遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

古墳の丘古曽志公園(松江市)

2012-04-30 21:50:28 | 日記
GW3日目は、松江市の宍道湖畔の丘陵上にある古墳の丘古曽志公園をご紹介します。
上の写真は、古曽志大谷1号墳のレプリカです。本物は住宅地造成工事によって破壊されてしまいました。
5世紀末の前方後方墳でして、前方部の先に少し飛び出た「造り出し」が設けられていました。写真右端にも少しだけ写っています。
造り出しの両側から埴輪片が出土していました。また、鉄刀や鏃(やじり)、斧等も出土しています。
墳丘に葺石(ふきいし)が貼り付けられていましたので、そのとおりに古墳を再現しているようです。
墳丘規模については、案内板に記載が見あたらなかったので不明です。しかし、ネット上には全長45.5メートル、高さ4.5メートルという記事があります。
古墳には大変な労働力を要しますので、古墳が造られる場所は、ある程度以上の人口が集約できるところでなくてはなりません。
しかし、この古墳は、島根半島の山と宍道湖に挟まれた場所に存在し、とても水田耕作を営める場所ではなかったようです。
代わりに、当時内海であった宍道湖の海上交通の要衝として栄えた場所柄だったようです。


これは、古曽志大谷1号分の近くにある姥ヶ谷古墳群の写真です。3つ並んだ方墳でして、3つともおおよそ長さ19メートル、幅16メートル、高さ2メートルです。現在はきれいに整備されています。3つとも5世紀の古墳だとされています。
この中の1つから、家形埴輪が出土しています。
墳丘の向こうに海のようなものが見えますね。これが宍道湖です。これの被葬者も大谷1号墳の被葬者と同じく、内海の海上交通を背景にした勢力を持っていたのでしょう。

こんなのもありました。

これは、古曽志大谷4号墳という方墳ですが、右にある写真は箱式石棺ですよね。
しかし、これはなんと長さが約70センチメートル、幅約35センチメートルしかありません。これはどういうことでしょう?
子供の墓?  ではなくて、この古墳は7世紀後半(古墳時代終末期)のものでして、どうやら被葬者は火葬されてから埋葬されているようです。

最後に古曽志大塚1号墳です。

これは造り出し付き円墳です。円墳にしては大きく、直径45メートル、高さ6メートルあります。島根県では最大級のようです。
上の古曽志大谷1号墳も造り出しがついていましたが、ここにも設けられていました。
2段築成です。「段築」というのは、古墳の墳丘を階段状にして盛り上げていくスタイルです。上の古曽志大谷1号も2段築成ですから、これと同じようなイメージで考えていただくとよいです。
葺石もあったようです。この古墳も全体が白く輝いていたのでしょう。

これらの古墳はすべて島根半島の山腹に築造されています。そして、いずれも宍道湖からよく見える場所です。
当時船で宍道湖を往来していた人々は、船から白く輝くこれらの古墳を見ながら航行していたのでしょう。

青木・福市遺跡(米子市)

2012-04-29 17:22:01 | 日記
GW2日目です。久々に2日連続でブログを更新します。
上の写真は,青木遺跡5号墳です。全長27メートル,後円部に比べて前方部が短く小さい帆立貝形と呼ばれる前方後円墳です。写真で見ても,右側の後円部より左側の前方部が大変小さいことが分かると思います。
未調査ですが,後円部墳頂に大きな盗掘坑があり,遺物等はそれほど期待できないかもです。5~6世紀のものと考えられています。

青木遺跡は,弥生時代中期(2000年前)から古墳時代にかけての集落跡と古墳が残されています。立地としては海岸から数キロ離れて日野川と法勝寺川に挟まれた丘陵上に位置します。
隣りには福市遺跡があり,おそらく同一の勢力だったのではないかと思います。
この遺跡には多数の円墳が発見されています。

小さな円墳が所狭しとひしめき合っている様子が分かりますでしょうか?
また,箱式石棺も発見されています。


次に青木遺跡の中で最大の古墳(と言っても全長33メートルですが。)である35号墳です。

これは前方部から撮影したものです。

福市遺跡は,弥生時代後期から古墳時代後期まで営まれた集落と古墳の遺跡です。ここは,山陰で最初に調査され,最大の規模をもつ古墳時代の集落跡で住居跡群と墓地群が確認された唯一の遺跡であるとして国に指定されています。

