遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

姫塚古墳

2015-11-23 14:33:38 | 日記
最近なかった3日連続更新です。
姫塚古墳は、これまでご紹介した石船古墳や鏡塚などの古墳と同じ尾根上にある古墳です。
全長約43メートル、高さは約3.6メートルです。

冒頭は前方部の方向から撮影したものです。しかし、木々が邪魔をしてしっかり墳丘が見えません。

これは後円部です。
墳丘の崩壊を防ぐためとのことで、立入禁止になっています。

後円部を角度を変えて撮影しました。
右端の方に積石が右に伸びている様子が写っていると思いますが、多分これが前方部だろうと思われます。
この古墳も、前方部が低くなっており、古い形式を残しています。

姫塚古墳の由来は、この古墳について主張の娘の墓であるとの伝承があり、ここから姫塚と呼ばれるようになったとのことです。

北大塚古墳

2015-11-22 16:52:02 | 日記
石清尾山古墳群3回目、北大塚古墳のご紹介です。
この古墳は、全長約40メートルの小規模な前方後円墳です。
冒頭の写真は、前方部から撮影したものです。割と形がしっかり残っています。
土の古墳より形が残りやすいのかもしれません。

これは後円部頂のパノラマです。
特に何もありません。

後円部から前方部を見たところ。
この古墳も後円部に比べて前方部が低く、しかも、先端が少し開いて、かつ隆起しているように見えます。
これも古い形式の古墳ですね。

引き続き、北大塚の西隣にある北大塚西古墳です。

これは、北大塚古墳の後円部から撮影したものです。
前方部を東に向け、先端が北大塚古墳の後円部に接しているように見えます。

これは、後円部頂です。

それから、後円部から前方部を見たところです。
この古墳も、前方部が低く作られていますね。
古墳の規模について記載しているものがなく、全長などは分からないのですが、北大塚古墳に比べてさらひとまわり小規模にみえます。

もう一つ、北大塚の東隣にある北大塚東古墳です。

これは、北大塚から見たところです。
石清尾山古墳群唯一の方墳です。

墳頂です。なにもありません。石ばっかりです。

東側から撮ったところ。奥に見えるのは北大塚古墳です。
これも大きさを記載したものがなく、分かりませんが、さらに小規模な古墳です。

これら3つの古墳はそれぞれの墳裾が接するほどに隣接させて築造されており、同じ一族の系列なのかもしれません。
これらの古墳も、古墳時代前期の築造です。

鏡塚古墳

2015-11-21 14:29:35 | 日記
石清尾山古墳群からのご紹介をしばらく続けます。
今回は、鏡塚古墳です。
全国的にも非常に珍しい双方中円墳で、他にはこの古墳群中の猫塚古墳、奈良県天理市の櫛山古墳しか存在しないようです。

全長約70メートル、高さ約3.6メートルであり、古墳群中で猫塚に次ぐ大きさです。
この古墳から昔鏡が出土したとの伝承から、この名前がついたとのこと。

冒頭の写真は何が何だか分からないですが、南側の方形部から撮影したものです。
早速、南側からとりついてみます。

南側方形部から中円部を見たところ。


中円部の上ですね。
何が何だか分かりませんね。

これはパノラマ写真。


中円部頂から南側方形部を見たところ。
草に遮られて見にくいのが難点です。


中円部頂から北側方形部を見たところ。先端でばち形に広がっており、かつ隆起しているのがわかりますね。

北側方形部アップ。



北側方形部から中円部を見たところ。
この角度が一番立派に見えるかな?

段築は見られません。

石清尾山古墳群は、古墳時代初期から後期にかけて100基以上の積み石塚や封土墳が築造されていますが、この古墳や前回の石船塚古墳、猫塚古墳など積み石塚はいずれも古墳時代前期の築造です。
特に、この古墳と猫塚は古墳時代の初期段階の形質を有するそうです。
猫塚古墳は、盗掘時に多数の鏡が出土したようですが、おそらくこの古墳にも多数副葬されていたのでしょう。
この古墳を含む積石塚は、周囲に存在する安山岩を使用しており、立地の特性によってこの素材が選択されたのかもしれません。

古墳文化が定着しつつも、まだいろんなところに地域的な特性があっておもしろいですね。

石船積石塚

2015-11-15 22:18:27 | 日記
一昨日弁護士会の行事で淡路島に宿泊し、その足で岡山で仕事をしてきました。途中で高松市を通りましたので、当然のことながら石瀬尾山古墳群を見学させていただきました。

