KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

看取るということ

2020年02月17日 | 俳句
天気 曇一時晴

家の窓からも見える、通りの向こうの白椿。この花はわがマンションの敷地ではなく、市道の歩道に植えてある。なかなか品の良い花で咲くのを楽しみにしていた。

朝刊に、料理研究家の栗原はるみさんの夫を看取った記事が載っていた。
手暗がりのスマホ写真になってしまったけれど・・


ご主人が亡くなられた時、夫と同じ病気なのでびっくりした。年齢は夫よりも上、でもTVでよく見ていた方。お元気だとばかり思っていたが、肺がんは進行性だと悪化が早い。夫も「何もしなければ3ヶ月」と言われた。が、三度の胃がんを克服しているので、夫は出来る限りの治療を望んだ。ただ、治療方法がなくなったら延命はしないで欲しい、と。そんな訳で、夫は10ヶ月は命を永らえた。一度は回復に向かい、温泉へ行ったりもしたので、本人の選択は間違っていなかった、と私は思っている。
栗原さんは、全く治療をせずに自宅介護を選んだのだ。経済的には恵まれているご家庭だとしても、奥様は大変な苦労をされたことだろう、と推測できる。
「喪失感」は、家で看取った方が強く残るのだと思ったりした。夫は大発作で「あと数日」と医師に宣言されてから1ヶ月半近くも無治療で永らえた。発作が起きるので家での介護は無理で、そのまま病院で看てくれることになったのだ。自宅介護を覚悟して介護ベッドまで借りていたが、無駄になった。
そのおかげ・・と言うのは妙かもしれないけれど、私は自宅介護の大変さを身をもって体験しなかった。入院中はほぼ毎日病院で看取っていたが、目まいがひどい日も安心だった。もし家で最期を迎えていたら・・と考えると、栗原さんの奥様の喪失感は理解出来そうだ。

とはいえ、「夫依存」はあまりなかった、と思っている。
寂しいでしょう、と人に問われると困る。寂しいのは当たり前、でも入院期間の長かったことでそれに慣れていたようだ。やはり、自宅介護のあとは喪失感がきっと尾を曳くことになるのだろう。

浅春や山鳩のこゑそれつきり  KUMI
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (あーちゃん)
2020-02-19 09:16:32
実はわたしも栗原はるみさんのお料理本を買ったときにご主人がなくなられたことを知ったんだ。
いつもお料理の本は買わずにネットで調べたりしてたんだけど、今回のテーマがご主人との思い出の内容だったから買ったの。
自宅介護と病院介護で違うかもしれないけど、kumiさんとyuさんのようだなぁと思ったよ。
やっぱり家族が見えなくなるのは淋しいなあって思っちゃう。
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あーちゃん、病院で良かった (KUMI)
2020-02-19 17:14:02
家で看取って、突然一人になったらきっと栗原さんみたいに抜け殻になってたよ。
みんなが毎日協力してくれたし、私は楽をしたと思って感謝感謝。
入院が長かったから、もう帰ってこない、と思ってた時が寂しかった気がする。

料理の本は全く買わかったの。
あーちゃんご存知の通りでレシピの半分以上は食べられなかったからね。
今度見せてね。
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