写真では,住居跡を四角い土手で囲んであり,その中心にコンクリートの標識を置いています。きれいに整備されていますね。
この遺跡は,福市公園の一部となっており,近隣住民の方々の散歩道となっています。
そして,この遺跡で残されている唯一の古墳である日焼山古墳です。

小さな円墳です。つつじに囲まれて綺麗です。

米子出張

2012-04-28 21:05:58 | 日記

今週は火曜日から米子に出張してきています。というわけなので、今回は山陰にちなんだ遺跡にします。
上の写真は仲仙寺9号墓。弥生時代後期の四隅突出型墳丘墓です。米子市のすぐ隣にある島根県安来市にある遺跡です。しかし、ここを訪れたのは、今週ではありません.

この墳丘墓は、仲仙寺墳墓群(ちゅうせんじふんぼぐん)の一つであり、この墳墓群は15基の古墳や墳丘墓で構成されていたのですが、残存されているのは、この9号墓と8号墓のみになってしまいました。

これは墳頂部の写真。埋葬施設が3基あり、中央の主体には木棺があり、中には碧玉製管玉11個と赤色顔料が残されていました。

これは墳頂部から突出部を撮ったもの

これはもうひとつの突出部です。
この墳丘墓は整った形をしているのですが、当然発掘調査後に整備したものです。
この墳丘墓は、突出部を除くと18×15m。突出部も含めると大きさ22.5×27m。高さは3mです。


これは仲仙寺8号墓だとおもいます。9号墓の近くにある墳丘状のものがこれしか見当たらなかったのでおそらくこれだと思います。見てのとおり、墳丘はありますが、かなり崩れているので四隅突出型の墳丘も確認できませんでした.。


次の写真は、岩屋古墳です。一辺40m、高さ7.5mの方墳で北側と南側にそれぞれ造り出しが存在しており、北側の方は長さ9.6m、幅5.5m、高さ1mです。

同じような写真ですが、造り出しの様子が少しわかりやすくなっています。写真の左側が造り出しです。
造り出しというのは、見てのとおり古墳の本体に取り付けられるように盛り上げられた台状の設備で、そこで祭祀を行ったと考えられています。この古墳の造り出しからも埴輪が出土し、祭祀が行われたようです.
この古墳も形が整っていますが、整備されたものです.

これは、造り出しから墳丘に向かって撮影したものです。

今日からGWです。私は今月末まで山陰で仕事したり、ゆっくりしたりいたします。
更新のペースも少し早くなるでしょう。




西山古墳(天理市)

2012-04-25 23:36:09 | 日記

天理参考館から南へ少し行ったところに西山古墳があります。
古墳時代前期(4世紀)の前方後方墳です。前方後方墳といいつつも、後方部が四角形なのは一番下の段だけで、その上は円形の墳丘が形作られています。1段目だけ前方後方墳で2段目からは前方後円墳という特異な形をしています。
全長183m、周濠もあります。前方後方墳としては、最大規模の古墳です。
後方部が四角いことを何とか捉えようとして

こんな写真を撮ったり、(後方部から前方部に向けて撮影)
後方部の2段目から丸い墳丘となっていることを捉えようとして

こんな写真を撮ったりしましたが、うまく撮れていません。
できれば、墳丘の上まで登りたかったのですが、天理大学(?)の馬場があって入ったらいけなさそうだったので、断念しました。
後方部から銅鏡、碧玉製鏃、管玉、鉄剣等が出土しています。

西山古墳は杣の内古墳群(そまのうちこふんぐん)の中で最大の古墳です。
この辺りは物部氏の根拠地だったようですので、これも物部氏の先祖の墓でしょうか?


