、夏用ジャケット着た亭主は、肌寒かったようです。


みさきの観音

2006年06月03日 | Weblog
先日、唐人屋敷跡をさるくしたときに初めて耳にした『みさき道』
市中心部の十人町から南山手を通り、長崎半島の先端野母崎まで、観音参りに人々が通ったという道。その目的地がここ脇岬の『観音禅寺』です。
みさき道はダイヤランドという団地の造成により、途中が完全に途切れているらしいのですが、どこをどう通っていたのか行きも帰りも想像しながら行ってきました。
しかしこのお寺、平安時代に開山されたというから、相当なもの。行基という名前が出てきたけど、私が知ってる行基なら、奈良天平時代のはずで、しかも難波の灌漑治水工事や東大寺の大仏建立に忙しく、こんな西の果てに来れるわけがない!
まあいずれにせよ、現在残る建物は江戸時代の末期に再建されたものだそうですが、それでも作り方が現在のものとは大きく異なり、天井絵は川原慶賀など著名な絵師の作だそうで、実に時代を感じさせる佇まいでした。
山門も本堂も木造で、潮風のせいもあるのか、かなり傷みが激しく、鉄の丸パイプでなんとかもたせておりました。
この付近は、私の父方の実家があった近くで、たしかここは、随分幼い頃、祖母と一緒に訪れたような???なんだか相撲の土俵があったような???などと懸命に記憶の糸をたぐり寄せてみても、さっぱりわからない。
子供の頃の印象なんて、全くあてになりません。まあ、40年もの年月が確実に経っているのだから仕方ないのですけど。