最初は、墳丘がきれいに残って石棺もよく見える石船塚古墳をご紹介します。
積石塚を見学するのは、確か3回目になります。

石瀬尾山古墳群は高松市栗林公園の西側に連なる石瀬尾山塊にあります。

岡山での仕事に遅れないようにダッシュで見学をしていくわけですが、古墳のそばでバードウォッチング中のおじさんと遭遇しました。邪魔してはいけないので、古墳の反対側で見学開始です。


前方部から見ると、墳形がきれいに残しされているのがわかります。
見ての通り全体が石でおおわれています。


後円部頂です。穴が見えますね。石ばっかりですね。


割竹形石棺です。身とふたです。
ここには石枕があるのですが、前日の雨で水がたまって見えません。
この穴を見ますと、積石塚が墳丘を石で覆った古墳ではなく、石を積んだ古墳であることがわかります。


石棺の西側数メートルのところに竪穴式石室があります。

その中です。小さな石室です。


後円部から前方部を眺めました。
先が細いままで伸びる柄鏡形の前方部です。後円部に対し前方部が相当低く、古い形の前方後円墳であることがわかります。

全長約57メートルで、円筒埴輪が出土しており、5世紀初の築造と考えられています。
それはそうと、この石を積んだ墳丘にどうやって円筒埴輪を立てたのか知りたいですね。

岩戸山歴史資料館

2015-11-08 16:42:43 | 日記
岩戸山古墳に隣接していました岩戸山歴史資料館のご紹介です。
すでに、今年の8月で閉館となり、その役割はやはり岩戸山古墳に隣接する岩戸山歴史文化交流館に引き継がれるようです。

画像の左に移っているのがそうみたいです。このときは建設中だったのですが。

岩戸山歴史資料館は、古墳約300基を有する八女丘陵の中心に位置する岩戸山古墳や付近の古墳群からの出土品の他、八女地方出土の縄文弥生の遺物を展示していました。

資料館は建物の2階にありましたが、1階にはこんなのが・・・

八女丘陵上の宅間田遺跡に存在した弥生の箱式石棺です。
石棺内からは人骨も発見されたようです。

その他竪穴式石室もありました。こちらに移築されたようです。

入館すると、案内の男性がいろいろと親切に教えてくれました。
八女市内は、縄文以降の遺跡が多いようです。

これは、黒曜石とサヌカイト。いずれも佐賀県産です。佐賀県すごい!

豊富な遺物があります。これは、立山山遺跡出土のものです。

そして、メインの展示場です。

すごい!!
中央に見えるのは鶴見山古墳出土の石人です。

精巧な作りです。
眉庇付冑(まびさしつきかぶと)を装着し、短甲の作りも良く再現されています。残念ながら顔面が破損されていますが、おそらくリアルに造形されていたのではないでしょうか?
そのほか、こんなのも・・・

ふんどしを着けた石人のお尻。力士なのでしょうか?

長頸壺の石製品です。埴輪と同様ですね。

手前に見えるのは靱形石製品ですね。その他器材形石製品も多いです。

盾形石製品や平板な石人があります。これはかなり手を抜いている感じがしますね。時間がなかったのでしょうか?
左手前の四角く写っている石人の背中は、案内の男性のお勧めの一品です。よく見ると左右非対称で曲線的に造形されているのが分かるでしょうか?芸術的ですね。
右奥の石人は、男根を持った男性像だそうです。なにをしておるのだ!?


鶏形、刀形、猪形?など多数です。


首飾りをつけた石人です。

石馬です。頭部が折られてなくなっています。
案内の方のお話しですと、石人にはいくつか矢傷が残っているものがあるとのことです。
継体朝との戦争と関係あるのかどうかは分かりません。


立山山古墳郡の出土品であり、特に中央の金製垂飾付耳飾りは非常に精巧な作りです。朝鮮半島からもたらされたようです。確かレプリカではなかったと思います。立山山8号墳出土です。

さらに注目すべきはこれ。

鶴見山古墳出土の銅鏡片ですが、案内の男性の話しでは、ここにはヒメクロバエのサナギの殻の痕跡が付着しており、ヒメクロバエが腐肉に寄ってくることから、死語数日間屋外に安置されていたことが想定されるようです。そこからモガリの存在を推定できることになるそうです。