天理参考館(記念講演の巻)

2012-04-21 20:29:26 | 日記
今日は、天理参考館の企画展「大布留遺跡展-物部氏の拠点集落を掘る-」の記念講演「物部氏と石上神宮-布留遺跡から見た石上神宮成立の背景-」に行ってきました。
上の写真はそのとき配布された資料です。
お昼まで相談が入っていたので、講演開始に10分ほど遅れてしまいました。

「そんなに人が来るわけないから大丈夫ですよ!」
「時間に間に合わなくても絶対入れますよ!!」
と激しく断定口調で言い切っていたのは、当事務所のTさん。

・・・現場は超満員。
会場に入りきれない人がドアの外のロビーまで広がっていて、開け放ったドアから聞こえてくる講師の先生の声を聞いている状況。
・・・奈良県民は勉強熱心みたいですよ。Tさん。

そんなところに到着したものですから、私もロビーで聞き耳を立てて先生の声を聞くしかありませんでした。
でも、まもなく会場外にスピーカーが設置されてようやく講義が聴きやすくなりました。
講義の内容は、記紀と考古学の成果から見た物部氏の武人的な性格と、石上神宮の武器庫としての側面についてでした。

講義の後、布留遺跡の企画展示を見ました。講演の来場者が集まってきてゆっくり見れませんでした。また見に来よう。

帰りに東大寺山古墳の企画展の冊子を購入しました。

すると、こんなものがついてきました。

ラッキー!

天理参考館(古墳時代の巻)

2012-04-19 21:57:23 | 日記
いよいよ古墳時代の遺物です。上の写真は上が圭頭太刀(けいとうたち)で下が双龍環頭太刀(そうりゅうかんとうたち)です。二匹の龍が真ん中で玉を支え合っている図でしょうか? 
両方とも古墳時代後期だそうで。とても約1500年前のものとは思えませんな。

古墳時代の副葬品は、前期は装身具や銅鏡が多かったそうで。

これは、向かって左側が車輪石、右側が石釧です。両方とも腕輪です。今はよくわかりませんが、古墳時代の当時はきれいに磨かれていたんでしょうね。

これはいろいろ石製品です。なかでも惹かれたのはこれ

ナイフや斧の模造品です。呪術品だと思いますが、精巧に出来ていると思いませんか?
ミニチュアを作るという発想が当時すでにあったのですね~~。 へ~~。

古墳時代中期になると武器類を古墳の副葬品にする傾向にあったようです。

これは鎧ですね。小さな鉄板を革ひもでつなげてあるのです。これだと体が動かしやすいですね。

そして、古墳時代後期になると馬が普及してきまして馬具も増えてきます。

これは、馬鈴(ばれい)です。馬鈴しょは、この馬鈴に似ていることから馬鈴薯となったとか。

これは馬鐸(ばたく。馬につけて音を鳴らす物。)です。弥生時代の銅鐸に似ていますね。銅鐸の起源ですね。
でもでも、これ、出土地が「日本列島」と書かれていますよ!? 見えるでしょうか?
よく見ると、他の遺物も「出土地不明」とか「日本列島」というものがいくつかあります。適正に発掘されずに出回ったのですね。
出土地や出土状況と切り離された遺物は、その学問的な意味ががた落ちになるとのこと。
多分、昔々に盗掘されて古物商の間を転々としていた物を買い取ったのでしょう。残念なことです。

最後に、これは古墳時代ではないと思いますが。

道祖神? ちがいます。ちなみに写真が横になっています。本来は立っています。
「陶製筒型容器」(とうせいつつがたようき)というのですが、これは昔私が住んでいた岡山県にあった熊山遺跡出土の遺物です。
こんなところで会おうとは!
熊山遺跡は、とっても田舎にあるのですが、ものすごーく不思議な日本に類例の存在しない遺跡です。
関心ある方は、是非熊山遺跡にも行ってください。


古墳時代も物が多かったです。今回掲載したのはほんの一部です。関心のある方は是非見に行ってください。

天理参考館(記号土器の巻)

2012-04-15 18:36:20 | 日記
今回は弥生時代のものをご紹介したいと思います。
タイトルに「記号土器の巻」としたのは、今回見た弥生時代の遺物の中でも記号土器がすごく不思議で、惹かれるものがあったからです。
記号土器は、絵画土器に描かれた絵の一部を取り出して土器に刻んだもののようです。

以前、鳥取県米子市の上淀白鳳の丘で見学した絵画土器に感動したことをこのブログでも書いていますが、天理参考館にも同じく絵画土器があります。

これは雄鹿です。鹿っぽい角がありますね。右下から左上に伸びているのが首だと思うのですが、長い首ですね~~~。キリン?
弥生中期のもので唐古・鍵遺跡から出土したものです。絵画土器は奈良と大阪から出土することが多いみたいです。
そしてこれは、

どーん! 人物画です。きっとシャーマンとか司祭なんでしょう。でも・・・なんだかおもしろい顔ですね。
当時の美意識かな?

