添心爛漫(てんしんらんまん)

~心に思ったことを添えて載せていきます~

母、余命

2011年01月24日 | 思うこと・気づいたこと
母が余命をつげられた。
抗癌剤治療をしなければ半年、続けても2年が長いとこ。
TVや映画でしかなかったことが、自分のすぐそばで起こった。

母は抗癌剤を嫌がっている。
薬が強く、ひどく辛いからだ。
入院し抗癌剤治療を受けて1週間くらいは関節の痛み、吐き気、食欲不振などに悩まされる。

自分の中には今、矛盾している思いが交差している。
1日でも長く生きてほしい、でもつらい思いを抱いたまま残った日を生きてもらいたくない。

おかんは幸せだったんだろうか。

他人がその人の人生を幸せだ、不幸せだというのは分不相応だとわかっているが
自分が知っている限りでは波乱の連続だった。
一番上の兄がグれ、3男はいじめを受け、
夫の癌手術で資金繰りに駆けまわり、借金し、自己破産し、
自分も働き出し、ストレスにたばこと酒が増え、
2男3男の大学資金集めにまた駆けまわり、
自身も癌になり、それでもパートでお金を稼ぎ、
何度も抗癌剤に耐えながら、それでも癌に悩まされる・・・。

抗癌剤治療に「つらい、つらい」と言っていた。

でも自分としては1日でも長く、一緒の世界にいてほしい、
一緒の空気をすってほしい、いつでも帰れる場所であってほしい。
これは自分のエゴか?

俺はおかんの人生の中でどれだけ何かをしてやれたか、
してやれることがあったか、その機会をすっと掴めず逃してきたのか。

どこかに連れて行ってやることもなかった、
実家近くで就職することもなかった、
一緒にいる時間も少なかった、
彼女を合わせることもなかった、
なにより自分の子を抱かせてやることができなかった。

今後もずっといてくれるという前提だったから。
無理な前提。
子供を抱えて笑って欲しかった。いろんなことを教えてもらいたかった。
自分がばぁちゃんの記憶がないから、
余計に自分の子どもには同じ経験・思いはしてもらいたくなかった。


むしろ自分は大学資金に帆走するのを知りつつ、
他人と比べ仕送りをもらえないことを不満言ったりしてやがった。
年に数回しか帰らないダメ息子。

おい、おまえ。
ちゃんとおかんと面と向かって接してきたのか、
感謝の気持ちを伝えてきたのか。
自分は忙しい、いつかなんとかするさとか勝手な理由をこじつけて
後ろにダッシュして逃げてんじゃないのか?
手紙だっていい、自分の思い、感情、そのままを伝えろよ。



この文を書いている際も涙が止まらない。
頭では整理していると思っているが、まったくもって涙は止まることを知らない。


後悔はしたくない。
以前、飼猫がなくなる際に自分は臨終の床にある、本当に家族と思っていた者を知りつつ
「あと1日はなんとかなるさ」と言ってバイトにそのまま行き、
最後の時を一緒に過ごすことができなかった。
会ったときには何も会話ができなかった。
ただただ箱の中に小さくうずくまった体に、呆然とし、涙をこぼすしかできなかった。
「きっと最後に会いたくてがんばってたんだろうなぁ」
「俺は無責任で勝手なやつだなぁ」
という思いが溢れ、涙としてこぼれていった。

そんな後悔は絶対しない。
仕事を失おうが、財産失おうが、なんとなろうがしったこっちゃない。
大事なのは家族だ。
それ以上にこの人生で手に入れられる価値有るものがあるだろうか?

してやれることはしよう、手紙も書こう、会いに行こう。

(乱文乱筆、感情むき出しお許しください)