フィリピンライフ「バタンガス海の家」&ドゥマゲティ「ゲストハウス」シエスタカーサ。

バタンガス「海の家」ドゥマゲティ「ゲストハウス」(2019年8月オープンも現在休業中)。現地情報&日々の出来事。

フィリピン暮らし(22)、マカティ近所の様子。

2020-05-31 19:44:27 | マカティライフ

此処の所、昼前の散歩が日課。段々に封鎖も緩くなって来ておりパトロールカーから止められる雰囲気も感じなくなった。それにしても空が青い。モールまで歩いて行くと、長い列。しかし、横の入口はオープンされ人が入って行っている?先の、長い列は「食料品売場」のみ、他の店は入口制限なし。帰り道は、少し寄り道でSMに行ってみた。買物客は普通に入っており、入場制限無し。只、駐車場はほぼ満杯(車で来る人が多い?)。流石と言うか、久々に来てみるとその大きさに驚いた。生鮮食品の品揃えも豊富で供給と配送に問題なさそうだ。明日から大幅な封鎖解除に進むらしいが、実際何がどう変わるのかは明日を待つしかない。期待は大きい、果たしてマニラからバタンガスまでのアクセスは可能になるのか?https://siestacasaph.com/


ドマゲッティ暮らし、ロングステイ(2)。

2020-05-30 14:16:07 | ドゥマゲティ暮らし

提案したい「フィリピン暮らし」は、普通に働いて、無理のない生活が送れる環境造り。日本を切り離す必要は全く無く、高度な医療技術と国民に有利な治療費、日本の習慣、道徳、遺産、美術品。世界に誇れる日本の事は、外に出るとより明確。1週間で家族と過ごせる時間が「3時間」自分の時間も確保し、奥さんも懸命にパートで頑張る。そこにゴールは見えて来ない(生活維持に終始)。日本が良いとかフィリピンが安いと言う事ではなく、生きがいを何処に求めるか。年齢と共に、家族との夕食や海に行った事などに感謝を感じて来る。一生懸命に働くのは、美徳ではあっても何かを犠牲にしたのでは意味がない。何でも出来ると感じているのは「若さの特権」、それから堅実な社会人となり、家庭も出来て来ると身勝手な方向転換は難しい(イケイケでもふっと感じる、正しい路線かと迷う時)。常に周りからの評価を意識しながら生きる環境から、マイスタイルで暮らせる環境があるフィリピン。続く。https://siestacasaph.com/

ドマゲッティ海岸通りとスタッフ

 


ドマゲッティ暮らし、ロングステイ(1)。

2020-05-29 18:26:34 | ドゥマゲティ暮らし

このコロナ騒動で、これまでの人生を振り返った人も多かったのでは。楽しかった事、そうでなかった時もあった。色々考えて行くと、何かに向かっている時、そのプロセスが充実感を与えてくれる。それらがやれた背景には家族の支え、特に経済的サポートがなければ実現していなかった。学校に通った、社会人になって独立した生活が始まった、家庭が出来た。しかしこれらは最低限の生活基盤があってこそ成り立っている。それが今回は、根底から崩れた。1つのトラブルからのリカバリーは可能でも、同時多発だと難しい。生活基盤の再構築を考えなければならない。収入の道が閉ざされた時、一番の問題は「食料」「家」「電気」「水」。これらをフィリピンで実践(生活基盤造り)するプランの考察。続く。https://siestacasaph.com/


フィリピン暮らし(21)ローカルライフの食事事情。

2020-05-29 11:46:00 | フィリピン暮らし

日本を離れて暮らそうと考えた時点で、避けて通れない現地での食事環境。台所が使えない限り、フィリピン料理中心の生活。此方の料理は、揚げる炒める系が多い。豚とチキン中心、考えて見れば大家族主義なので「ドカッと」早く作るのに最適な方法。味は濃い目、野菜は煮込みが多い。サラダを食べたいなら「ウエンディーズ」ハンバーガー屋に行くとOK、しかし値段高め。ローカル米は、粘り気が無い。そこで、考えたのが「ふりかけ」、ライスに対しては野菜炒めの汁を使うとOK。ライス系が苦手であれば、パン食も活用(台所不要)ピーナッツバターが有効。台所が使える様になると食事環境は「大幅改善」コメはもち米を混ぜるだけで食べやすくなる、味噌と海苔が加わるだけでも違って来る。簡単に調理するなら、すき焼き用のスライス肉と「焼肉のタレ」、豚肉スライスで簡単しゃぶしゃぶ、野菜は冷蔵庫の残り物。首都圏であれば、日本食材は豊富な品揃えで全く困らない。5年ぐらい前までは「帰国」する度に感激していた「日本の食事」も最近は感じなくなった。https://siestacasaph.com/

 


フィリピン暮らし(20)メイドは1万円で雇える?

2020-05-28 19:30:00 | フィリピン暮らし

現実的には、かなり難しい。大きな理由は、首都圏での仕事が見付け易くなった事が大きい。大抵のケースで「メイド」を入れたいと考えた時、先ずは奥さんの田舎にコンタクトして希望者を募る。全く知らない人を家に居れるのはフィリピンでも好まれていない。10年位までは、この方法で1年近く居てくれた。では、どうして辞めたり居なくなったりするのか。それは、そもそも田舎から出て行く目的は「都会」で生きて行く為であり「安月給」の「お手伝い」として働く事ではない。都会に慣れて、自身のネットワークやら生活の目途が出来た時点で去って行く。それが、5年前ほど前から「居る期間」はさらに短縮され、1ヵ月あるいは1週間で姿を消す。この1年間は、翌日辞めるケースも有り「完全」にギブアップ。又、田舎から出て来る娘も居なくなって来た。理由は、家政婦と言う一時的なクッションを置く必要性が無くなった(インターネットで情報収集)。もし日本からロングステイでフィリピンに住み始めても「良いメイド」を簡単に雇う事は難しい。中には、例外もあるものの、それは夜間学校の授業料を卒業するまで負担する等の+アルファが得られたりする場合。https://www.youtube.com/watch?v=yt_k70KHX7Q