これも唐古・鍵遺跡です。この方もすごく変わった顔形です。ひょっとして仮面を付けているとか?頭の上から何かが伸びていますよね。角?髪飾り?

解説によると、人物絵画は両手を上げているものが多いようでして、これは、鳥をイメージしたものと考えられるとのこと。春先にに田に降りてきた鳥を見て、田植えの季節を告げたり、神の使いのように映ったのではないかとのことです。
何度も繰り返しますが、こういう絵画土器や埴輪などで表現された人物は、なかなかに個性的ですよね。

そして、記号土器

これは「列点」だそうで、点が3つ並んでいます。弥生時代後期、唐古・鍵遺跡です。何を象徴させようとしているのでしょうか?
次に

「矢尻」とのことですが、鳥の足にも見えますよね。
それから、一番上でご紹介した「曲線」の記号土器です。

記号土器も絵画土器も祭祀に使用されたようでして、特に水と関連した祭祀に使用されたものだったみたいです。
1つの壺に1つの記号が記されているようで、「これは○○の霊が宿る壺」みたいな感じで壺に印を付けていったのでしょうか?
また、記号土器の記号は、文字の走りだったという説もあるようです。漢字文化以前に独自の文字文化が萌えだしていたのでしょうか?
うわ~~~~~~すごいですね!!  夢がふくらみます!
今回見た絵画土器・記号土器はすべて唐古・鍵遺跡のもの。
これは、唐古・鍵遺跡を見に行かなくては!

天理参考館(縄文式土器の巻)

2012-04-10 18:08:05 | 日記
天理参考館3階は「世界の考古美術」ということで,世界各地の遺物が展示されています。上の写真は,秋田県鷹巣町の藤株遺跡から出土した注口土器(ちゅうこうどき)です。縄文晩期(おおよそ3300年前から2300年前くらい)の遺物です。
他にも注口土器があります。

これも同じ所から出た縄文晩期ものです。
「こんなにおしゃれなものを縄文人が使っていたのか!?」(@_@;)
「縄文人恐るべし!!」
初めて見たときは驚きました。
さらに

香炉形土器です。これも確か縄文晩期のものです。岩手県二戸市の出土です。上の急須よりもさらにおしゃれ!!
縄文人は日々食べるのに精いっぱいで,餓死者や凍死者が日常茶飯事でこんな物作っている余裕があるとは思っていませんでした。
さらにこれ,

土偶の雛段飾りです。と言うのは嘘で,土偶を時代順にならべたものですね。

これは土面です。そして,本日一番のすごい物は

「人面飾付注口土器」ですって!?何でしょうこれ?土偶と注口土器の合体!?
私の既成概念で凝り固まった脳みそをぐるぐるとこねまわしてくれそうな素晴らしい造形物です。

写真を何枚も撮らせていただきましたが,載せたのはごく一部です。これはぜひ実際に見に行って欲しいと思います。

天理参考館(布留遺跡の巻)

2012-04-07 18:33:06 | 日記
4月1日は天理参考館に行ってきました。
前日アザレア法律事務所の方々と食事と飲み会をしていましたので,少し遅く起きました。昼前に出かけて,途中「かおく」というお蕎麦屋さんによって昼ごはんを食べました。国道沿いにあるのですが,民家みたいなたたずまいで発見しにくい。しかし,これがまたおいしい!

