![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/47/fea12ebc005e14ce96f6631fabe67508.jpg)
再び明日香村に舞い戻ってきました。本日は有名な亀石です。
高松塚古墳古墳を見た後、一旦県道209号線に戻り、北上して行きます。セブンイレブンのある信号交差点の手前の細い路地を東に曲がるとすぐに亀石に出会えます。
行った当時は大変暑い日で、自転車をこいで高松塚の後、文武天皇陵、中尾山古墳、天武持統陵と見てきました。もう汗だらけになっています。
ようやく亀石に到着しました。
亀石のすぐ隣には小さな食堂がありまして、ソフトクリームを注文して一息。
それから、亀石にご対面。
亀石全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/ba/173efe09d3f6dd6c5cfc099e5e127b1c_s.jpg)
顔だけみると「かえる?」という感じですが、全景を見るとやはり亀ということでよいのではないでしょうか?
亀石は、作成された時期も作られた目的も明らかではありません。一説によると、川原寺の四至(所領の四隅の境界を示したもの)ではないかとのこと。
ほ~~古代の境界標ですか。これは驚きです。境界標というと私の職業柄、境界紛争を思い浮かべてしまいます。ご経験のある方もご覧になっているかもしれませんが、境界紛争は解決が難しい紛争類型の一つです。
亀石にまつわる伝説があります。
昔大和盆地が湖だったころ、対岸の当麻(たいま)と川原との間で喧嘩がおこった。喧嘩は当麻が勝ち、湖の水を全部取られてしまった。そして、湖に住んでいた亀がみんな死んでしまった。かわいそうに思った村人たちは、大きな石に亀の姿を彫り込んで、供養したとのこと。
現在亀石は南西向いていますが、西の当麻の方向を向いたとき、盆地は泥沼になるとのこと。
そりゃまずいですね。
私が住んでいるところは、大和高田市で、ちょうど川原寺と当麻寺の間にあるんですよ。泥沼の底に沈んじゃうじゃないですか。
もっと足繁く明日香村に足を運んで、亀石の機嫌を損ねないようにしなければ・・・・・・・・
高松塚古墳古墳を見た後、一旦県道209号線に戻り、北上して行きます。セブンイレブンのある信号交差点の手前の細い路地を東に曲がるとすぐに亀石に出会えます。
行った当時は大変暑い日で、自転車をこいで高松塚の後、文武天皇陵、中尾山古墳、天武持統陵と見てきました。もう汗だらけになっています。
ようやく亀石に到着しました。
亀石のすぐ隣には小さな食堂がありまして、ソフトクリームを注文して一息。
それから、亀石にご対面。
亀石全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/ba/173efe09d3f6dd6c5cfc099e5e127b1c_s.jpg)
顔だけみると「かえる?」という感じですが、全景を見るとやはり亀ということでよいのではないでしょうか?
亀石は、作成された時期も作られた目的も明らかではありません。一説によると、川原寺の四至(所領の四隅の境界を示したもの)ではないかとのこと。
ほ~~古代の境界標ですか。これは驚きです。境界標というと私の職業柄、境界紛争を思い浮かべてしまいます。ご経験のある方もご覧になっているかもしれませんが、境界紛争は解決が難しい紛争類型の一つです。
亀石にまつわる伝説があります。
昔大和盆地が湖だったころ、対岸の当麻(たいま)と川原との間で喧嘩がおこった。喧嘩は当麻が勝ち、湖の水を全部取られてしまった。そして、湖に住んでいた亀がみんな死んでしまった。かわいそうに思った村人たちは、大きな石に亀の姿を彫り込んで、供養したとのこと。
現在亀石は南西向いていますが、西の当麻の方向を向いたとき、盆地は泥沼になるとのこと。
そりゃまずいですね。
私が住んでいるところは、大和高田市で、ちょうど川原寺と当麻寺の間にあるんですよ。泥沼の底に沈んじゃうじゃないですか。
もっと足繁く明日香村に足を運んで、亀石の機嫌を損ねないようにしなければ・・・・・・・・