さらに、銅鏡片には毛髪も付着していたようです。鶴見山古墳は磐井の子である葛子の墓であるとの説があり、もしそうだとすると、磐井の一族のDNAが採取できるかもしれないとの男性の話。

岩戸山歴史資料館は、こじんまりしていて石人等に触れられないながらもかぶりつきで眺めることは可能でした。新しい施設でも同じように堪能することができたらいいですね。

岩戸山古墳

2015-11-07 18:45:25 | 日記
久しぶりに超有名古墳のお話しです。
これまで、岩戸山古墳には何回か行ったことがありますが、写真撮影は初めてです。
訪問する度に遺跡周辺の整備が進んでいるような気がします。

6世紀前半に当時の継体朝を相手に戦争をして敗れた磐井の墓として有名です。古墳の被葬者は、今日的には分かりようがないのですが、別区の存在と位置が筑後国風土記における磐井の墓の記載と一致するためある程度可能性の高い推定といえるのかもしれません。
ただし、筑後国風土記の成立は古墳築造から約200年下った時代ですから、その間に「磐井の墓=北東部に別区があり石人石馬のある古墳」という等式がゆがめられる可能性がありますので、確実な推定ではないのだろうと思っています。

冒頭の写真は、別区に並べられた石人の後ろから後円部を撮ったものです。
別区は一辺約43メートルの方形をしており、レプリカの石人が立てられています。

筑後風土記によると別区には盗人が裁かれている様子が石人で表されているとのことであり、石馬や石猪も設置されていたとのことです。

こんなのです。岩戸山資料館で撮影しました。
以前、鳥取県米子市の石馬谷古墳の石馬を紹介しましたが、それに比べるとかなり保存状態が良いです。


北西部から前方部角を撮影したところです。

では墳丘に立ち入ってみましょう。

葺石ですね。

後円部頂にある大神宮の跡地です。


後円部から前方部を臨みます。

これは、前方部頂にある祠です。多分。ずいぶん前に撮影したので忘れてしまいました。


前方部から後円部を臨みます。

多分前方部の稜線です。きれいな二段築成ですね。墳丘の保存状態も良いですね。


このときは桜の季節だったのです。

この古墳は、北部九州最大の前方後円墳です。
墳頂約135メートル、後円部径約60メートル、前方部幅約92メートル、後円部高約18メートル、前方部高約17メートル、周濠周堤を含めると全長約170メートルとなります。
東西約10数キロメートルに及ぶ八女丘陵に存在する前方後円墳11基を含む約300基の八女古墳群の中心部に位置します。
埴輪とともに多数の石製品が出土しており、その種類も石人(武装石人、裸人等)、動物(馬、鶏、水鳥、猪?等)、靭(ゆぎ)、盾、刀、壺、蓋、翳(さしば 貴人の顔前に向けて従者がかざし、顔を隠す器具。)等多数上ります。
これらは埴輪の派生品と思われますが、その大きさは埴輪より大きく、阿蘇凝灰岩が加工しやすいとはいえ、製造に費やす労力はより大きいものであったと考えられます。

埋葬主体は未調査のため不明です。

岩戸山古墳群を巡った後、岩戸山歴史資料館を見学しました。
今年の8月で閉館してしまいました。見ておいて良かったです。
次回は、岩戸山歴史資料館のお話しです。

またラーメンネタ(ラーメン坊也哲 東大阪市)

2015-11-01 15:56:13 | 日記
今日は、東大阪市にある大阪府立中央図書館に行く用事があったので、ついでに付近にある坊也哲というラーメン屋さんに寄ってきました。

行列ができるだけあってかなりおいしかったです。

麵の表面が非常に滑らかでまるでうどんのようです。
チャーシューにはあらかじめ黒こしょうをまぶしてあり、「必要ないだろう」とばかりにカウンターにはこしょうなどは置いてありません。
そういえば、メニューはラーメンとつけ麺だけで、餃子やチャーハンなどは置いてありません。
自信があるのですね。

ちょっと麵が柔らかかった気がしましたので替玉を注文して、再度麵の堅さを確認したところ、やっぱり替玉の方がしっかりしていておいしかったですね。
多分、ラーメンが出てきたら写真なんか撮らずにさっさと食べるべきなのでしょう。

遺跡の記事と違ってあっという間に終わって楽です(笑)。