遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

菖蒲池古墳

2015-10-31 15:48:15 | 日記
橿原市と明日香村の境の近く、明日香養護学校の西の山に菖蒲池古墳があります。
奈良県に引っ越した後割とすぐに見学しようとしたのですが、そのときは発見できませんでした。
まだまだ不慣れでした。


実際道路脇に小さいですけれどこんな看板があり、簡単に発見できるのです。


これは、横穴式石室を覆う小屋です。
ご覧のとおり墳丘は失われてしまっており、方墳だったか円墳だったかも分からなくなってしまいました。
ただ、写真左から右に降りていく傾斜が墳丘の存在をうかがわせるのみです。


小屋の前面です。ご覧のとおり、石室に侵入することはできません。どこでも同じですね。
まあ、めげずに隙間からカメラを差入れますか。

と思って中をのぞいてみるとびっくり!!

この家形石棺は・・・・!?
入母屋造っていうんですかね?
屋根の上がさらにせり上がっています。
そして、軒先の溝は何でしょうか?
しかし、いずれにせよ直線的で美しく加工されていますね。
側壁は、平らに整形された花崗岩ですね。
解説板によると隙間に漆喰を充填しているようです。コンクリートみたいに見えるものがそうでしょう。


これは石棺の身です。上まで地面に埋まってしまい、ほとんど様子が分かりません。
水が溜まっているのか?

実は、この石棺の奥にもさらに石棺があるのですが、暗くて写っていません。
残念です_| ̄|○

この石室は、ご覧のとおり玄室の斜め上から覗くような状態となっており、羨道は地中に埋まっていますので石室の全長は不明です。
今回は全く見えませんでしたが、奥の石棺も大変精巧な作りらしいです。
さらに、奥の石棺の身には四隅に柱状の彫刻、手前の石棺の身には上下端に帯状の造り出しがあるそうです。地中に埋まっていて見えませんが。
さらに内面には漆が施されているとのこと。すごい!

見たいな~。

サイカラーメン

2015-10-25 18:00:18 | 日記
昨日くらいから急に寒くなりました。
奈良県内で有名なサイカ(彩華)ラーメンというラーメンがあります。
醤油のスープで、少し塩辛いですが白菜などの具が多く、ニンニクがきいています。
寒い日は体が温まります。

県内に何カ所か支店がありますが、天理市内に屋台でやっているサイカラーメンがあります。
屋台は初めてですが、疲れたときにニンニクを摂取するため、よく頂きます。

煮卵トッピングです。

スープは飲んではいけないと思ってはいるのですが、ついつい飲んでしまっていけませんね。
うまいしね。

ちなみに、サイカラーメンは、大中小があり「小」が普通のサイズです。間違えると大変です。

真弓丘陵(高取町)

2015-10-25 17:30:50 | 日記
車木ケンノウ古墳を見た後近くの真弓丘陵という古墳に立ち寄りました。
岡宮天皇陵とのことですが、これは草壁の皇子のことであり、天皇に即位したことはない人物の墓とされています。
もちろんどこまで信じて良いのか分かりません。

近くに駐車スペースがあります。

歩いてすぐです。

例によって立ち入り禁止です。


それでは、墳丘を撮影しましょう。

墳丘の脇には神社が建っています。


以前、束明神古墳をご紹介しましたが、これが草壁の皇子の墓であるという説が有力だそうです。
発掘できるといいんですがね。

車木ケンノウ古墳と大田皇女墓(高取町)

2015-10-12 17:32:10 | 日記
高取町車木の八幡神社付近にあります。
斉明天皇のお墓とされており、宮内庁管理で立ち入り禁止です。

仕方ないので、周囲にへばりついて撮影させて頂きます。まずは、鳥居に向かって左側(北側)から。


歩いてみて分かったのですが、鳥居の位置から古墳周囲を巡るとずいぶん下の方に降りていくことになります。
なので、柵の内側に墳丘があるのか単に自分が低いところにいるために柵の中が高く見えるだけなのかよく分かりません。

でも、半分くらい回ったところだと


なんとか墳丘らしきものがあるように見えます。

かなりおぼつかない感じの古墳ですが、斉明天皇の墓ということになっています。しかし、最近は牽牛子塚古墳が斉明天皇の墓という説が有力だそうです。

ケンノウ古墳の下にあるのが大田皇女墓です。

大田皇女は、天武天皇の妃とのこと。
当然本当のことは分かりません。

この古墳は、明らかに円墳状の高まりがあってケンノウ古墳より分かりやすいですね。
最後に上からも何とか見えたので写真に撮りました。


浅古八坂神社古墳

2015-10-10 19:03:11 | 日記
以前足を運んだときには気付かなかったのですが、改めて訪問してようやく分かりました。
兜塚古墳が近くにあり、同古墳を見学したときにここにも立ち寄りましたが、これが古墳だとは思いませんでした。
不覚です。

円墳のようですが、墳丘の東半分が破壊されてしまっているようです。

冒頭の写真の石灯籠の向こう側に石室の痕跡があります。

灯籠の隙間から見えるのは、おそらく羨道部の側壁ですね。

天井石か奥壁でしょうか?

奥壁方向から開口部方向を撮影。

他人様のブログによりますと、玄室高約2メートル、長さ約4.2メートル、羨道部長5メートル以上と推定されています。
築造時期は5世紀から6世紀とのこと。

谷首古墳

2015-10-04 22:59:06 | 日記
前々回の艸墓古墳の近い谷首古墳をご紹介します。

以前、安倍文殊院古墳をご紹介しましたが、安倍文殊院の境内の南側にあります。


このように緑生い茂る山肌にひっそりと口を開けています。

それでは中に入りましょう。


私の頭脳と同様ぼけてますね。


羨道の側壁は1段となっています。

そして、奥壁。

なんだか大量のオーブが(笑)
レンズが汚れていましたね。

鮮明に撮影してみると奥壁のシミがなんだか幽霊みたく見えなくもないですね。


天井石です。2個で構成されています。
非常に高い天井です。
コウモリの夫婦が住んでいましたか・・・・お騒がせして申し訳ない。


床面には小礫が敷かれています。
ここから凝灰岩の細片が発見されたようで、石棺が安置されていたものと考えられています。


玄室から入り口を撮りました。
左の袖石がずいぶん小さく、右側だけの片袖式といえなくもない作りになっています。
それから、まぐさ石が巨大です。
上を見ますと

二段になっていて、天井の高さが感じられますね。
どなたかが、ブログで谷首古墳にはコウモリもカマドウマもいませんと断言しておられましたが、天井にコウモリ夫婦がいますし、この写真の右隅にカマドウマの小さな集落が写っています。
あまり気にならない程度ですけどね。

この古墳は、寺川の左岸、多武峰から北に延びる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置します。標高100メートル程度の地点にある方形墳です。

東西約35メートル、南北約38メートル、高さ約8.2メートルで、墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があります。
石室は、玄室長約6メートル、幅約2,8メートル、高さ約4メートルと非常に高さがあります。
羨道長約7.8メートル、幅約1.7メートル、高さ約1.8メートルとなっています。
花崗岩の巨石を使用しています。

築造年代は、石舞台や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と考えられています。