予告しましたとおり、大和高田市の遺跡巡りの続きです。
築山古墳の南側には住宅地が広がっており、その住宅に挟まれるようにして幾つかの古墳がありました。名前がわかるものは一つしかありません。
冒頭の写真は多分狐井塚(きついづか)古墳です。
近づくと宮内庁の看板が・・・・
「陵西陵墓参考地」とのことです。
立ち入り禁止です。
ネット情報によると、全長約75mの前方後円墳で前方部幅約40m、前方部高さ約6m、後円部径約40m、高さ約5m
とのこと。
これが築山古墳と同様、前期古墳とすると、前方部の方が後円部より高いのはちょっと変ですが、築造当時の姿からかなり改変を受けているでしょうから、気にしないことにします。
住宅地の中は道が狭く、見通しが聞きかないのですが、そんなところに突然、
こんな古墳が姿を現すから楽しいですね^_^
さらにウロウロすると、
こんなのや、
こんなのがひょっこりと姿を表します。
それから、こんなのもありましたよ。
かわいいですね(^ ^)
すべて宮内庁が管理していて立ちいることはできないのですが、まるで辻々にあるお地蔵さんのような佇まいで古墳が鎮座しています。
陵墓参考地指定されたのがいつかはわかりませんが、このように人家の中に埋れていては、いつ隣地の所有者などによって削られて消滅してしまってもおかしくなかったと思います。
多分、地域の人たちから信仰を集めているのでしょう。
築山古墳の南側には住宅地が広がっており、その住宅に挟まれるようにして幾つかの古墳がありました。名前がわかるものは一つしかありません。
冒頭の写真は多分狐井塚(きついづか)古墳です。
近づくと宮内庁の看板が・・・・
「陵西陵墓参考地」とのことです。
立ち入り禁止です。
ネット情報によると、全長約75mの前方後円墳で前方部幅約40m、前方部高さ約6m、後円部径約40m、高さ約5m
とのこと。
これが築山古墳と同様、前期古墳とすると、前方部の方が後円部より高いのはちょっと変ですが、築造当時の姿からかなり改変を受けているでしょうから、気にしないことにします。
住宅地の中は道が狭く、見通しが聞きかないのですが、そんなところに突然、
こんな古墳が姿を現すから楽しいですね^_^
さらにウロウロすると、
こんなのや、
こんなのがひょっこりと姿を表します。
それから、こんなのもありましたよ。
かわいいですね(^ ^)
すべて宮内庁が管理していて立ちいることはできないのですが、まるで辻々にあるお地蔵さんのような佇まいで古墳が鎮座しています。
陵墓参考地指定されたのがいつかはわかりませんが、このように人家の中に埋れていては、いつ隣地の所有者などによって削られて消滅してしまってもおかしくなかったと思います。
多分、地域の人たちから信仰を集めているのでしょう。