白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

オウムと出会う以前(大学時代part1)

2006-09-22 00:49:07 | Weblog
 大学時代のことを書く前に、高校生の時に、「ノストラダムスの大予言」に出合ったことも触れておきたい。ご存知、五島勉氏の有名な著書である。「1999年7の月、空からアンゴルモアの大王が降りてくる。」という詩はあまりにも有名になった。この著書によって、我々、当時の若い世代は、未来に対する、得体の知れない不安と恐怖、そして、奇妙な期待を伴った、強烈な終末思想と世紀末における地球崩壊のイメージを脳裏に植えつけられた。結局1999年にハルマゲドンは起きず、予言ははずれたのだが、潜在意識に残されたイメージはその後も尾を引いた。
 
 大学時代は、田舎(プンナ正悟師、ソーナー師の実家は隣の郡になる)から抜け出し、東京にアパートを借りて、某私立大学に通っていた。後で知ったが、私は、メッタジ正悟師の大先輩にあたるようだ。オウムに入り、事件前にメッタジ師の下で働くことになるとは、やはり縁というべきか。それはさて置き、学部が、経済だったせいもあったが、よりによって、経済学研究会なる堅苦しいサークルに入ってしまった。まあ、実際はさっぱり堅苦しくはなくて、楽しかったのだが。

 どういうものか、そのサークルは、マルクス経済学を勉強していた。部室の隣は、中核派のアジトになっていて、ベニヤ板で窓が封鎖されていた。めったに人の出入りは無かったようだが、学生運動がかなり下火になっていた当時でも、時々、構内において鉄パイプで殴られ死亡したなどという事件が起きた。なるべく、お隣さんとは、関わりあわないようにし、中核の悪口は言わないように気をつけていた。

 サークルはマル経で、顧問の先生も当然マル経。その先生のゼミを取ったので、結局、4年間マル経ばかり勉強したことになる。唯物論にしても、唯物史観にしても、社会に出て、ほとんど役には立たなかった内容だが、ものの見方の幅を広げるのには、良かったのかもしれない。ただし、私の根底には、形而上的なものは、全て経済活動の基盤の上に成り立っているという唯物史観の考え方には、いつも疑問を持っていた。

 その反動だろうか、超能力開発をしてみたいと思い始めて、いろいろな本を探すようになった。そこで、いろいろ探し歩くうちに、阿含宗の桐山さんの本や、宗教的な本も目に留めるようなった。しかし、当時はまだ、マル経の唯物論者の部分が強かったので、無神論者であり、宗教は全く必要がなかった。そのうちに、精神世界の本を読み出して、チャクラやクンダリニーの記述を見出すようになった。クンダリニーなどという言葉は、それまで聞いた事もなかったが、それが、人間を根本的に変革させてしまう、大変な代物であることを知った。それは、普通の人の場合、通常、尾底骨(本当は会陰部?)にとぐろを巻いて眠っているらしい。

 そうなると、今度は、クンダリニーを何とか目覚めさせたくなるのが人情。そこで、クンダリニーを、目覚めさせる方法が書いてある書籍を探しまくった。結果、本山博著の「自分で出来る超能力ヨガ」という本に出合った。自分で独習出来るところが気に入って、さっそく購入。自宅で、ヨガのアーサナのようなことをやったり、小周天の真似事をして、気を回そうとしたり自分なりにやってみた。しかし、思うようにいかず、途中で自分だけでやるのは無理だと感じた。そこで、直接、本山先生のところに行って、教えてもらおうと、井の頭公園そばの道場に行って、指導を1、2回受けてみたが、どうもしっくりこなかった。結局、何回かアーサナのような指導を受けただけで辞めてしまった。それからは、自分で、好き勝手な修行の真似事をやる程度で、月日が流れていった。


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