今回天理参考館に行くことにしたのは,4月4日から6月11日まで「大布留遺跡展―物部氏の拠点集落を掘る―」が開催されることを知りましたので,予習をするためです。
そもそも,天理参考館は布留遺跡の上に建てられており,遺跡自体は土の中に埋まっています。入館料400円を払って入館。中に入ってすぐに布留遺跡の展示品があると思いきやアイヌや朝鮮半島,中国などの文化・生活にかかる品々が1~2階までたくさん展示されていました。それはそれで良かったんですが,写真までは取らずに目的の布留遺跡展示へ。

布留遺跡は旧石器時代から現代まで続く遺跡です。しかし,人々が集中して居住し始めたのは弥生時代終末期からとのこと。これは縄文土器です。

これもそうです。そして大きく飾られていたのはこれ,

弥生時代を飛ばしましたが,朝顔形円筒埴輪です。これは,驚いたことに古墳から出土したわけではなく,古墳のない祭祀場跡から発見されたようです。古墳でもないところで葬送祭祀(確か,先代の首長を祖先の下に送ると共に祖先からの霊力を新しい首長が引き継ぐ祭りのこと。北朝鮮を見ていると,先代からの権力の承継にはデモンストレーションを伴うものだなと思います。あれも一種の祭りでしょうか?)をしたのでしょうか?

話がそれました。埴輪を近くで見るとこう。

すかし穴が綺麗に巴と長方形と三角形になっていますね。
次は馬形埴輪です。

なんだかスマートですね。埴輪の馬ってもう少しずんぐりむっくりしている印象があったのですが。これは,布留遺跡の南側にあるソマの内古墳群の守目堂ツルク1号墳から出土したようです。

これは木製の鍬(くわ)や鋤(すき)です。当時は鉄が貴重品でしたから,木で作った鍬の先に鉄を巻きつけたり,かぶせたりして使っていたと聞いています。

木製の皿もありました。腐敗することなく良く残っていましたね。

常設展示の布留遺跡の遺物はこれくらいでした。布留遺跡の上に立っているにしては少ないですね。遺跡自体は南北2キロメートル,東西2キロメートルの範囲にわたる広範囲の遺跡です。

しかし,この天理参考館は,布留遺跡以外の遺物展示が充実しており,感動するとともになんだか疑問なところもありました。それは次回で。

一(はじめ)法律事務所と楽しい仲間たち

2012-04-04 21:49:18 | 日記
4月2日から本格始動いたしました。一(はじめ)法律事務所です。
たくさんの皆様からお花や品物、ご祝儀などたくさんのお祝いをいただき大変感謝しております。
最近は、当ブログの更新も1週間に1度がやっとの状況ですが、今後はよりいっそう精進し、当ブログもいっそう充実したものにしたいと思います。

3月中旬、以前事務所で働いていたMさんから花に囲まれたミイの花束をいただきました(笑)
私はミイの尊大さが結構好きですが、このMさんは謙虚かつ仕事もできるすごい人です。この人がだんな様の転勤で九州に行ってしまったときは、それはそれは悲しかったこと。
このミイの花束は、花が枯れてしまっても中身のミイだけ取り出して飾っておける優れものです。
しかし、お客様には見せられません(笑)

3月31日には、開所祝いに私が仕事をさせていただいていたアザレア法律事務所の方々が大挙して訪問してくれました。
そのとき所長の杉山さん(弁護士です。)からいただいたのがこれ、

猫の画です。すごいリアルで野性味がありますね。もちろん、私が猫好きであるのを知っていて送ってくれました。「これひょっとして将来すごく値打ちが出るかもしれないよ。」とのアザレアの井木さん(この人も弁護士)談。
なんだかもう、アザレア事務所を退所する前の飲み会で、私にパンダのかぶり物をプレゼントしてくれた人と同一人物とは思えないセレクトです。

井木さんから「射場さん!これあげるから大阪でおしゃれなスーツを買いなさい!」「くれぐれも飲みに使わないように!」とひも付きのご祝儀をいただきました。機先を制せられました。井木さんいい弁護士になったね・・・・

それから、来ていただいた事務所スタッフの娘さんから

うちわとトランプと付箋です。
どうも、うちわとトランプは私がネコ好きだという理由で、動いて見えるネコ写真がついた優れものです。付箋は私の仕事を意識してくれたのでしょう。
お子さんからこういうのをもらうと本当にうれしいですね。

その後みんなで食事と飲み会をしました。なんだかんだで楽しい一日でした。
持つべきものは楽しい仲間ですね。