白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

波乱万丈人生の幕開けpart3

2006-09-24 02:19:16 | Weblog
 「苦ありて信あり。」この言葉は、オウムに入ってから知った言葉である。まさに、彼女との出会いは、苦の始まりであった。もちろん、彼女が、一方的に悪いなどと言うつもりは毛頭無い。自分が、彼女に執着したが故の、苦悩だったからである。しかし、彼女との出会いが、オウムに入信するきっかけになったのだから、まさに、「苦ありて信あり。」を地でいったようなものである。したがって、不倫話は、少々長くなるが、私の心のリハビリも兼ねて、詳細に記述していくつもりだ。

 私のブログを眺める人など、あまりいないだろうが、不倫話に、もうしばらくお付き合い願いたい。 

 変な話で恐縮だが、彼女と最初に関係を持った時、彼女には申し訳ないが、私の心の奥底で、何か得体の知れないものに、捕らえられたような、妙な感覚があった。死んだ、ばあさんが、孫の私に、「男が身を滅ぼすのは、酒と女だから気をつけなくてはならないよ。」とよく言っていた。私の未来を、予言していたかのような言葉だった。しかし、私は、せっかくの、ばあさんの戒めを、両方とも一度に破って、奈落の底へ向かうトロッコに乗ってしまった。まさに、これが、カルマというものなのだろう。 

 彼女との関係が、深くなればなるほど、執着が強くなり、彼女の全てを自分のものにしたくなる。しかし、どうあがいても、彼女は自分のものに出来ない。この苦しみは、想像を絶するものがある。仏教的に言えば、求不得苦(ぐふとくく)、「得ようとしても、得られない苦しみ。」ということになるのだが、その当時は、当然そんな言葉は知らない。

 「不倫は、文化だ。」などと、のたまった芸能人がいて、一時期物議をかもしたが、お互いが、ゲーム感覚で欲望を満足させるために付き合うのなら、別れてもたいした傷も残らないかもしれないが、本気の不倫は、地獄を見る。

 確かに、会って二人きりの時は、この上も無く楽しいのだ。彼女を、自分が独り占めできるのだから。しかし、彼女は、時間がくれば、彼女を待つ、旦那様やかわいい子供たちのところに、帰さなくてはならない。それは当然のことなのだ。頭では分かっている。しかし、本音は、絶対に帰したくないのだ。彼女と別れた後、一人部屋に戻る寂しさ。彼女は、旦那様にも、私に見せたような笑顔を見せて、微笑むのだろうかと思うとやりきれなかった。

 私は、何度も、旦那さんと別れてくれないかと頼んだ。しかし、彼女の答えは、「子供のことを考えると、そんなに簡単に別れられない。もう少し待って。」というものだった。冷静に考えれば、確かにその通りなのだが、その結果、私は、いつまでも出口の見えない、闇の中に居続けなくてはならなかった。

 この状態が、一日二日で終るなら耐えられるが、彼女との関係は、実に7年にも及んだ。今書いていても、よくそんなに続いたものだと、我ながら感心する。当然、こんな状態が、長く続けば、精神的にも、肉体的にもおかしくなってくる。そのバランスを保つために、酒の量が増え、気持ちがどんどん荒んでいった。飲んでいても、つまらないことで、他のお客さんにからんで、怒鳴りつけてみたり、記憶を失うほど酒を飲んだりした。酒を飲んでいない時は、砂を噛む様な気持ちというのか、鉄さびが胸に詰まっているような感じがいつもしていた。

 そんな私の気持ちを弄ぶためなのか、嫉妬する様を見て、私の愛情を推し量ろうとしたのか、分からないが、彼女は、他の男と飲みに行って、ちょっかいを出された話や、旦那様との、夜の営みの話などをすることがあった。若い私は、嫉妬で気が狂いそうであった。いやもう、すでに、半分狂っていたのかもしれない。

 ある時、部屋で彼女と酒を飲んでいて、いつものように、別れろ、別れられないという口論になった時、もう全てを終わりにさせたくなって、台所にあった包丁を持ってきて、彼女に突きつけた。「一緒に死んでくれ!」涙を流しながら、声を振り絞って叫んだ。彼女も、泣きじゃくりながら「お願いだから、殺さないで。子供たちがいるの!お願いだから・・・。」と私に叫ぶように哀願した。「子供がいるの!」と言われて、正気になった私は、包丁を床においた。あまりにも、自分達が惨めで、その夜は、二人で抱き合って泣いた。

 僻地経験は、4年が満期になっている。いよいよ、彼女のいる町から、物理的に、離れなくてはならない時がやって来た。実家の近くの、自分の母校への赴任が決まっていた。4年間の付き合いで、さすがに、私も彼女も、疲れ果てていた。精神的なリハビリもかねて、実家に帰るのは良い事だろうと考えた。もちろん、彼女と別れるのは、死ぬほどつらかったが、会おうと思えば、車で1時間くらいで来れるし、電話も出来るだろうと思った。

 実家に帰ってから後も、3年間彼女との関係が続いた。それは、つまり、さらなる地獄が、口を開けて待っていたということだ。